神魔1-1
□
ルリジオン教国、北方山脈都市。「第三の壁」と呼ばれる巨大城砦にて。
「おい、聞いたか? あの噂?」
「噂?」
兵員準備室は、春もなかばだというのに暖を取っていた。そうしなければならないほど、ここは寒冷な土地であり気候であった。
機械装甲服を脱いだ兵士たち──通称・機械化装甲擲弾兵──たちは、軍務の合間の休憩自由時間に、各々なりの過ごし方で休息を取る。
書籍に目を通すもの。
装具点検をおこたらないモノ。
そして、噂話に花を咲かせるものたちなど。
前線勤務が長いものたちは外界の情報がほとんど入ってこない中で、補給部隊などから仕入れた情報や噂をやりとりすることに飢えていた。
「南の王国、ユーグの王太子殿下が婚約したんだとよ」
「へえ。あの帝国と互角にやりあった
「相手は帝国の皇女殿下か? それともいけすかねえ魔女の女王さま?」
「いや、自国の貴族の娘らしい」
「ふーん? 歳は?」
「それが十五の娘なんだと」
「はぁ? あの王太子、確か二十五だろ?」
「え、てことは……十個も歳下じゃねえか!」
「そういう趣向の殿下とは聞いたことがねえが……あ、娘の実家が、大金持ちの大貴族とか?」
「いや、使用人すら雇えなかったような貧家で、一時期王国中が大騒ぎしたんだと」
兵員たちは自分たちの国のさらに南に位置する王国での話題で持ちきりとなった。
「魔法をあつかう連中のやることは理解できんな」
「そう言ってやるなよ。連中は魔法で国を発展させてきたんだ」
「でも魔法だろう? 俺らの扱う機械の方が、絶対に便利だろうが」
「ああ。なにより、使い手とやらを選ばねえ」
「ドワーフの国も隣だしな」
「魔獣どもも、機銃掃射で仕留められるし」
「“ルリジオンの教え”万歳、てな!」
談笑の熱気が増すなか、準備室の温度を冷却する警報音が鳴り響く。
「またぞろ出陣か」
「今度はどの地区だ? アンヌ地区か、ベノワ地区か?」
各人、機械装甲服を身に纏いつつ、上官からの指揮の元、出動準備を一分以内にすませる。
そして、機械化装甲擲弾兵と化した彼らは、全自動発進レールに乗って“壁”の上へ。
射出されたそこは極寒の吹雪によって視界が遮られる、最悪の戦場。
全身を装甲服で覆わなければ数分で凍え死ぬとされる、白亜の歩哨。
『さぁて、仕事仕事──?』
『なんだ、どうした?』
『おい……あれ』
夜の闇の中でも、猛吹雪の中でも、彼らのカメラアイ映像は鮮明だ。
だが、機械の故障を疑いたくなるような光景が、彼らの眼下に広がっている。
それは、漆黒の葬列にも見える、軍勢。
〈魔犬〉や〈大狼〉に騎乗する純黒の騎手。
血のように赤い紋章旗を掲げる骸骨の群れ。
黒い巨人が押し引いてくるは攻城兵器の輝き。
『魔獣の、軍団?』
『あの旗は神魔国の!』
『隊長、指示を! 隊長!』
懇請するような部下の一言は、しかし、彼の耳には届いていない。
『……隊長?』
彼らもようやく異変に気付いた。
その時にはすべてが手遅れだった。
真紅の鱗光。
巨大な皮膜の翼。
牙列から溢れる咆哮。
空を埋め尽くす絶望の姿。
ルリジオン教国が誇る「第三の壁」は、一両日中に突破される──
□
ユーグ王国、モルターニュ家の屋敷。
「お嬢様は、そろそろ御所望にはならないのですか?」
「何をです? ジュリエットさん?」
魔女の女王から拝領した青い薔薇を丁寧に世話しつつ、ガブリエールはメイドとの会話を続ける。
「もう殿下とご婚約されてふた月以上たちますし、そろそろ必要になってくるのではと思ったのですが?」
「必要?」
「婚約の証──指輪ですよ、指輪」
「……!」
ガブリエールは頬を真っ赤に染めて、それを受け取る自分を想像してしまった。
しかし。
「いえ、まだ、そういうのは」
考えていない……どころか、考える必要すら感じていなかった。
なにしろガブリエールたちの関係は、あくまで偽装。そのような物が必要になってくることなど、想像だにしていなかった。
「でも殿下であれば、指輪ぐらいすぐに用意していただけると思いますが?」
「ええ。──でも」
ガブリエールは青い薔薇と正面から相対しつつ、王太子殿下ともなればそれぐらい余裕で準備できることも予想できた。
それでも。
(自分からそういうのを口にするのは
妙なところで女の矜持っぽいことを考える自分に、ガブリエールは自嘲の笑みを浮かべる。
(でも偽装だからこそ必要なことなのかな? ──でも、──うーん)
思考を巡らせるガブリエール。
王国王都は平穏な春風がそよいでいた。
そんな中。
「お嬢様。ご来賓の方がお見えです」
「来賓?」
シャリーヌが告げた来客の存在に心当たりがなかった。
そんな予定あっただろうかと思いジュリエットに確認してみるが、彼女は首を横に振った。
「わかりました、すぐに向かいます」
庭仕事で少し汚れているため、最低限身綺麗にする時間をいただき、来賓の待つ応接間へ。
「遅くなって申し訳ございませ……ん?」
急ぎ駆け込んだガブリエールは、クレマンスが応対していた人物を見て、全身が硬直する。
彼は長い黒髪をかすかに振って謝意を述べた。
「いえいえ。突然お尋ねした非礼は私の方に。どうか、お気になされぬよう──婚約者殿」
銀髪の令嬢は二の句が継げない。
応接間にいた来賓は、王太子殿下の五つ違いの弟──第二王子、クロワ・サンス・ド・シャルティエであったのだから。
ガブリエールは心底から懐いた疑問を口にせずにはいられない。
「だ、第二王子殿下が、今日は何用で、こちらに?」
兄の婚約者と茶飲み話でもしようという雰囲気を一切感じられない。
彼は対面に座る十五歳の令嬢を鑑定するような目つきを向け、告げる。
「単刀直入に申し上げましょう、ガブリエール・ド・モルターニュ嬢。
我が兄上、エミール・ガニアン・ド・シャルティエ王太子との婚約を、このたび“なかったこと”にしていただきたい」
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