第三章

巫女1-1






 □





 春の嵐と共に、魔女の国の女王は去っていった。

 本来であれば国賓待遇を受けてもおかしくない地位にあるソルシエール女王であるが、


「今回の訪問は秘密ね」


 と言って、エミール王太子とガブリエールたちを納得させた。

 そして、女王は自国へと戻り、正式な使者として王都を訪問させた側近・シャンタールより、調べさせた事柄の報告を受ける。


「王都でも王城でも、魔獣大量召喚の術式は発見できませんでした。王国内部の者の犯行という線は薄いかと存じます」

「そう──」


 魔法捜査や鑑定に秀でる側近が言うのだから間違いない。

 だが、広い自室で香炉と入浴をたのしむ女王は、疑いの思いをかき消すことはできなかった。


(王の周辺にはいなくとも、それ以外に王の失脚を望む貴族派の線も捨てがたい、か)


 ソルシエールはあたたかな蒼い温泉につかり、白い湯気の行方を追いつつ、貴族の娘・ガブリエールとの対面を思い出す。

 老婆に化けた自分を怪しむことなく、即座に屋敷のうちへ案内してくれた騎士候の孫娘。


(私の占術だと、エミール王太子くんの相手は別の、……ぶっちゃけ教国の巫女ちゃんだったのだけど……)


 王太子婚約の報を聞かされた時の小さからぬ衝撃を思い出しつつ、ガブリエールに特別な才や魔法などの能力がないことにも驚かされた。

 てっきりそういったものを利用して、エミール王太子を篭絡ろうらくせしめたと当初は考えていたが、あの娘にそのような力量や野心など欠片も備わっていなかった。

 よく言えば善良な令嬢。

 悪く言えば平凡な小娘。

 それがどうやって、エミール王太子という特上の玉の輿に乗りこめたのか。


(いや、それどころか、自分が王太子の婚約者であることに、一番懐疑的なのが変だったわよね?)


 女王は二人の婚約に違和感めいたものを感じた。

 しかしながら「読心の魔法」を使ってみても、二人が互いを想い合い尊重し合っている姿は、疑いようのない事実である。


(まぁ、この私でも未来をすべて読むことできないし──それよりも優先すべきは)


 ユーグ王国との今後の関係について。

 それを考慮したが故に、モルターニュ嬢の屋敷に青薔薇による守りまで与え、自分たちが「魔獣大量召喚」の下手人ではないという確証をもたらせた。単純に王太子への恩を売ったことも、今後の関係構築に一役買うだろう。


「まぁ、あとは王国の魔法使いたちが調べれば済む問題でしょうし……」


 他国への過干渉で被る自国の不利益を勘定しつつ、ソルシエール女王は亜麻色の髪を存分に濡らして、今回のおでかけで費やした魔力を存分に回復する。






 □





 ルリジオン教国。

 ユーグ王国の北方に位置する“宗教”国家であり、この国の特色としては「魔法を一切頼らない」教義に忠実という点が強い。

 その代わり、彼らは独自の技術文化体系──通称「機械」を用いた、周辺諸国には存在しない工業力を有する。

 この工業力は北東部に位置するドワーフの国との共存共栄によって成り立っており、王国や帝国には存在しない科学力を信仰の中枢においてきた。そんなかの国において実権を握るのは、魔法の存在を否定する“教会”であり、教会に従事する聖職者──中でも位階の高い地位に位置する“大司教アルシェヴェック”などにあるといえる。

 そんな機械の教国から使者の先触れがユーグ王国に届いたのが、魔女の女王訪問から数日後のこと。

 先触れが告げるには、エミール王太子の婚約を祝意を伝え、贈り物を届ける──というもの。

 その目録を確認したエミールは眉をひそめた。


「ミスリル製の銃器、ねぇ」


 あの国らしい嫌がらせとも思えた。

 エミールの知識だと、銃器は“火薬”“弾丸”というものがなければ、何の殺傷力も発揮できないもの。魔法が扱える国でも研究は進められているが、教国産またはドワーフ産の武器の類は、魔法による鑑定や模倣が難しい、特殊仕様が施されており、一種の好事家こうずかによる蒐集品コレクションという地位を出ないのだ。そもそも銃で人を殺傷するのと、「火の魔法」で人を殺傷する違いがわからないというのが、王国などでの魔法普及国における一般常識である。

 エミールは更に、教国の使者の名前の列、その先頭を見て首をひねる。


「姫巫女が、ランドルミーが、王都に?」


 しかも、『ぜひとも王太子殿下の婚約者とお会いしたい』という姫巫女からの文章まで書き添えられていた。

 少年執事が問いかける。


「いかがなさいますか? 適当な理由を付けて、婚約者殿とは会わせないことも可能でしょうが」


 それこそ仮病なり何なりと理由は漬けられるだろうが、ガブリエールには今後、こういった機会が増えていくだろう。そう考えれば、ここで王宮に参内させて慣らしていくのも悪くない処方に思えた。

 エミールはサージュに命じ、ガブリエールに王宮へ来るようことづけた。






 □





 ガブリエールは緊張せざるを得なかった。

 エミールの、王太子の正式な婚約者として、他国からの賓客をもてなす。

 唐突に現れては去っていった第一皇女や魔女の国の女王とは違い、王との謁見以来の王城へ訪問しての歓迎である。


(大丈夫)


 そう自分に言い聞かせる心の声に感応したかのように、エミール王太子が微笑んで手を取ってくれた。

 彼もまた「大丈夫」と言い聞かせるような視線でガブリエールを見つめ返す。

 ガブリエールは顔から火が出そうなほどの喜びに内心ときめいていた。

 王太子は毅然とした声と態度で告げる。


「ジュリエットたちの授業を思い出して。あとは自然にしていればよいですから」

「は……はい」


 告げてくれる声の優しさに心震わせながら、緊張の糸が張り詰めていくのを感じる。

 ルリジオン教国──機械の国の“姫巫女”とは、いったい?


(あれは?)


 王城の内庭で、エミールや随従らと共に時を数えていたガブリエールは、王城の門扉が開いていくのを確認する。

 そして、あらわれた行列の異質さに愕然とした。


(馬車じゃない?)


 馬もいないのに自走する車の列が、城の内庭にあらわれた。傍に控えるジュリエットが「自動車というものです、お嬢さま」と自然に耳打ちしてくれるが、あれが機械の国の乗り物なのかと目を白黒させてしまう。

 自動車の列の中でもひときわ壮麗で長大な車が内庭の円周をまわり、ちょうどエミールたちの待つ前で停車。自動車のドアが自動で開く。


「お久しぶりでございます、姫巫女どの」


 エミールが粛然しゅくぜんと迎え入れた人物に、ガブリエールもお辞儀してみせた。


「お久しぶりでございます、王太子殿下」


 現れたのは、エメラルドを思わせる緑の髪。修道服とはまた違う、神秘的で特殊な白黒の衣装に身を包んだ女性。そして、特徴的なのは、両眼に施された聖帯の存在。

 介添かいぞえもなく自立し歩行する女性は、鈴を転がすような音色の声で、まるですべて見えているかのように、王太子の隣に控える十五歳の娘に挨拶を交わす。


「はじめまして。ガブリエール・ド・モルターニュ様」

「は──はじめまして、姫巫女さま」


 姫巫女は、微笑むガブリエールが見えているように、その口元に微笑みを浮かべ返した。








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