婚約内定2-2 エミールの場合②





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『エミール王太子殿下、婚約!』


 数日して、この吉報は瞬く間に王国全土の知られることとなった。

 王太子殿下との婚姻を密かに狙っていた貴族令嬢はさめざめと泣き伏し、その涙の数は測り知れない。また、王族との繋がりを持とうと策謀を巡らせていた貴族たちは、いきなりの婚約発表に面くらい、反発は必至と思われた。

 だが、婚約者の後見人にジュール伯がついたことで、国内の混乱と混沌は一挙に沈静化した。ジュール伯の人望があればこその事態の収拾ぶりであり、エミール王太子の企図の深さを十分に物語っている。


「今回は急な願いだったにもかかわらず、即応してくれて助かりました、先生……いや、ジュール伯」

「いえいえ。頑固者のあなたが、ようやく妃を娶ろうというのだから、協力は惜しみませんとも」


 白銀の老紳士……エミールの王宮教師でもあった伯爵は相好を崩した。


「しかし──あなたが婚約を申し出るほどの相手が、十も下の年齢とは」

「やはり、問題が?」

「いいえ」


 ジュール伯は安楽椅子に腰かけ微笑んで告げる。


「王国史でも最大で二十歳差で婚姻した王族はおりますし、そこまで気にすることはないかと」

「……それを聞いて安心しましたよ」

「ただ」


 ジュール伯は老眼を険しく細めつつ、たくわえた白銀の髭を指ですく。


「何事にも例外は存在するもの。この婚約をよく思わないものが何かしでかさないか、しかと注視する必要がありますよ?」

「わかっておりますよ、先生。とくに、うちのオヤジ──失礼、国王陛下などはとくに」


 よろしいと頷くジュール伯。

 エミールは子犬にでもなったような気分で、かつての教師役に頷いてみせた。






 □





 ジュール伯の邸宅を後にし、王宮に帰還したエミールを待っていたのは、当然のごとく王──父からの召喚状であった。

 それを持ってきた第二王子──弟であるクロワ・サンス・ド・シャルティエは、兄の婚約について興味津々という表情で馬車から降りたばかりの兄に書状を突き付ける。


「大変なことになりましたね、兄上?」

「ああ。我ながら大変なことになった」

「嘘ばかり仰せになる」


 短髪の兄と比較して腰まで伸ばした長髪が特徴の第二王子は、軽薄な笑みを口元に刻んだ。

 クロワは兄と肩を並べ王宮の大階段をのぼっていく。


「何か私にも隠していることがおありなのでは?」

「ああ? 隠していることだと?」


 五つ違いの弟は兄と似た顔立ちながら、陰湿な瞳の上に疑惑の色を浮かべる。


「今回の婚約。あまりにも事が性急に進み過ぎております。おまけに、我が王宮の執事長──家令にして最長老たるハーフエルフ──サージュ殿が書類仕事で忙殺されていると聞いております」

「ああ。じいのやつも婚約業務で忙しいのだろう。何しろ第一王子の婚約なのだから」

然様さようですか?」


 エミールは手を振ってクロワの追及をけむに巻いた。

 そこへ。


「おかえりなさいませ、兄上!」


 大階段の上から現れたのは、エミールの末の弟──ガブリエールと同い年の第三王子、ルトロ・ヴァイユ・ド・シャルティエが、赤みがかった金髪のくせっ毛を大気に遊ばせながら、弾むように階段をおりてきた。まるで子猫のような笑みを浮かべ、兄たちの輪に平然と乗り込む。


「ルトロ。座学の方はいいのか?」

「すでに本日の分は済ませました! ところで兄上たち! 時間がおありでしたら、私に乗馬の稽古を!」

「あー、そうしたいのはやまやまだが、俺は父上に呼び出されていてな。その後でよければ」

「勿論ですとも! それでは先に馬場で準備しておりますゆえ!」


 駆けだす速度は犬のように鋭敏だった。あとを随行していく執事や女中たちの苦労がしのばれる。


「さて」


 大階段をのぼりきり、王宮の一番奥──玉座の間ではなく、王の執務室にたどりつくエミール。

「ご健闘を」などと言って自室に引き上げていくクロワを横目に見送りつつ、王太子は深く息をする。

 近衛らによって解放される扉。

 その先へと踏み入る。


「遅いぞ、エミール。五分の遅刻だ」


 老練な声が王太子の耳朶じだを叩いた。

 ユーグ王国の最上位者たる父──国王エティエンヌ・ロワ・ド・シャルティエが、数多くの随従を従えて、書類作業に没頭していた。








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