序章1-2 ガブリエール・ド・モルターニュ②





 □






「失礼、レディ」


 その抑揚をおさえた、けれども礼儀と好意に満ちた声音に、彫像のように固まっていた全身が脈を打った。

 私はつっかえる喉を叱るように、無理やり言葉を連ねあげる。


「え、あ、わ、わたくし、でしょうか?」

「無論ですとも、レディ」


 優雅な挙措で差し出される片手。


「不肖わたくしめと共に、一曲ダンスを」


 信じがたいことを口にされた。

 ガブリエールは二の句が継げなくなる。会場中が驚愕の悲鳴と歓声で二重奏を奏でていた。

 王太子殿下は平然と言葉を続ける。


「お引き受けいただけませんか?」

「~~~~~ッ!」


 声なき悲鳴があがった。

 私は混乱の極みに立たされた。

 ガブリエール・ド・モルターニュは、はじめてダンスの相手に選ばれたのだ。

 しかも、お相手は────  


「か、かしこまりました、……王太子殿下・・・・・


 この国の貴族で知らぬ者なき王の息子──年の差にして十も離れた第一王子──王太子ドーファンの名を、エミール・ガニアン・ド・シャルティエに、彫像だった少女は手を引かれるまま会場の中心へ。

 場内が騒然とするのが肌で感じられる。

 とても王太子の相手など務まりようがない身なりの、貧乏貴族の娘っこが、今をときめく王太子殿下にダンスの誘いを受けるとは!

 前代未聞の珍事と言えた。

 殿下の傍にいた友人のリッシュ公爵も、驚愕を飛び越えた表情で二人を見比べていたが、やがて冷静に、二人のための円舞曲ワルツの用意を進めた。


「あの、殿下」

「はい、何でしょう?」


 豪華なシャンデリアの下、会場の中心で曲に合わせ踊りながら囁き合う二人。

 私はどうしても、たずねずにはいられなかった。


「どうして、私のような」

「貧乏そうな貴族の娘を相手に?」

「はい。私などより、ふさわしいお相手は山のようにいらっしゃるのに」

「──何故、などとは、言ってくださいますな、レディ・ガブリエール」


 先を越された私は何も言えなくなった。王族に話しかける時にはどうすべきだったか思い出している間にも、円舞曲の壮麗な音色が会場を包む。

 王太子殿下を見上げながら──ついでに会場中の女性の嫉視に耐えながら──祖父に教わったベーシックステップを自然と踊るガブリエール。

 手を腰を取り合いながら、王太子は囁く。


「──意外とお上手ですね?」

「あ、ありがとうございます……亡くなった祖父に厳しく叩きこまれたので」

「それは……失礼なことをお聞きした。お許しを」

「いえ! お気になさらず!」


 なんとか一曲踊りきる頃、私は夢心地で王太子殿下に手を引かれるまま、手袋の指先にキスを落とされる。

 私はなんとか指の傷の深さを悟られまいと努力したが、


「踊っている最中から気になっていたのですが」


 聡明な王太子には隠しようもなかった。


「この手袋の下はいったい」


 薄い手袋の生地から触れ合い続ければ、気づかれるのも無理はない。

 それほどにガブリエールの傷は大きく深い……貴族の令嬢らしからぬ、それは烙印とも言えた。日々の生活を送るうえで必要な“傷”。


「……………………」


 ガブリエールが沈黙の天使に口をつぐまれる中。

 王太子殿下は驚きの言葉を口にする。


「決めました、レディ」

「……? いったい?」


 何を、と口にする間もなかった。

 片膝をついた王太子は舞踏会場によく響く声で、宣告する。


「あなたと婚約させていただきたい──ガブリエール・ド・モルターニュ!」


 場内は騒然の極みに達した。

 言われた方もたまったものではなかった。


「そ、そんな、お、おたわむれが過ぎます!」


 ガブリエールも手を引きかけたが、意外にも力強い握力で留め置かれる。

 胸が高鳴った。その心拍音が耳に痛いほどであった。


「ああ、どうか、お気になさらず、レディ」

「で、でも。王太子殿下と婚約だなんて!」


 ホールの中心で、小声でやり取りする二人。

 急な話過ぎて現実味が伴わない。

 これは夢か幻か?


「ああ、では仕方がない。しばしお耳を拝借」


 そんな思いで顔を真っ赤にして立ち尽くすガブリエールに、王太子はキスできる距離まで顔を近づけ、こう告げた。


「──これは、あくまでフリ・・です」

「……ふり?」


 王太子はひそひそと耳元で、己が利と内情を打ち明けてくれた。


「リッシュ公爵から聞き及んでおります。あなたの家柄と地位と資産は、私が保証します。代わりといっては何ですが、あなたには、我が婚約相手のフリ・・をお願いしたい」


 エミール王太子は続ける。


「我が父、国王から散々『嫁を取れ』『婚約せよ』とうるさいので。なので今宵、目に留まったあなたを『婚約者役』として選んだ次第、ということです」

「…………」


 呆然と佇むしかないガブリエール。

 最悪かつ最低なことを口にする美貌の王子。


「そ、それって」

「無論、王太子からの命令ですので。拒否権はございません。よろしいですね? レディ・ガブリエール?」

「…………」


 ガブリエール・ド・モルターニュは、凍り付いたようにコクンと、頷くしかなかった。







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