序章2-1 エミール・ガニアン・ド・シャルティエ






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 一時間ほど前のこと。


 エミールは大貴族の友人にして親戚、ジョルジュ・ド・リッシュ公爵の舞踏会に招かれた。

 国内で唯一の公爵位を持つ友人の城館は、古城を改装改築したもので、外は豪華な、内装は壮麗絢爛を極めたもの。四季で居館を変える友人の、春に使う館としては、まずまずの規模を誇っていた。それでも、王家のそれと較べればどうしても見劣りするのは仕様がない。城館前庭で輪になった道路を馬車が走り、一人の最も高貴な男を館へと送り届ける。エントランスホールで館の使用人らに帽子や上掛けなどを預け、人波溢れるダンスホールへと我が物顔で進む姿も見慣れた景色だ。今夜の舞踏会に招かれた中で最後に現れた客人は、威風堂々たる歩調で、館内を闊歩する。


「エミール・ガニアン・ド・シャルティエ殿下、御入来!」


 接待係の声量豊かな大音声に、会場は歓呼をもって迎えた。

 列席した貴族や名士たちの中でも最高位──王族に属する中でも“立太子”として立った自分のことを、感嘆するものあれど侮蔑するものは皆無である……少なくとも表面上は。

 

「王太子殿下」

「第一王子殿下」

「エミール王子殿下」


 ダンスホールを埋め尽くす有象無象──少しでも王族に取り入り擦り寄ろうとする阿諛追従あゆついしょうの徒らへ、社交辞令や談笑をもって躱しつつ、黒茶色の髪の友人のもとへ挨拶に赴くのも慣れたものだ。


「お招きありがとうございます、公爵閣下」

「よくおいでくださいました、王太子殿下」


 ジョルジュ・ド・リッシュ──舞踏会の主催者にして招待主への「挨拶」も二人ともに完璧に行う。通り一辺倒の遣り取りが済むと、ホール奥に設けられた数段高い位置の貴賓席──二人の周りは彼らの従卒や従僕で固められる。


「それで? 今日こそは見つかりそうか?」

「ふん。貴族の女には興味がないと言っても、あの親父カタブツは理解しちゃくれんさ──」


 長く貴族社会に浸りきった二人は、様々な家から様々な大華を送られてくる──が、そのようなものに興味など持てぬエミールとジョルジュは、共に深い溜息を吐いた。


「とはいえ、俺もおまえも、由緒ある王家の血を引く身だ。従弟いとこで公爵の俺はともかく」

「わかってるよ公爵・・。おまえまで俺の親父のようなことを言わんでくれ……」

「そういえば、隣の帝国の第一皇女は、おまえにご執心だと噂だが?」

「へえ。俺はおまえの方にこそ執心していると聞いたが?」


 自分でも理解している。

 もう既に二十五歳。

 さらなる世継ぎがうまれることを希求する国王オヤジにとっては、結婚を望まれ婚姻の相手を探すよう命じられている。が、現在までのところ、これといった相手がエミールには存在しない。

 無論、女性に対する興味や関心がないというわけではない。限りなく薄いというだけで、それ以外の分野において、エミールは満点以上の成果をあげている。あげ続けてきた。

 政治学。帝王学。歴史学。そのほかの様々な教養など。とくに、戦略や軍略の才において、彼は非凡なものを有していると自他ともに認めるところであり、魔族の侵攻を食い止めた実績もあった。

 だが、父の求めるものは、今の彼の意中にはない。

 さりとて、このまま王太子ドーファンが、第一王子が妻を迎えずにいるというのは、自然の道理からは程遠いのも事実。

 だからこそ、こうして、夜ごと開かれるパーティーなどで相手を見繕みつくろえないかと出席している、が……?


「──んん?」

「どうした、エミール?」

「あの隅の柱」


 そこに彫像のごとく身動ぎもしない少女がいた。

 いかにも貧しく古くさそうなドレス。手入れの行き届いた銀髪には似合わない衣装との色合いが、どうにも気にかかった。


「ああ。故モルターニュ騎士候の御息女だ。彼女の亡くなった祖父君とは縁があってね。時々だがパーティーに招いて……って、それがどうかしたか?」

「彼女の為人ひととなりは?」


 わかる範囲でいいから教えてくれと懇願すると、ジョルジュは狐につままれたような雰囲気で語った。


「名は、ガブリエール・ド・モルターニュ。年齢は十五歳。下級貴族とは名ばかりの貧家で、使用人の一人もいない。家のことはすべて自分で行っているとか。教養と勉学はすべて、亡くなった祖父母から学んだらしい」

「そうか……」

「なんだ、おまえ。あんな年下が好みだったのか?」

「い、いや、そういうわけじゃないが……」


 エミールは自分のなかを脈動する何かが熱を持つのを感じた。

 それは衝動に任せ、彼を貴賓席から立ち上がらせるほどの力を有していた。


「エミール?」


 友の声に耳を傾けるのも惜しんで、王太子は歩き始める。従卒たちがどうしたことかとたずねてくる声も耳に入らない。

 貴族や名士たちが異変に気付き、王太子の行く手を阻む障壁にならぬよう、まるで割れた大海のように人波が両断されていく。楽師たちまで異変の影響を受けて演奏を中断しているが、そんなものなどお構いなしに、王太子は前へ進み続ける。

 彫像のように身じろぎもしなかった少女……彼女が自分の方を見やるのを見て、思った。


 ──美しいと。

 ──愛おしいと。


 こんなにも心弾む思いは何年も経験していなかったように思う。


「失礼、レディ」


 気が付けば、


「不肖わたくしめと共に、一曲ダンスを」


 彼女にダンスを申し込む自分がいて、エミールは内心でのみ困惑していた。






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