第64話 溝(どぶ)
「なあ、ディル!真名を呼べ!多分解けるはずだ。俺がわかる範囲で近くにガラはいない。ベルに聞こえる程度でいいから!」
それなら気絶させるより簡単そうだ。ただ、ミック達も真名を知ることになってしまう。
「わかった。…京(みやこ)!!」
ディルは躊躇しなかった。ベルはピタッと動きを止めてその場に倒れた。地面に頭がぶつかる前に前に慌ててシュートが抱きとめた。
「大丈夫だ。呼吸や脈は正常だ。すぐ目を覚ますだろ。」
シュートの言葉に、ディルはホッとしたようにため息をついた。
「でも、何でベルが?」
ミックは首を傾げた。ここまでガラには一切接触しなかった。一体どうやって魔法をかけたのだろうか。
「多分これだと思う。」
ディルがベルのポーチからラズの数珠を取り出した。
「モデローザに着く前に、理望がこれに触れた。あいつだったら、環の魔力をこっそりここに移すことができるんじゃないかな。」
「そうか。ラズの次にこの数珠に長く触れてたのはベルだもんな。」
ディルの推理にシュートは大きく頷いた。ミック達は布で数珠を何重にも包んだ。ミックの馬に結びつけている荷物に、とりあえずはしまった。直後、ベルが目を覚ました。
「大丈夫か?」
ベルはシュートに支えられて立ち上がった。
「少しぼーっとするけど…私どうしたの?」
ミック達はベルが操られていたことと、その原因について説明した。
「ああ、情けない。闇の魔力は感じていたけど、ラズのものと紛れてよくわからなかったのよ。油断したわ。」
ベルはため息をついた。
「あと…姉さん、シュートとミックに真名教えちゃった。」
ははは、と笑うディルをベルが睨みつけた。ディルは縮こまった。
「なんてことを!……なあんてね。別にいいわよ。操られた私が悪いんだし、この子達には知ってもらって欲しいぐらいだし。」
ベルはにっこりと微笑んだ。ディルはほっと胸をなでおろした。
「姉さんだけ知ってもらうのもなんだし、俺も万が一操られたら呼んでほしいから言うね。…俺の真名は史(ふひと)っていうんだ。」
ディルはサラリと暴露した。家族以外の人の真名を一気に2つも知る機会なんてなかなかない。ミックはなんだかドキドキしてしまった。
「歴史の後半ってそういうことか!単純に『歴史』って書いたときの後ろの字ってことね。」
シュートはポンッと手を打った。なるほど、とミックも手を打った。
「お前らを信頼してるから、俺も言っとく!つっても、ミックはもう聞いてるんだけどな。」
何のことだろうか。シュートに真名を教えてもらった覚えはない。そんな大事なことを忘れるほど、記憶力がないはずはない。…多分。
「真司(しんじ)って言うんだ、俺の真名。」
しんじ…確かに聞いたことのある響きだ。一体どこで?つい最近だ。城内だった気がする。と、突然思い出した。
「あ!アステラが…。」
「そう、俺の真名を言ってた。本人に確認したわけじゃねえが、やっぱり氷の魔女は俺の母親みてぇだな。」
だからあの時二人とも驚いていたのか、とミックは納得した。生き別れの親子の再会の場面としては、随分と落ち着かないタイミングになってしまったようだ。
「これでみんなお互いの真名がわかったね。ラズのは、助け出してから聞いてみよう。きっと教えてくれる。」
蓮…ミックは心の中で呟いた。今みんなに伝えておくべきだろうか。
「いいわよ、教えないで。本人から聞くのが一番だわ。あなたや私の場合みたいに、どうしようもなくなったら仕方ないけど。」
ベルはそっとミックに耳打ちした。どうしてベルはこうも自分の考えがわかるのだろうか。ミックは小さく頷いた。
トップスリードは石造りの建造物が沢山建ち並んでいる。しかし、そのほとんどがぼろぼろと崩れ落ちてしまっている。およそ1300年前、ここでは戦いがあった。当時の王を倒し自分が頂点に立とうとするものが何人も現れた。その多くが自分のために自分の都合の良い国を作ろうという浅はかな考えの者たちだった。
「あれは面白かったな。そこかしこで人が傷つき死んでいく。愚かだと気づいていても、やめぬもの、気づきさえしないもの。ま、私が唆したんだけどね。何て愉快に踊り狂う生き物なんだろうかと、ワクワクしたよ。わかる、この気持ち?」
理望は街の中でも小高い丘の上にある廃墟の窓辺に座り微笑んだ。
「知るか。狂っているのは、貴様だ。」
ラズが吐き捨てるように言った。理望の力で人型に戻されていた。手足は鎖に繋がれて、自由に動くことはできない。
「ははっ、仲良くしようよ。君だって半分ガラなんだ。きっと理解できるよ。というか、それしか道はないんだよ。ラズ、君の戻る場所はもうない。」
理望はぞっとするほど冷たい笑みを浮かべた。ラズは目をそらした。ミックと同じ顔で、ミックが絶対にしない邪悪な表情を作っているのは、見るに堪えない。それをラズが嫌がるであろうことも、考えに入れているのだろうから、質が悪い。
「陽月家を滅ぼしたら、君が天下を取ってもいいんだよ?姉上の管理下から、現世の人々は自由になる!あるべき姿に戻るんだ。」
ラズは鼻で笑った。
「カエルを馬車に轢かせるような、残酷な遊びが好きな子供と同じだな。貴様は何かと理屈をこねるが、結局自分勝手に振る舞ったり、自分の姉に逆らったりしたいだけだ。」
理望の顔から笑みが消えた。静かにラズに近付き、目にも留まらぬ速さでラズの鳩尾に蹴りを入れた。
「がはっ…!」
ラズはくの字に体を折り曲げた。気を失いそうだ。歯を食いしばったところに、今度は頬を拳で殴られた。奥歯が折れた感覚がした。血と一緒に吐き出した。
「調子に乗ってるやつって本当に腹が立つ。さすらい人もそうだった!だから呪いをかけてやった。『そんなにこそこそ動き回るのが好きなら、未来永劫徘徊していろ!』ってね。」
うすうす勘づいてはいたが、やはりさすらい人の呪いは理望、ゼムとリストがかけたものだったのだ。ますます嫌悪感がつのった。ラズのその表情を見て、理望は微笑み、反対側のほおを拳で殴った。血の味がさらに口の中に広がった。
「おっと、殺しちゃまずいんだった。死んでたら操れないって言ってたからね。でも、気をつけて。あんまり生意気なこと言ってると、私は手加減できなくなる。」
髪をぐいっと乱暴に掴みラズの顔を上げ、目を覗き込んで理望は言った。同じ緑の瞳なのに、こちらは濁って腐った溝のようだとラズは遠ざかる意識の中で思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます