第60話 倒すべきもの

 王は一口紅茶を飲み、くるくると巻かれているかなり年季の入った羊皮紙を慎重に広げ、ミックたちに見せた。正三角形の図が描かれており、三つの頂点にはそれぞれ古語で「天界」「改悛の世界」「現界」と書かれていた。正三角形の中心には女神アルテリスタの絵が描かれている。


王は「現界」を指さした。


「これが、今われわれが生きている世界だ。そして、光を湛えた魂はこちらの天界に行く。今は『光の世界』と呼ばれているが。そしてまた、時が来れば魂は肉体へと宿るため現界へ行く。これを繰り返す。」


王は正三角形の二つの頂点を結ぶ辺の上に指を往復させた。


「魂が暗く淀んでしまった場合は、こちらの改悛の世界へ行く。今となっては『闇の世界』と呼ばれているが。そこで浄化された後、天界へと行きまた現界へと戻ってい来る。これがもともとの女神アルテリスタが構築したシステムだ。」


王は正三角形を指でぐるりと一周した。


「しかし、今話した通り、ゼムトリストはここに二つの変更を加えた。一つが闇の世界と現界との行き来を可能にする常闇の鏡の創作。もう一つが闇の世界と光の世界との繋がりの遮断。」


悪しき魂を留め置こうとした所に抜け道…しかも本来の行き場へは行けない。現界にとっては最悪の状態だ。


「アルテリスタが封印を使命と課した魔力を濃く受け継ぐ一族が、陽月家だ。」


陽月家の統治はおよそ1300年。それ以前は常闇の鏡からゼムトリストやゾルが出放題だったということだ。1300年以前は混沌の世界…きっと今の平和な暮らしとはかけ離れていたに違いないとミックは歴史を思い返しながら考えた。


しかし、なぜこの事実をエンの民は知らないのだろうか。王はミックの心を読んだかのように、話を続けた。


「ゼムトリストについては、ルーデン神話に記述が全くない。天界の汚点として扱われているからだ。加えて、女神はゼムトリストがいつか心を入れ替えてくれるとも信じていて、その時に過去の過ちが記録されていては気の毒だと考えたのだ。」


女神様はどこまでも心の広い方なんだなぁ、とミックは改めて感心してしまった。


「ゼムトリストについては、陽月家のみが伝承してきた。しかし、今回はそういうわけにもいかないと私が判断した。」


ミック達は、理望についての話を聞くために集められた。神話を聞くためではない。しかし、多忙な王が無駄話をするはずもない。姫の真名を半分知ったゾルは消される前に理望のことを「あれは、神です。」と言った…。


「その話の流れからすると…もしかして、理望がゼムトリスト…?」


ディルが紅茶で喉を潤していた王に恐る恐る聞いた。王はゆっくりとカップをソーサーに戻し、重々しく頷いた。


何ということだ。とんでもないゾルに真名を奪われていたことに、ミックは驚愕した。おかしいとは思っていた。ミックの家は王都の中にある。王都には、守護の呪(まじな)いがかけられておりガラやゾルは入れないはずなのだ。だから、あの日、父親のシャンクも、真名でミックのことを呼んだ。


あのゾルが王都に入り込めたのは、守護の呪いを上回る強力な魔力を持っていたからだったのだ。


「ゼムトリストは女神に復讐しようとしている。この現界を滅茶苦茶にすることで。陽月家は、今まで何度もガラとなったゼムトリストを討伐してきており、その野望を打ち砕いてきた。しかし、奴はゾルの状態になっては更に強力になりまたガラとなって戻ってきて、己が望みを叶えんと画策した。」


闇の力がない限りは、ゾルの状態のものを消し去ることはできない。ゼムトリストがガラとなるたびに討伐しなければならなかったのは、仕方のないことだ。


…これまでは。全員の視線がラズに集まった。ラズの力を持ってすれば…


「消滅させるのか、神を?」


ラズは王を睨むように見つめた。そんなことをして本当にいいのか、と言いたげだ。その視線には今まで信頼してこなかったくせにこんな時に頼るのか、といった恨みのようなものも混ざっているようだった。


「私が思うに…ゾルと言っても神だ。さすがに消滅まではさせられないだろう。しかし、弱らせることはできるはずだ。そうすれば、常闇の鏡を破壊することができる。」


常闇の鏡を破壊できれば、新たにゾルが現界に出てくることはない。


「偶然にも今ゼムとリストは理望という真名を知ったにもかかわらず、肉体のない状態だ。肉体がなければ魔法以外の手段でこちらに干渉できない。加えて、こちらの攻撃が直接魂に届きやすい。千載一遇の好機なのだ。」


こんな偶然があるのだろうか。闇の魔力を持つエンの民と、真名を持ちながら肉体を持たいないガラが同時に存在している。ミックには、千どころか万、いや億に一つのチャンスに思えた。


「常闇の鏡を壊すことができれば…人々が闇のものに怯えることなく、真名で呼び合える世の中になる。私はそんな世界を作りたい。だから、協力してほしいのだ。ゼムトリストを、理望を倒す。平和な世界を手に入れるのだ!」


王はダンッと力強く拳で円卓を叩いた。式典で見る王は、いつも穏やかで冷静で、頼りになるリーダーのような雰囲気だった。こんな風に熱く語る姿は初めて見た。王の切なる思いが感じられた。


「最初から理望のことがわかっていたんだな。旅のメンバーも占いではなくダンデ自身が選んだんだろう?」


ラズの言葉に、王はすぐに頷いた。もう隠す必要はないのだろう。


「その通りだ。嘘をついてすまなかった。あの時点では、お前達に真実を伝えることはできなかった。姫の真名を取り返すことに集中してほしかったし、こんな話をしてもあの時点ではきっと信じられなかっただろう。」


ミックはなるほど、と頷いた。確かにこんな話されても納得できなかっただろう。自分の真名が知られていたことだって、きっとあの旅を通してでなければ思い出せなかっただろうし、受け止めることもできなかった。

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