BLAZE

鈴木まる

旅立ち

第1話 序章

 何かが鼻の上に乗った。多分花びらだ。くすぐったいような息がし辛いような、そんな不快感以上に春の穏やかな雰囲気が感じられて、なんだか幸せな気分になる。


どかしてしまうのはもったいないような気がする。ひんやりとした地面の感触が背中に心地よく、動くのも少々億劫だ。そのままにしておこう。


チチチ、ピピピ、と美しい春の日を喜ぶかのように鳥が鳴き交わしている。ミツバチが蜜を求めて飛び回る微かな音がする。茂みが風に吹かれてサワサワと踊る匂いがする。


ミックはまどろみの中で一人春を満喫していた。

 

 サク、サク、と草を踏みながら誰かが近づいてくる。ああ、お楽しみは終わりだ。暖かな日差しの中で、もう少しのんびりしていたかった。


ミックは目を開けた。自分を覗き込むルームメイトの心配そうな表情が目に飛び込んだ。


「鼻に桜なんかつけちゃって…。」

「わかってるよ、ロッテ。もう行かないと午後の訓練遅刻しちゃう!でしょ?…いててて。」


痛む腕をかばいながら起き上がった。ロッテが手を貸した。ミックの鼻に乗っていた花びらははらはらと落ちていった。 


「違うのよ。部隊長があなたを探しているわ。」


ロッテは首を振って言った。ミックは体を固くした。以前呼び出されたときは、ハムの盗み食いがバレた時だった。あの時部隊長は鬼のように怒っており、罰として腕立て、腹筋、背筋をいいと言われるまで続けろと言いつけられた。最終的には気を失った。


今回は身に覚えはないが、いい知らせだという気はしない。


「午前の訓練のことかもよ?あなた百発百中だったじゃない。『お前の働きは、光の世界の魂を持つ、我々エンの王族の方々ひいては民を守る者として相応しいものだ!褒美を与える』って感じで褒められるのかも!」


ロッテが部隊長の口真似をして、元気付けるように言った。近衛兵の仕事は現世のエンの王族及び民を守ることだ。部隊長はそのフレーズが好きで、事あるごとに使っていた。


先程からミックが悩まされている腕の痛みは、その部隊長が考案した訓練での百発百中が原因だった。矢が的から外れたら訓練所を一周する、そしてまた射ち始める、という訓練内容だった。


ミックは一発も外さなかったのだ。走らずに済んだが、ひたすら矢を射ち続けることになってしまった。結果、両腕が鉛のように重く痛む。 

 

 ミックは弓矢が好きだった。遠くのものを射ることができると、とても気持ちが良かった。一方で、一般的に主流とされている武器の剣は、全く扱うことができなかった。だから、王立近衛兵として第三部隊(弓矢隊)から外されぬよう、誰よりも上手くなろうと自主練習をしていたし、訓練は真剣に行った。


「だといいなぁ。とりあえず、行ってくる!」


ミックは駆け足でいつも部隊長が昼食を取る訓練所の隅っこにある小屋へ向かった。


「近衛兵第三部隊、春日家のミック、只今参りました!」


緊張しながら、小屋のドアを開けると、部隊長と共にさらに上の階級の、近衛兵全体の長である兵長がいた。加えて第一部隊の腕章を付けた兵士もいた。


兵長も第一部隊の兵士も第三部隊の弓矢隊の訓練所にはめったに来ない。一体何が起こっているのかとミックは余計に緊張し、冷や汗をかいた。


「よし、来たな。今からラズとお前を謁見の間へ連れて行く。王からの呼び出しだ。」

「はぇ!?」


予想だにしていなかった兵長の言葉に兵士らしからぬ声を出してしまった。


「用向きが何かは、私も知らん。が、王の前でそのような態度は厳禁だ。」


謁見の間は、王が城外の者と会うときに使われる部屋だ。大抵、他国の大臣や高名な学者などが訪れる。いち兵士が呼ばれるなんて聞いたことがない。


 厳格な落ち着き払った口調とは裏腹に、兵長も戸惑っているようだった。謁見の間への道順を間違えていた。


ミックは、兵長の後ろを並んで歩く第一部隊のラズと呼ばれていた兵士をちらりと見やった。第一部隊ということは、剣隊だ。背はミックより二十センチメートル程高く、黒髪で目つきが鋭い。瞳はガーネットのように紅い。


身のこなしから、かなりの手練れだということは分かる。歳は同じくらいか相手の方が少し上だろうか。表情は、怒っているかのように厳しい。

 

 荘厳な装飾が施された扉の前で兵長が止まり、前方を見ていなかったミックはぶつかりそうになった。


「近衛兵第一部隊、不知火家のラズと第三部隊、春日家のミックを連れてまいりました。」


兵長はそう中に向かって叫んだ後、ラズとミックに謁見の間に入るよう指示した。ミックは混乱する頭を抱えたまま、ラズの後に続いて中へ入った。扉から真っ直ぐに、分厚い真っ赤な絨毯が王座へ向かって敷かれている。


 王座には沈んだ顔をしたダンデ王が座っていた。間違いなく、明るい話ではない。


 ロッテ、私は褒められないみたい…とミックは心の中で嘆いた。

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