第203話 何事もないふり
その日の夜は、モーガン家から婚約の申し出があったということで食欲など全くなかった。
そんな私を両親は心配して、もう一度ヴァレンシュタイン家に連絡を入れるから何も心配することは無いと言って何度も励ましてくれた。
「何、大丈夫だ。本当はお前とアドルフ君を初めて引き合わせたときから、2人をいずれ婚約させたいと思っていたのだ。何も心配することはないよ」
そう言って父は私を元気づけてくれたけれども……それでも私は不安だった。
アドルフ様……いいえ、氷室先輩。
私は今も昔もずっとずっと貴方のことが大好きです。先輩、今の貴方は私のこと、どう思っていますか……?
心の中でアドルフ様に語りかけながら、その夜私は眠りに就いた――。
****
翌朝――
「お父様、昨夜ヴァレンシュタイン家とはお話出来ましたか?」
朝食の席で私は向かい側に座る父に尋ねた。
「とりあえず伯爵には連絡を入れておくと夫人には伝えておいたが、少なくとも夫人はお前とアドルフ君の仮婚約の話には乗り気だったよ」
「え?仮……婚約?」
本当の婚約ではなくて?思わずスープを飲んでいた手が止まってしまう。
「そうだ。婚約ともなればきちんと話し合いの場を設けなければならないだろう?だが伯爵は今、長期出張で外国へ行っているので勝手に話を進めるわけにはいかないのだよ」
すると、母も会話に入ってきた。
「でも、モーガン家のことがあるから悠長にしてはいられないでしょう?それでとりあえず仮婚約の関係だけでも結ばせてくださいと夫人にお願いしたのよ。だからもうこれ以上モーガン家からは婚約の話を出してくることは無いと思うわ」
「そうですか……ところで、ブラッドリー様の方から私との婚約の話を持ちかけてきたのでしょうか……?」
恐る恐る両親に尋ねてみた。
「さぁ……?どうなのだろうなぁ」
「ちょっと分からないわね」
「そうですか……」
どうしよう……ブラッドリー様と顔をあわせ辛い……。
「大丈夫?エディット」
「体調でも悪いのか?」
両親が心配そうに声を掛けてきた。
「いえ、大丈夫ですから」
これ以上両親に心配掛けたくは無かった。だから私は不安な気持ちを押し殺し、無理に笑顔を浮かべて返事をした――。
****
本当は学校を休みたいくらいだったけれども、卒業式まで後半月しか無いので覚悟を決めて私は登校してきた。
恐る恐る教室を覗いてみると、まだアドルフ様もブラッドリー様の姿も無い。
今の気持ちを正直に言えば、どちらとも顔を合わせづらかった。
「どうしよう……教室に入りにくいわ」
ためらっていると、背後でアドルフ様から声を掛けられた。
「おはよう。エディット」
「あ!は、はい!アドルフ様。おはようございます」
振り返りながら思わず顔が真っ赤になる。
「どうかしたの?顔が赤いけど?」
「い、いえ。何でもありません……」
駄目……アドルフ様を意識してしまって、顔を見ることも出来ない。
「教室に入らないの?」
「い、いえ。入ります」
「それじゃ、一緒に入ろう?」
「はい……」
笑顔を向けてくるアドルフ様に心臓をドキドキさせながら、2人で一緒に教室に入った。
アドルフ様は席に着くと、早速私に話しかけてきた。
「そう言えば昨夜……」
「え?!」
ま、まさか……私との婚約の話を……?
「士官学校に通っている兄さんが久しぶりに帰ってきたんだよ。色々なお土産話を聞けて楽しかったよ」
「え……?そ、そうなのですか……?」
緊張していただけに、お兄様の話が出てきて拍子抜けしてしまった。
「うん、寮生活の話は特に面白かったよ」
その時――。
「おはよう、2人とも」
ブラッドリー様が現れ、私は一気に緊張してしまった。
「うん、おはよう。ブラッドリー」
「お、おはようございます」
視線をそらせながら、私もブラッドリー様に挨拶をする。
「全く、卒業式まで後半月だっていうのに未だに授業があるなんてうんざりだと思わないか?」
「確かにそうかもしれないけれど、中等部へ行く前の総復習をしてくれているから僕は有り難いと思うけどね」
「アドルフは勉強家だからな〜」
アドルフ様とブラッドリー様はいつもと変わらない様子でお話をしている。
もしかすると……2人とも、私に気を使ってくれているのかもしれない。だとしたら、私も何気ない態度をとっていなければ。
2人の心遣いに感謝しながら私は祈った。
どうかこのまま穏やかに卒業パーティーを迎えられますようにと。
けれど私の願いも虚しく思いもかけない事件が起こってしまう。
そして6年に渡る……私とアドルフ様の長い苦しみが始まる――。
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