第77話 母からの呼び出し

「お帰りなさいませ、アドルフ様」


帰宅すると、ドアマンが僕を迎え入れてくれた。


「うん、ただいま。今日もお勤めご苦労さまです」


するとドアマンは一瞬、ギョッとした表情を浮かべるとすぐに真顔になった。


「ありがとうございます。奥様がアドルフ様がお帰りになられたらリビングへ来るようにと申しておりました」


「母が……?ありがとう、それじゃ行ってくるよ」


「は、はい!」


お礼の言葉に驚いたのか、ドアマンは恐縮したように返事をする。


そんなにまだ僕のことが怖いのだろうか…?

もっともっと笑顔になれる練習をしないと駄目かな……?


そんなことを考えながら、僕はリビングへ向かった――。



**


 ようやくヴァレンシュタイン家の屋敷の造りを少しずつ理解してきたお陰で、迷わずにリビングへ辿り着くことが出来た。


「う〜ん……それにしても帰宅してすぐに呼び出しなんて……何かまずいことでもしてしまっただろうか……?」


疑問に思いながら扉をノックしながら声を掛けた。



コンコン


「只今、帰りました」


『お帰り、お入りなさい』


母の声が扉越しに聞こえてくる。


「はい、失礼します」


ガチャリと扉を開けて中に入ると、母は優雅にティータイムの真っ最中だった。


「アドルフ、お帰りなさい。まずはお座りなさい」


ダイニングソファに座った母は紅茶を飲みながら声を掛けてきた。


「はい」


……本当はすぐに着替えたかったんだけどな……。この制服はデザインだけを重視している為か、若干動きにくいんだよな…。


とは言えず、大人しく母の向かい側の腰掛ける。


「それで、僕に何か用でしょうか?」


「ええ。実は学校から連絡があったのよ」


「連絡?一体どんな連絡でしょうか?」


わざわざ家に連絡を入れてくるなんて……嫌な予感がする。

ゴクリと息を呑んで、次の母の言葉を待つ。


「アドルフ」

「はい」


「紅茶とコーヒーどちらがいい?」

「はい?」


いきなり何を言い出すのだろう?


「ほら、どっちなの?言いなさい」

「で、ではコーヒーを……」


「コーヒーね?分かったわ」


母は立ち上がると暖炉に向かった。暖炉にはケトルが掛けてあり、注ぎ口からは蒸気が漏れている。


「今、美味しいコーヒーを淹れて上げるわね」


母は鼻歌?を歌いながら、ドリッパーにペーパーとコーヒーの粉をセットするとお湯を注ぎ始めた。

部屋の中にはコーヒーの良い香りが漂い始め……。


いやいや!それどころじゃない!


「それより、何か重要な話があったのではないですか?気になってコーヒーどころではありませんよ」


「あら…そうね。言われてみれそうかも知れないわ」


母はケトルを暖炉に戻すと、次ににっこり笑みを浮かべた。


「おめでとう!アドルフ。貴方、歴史の試験で学年8位を取ったのですってね?学院から連絡が入ったのよ」


「え?!わざわざ連絡が……?」


そんなに大事件なのだろうか?それともカンニングを疑われて……?

一瞬冷や汗が流れそうになったけれども、母の口からは意外な言葉が出た。


「本当に良かったわ。ようやく以前のアドルフに戻れたのね。何しろ学院の入学試験は主席だったのだから。それなのに入学直後からすぐに成績が落ちていって…一時はどうなるかと思ったわ。これも全て馬に蹴られたおかげかも知れないわね」


そして母はコーヒーをカップに注ぐと僕のテーブルの前に置いてくれた。


「頂きます…」


コーヒーカップに手を伸ばし、飲んでみるものの味なんか全く分からなかった。

母はその後も上機嫌で僕に色々話しかけてくるが、内容も頭に入って来なかった。


適当に相槌を打ちながら、頭の中で考えを張り巡らせていた。


まさか、入学当時はあのエディットよりも頭が良かったなんて……。

しかも入学といえば6年前だ。

やっぱり、何か重大なことがアドルフの身に……起きたのは明白だ。


突然落ちた成績に、突然エディットに冷たくなったアドルフ…。


分からない。


一体彼の身に……いや、周辺で6年前に何があったのだろう。

だけど、知るのは怖かった。


僕の本能が訴えている。余計なことは思い出すなと……。

 


「アドルフ?どうしたの?気分でも悪いのかしら?」


急に母に声を掛けられて我に返った。


「え?あ!」


気づけば空になったコーヒーカップを手にしたまま、ぼんやりしている自分に気付いた。


「い、いえ。何でもありません!」


心の動揺を悟られない為に立ち上がった。


「あら?どうしたの?アドルフ」


怪訝そうに首を傾げる母。


「いえ、来週は数学の試験なので……勉強してこようかと思って」


一刻も早く…今はこの部屋から出たかった。

そうでなければ、母の話に触発されて6年前のアドルフの記憶が呼び起こされてしまいそうだ。


「あら、そうなのね。それは勉強の邪魔をしてしまったわね。いいわ、部屋に行きなさい。勉強、頑張るのよ」


「はい、ありがとうございます」


返事をすると、僕は逃げるようにリビングを後にした。



そして、この日は夕食に呼ばれるまで一心不乱に数学の勉強に打ち込んだ。


余計なことを考えない為に。


そして……大切なエディットと一緒にいられる為に――。

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