普通の魔法少女が触手魔物と合体したら最強になりました。って言うか邪神になりました。

田中 凪

全編

「まっすぐこっちに向かってくるね」

「俺たちの事を狙ってるんだろ?」

 魔法少女『ロクシア』と魔王『カウノプロトゥス』は敵を見ていた。

 宇宙からやって来た敵『巨人』は二人を目指して進んで来る。

 巨人の足元には無残に破壊された街が広がっていた。

「怖いか?」

 カウノはロクシアに優しく問いかけた。

「うん、ちょっとね」

 ロクシアは少し震えていた。

 これから始まるのは『人類』の運命をかけた戦いだ。

 怖いに決まっている。

「でも、一人じゃないから平気だよ」

「……そっか」

 ロクシアとカウノは手をつないだ。

 手のひらから互いの体温が交換される。

 それが二人の勇気を奮い立たせた。

「それじゃあ、始めるか」

「うん!」

 カウノをロクシアは魔力を解放した。

 それと同時に二人が一つになっていく。

「ロクシア!」

「カウノ!」

「「合体っ!!」」

 魔法使いと魔物。

 相反する二つの存在が溶け合って、一つになった。

 それが巨人に対抗できる唯一の手段だった。

「「合体・第参形態!!」」

 合体した二人を見て巨人は速度を上げた。

 巨人にとって二人は最優先の標的なのだ。

「「さあ、かかって来いよ」」


 本来、潰しあうはずの魔法使いと魔物。

 それがなぜ、手を取り合っているのだろうか?

 それは、今から一年程前にさかのぼる。

スズランの咲き始めたある晴れた日の事だった。

水溜まりの残る石畳を一人の少女が人間離れした速さで走っていた。

彼女は魔法使いの『ロクシア』

この世界でも珍しい水色の髪をした少女だった。

彼女は魔力の影響で変色した髪を背中まで届くツインテールにしていた。

魔力の影響で変色したのは髪の毛だけではなかった。

彼女の瞳は血のような赤色をしていた。

そんな特殊な髪と瞳のロクシアは持ち物もまた特殊だ。

彼女が持つのは箒や杖ではなく『魔具』と呼ばれる兵器だ。

正式名称『五六式魔導銃剣』と呼ばれる魔法使い専用の武器だ。


「ヤバイ!ヤバイ!!ヤバイ!!!」

ロクシアは仕事に遅刻しそうになって急いでいた。

なぜロクシアが遅刻しそうになっているのか?

それは彼女が寝坊したからではない。彼女は困っている人を放っておけない性分なのだ。

迷子の子供から、溝にはまった馬車まで面倒を見た。

そのせいで、せっかく早起きしたのに遅刻ギリギリになって走る事が珍しくなかった。

今朝だってそうだ。

寮を出発して大通りに出たロクシアは屈強な男が馬車を囲んでいるのを見つけた。

聴いた話によると馬車の車輪が壊れてしまって動けなくなっているとの事だった。

そう言ったトラブルは衛兵に任せるのが一番だったがロクシアはそれが出来なかった。

わざわざ、馬車を通行の邪魔にならない場所まで運んでやったのだ。

魔法使いなら、それくらい苦ではない。

隊商の親方からお礼のずた袋を押し付けられたロクシアは集合場所へ向かった。

そして、その途中で今度はクルミに苦戦するおじさんを見つけてしまった。

クルミはとても固く、専用の道具が必要だったがおじさんはそれを持っていなかった。

それを知ったロクシアはずた袋を置くと指でクルミをパキパキと割ってやった

クルミを割るのは容易だったが、クルミはザル一杯に入っていた。

おじさんは自分の店でクルミを使おうと考えていたのだ。

一個一個はすぐ割れても、ザル一杯となると骨が折れた。

その後も色々と人助けをしてそのせいで今、急いで集合場所に向かっていると言う訳だ。

「遅刻しちゃうっ!!」


ロクシアの後輩の魔法使い『ピニコーラ』は時計を見た。

集合時刻まで残り五分を切った。

「先輩、遅いですね」

彼女は部隊長のフリンギッラに訊ねた。

「そうだね♪」

フリンギッラは同意しつつも明るい口調で答えた。

どんな時でも不気味なくらい余裕があるのは彼女の特徴だった。

「でも、ロクシアちゃんが本当に遅刻した事って無いからすぐ来るよ♪」

フリンギッラはそう言うとベンチに腰掛けた。

「遅刻しないのは良いけど、もうちょっと早く来られないんスかね?」

先にベンチに腰掛けていた魔法使い『カルドゥエリス』はいら立っていた。

彼はこの小隊唯一の男にして自称ロクシアのライバルだった。

そんな彼は事ある毎にロクシアに対抗意識を燃やした。

今朝だってロクシアより早く集合場所に来ようと一番乗りしたくらいだった。

だが、その肝心のロクシアがまだ来ていないのだ。

「おせぇーな、お前。どんだけ待たせる気なんだよ?」

と言う為に早起きしたのになかなか当のロクシアが来ないのだ。

だからロクシアが集合五分前になっても来ない事がいら立たしくて仕方が無かった。

「ちっ!」

立ち上がったカルドゥエリスは小石を彼方に蹴り飛ばした。

するとその方向から激しい足音が聞こえた。

ロクシアだ。

「あ、先輩来ましたね」

ピニコーラが言った。

「ほらね。まだ時間ギリギリでしょ?」

フリンギッラはベンチから立ち上がった。

「……」

カルドゥエリスはロクシアを睨んでいた。

「済みません!お待たせしました」

到着したロクシアは深々と頭を下げた。

「先輩、相変わらずですね?」

「おせぇーな、お前!どんだけ待たせる気なんだよ!!」

「また今回もお土産がいっぱいだね♪ロクシアちゃん」

四人が何度も繰り返したお決まりのやり取りだった。

ようやく『第壱参魔法小隊』がそろった。

ロクシアたちが都を出発して二時間程した頃の事だった。

「隊長、敵はこちらに気付いてないみたいです」

「うん、ありがとう。ピニちゃん」

 ロクシアたちは臨戦態勢に入っていた。


 ロクシアたちの今日の任務は、最近続いた大雨の影響を調査する事だった。

 都を出た時はカルドゥエリスが

「何で『緑の国』の秘密兵器の俺たちがこんな使い走りにされなくっちゃいけないんスか?」

と文句を言ったり、ロクシアが

「誰がいつ新造のこの小隊をそんな風に呼んだのさ?」

とツッコミを入れたりしていた。

 全員戦闘になるとは全く考えていなかった。

 しかし、ロクシアたちが任務に取り掛かろうとしていた時だった。

「隊長、あれを見て下さい!」

ピニコーラが偶然にも魔物を発見したのだ。


魔物とは一口で言えば『正体不明の敵』の事だ。

多種多様な魔物が確認されているが、その全てが積極的に人間を攻撃してくる。

人間に対して明らかな『敵意』を持っていた。

魔物のせいで村が焼け落ちた事もあった。

ロクシアたち『魔法使い』はそんな魔物に対抗するために生み出された強化人間だった。

つまり、魔物と戦うのがロクシアたちの本来の仕事だ。

 雨の影響なんて調べている場合ではない。

ロクシアたちは任務の内容を魔物の討伐に変更した。

「じゃあ、あたしが狙撃するからカルちゃんはあたしの護衛ね」

フリンギッラは部下に指示を出した。

 作戦としてはこうだ。

 まず、フリンギッラが愛用の魔導銃で南から魔物を狙撃する。

 彼女の銃なら三百メートルは届く。

 そして、カルドゥエリスは狙撃手のフリンギッラの護衛役だ。

 ロクシアは魔物の東側に回り込み、止めを刺す役だ。

 魔物の北側は崖になっているから逃げ場は無い筈だ。

 実戦が初めてのピニコーラはフリンギッラの後方で待機だ。

「みんな、作戦開始!」

フリンギッラの指示を受けたロクシアが持ち場に着いて、十分が経過した頃だった。

 フリンギッラの狙撃が始まった。

 狙撃銃から放たれた薄紅色の魔力が魔物目掛けて伸びる。

「(これで決まった)」

ロクシアは確信していた。

だが、そうはならなかった。

 なんと、魔物はフリンギッラの魔力を紙一重でかわして見せた。

 まるでフリンギッラの攻撃に最初から気付いていたかのようだった。

「(まずい!逃げられる!)」

 そう思った瞬間、ロクシアは走り出していた。

 ロクシアに背を向けて逃亡を開始した魔物にロクシアは肉薄した。

 後ろから攻撃するのだから、今度は避けられない筈だ。

 ロクシアは愛用の魔具、五六式魔導銃剣を叩き付けた。

 熊だって即死させる一撃だ。

「(今度こそ当たった)」

 だがまたもやロクシアの予想は外れた。

 魔物は後ろに目が付いているかのようにロクシアの攻撃をかわした。

「(そんな!バカな!)」

ロクシアの攻撃は虚しく地面にめり込んだ。

「バカッ!逃げろ!」

「え?」

 カルドゥエリスが忠告したがもう遅かった。

ロクシアの足元から大きな地響きがした。

ロクシアは一瞬、自分が宙に浮いたように感じられた。

そして、その感覚は自分が落ちているからだとわかった。

 雨で緩んでいた地盤がロクシアの攻撃で滑ったのだ。

 ロクシアはなす術も無く『地面だったもの』と共に奈落の底へと落ちていった。

「ロクシアちゃん!!」

「ロクシアぁぁぁあああ!!」

「先輩!いやぁぁああ!!」

 薄れゆく意識の中、ロクシアの視界には叫ぶ仲間たちが見えた。

「(ああ、これは助からないな)」

 両親、学友、今朝助けてあげたおじさんたち。

 色んな顔が浮かんでは消えた。

「離して下さい、隊長!」

ピニコーラはフリンギッラの手を振り解こうとしていた。

「ピニちゃん落ち着いて!」

「これが落ち着いてなんて居られますか!ロクシア先輩が!!」

 ピニコーラは奈落の底へと落ちたロクシアを助けに行こうとしていたのだ。

「無茶だよ!あたしたちだけで助けに行くなんて」

「でも……でも……」

「大丈夫だよ。ロクシアちゃんなら」

「何でそんな事が言えるんですか!?」

ピニコーラはフリンギッラの方へと振り返った。

「っ!!」

フリンギッラの顔を見てピニコーラは気が付いた。

彼女だってロクシアが心配なのだ。

本当なら今すぐにでもロクシアの元へと駆けつけたいくらいだ。

しかし、自分たちにはそれが出来ないのだ。

ロクシアを救助するための装備も無くたった三人で捜索する。

それがいかに危険な行為か分かっているからだ。

しかも、現場はいつ再び崩れるかもわからないのだ。

隊員一人を救うために部隊全員を危険にさらす。

そんな判断は隊長として許されるはずがない。

「……分かりました、隊長」

ピニコーラは奥歯を噛みしめた。

自分たちがすべき事は一刻も早くこの件を報告して救助隊を出してもらう事。

そう理解したからだ。

「こうなったら、全速力で帰るからね?」

「そう来なくっちゃ」

「了解!」

フリンギッラたちは魔法使いの脚力で風と化して都へと駆けて行った。


フリンギッラたちが去った頃、ロクシアに近づく一つの影があった。

それは、先程ロクシアたちが仕留めようとしていた魔物だった。

「生きてんのか?こいつ」

「まさかお前、こいつを連れて帰ろうってんじゃないだろうな?」

魔物はロクシアを観察しながら誰かと会話していた。

しかし、その場には間違いなくロクシアとその魔物しか居ない。

だが、ロクシアは気絶していた。

半分土砂に埋もれた状態で身体からは血を流していた。

腕は折れてあらぬ方向へと曲がっていた。

ロクシアが会話出来るはずがない。

では、魔物は誰と会話しているのだろうか?

と、思われた時。

魔物の黄緑色の頭頂部がはがれた。

そして、はがれた頭頂部はタコのような一つ目の魔物になった。

いや違う、そうではない。

魔物は最初から二体居たのだ。

つまり、群青色の魔物の上に黄緑色の魔物が乗っていたのだ。

二体の魔物『カウノプロトゥス』と『キクロパッセル』は相談を始めた。

黄緑色の魔物『カウノプロトゥス』はロクシアを救助したいと提案した。

しかし、群青色のガグ『キクロパッセル』は猛反対した。

「自分たちを殺そうとした魔法使いを助けるなんてもってのほかだ」

それがキクロの主張だ。

冷静に考えればキクロの主張の方が至極全うだ。

しかし、カウノは折れなかった。

カウノはやると言ったら必ずやる男だった。

そして、カウノの世話をいつも焼いてやるキクロはそれを知っていた。

結局、キクロが折れる結果となりカウノは虫の息のロクシアを棲み処へと連れて帰った。

その時、キクロはカウノにいくつか条件を出した。

・魔法使いを決して外に出さない事。

・傷が治癒したら元の場所へ戻す事。

・自分たちの秘密を洩らさない事。

・ちゃんと最後まで面倒を見る事。

だった。


この時は誰も気付いていなかった。

魔法使いロクシアと魔物カウノプロトゥス。

相反する二人の出会いが二人の運命を変えると。

いや、二人だけではない。

人類の運命を変えると。

 ロクシアは洞窟の中で目を覚ました。

 最初は真っ暗で何も見えなかったから、失明したのかと思った。

しかし、水滴の音で自分が洞窟に居るのだと判った。

だが、それは同時にある疑問へとつながった。

「(どうして自分は洞窟の中に居るのだろう?)」

そう考えるのは至極当然の事だ。

ロクシアの最後の記憶。

それは土砂崩れに巻き込まれて奈落の底へと落ちていくところまでだった。

誰かに救助された覚えはない。

そして、仮に救助されてもこんな暗い洞窟の中に寝かされている理由が分からない。

ロクシアは起きようとした。

「痛っ!」

 しかし、身体に走る激痛で顔をゆがめた。

 暗くて良く見えなかったが、骨折しているのだろう。

 これでは起きられない。

 しかし『そえ木』がしてあるのが分かった。

 つまり、こう言う事だ。

『何者かが土砂崩れに巻き込まれ負傷しているロクシアをここまで運び手当てした』

 そうとしか考えられなかった。

 だがそれは同時に別の疑問を生んだ。

「(誰が何の為にこんな暗い所へ自分を運んだのだろう?)」

 普通、負傷者を救助したのなら病院に連れて行くものだ。

 最悪、他国に救助されても捕虜として牢屋に入れられる。

 間違ってもこんな洞窟などではない。

 手当をしてくれたのだから多分害意は無いのだろう。

 しかし、あまりにも意味不明だった。

 ロクシアは混乱した。

 分からない事が多過ぎるからだ。

「だ、誰か居ませんか!?」

 ロクシアはたまらず闇に向かって声を掛けた。

 ロクシアの呼びかけが洞窟の中に反響した。

 応える声は無い。

 ロクシアが諦めかけた時。

 ズルッズルッ

と何かを引きずる音が聞こえた。

ロクシアは音のする方を見た。

すると闇の中に一つの大きなピンク色の目玉が現れた。

「!?」

ロクシアはその瞳を見て即座に察した。

相手は魔物だ。

闇の中に魔物が居る。

そして、自分は満足に動く事が出来ない。

最悪の状況だった。

ズルッズルッ

と音を立てながら魔物が迫って来た。

その様を見てロクシアは恐怖のあまり血の気が引いた。

魔物の生態はほとんど分かっていない。

魔物がどんな場所に住み、、どのように増えるのか全て不明だった。

『土の中から這い出して来る』

『流れ星に乗って空から来る』

なんて言う説もあるが、一番ポピュラーな説が

『人間の女をさらって産ませている』

だった。

もちろん、そんな証拠はどこにも無い。

その現場を見たと言う人も居ない。

無知から来る勝手な憶測だ。

しかし、魔物の不気味極まりない姿がそれを連想させていた。

そして、ロクシアもそれを信じている一人だった。

「く、来るなっ!」

 ロクシアは怯えた。

 しかし、ロクシアにはどうする事も出来なかった。

 出来る事と言ったら声を張り上げる事だけだった。

 もちろん、そんな事で魔物が止まるわけが無い。

 一瞬、魔物は動きを止めたがまたすぐに迫って来た。

 ロクシアは絶望した。

 せっかく助かったと思ったのにこんな目に遭うなんて。

 死んだ方がマシだった。

 魔物がロクシアの顔を覗き込んだ。

そして

「どこか痛むところはあるか?」

 と問いかけて来た。

「え?」

 ロクシアはあっけにとられた。

 現状が理解出来なかった。

 まず、魔物に身体の心配をされた事が分からなかった。

 魔物は人間の敵だ。

 それは疑いの余地が無い。

 それがなぜ魔法使いの自分を気遣ってくれるのだろう?

 そして、次に魔物が人語を話している事が分からなかった。

 どちらかと言えば、そっちの方が気になった。

 魔物が人語を話すなんてのは聞いた事が無かった。

 魔物が集団行動する事は分かっていた。

 つまり、何かしらのコミュニケーション能力を持っているのだろう。

 しかし、それが何なのかは不明だった。

『匂いで意思疎通している』

『ジェスチャーで情報伝達している』

等、様々な説が飛び交っていたが

『人語を話している』

なんて主張した人は一人も居なかった。

居るわけが無かった。

怪物が人語を話すなんて言うのはおとぎ話の世界だけだ。

世界中の人がそう思い込んでいた。

だが、この魔物は実際に人語を話すではないか。

「(こんな事、あり得るのだろうか?)」

ロクシアがそんな事を考えていたら

「おい、聴いてるのか?」

 魔物が再び問いかけて来た。

「あ、うん」

 ロクシアは思わず返事をしてしまった。

「(何の話だったっけ?)」

 ロクシアは思い返してみた。

 そうだ、痛いところは無いかと訊かれたのだ。

「……」

 ロクシアは押し黙ってしまった。

「(こんな生き物と話なんてして良いのだろうか?)」

 ロクシアはこの魔物を警戒していた。

 相手の意図が不明だからだ。

「(何が狙いなのだろうか?)」

「(目的は何だろうか?)」

「(魔法使いを助けてコイツに何の得があるのだろう?)」

 それらがハッキリしない状況では、相手が友好的とは判断出来ない。

「……何で黙ってんだ?」

魔物が再び問いかけて来た。

 その声からは敵意や悪意は感じられなかった。

 むしろ『のんき』とさえ言えた。

 実際、カウノ自身も特に何か考えていた訳ではなかった。

 しかし、ロクシアはそんな事は知らない。

「(怪しい奴が馴れ馴れしく話しかけて来る)」

 としか感じなかった。

 そんなロクシアの刺々しい態度を見てカウノは

「まあ、いきなり信用しろって方が無理か」

 と、一つため息を吐いた。

「とりあえず自己紹介するからな」

魔物は敵意が無い事を示す為に、ロクシアに自らの名を明かす事にした。

「俺の名はカウノプロトゥス。みんなは縮めて『カウノ』って呼ぶ」

「よろしくな、魔法使いさん」

 カウノはそう言って笑って見せた。

 しかし残念な事に、その笑みは暗闇の中ではかなり不気味に見えた。

 不気味過ぎてロクシアは思わず顔をそらした。

 この日からロクシアとカウノの奇妙な共同生活が始まった。

 しかし、魔法使いと魔物の生活。

 それは水と油が同じ容器に入れられているようなものだった。

 果たして上手く行くのだろうか?

 ロクシアはカウノに心を開くのだろうか?

 カウノは回復したロクシアに殺されないだろうか?

 本人達には、全く見当もつかなかった。

「ちょっと!触んないでよ!!」

 洞窟にロクシアの声が響いた。

 カウノがロクシアの身体を拭こうとしたのだ。

「でっかい声出すなよ」

「でっかい声出すに決まってるでしょ!?」

 ロクシアの反応は至極当然だった。

 誰だって怪物に身体を触られるなんて嫌に決まっている。

 大きな声の一つや二つくらい出すのが当たり前だ。

 だが、カウノのやろうとしている事も理解出来なくはない。

 ロクシアは怪我人だ。

 それも自力で起き上がれないほどの。

 だから身体を清潔にするために拭いてあげようと考えたのだ。

 不潔なままでは傷にも良くない。

 清潔は医療の基本だ。

「何にも酷い事しないって」

「そんなのどうやって信じるの!」

「目を見れば分か…」

カウノがそこまで言いかけた言葉を

「らない!」

 ロクシアがかき消した。

 ロクシアが魔物であるカウノを信用出来ないのは仕方ない事だった。

 魔物と人間の争いは何世代にもわたって続いている。

 少なくとも二百年は。

 その間に色々な事があった。

 魔物が都市の拡張工事を妨害したり。

 魔法使いが森を一区画切り開いたり。

 魔物が村を焼いたり。

 魔法使いが薬を撒いて木々を枯らせたり。

 正面衝突こそ今まで回避してきたが、両者の溝は深かった。

 そしてそんな悲しみと怒りと憎しみが堆積して受け継がれていった。

 ロクシアも魔物に対する嫌悪感を教え込まれた一人だった。

 洗脳と言っても良いほどだった。

 そんなロクシアがカウノに

「信用してくれ」

 と言われても信用出来るわけが無かった。

 だが、相手の事を良く思っていないのは魔物だって同じ事だった。

 魔法使いに殺された同胞は数え切れない。

 無惨な姿にされた仲間の破片を拾った事は今でも覚えている。

 弔ってやれなかった者も居る。

 住む場所を奪われた事もある。

 その度に安住の地を求めてさまよい、土地を開墾して来た。

 それがまた奪われて苦労が水の泡になる事だってある。

 それでも皆、歯を食いしばって手を取り合ってここまで頑張って来た。

 そんな大切なものをいともたやすく奪っていく魔法使い。

 それが魔物にとってどれほど脅威であるだろうか。

 だが、カウノは魔法使いのロクシアに手を差し伸べずにはいられなかった。

 それは彼が信じていたからだ。

 いつか必ず魔物と人間が手を取り合える日が来ると。

 その理想を語るといつも笑われた。

「現実を見ろ」

「無駄な努力だ」

「そんな事出来るわけが無い」

 聞き飽きた言葉だった。

 カウノ自身も簡単に理想が実現するとは考えていない。

 むしろ自分の代でそれが叶う事は無いかも知れないと考えていた。

 だが、それでもカウノは理想を捨てきれずにいた。

 だからロクシアを助けたいのだ。

「(この魔法使いに心を開いてもらえたら、理想に一歩近づける)」

 そう考えていた。

「もう、あっちに行ってよ!!」

 だが目の前の魔法使いロクシアは頑なに自分を受け入れない。

 身体を拭くだけなら押さえつけてしまえば簡単だった。

 だが、それでは意味が無い。

 そんな事をしたら、余計にロクシアは自分を嫌がるだろう。

 だから、何とかしてロクシアから身体に触れる許可が欲しかった。

 何か取り入る方法は無いだろうか?

 そんな事をカウノが考えている時だった。

 グウウウゥゥゥ……

 と地鳴りのような音がした。

「は?何の音だ?」

 カウノは音の正体を探した。

 するとロクシアの顔が見る見る赤くなった。

 それを見てカウノは全てを察した。

「『飯にしろ』ってか?」

「ち、違う!」

ロクシアは必死に否定したが腹の虫は正直だった。

もう一度食事を催促した。

「分かったよ。まったく、自己主張の激しい奴だな」

 カウノは呆れながら闇の中へと消えた。

 それから二十分くらいしてカウノが姿を現した。

 しかし、今回は一人ではなかった。

 ずんぐりした体格のいい魔物と小柄な魔物をつれて来た。

「紹介する。でかい方が『キクロ』でちっこい方が『クセニ』だ」

 カウノはキクロの頭の上から二人を紹介した。

「あの、初めましてロクシアさん」

「……どうも」

 キクロに挨拶されたロクシアはそう返事するだけで精一杯だった。

 まさか仲間の魔物をつれて来るなんて予想外だった。

「キクロさんも挨拶して下さい」

クセニはキクロを催促した。

「おう……キクロだ……」

 キクロはぶっきらぼうにそれだけ言って後は黙ってしまった。

「ごめんなさいロクシアさん。ちょっと緊張してるみたいなんです」

「ああ、うん」

 ロクシアも緊張していた。

「なんか固いなぁ。お前ら」

「……カウノさん」

「もっと気楽に行こうぜ?」

「すみません」

「ただ飯を食わせてやるだけだろ?」

「はい、そうですよね」

「じゃあキクロ、食べさせてやって」

「……」

キクロは何も言わなかった。

 ただ黙ってロクシアに匙を差し出した。

「……」

 だが、ロクシアはそれを食べようとしなかった。

 こんな得体のしれないものが食べられるわけが無かった。

 彼女は警戒していた。

「別に変なものなんて入ってないよ」

 カウノはロクシアに害意が無い事を示した。

 しかし、ロクシアは口を開けようとしなかった。

 その頑なな態度にカウノは困ってしまった。

「おい、どうしよっか?」

「困りましたね…」

 カウノたちはどうやってロクシアに食事をさせるか相談する事にした。

 身体を拭くの先延ばしにしても良い。

 しかし、何も食べないのは問題だった。

 このままではロクシアの身体がもたない。

 カウノは信用させるために持って来た食べ物をロクシアの目の前で食べて見せた。

 しかし、ロクシアは口を固く閉ざしたままだった。

「もう面倒臭ぇから強引に食べさせちまえば良いんじゃねぇのか?」

 黙っていたキクロが発言した。

「え~。そんな事したらもっと警戒されると思うぞ?」

「バカ野郎、そんな事言ってる場合か」

キクロは時には荒療治も必要だと説明した。

「そんな甘い事言ってたらアイツ餓死しちまうかも知れねぇんだぞ?」

「それはそうかもだけど……」

「アイツが死んじまったら困るのはお前じゃねぇのか?」

 キクロはカウノに現実を見るよう諭した。

「お前の理想の為にはアイツを助ける事が必要なんだろ?」

「それは……そうだけど……」

「大丈夫だ。多少手荒な事をしてもいつかちゃんと気持ちは伝わる」

「キクロ……」

「そうですよ、カウノさん」

「クセニ……」

「今は心を鬼にしてください」

「……」

「カウノ……」

「カウノさん……」

「……分かった」

相談を終えた三人はロクシアを囲んだ。

「え?なに?」

 ロクシアは猛烈に嫌な予感がした。

「許せよ」

 そう言うとキクロはロクシアの鼻をつまんだ。

「!?」

 ロクシアは抵抗しようとした。

 しかし、身体を走る激しい痛みでそれが出来ない。

 今のロクシアには首を振って鼻をつまむ指を外そうとするだけで精一杯だった。

 だがそんな抵抗も無力だった。

「(苦しい~~、息がしたい)」

 ロクシアの身体が酸素を求めていた。

 しかし、その為には口を開けなくてはいけない。

 鼻は今、ふさがれている。

 だが、口を開けるとは得体のしれないの物を食べさせられると言う事だ。

 それは嫌だ。 断じて嫌だ。

 ロクシアは必死に抵抗をした。

 しかし、いくら心で固く決意していても身体までは思い通りに出来ない。

 時間と共に息が苦しくなっていく。

 いくら超人的な身体能力を持つ魔法使いでも、これには耐えられない。

「ぷはぁっ」

 ロクシアは思わず呼吸をしてしまった。

 それしか選択肢が無かった。

 そのわずかに開いた口目掛けてクセニが匙を突っ込んだ。

「むぐっ!」

 ロクシアは口に入れられた魔物料理を吐き出そうとした。

 しかし

「……ごっくん……」

 飲んでしまった。

 だがクセニの匙は止まらない。

 料理はまだ椀に残っているからだ。

 クセニは正確で素早い動きでロクシアに料理を食べさせた。

「(クセニにこんな特技があったなんて)」

 カウノもキクロもそう思わずにはいられなかった。

 それくらいクセニの動きには迷いも無駄も無かった。

 クセニはマシンのように無感情に作業を続けた。

そして、それが終わるのに十分とかからなかった。

「うっぷ、うえっぷ」

 ロクシアは胃の中の物を吐こうとした。

 しかし、そんな事をしても何も出てこなかった。

「すごいな、クセニは」

「大した事じゃないですよ」

「…大した事あると思うぞ?」

「何か言いましたか?」

「いや、ありがとうって言ったんだ」

「とんでもないですよ」

「また頼む事になると思うけど良いか?」

「いつでも言って下さい」

「本当に助かるよ」

「僕の方こそいつもカウノさんに助けられてますから」

 カウノとクセニがそんな話をしている時だった。

 殺気に満ちた視線が三人を睨みつけていた。

 ロクシアだ。

「そんな顔するなよ」

 カウノはロクシアをなだめる事にした。

「仕方ないだろ?」

「……」

 ロクシアは黙ってカウノを睨んでいた。

「……嫌われちゃったな……」

 カウノはため息を吐いた。

「気にするな」

「……キクロ?」

「お前はやるべき事をやったんだ」

ロクシアがカウノたちに世話されるようになってから時がたった。

その間にカウノたちは懸命にロクシアの態度を軟化させようと試みた。

最初、ロクシアの態度は強固なもので刺々しかった。

だが、ここ数日のロクシアは様子がおかしかった。

今が何時頃なのか分からないのだ。

暗い洞窟の中に居るのだからそれも無理のない事だった。

そのせいで自分がここに連れて来られて何日たったのかも分からない始末だ。

唯一彼女に時間を知らせているのは食事だった。

カウノはロクシアに毎日、朝と夕方に食事を与えた。

それがロクシアが時間を知る唯一の手掛かりだった。

その結果ロクシアの体内時計は徐々に狂い始めていた。

人間の体内時計の周期は約二十五時間で地球の周期と約一時間のずれがある。

それを人間は朝日を浴びる事でリセットしているのだ。

だが、今のロクシアは日光を浴びられない状況にある。

体内時計は狂う一方だった。

結果としてロクシアは昼夜が逆転してしまった。

だが、それだけならばまだ救いもある。

本当の問題は別のところにあった。

今のロクシアは思考力が少しずつ無くなりつつあった。

人間にとって日光とは大切なものだ。

どんなに紫外線がお肌の大敵と言われていてもだ。

日光を浴びないと人は脳の機能が低下する。

 正常な判断が出来なくなってしまうのだ。

 そのせいでロクシアの態度に少しずつ変化があった。

「ロクシア、起きてるか?」

「……うん」

 カウノの問いにロクシアは返事をした。

 以前は黙って睨みつけているだけだったのに。

 変化はそれだけでは無かった。

「ほら、食べられるか?」

「……うん」

 ロクシアは差し出された料理を食べた。

 初めての時は無理矢理食べさせられていた物を自分から食べるようになったのだ。

明らかに以前の彼女とは違った。

ロクシアはすっかり魔物に対して抵抗が無くなっていた。

 魔物が居る事が当たり前になってしまったのだ。

「もう、大丈夫みたいだな」

 ニッポニアがロクシアの腕に触りながら言った。

 彼はロクシアの傷の具合を見ていた。

 ニッポニアは魔物界の医者でカウノの顔なじみだった。

「いつも助かるよ、ニッポニア」

「いや、気にするな」

「いつか礼をしなくちゃな」

「私はただ医者として患者を診ているだけだ」

 カウノはロクシアを助けたが、彼だけではロクシアの傷を手当て出来なかった。

 カウノには医学的な知識が足りないからだ。

 そこでニッポニアを頼ったと言う訳だ。

「しかし『魔法使いを診てほしい』と言われた時は何事かと思ったぞ?」

「驚かせた事は詫びるよ」

「こんな事を他の者が知ったらパニックになるぞ?」

 ニッポニアは帰り支度をしながら少し笑っていた。

 彼も最初はロクシアが怖かった。

 ロクシアも最初はニッポニアを拒絶した。

「この事は出来るだけ秘密にしておいてくれ」

 だが、カウノはロクシアを助けたかった。

 深い傷を負ったロクシアを治療出来るのはニッポニアしか心当たりが無かった。

 だから必死に頼み込んだ。

「私も患者の秘密を漏らすような真似はしない」

「助かるよ」

「骨もくっついたようだし、そろそろ立てるだろう」

「本当か?」

「ああ。たまには外に連れ出してやった方が良いだろう」

 ニッポニアは暗い洞窟の中を見回しながら言った。

「こんな環境に患者を寝かせておくのは医者としても看過出来ん」

 そう言い残すとニッポニアは自分の棲み処へと帰って行った。

 彼は実はキクロやクセニと違って遠くに住んでいる。

 だが、往診の為に足を運んでくれるのだ。

「遠いところからわざわざ済まないな」

 カウノはニッポニアを見送ると行動を開始した。

 ニッポニアに言われた通りロクシアに日光を浴びさせるのだ。

 その為には色々と準備しなくてはいけない。


 カウノが準備を始めてから三十分くらいして

「ロクシア、立てるか?」

 カウノはロクシアの名を呼んだ。

 ロクシアは自分の名を魔物に教えてしまっていた。

「うん」

 ロクシアはゆっくりと上体を起こした。

 そして、冷たい岩の上に立った。

「どこか痛いところはあるか?」

「ううん、大丈夫だと思う」

「そうか」

 カウノはその返事を聞いて安心した。

「ロクシア、今から外に案内しようと思うけど良いか?」

「うん、良いよ」

「じゃあ、俺たちの後に着いて来てくれ」

 そう言ってカウノはキクロの頭に這い上がった。

 這いずるしか出来ないカウノの移動はとても時間がかかるのだ。

 だから、たいていカウノはキクロに乗せてもらう。


カウノ・キクロ・クセニ・ロクシアが歩き始めて十分くらい経った頃。

「ロクシア、そろそろ外に出るぞ?」

 カウノの言葉通り次第に周囲が明るくなり始めた。

 それと同時に『暖かさ』を感じる。

「わあぁ……」

 ロクシアは思わず声を出した。

 彼女はそんな感覚をすっかり忘れていた。

 だから、光に少し感動していたのだ。

「急に明るくなるから気をつけろよ?」

カウノがそう忠告した。

「え?」

 しかし、遅かった。

「ぅわっ!」

 ロクシアの瞳に日光が入った。

 外は快晴だった。

 太陽がまぶしいくらい輝いていた。

「目が、目があああぁぁぁ!!」

 久しぶりの強い光にロクシアの目はくらんだ。

 日光が目に染みる。

 滝のような涙が出て来た。

「だから言ったのに」

 カウノはロクシアの様子を見て呆れていた。

 そして、ロクシアの顔を拭いてやった。

「うっわ」

 顔を拭いたカウノは思わず声を漏らした。

 ロクシアの顔の化粧が崩れてぐちゃぐちゃになってしまったからだ。

 実は女性の魔法使いは皆、おしゃれのために濃いめの化粧をしているのだ。

「顔がぐちゃぐちゃになっちまったぞ?」

「これ、もうどっちが化け物かわかんねぇな」

 カウノとキクロはもだえるロクシアを見てそんな会話をした。

 ロクシア本人には聞こえていなかった。

 と言うより、そんな余裕が無かった。

「ロクシア、ゆっくり目を開けてみろ」

 カウノに促されてロクシアは少しずつ目を開いた。

 ロクシアの目に少しずつ外の景色が映る。

 少し目に染みるが徐々に慣れさせた。

「……」

 目を完全に開いたロクシアは絶句した。

 外の景色があまりにも色鮮やかで輝いて見えたからだ。

 実際にはどこにでもあるような森だった。

 カウノたちにとっては別段、変わった様子の無い見慣れた景色だった。

 しかし、暗い洞窟の中で過ごしていたロクシアにとっては感動に値した。

「……どうだ?」

 ロクシアが黙り込んでいるのでカウノは不安になって訊ねた。

「……すごく綺麗……」

 ロクシアはそう答えるので精一杯だった。

「おい、お前ら」

「どうした?キクロ」

「そろそろ昼時だぞ?」

「あぁ、もうそんな時間か」

「急いで用意しないといけませんね」

「分かった、キクロとクセニは行ってくれ。俺はここに居るから」

「大丈夫なのか?お前」

「何が?」

 キクロは頭上のカウノにだけ聞こえる声で言った。

「『殺されないか?』って訊いてんだよ」

「大丈夫だろ?」

「何でそう思うんだよ?」

「もし殺されるなら、今頃三人とも仲良くミンチになってる」

「……それもそうか」

「だから大丈夫だよ」

「だが、くれぐれも気をつけろよ?」

「ヤバくなったらその辺の隙間にでも潜り込むよ」

 そう言うとカウノはキクロの頭から降りた。

「行くぞ。クセニ」

「はい」

キクロについて行こうとしてクセニは一度振り返った。

「カウノさん」

「どうした?クセニ」

「気をつけて下さいね」

「ああ、分かってるよ」

 カウノは呆れながらも優しく答えた。

「何してる?クセニ」

「すみません。今行きます」

 クセニはキクロを追って森に消えた。

「……全く、どいつもこいつも」

 カウノはため息をした。

 自分が魔物の中でも飛び切り貧弱なのは自覚していた。

 しかし、こんなにも心配されるとは思っていなかった。

「(俺ってもしかして信用されてない?)」

カウノはキクロたちの消えた方を見ながらそんな事を考えていた。

「ねぇ……」

「ん?どうしたロクシア?」

「あたしたち、どうしてたら良いの?」

「そうだなぁ……」

 カウノはしばし考えた。

 その辺りを散歩するのはためらわれた。

 魔法使いを『群れ』に引き入れたなんて知られたら大変だ。

 どこで誰が見ているか分からない森を散歩したくない。

 で、あればこの場で何かするのが一番いいだろう。

「じゃあ、少しここでの暮らしについて説明するからな」

「うん」

 それからカウノはキクロとクセニが返って来るまでロクシアに一通りの事を教えた。

 魔物は『群れ』と呼ばれる共同体で生活をしている事。

 群れは世界に八つある事。

 群れにはそれぞれ『魔王』と呼ばれる代表者が居る事。

 他にも色々と教えた。

 ロクシアには、どれもすぐには信じられなかった。

 ロクシアが学校で教えられていた魔物像とカウノが語る魔物像が大きく違ったからだ。

 その中でも一番驚いたのが『魔物が絶滅の危機にある』と言う事だった。

 ロクシアは都の防壁の外には魔物がうようよ居ていくらでも現れると考えていた。

 しかし、実際の魔物は一つの群れに数十人くらいしか住んでいないらしい。

 全世界にも五百人くらいしか生存個体は居ないのだとカウノは言った。

 その他にも衝撃の事実がカウノの口から語られた。

 それを聞いてロクシアの中の魔物のイメージが揺らいだ。

「(ずっと対立しているのに、どうしてこんなに相手の事を知らないんだろう?)」

 ロクシアにはそれが不思議でならなかった。


「じゃあ、みんな座ったな?」

「はい」

 カウノ、ロクシア、キクロ、クセニは昼食を囲んで座っていた。

 昼食は『川魚の串焼き』と『山菜入り汁』だった。

 ロクシアが魔物料理を見るのは初めてだったが想像していたよりもまともだった。

 むしろ美味しそうだった。

 カウノが音頭をとった。

「手を合わせて下さい」

「合わせました」

 一同は感謝の祈りをささげた。

 今から自分たちの血肉となる食べ物に対して。

 そして、それに関わった者たちに対して。

「いただきます」

「いただきます」

 四人は言い終わると勢いよく食事にかぶりついた。

 ロクシアはまず汁物を口に含んだ。

「おいしい」

 ロクシアは思わず漏らした。

 もちろん、都で出されるよな料理に比べるとはるかに簡素な料理だ。

 しかし、最低限の味付けで美味しくなるように工夫がなされている。

 山菜からは丁寧に『アク』が抜かれ、えぐ味が無い。

 それにほのかな塩味がつけられている。

 塩が強すぎないところが良い。

 あくまでもメインは食材の味であって塩はそれを感じやすくするだけ。

 主張し過ぎず、さり気なく脇を固めている。

 その塩のおかげで『ギョウギャニンニク』の味が生き生きとしている。

 季節の訪れを感じる味だ。

 これを作った人の性格が出ていた。

 口の中を潤したロクシアは魚にかぶりついた。

「(これもなかなか)」

 魚の方は豪快な味だった。

 魚は何だろうか?

 ティラピアのように見える。

 火であぶられた魚はあちこち焦げ、香ばしい匂いがしている。

 味付けには塩が振られていた。

 荒く振られた塩はワイルドな味わいで先程の汁物とは対照的だった。

 口に入れた途端は塩の味とお付き合いする事になる。

 しかし、それを噛んでいると魚の味が顔を出す。

 塩の味と魚の味が互いに引き出しあっている。

 そして、塩辛くなった口の中に汁物を運ぶ。

 そうすると、口の中がリセットされる。

 ロクシアは魚と汁物を交互に楽しんだ。

「おいキクロ、塩の使い方が荒くないか?」

「仕方ねぇだろ。俺の手はクセニと違ってこういうのには向いてねぇんだ」

「塩は大切なんだから気をつけろよ」

「分かってるよ、そんな事」

「でも魚の味と良くマッチしてると思いますよ?」

「あたしもこれで良いと思う」

「クセニとロクシアがそう言うなら仕方ないか」

「俺の意見は否定してもこいつらの話は聞くのか?」

「三対一じゃ勝ち目がない」

 四人はそんな事を話しながら食事をした。


 食事が終わって

「さて、次はどうしようか?」

 カウノが切り出した。

「そうですね。僕たちがここに居ますから、次はカウノさんが行って来たらどうですか?」

「え?」

 クセニの提案にキクロは少しこわばった。

 実は、キクロはまだ少しロクシアが怖かった。

 ロクシアはその気になれば腕一本でキクロをねじ伏せられるのだ。

 怖いのも無理もない。

 しかし、カウノとクセニはそんな事は知らない。

「良いのか?」

「はいっ」

 クセニは良い返事をした。

「カウノさん、ずっとロクシアさんに付きっ切りでしたから」

「ありがとう、二人とも」

「いえ、気にしないで下さい」

 キクロは何も言っていないのにどんどん話が進んだ。

「お、おい。ちょっと待て!」

「どうした?キクロ」

「『どうした?』じゃねぇ」

 キクロはたまらず声を荒げた。

「クセニ、お前本気で言ってるのか?」

「……はい……?」

 クセニにはキクロの質問の意図が分からなかった。

 クセニはロクシアには危険はないと判断していた。

 正確にはロクシアを信じるカウノを信じていた。

 だから、クセニにはキクロが何を心配しているのかピンと来なかった。

「いや、だからな……」

 キクロには上手い言葉が出てこなかった。

 まさかロクシア本人が居る前で

「コイツと一緒に居て大丈夫なのか?」

 とは言えなかった。

 かと言ってキクロには自然な形でカウノとクセニを連れ出す器用さも無い。

 結局、キクロは

「いや、何でもないんだ」

 そう言う事しか出来なかった。

「変な奴」

「お前には言われたくねぇ」

「嫌だったら変わってやるけど?」

「……いや、大丈夫だ」

 そう言いながらキクロは『九人の女神』に祈った。

「そうか?ならお言葉に甘えさせてもらうけど」

 そう言いながらカウノはロクシアの方を見て

「ロクシア、大人しく待ってるんだぞ?」

 その言い方はまるで兄が妹に言い聞かせるようだった。

「分かってるよ、そんな事」

 そんなやり取りの後、カウノは森へと這って行った。


 ちなみに、残されたキクロとクセニだったが特に何もなかった。

 ロクシアが暴れる事も無かったし、群れの仲間に発見される事も無かった。

 いたって穏やかな午後が過ぎて行った。

 最初、嫌々だったキクロもロクシアの面倒を良く見ていた。

 その様子を見てクセニは安心した。

「(これならトラブルも無く、何とかやっていけそうだ)」

 そう感じていた。

 ロクシアが魔物と生活するようになって数か月がたった。

 森の様子は日々変化し、山桜が散り菖蒲が花を咲かせていた。

 気候も曇りや雨の日が増えて来た。

 森が一年で一番成長する時期が来たのだ。

「ロクシア『ヤマメ』が獲れたぞ」

 カウノは湖のほとりで火の番をするロクシアに獲物を見せびらかした。

 カウノの本職は『素潜りの漁師』で川魚専門だ。

 彼は水中でも呼吸が出来るし水泳も得意だからこの職はうってつけだった。

「おいしそう、さばいちゃうね」

 そう言いながらロクシアは魚を受け取った。

 最初は鱗の取り方も知らなかったのに大した成長だ。

 ロクシアはすっかりカウノと普通にやり取りするようになっていた。

「俺、もう少し潜って来るから」

 そう言ってカウノは水の中に潜って行った。

 キクロとクセニがやって来るからその分も用意しておきたいのだ。

 魔物は自分の獲物を決めて行動し、それらを持ち寄って食事を作る。

 クセニは山菜専門でキクロは獣を獲る猟師だ。

「良い匂い」

 魚の焼ける匂いが立ちのぼる。

 パチパチと薪のはじける音がする。

 焚き木で魚を焼くロクシアはさながら『ソロキャン』だった。

「お、良い匂いがするじゃねぇか」

 匂いに誘われてキクロが姿を現した。

 手には『鹿の干し肉』が握られている。

 この時期は獣たちにとって子育ての大切な期間だから無暗に獲れないのだ。

 だからキクロは鹿や猪の子供が大きくなる時期を狙って行動する。

 手に持っているのは去年作った保存食だ。

「いらっしゃい」

 ロクシアはキクロに挨拶した。

 最初こそ距離を取って互いにけん制し合っていた二人だが、その関係もだいぶ変わった。

 共に過ごすうちに、ロクシアもキクロもお互いに危険な存在ではないと理解した。

「おう、火の番ご苦労さん」

 だから今ではこうして普通に挨拶が出来る。

 挨拶が済むとキクロは火のそばに座って肉をあぶり始めた。

「最近どうだ?」

「まあまあ、かな?」

「夏になったら死ぬほど忙しくなるぞ」

「死ぬほど?」

「ああ、俺たちは夏と秋で冬を越す準備をするからな」

「冬は何も獲れなくなるって事?」

「『何も』って訳じゃねぇがほとんど獲れなくなる」

辺りに肉が焼ける匂いが広がり始めた。

さっきまで乾燥していた肉の表面にジュウジュウと油が浮いて来た。

キクロは肉を裏返しながら話を続けた。

「だから、あんまりさぼってると『キリギリス』みたいになっちまう」

 キリギリスとは有名な童話に出て来る遊び人だ。

 夏や秋の間、ろくに働きもせず自堕落に遊んでいる。

 そして冬になると食べ物が無くなり飢えてしまうのだ。

「あ、今日はここに居たんですね」

「おう、クセニじゃねぇか」

「いらっしゃい」

「お二人とも、お疲れ様です」

 そう言いながらクセニはロクシアとキクロに近づいて来た。

 手には『ウワバミソウ』や『姫竹』が抱えられていた。

 クセニはキョロキョロと辺りを見ながら訊ねた。

「カウノさんはどうしたんですか?」

「今、潜ってるよ」

 ロクシアは湖を指さした。

「もう一尾くらい欲しいんだろ?」

「そうでしたか」

 クセニは腰を下ろして鍋に水を汲んだ。

 山菜を茹でる為にお湯を沸かすのだ。

 クセニの作る汁物は素朴な味わいがあった。

「……クセニのその鍋、どうやって手に入れたの?」

「これですか?これはですね……」

「いわゆる『略奪品』ってやつだ」

「キクロさん」

「お前の口からじゃ言いにくいだろ?」

「略奪品……」

「勘違いするなよ。俺たちだって好きでやってる訳じゃねぇ」

 キクロはロクシアに魔物の置かれている状況を説明した。

「俺たちが住める場所は森の中でも多くないんだ」

「僕たちは川沿いにしか住めないんです」

「ああ、しかも熊が出ない場所じゃないといけない」

「僕たちは一人じゃ熊に対処出来ないんです」

 魔物は以外にも非力な生き物だ。

 それぞれの力は人間とそう変わらない。

 熊なんてとても対処出来ない。

「だから僕たちは一度住む場所を追われると大変なんです」

「そうだ。だから縄張りを守る為に必死なんだ」

 しかし、人間はそんな事は知らない。

 だから自分たちの都合で森を切り開こうとしてしまう。

 その結果、魔物から攻撃されてしまう。

「なるほど」

 ロクシアはその説明を聞いて納得した。

 魔物が襲撃するのはほとんどが開拓民の村か行商人のキャラバンだ。

 都への攻撃は歴史を紐解いても数えるほどしかない。

 今、その理由が分かった。

 彼らは何も戦いたくて戦っているのではない。

 皆、日々の平穏を願って生きている。

 そして、だからこそ戦っているのだ。

「だから……俺たちが持ってる『略奪品』の事は……」

「大丈夫だよ、別に責めたりしないよ」

 ロクシアは優しく声を掛けた。

 ここ数ヶ月の生活でロクシアは魔物に情が移りつつあった。

 助けてくれた恩を感じていると言うのもあった。

 しかし、それ以上に困窮する魔物の姿を見ていると手を差し伸べたくなる。

「(このか弱い生き物の為に何かしたい)」

 そう考えつつあった。

 だから、魔物が生活を守る為に人を襲いその結果としていくらかの品を手にする。

 それくらい大して問題ではないと思った。

 むしろ、人間の側に問題があるとさえ感じていた。

 ロクシアがそんな事を考えていた時、水面が揺らいだ。

「ふぅ~~~っ」

 カウノが顔を出した。

 触手には二尾目の『ヤマメ』が握られていた。

「やっとご帰還か」

「待ってたんですよカウノさん」

「おうキクロ、クセニ。来てたのか」

「ああ、邪魔してるぜ」

「カウノさんも寒かったでしょう。さ、こちらへ」

「よいしょっと」

 カウノは陸へと上がった。

「あ~旨そうな匂い」

 カウノの鼻腔に魚と干し肉が焼ける匂いが入って来た。

 お腹の空く匂いだ。

 カウノはロクシアに魚を渡した。

「ロクシア、こいつも焼いてくれ」

「分かったよ」

 ロクシアは慣れた手つきでそれをさばくと火にかけた。

 太陽は南中していなかったが、四人は食事にありつく事にした。

「手を合わせて下さい」

「合わせました」

 一同はお決まりの合掌をした。

「いただきます」

「いただきます」


「ロクシア、これから時間あるか?」

 食事が終わってカウノはロクシアに質問した。

「あるけど何で?」

「ちょっと会わせたい相手が居るんだ」

「?」

「キクロ、クセニ」

「何だ?」

「何ですか?」

「ちょっと頼みがある」

「良いか?呼ぶまで隠れてろよ?」

「分かってるよ」

 カウノが『隠れてろ』と言うのはもう三回目だ。

 流石にロクシアも聞き飽きていた。

「(何をする気なんだろう?)」

 ロクシアにはカウノの意図が分からなかった。

 食事が終わった後、カウノはキクロとクセニに何か指示を出していた。

 その指示を聞いてキクロの顔色が変わったのをロクシアは見ていた。

 何かヤバい事をする気なのだろう。

 だが、何をする気なのかまでは見当がつかなかった。

 ロクシアがあれこれと考えていると、足音が聞こえて来た。

 それも一つや二つではない。

「(これから、何が起こるんだろう?)」

 ロクシアは不安になって来た。

「あら、魔王さん」

「やあ、マジョーおばさん」

 カウノは『マジョーおばさん』なる者と話をしている。

「(は?今、何かおかしくなかった?)」

 だが、ロクシアには何か引っかかるものがあった。

 マジョーおばさんは今、確かに

「魔王さん」

 と言った。

 そして、それに応えたのはカウノだった。

 話の流れから察すると

『カウノ=魔王』

 と言う事になる。

「(はぁぁぁあああ!?)」

 ロクシアは驚きのあまり声を出しそうになった。

『魔王』とは読んで字のごとく『魔物の王』だ。

 ロクシアたち魔法使いは魔物を統率する存在が居るだろうと考えていた。

 そして、便宜上それを『魔王』と呼び必死で手掛かりを探して来た。

 それがまさか毎日接している歩く事も出来ない魔物とは思ってもみなかった。

 ロクシアの驚きは計り知れなかった。

 そんなロクシアの驚きとは裏腹に魔王カウノとその眷属たちの会話は穏やかだった。

 まるでご近所さんと話しているみたいだった。

「どうしたんだい?急に呼び出したりして」

「うん、ちょっと紹介したい奴が居るんだ」

「あら、ガールフレンドかい?」

「違うよ。だいたい俺『許嫁』が居るし」

「あら~」

「『あら~』じゃなくって!」

「あらあら~」

「もう!話が進まないだろ!?」

「それで紹介したい人って誰なんだい?」

「それが……その……」

「なんだか歯切れが悪いね~」

「みんな、驚くと思うんだけど……」

「?」

「俺……実は……」

 カウノは数秒間、言葉に詰まった。

 しかし、意を決して真実を話した。

「魔法使いと暮らしてるんだぁぁぁあああ!!」

「……知ってた」

「えええぇぇぇーーー!!」

「いやぁ、隠してるのかなって思って黙ってたんだ」

「全然、隠せてなかったけどね」

 カウノが絶叫する反面、住民の反応は穏やかだった。

「さっきから後ろに隠してる子でしょ?」

 それどころかすべて見抜かれていた。

「ほら、そんなところに隠れてないで出ておいで」

 そう言われて、ロクシアは魔物たちの前に姿を現した。

「……」

 ロクシアは黙っていた。

 こんなにたくさんの魔物を見たのは初めてだった。

 緊張していたのだ。

「初めまして、魔法使いさん」

 マジョーおばさんがロクシアに語り掛けた。

 その声は見た目とは裏腹にとても優しかった。

「あたしはマジョーって言うんだ」

 マジョーおばさんの挨拶が済むと隣に立っていた魔物が続いて自己紹介した。

「初めまして。僕は『ルスキニア』って言います」

 ルスキニアなる魔物は中腰になってロクシアに話しかけて来た。

「君の名は?」

「えっと……」

 ロクシアは少しどもったが

「ロクシアです。初めまして」

 何とか自己紹介が出来た。

「ロクシアさんか、良い名前だね」

「そうですか?」

「うん。覚えやすいし響きも良い」

「ありがとうございます」

「うん、これからよろしくね。ロクシアさん」

「はい。よろしくお願いします」

 カウノはその様子を見て

「(ただの杞憂だったな)」

 と反省した。


 それからロクシアが群れに馴染むのには時間はかからなかった。

「おばさん、おはようございます」

「あら~ロクシアちゃん、おはよう」

 ロクシアとマジョーおばさんが互いに挨拶を交わした。

 もうすっかり二人は打ち解けていた。

 正直、カウノの方が群れに馴染むのに時間がかかった。

 カウノの為にキクロが何度も手を焼いた。

 それから比べたら、ロクシアのコミュニケーション能力には驚かされる。

「それ、私が持ちますね」

「良いよ、そんな事しなくて」

「遠慮しないで下さい」

 そう言うとロクシアはマジョーおばさんから『壺』を取り上げた。

 壺の中にはおばさんが春に集めたハチミツが入っていた。

 おばさんは魔物の養蜂家なのだ。

 魔物の間ではハチミツは貴重な品だった。

「そこまで言うなら、お願いしようかね」

 おばさんはロクシアに壺を預けた。

「ロクシアちゃんは働き者だね~」

「そんな事ありませんよ」

 ロクシアは受け取った壺を大事そうに抱えた。

 魔法使いにとっては大した重さではないが、これが大切なものと言う事を知っていた。

「私こそいつもお世話になってますし」

「『お世話』なんて、助け合うのがあたしたちの流儀だから」

おばさんとロクシアは群れに向けて歩き出した。

おばさんは群れのはずれに蜂を飼っている。

群れから離れるのは、魔物にとっては危険な事だった。

「それにロクシアちゃんが来てからこっちも助かってるし」

 実際、ロクシアの功績は目覚ましかった。

 岩を除けたり倒れた木を片づけたりと力仕事で彼女の右に出る者は居なかった。

 害獣駆除でもロクシアは力を発揮した。

 その結果、カウノが治める『第四の群れ』では穏やかな時間が流れていた。

「魔王さんがロクシアちゃんを連れ込んでるって知った時はそりゃ驚いたよ」

 魔王とはロクシアの同居人のカウノの事だ。

 カウノは先代の魔王に名指しで魔王に任命されたのだと言う。

 その時、カウノはまだ新米で群れ中が不安に包まれたらしい。

「でも、こうしてロクシアちゃんがあたしたちの為に頑張ってくれるのを見てるとあの人の判断は正しかったんだなって思うの」

「ええ、私も感謝してます」

 ロクシアはお世辞ではなく、本当にそう思っていた。

 カウノは敵であるにも関わらず負傷した自分を助けてくれた。

 自分の命の危険を顧みずにだ。

「あ、群れが見えて来たよ」

 おばさんが前を指さした。

 そこには大小様々、色とりどりの魔物が集まっていた。

 カウノもキクロもクセニも居た。

 皆、寄り添いあって生きているのだ。

 ロクシアは魔物たちを見ながらこう考えていた。

「(あたしが、このか弱い生き物を守らなくては)」

 ロクシアの胸の内には使命感のようなものが宿っていた。

それから少し時間が流れた。

 雨がちだった天気は連日、晴れになり刺すような日差しが照り付けるようになった。

 そんなある日

「おい、どんな様子だよ」

「また来てますね」

 キクロとクセニは木陰から様子をうかがっていた。

 視線の先には、魔法使いが三、四人うろついていた。

 魔法使いを見かけるようになったのは、ここ最近の話ではない。

 もう何か月も前からだった。

 それこそ『カウノがロクシアをつれて来た頃』からだった。

「探してるんだろうな」

「え?」

「ロクシアをだ」

 そう、魔法使いたちはロクシアを捜索しているのだ。

 魔法使いは国の切り札だ。

 魔法使いの数がその国の軍事力を決めると言っても過言ではなかった。

 だから、ロクシアの故郷『緑の国』は彼女を見つけるために捜索隊を派遣して来た。

 だが、いくら探してもロクシアは発見出来なかった。

 まるで消えたかのようだった。

 それもそのはずだ。

 ロクシアはカウノが連れて行ってしまったのだから。

 そうとは知らない魔法使いたちは懸命の捜索を続け、徐々に範囲を拡大しつつあった。

 そして、その捜索の手はカウノたちが住む『第四の群れ』に近づいていた。

「まずいぞ、このままじゃ」

「急いでカウノさんに知らせましょう」

 キクロとクセニは早速、この事をカウノに知らせた。


「と言う訳なんだ、カウノ」

「そうか」

 キクロとクセニから話を聞いたカウノは唸った。

 こうなる事は最初から予想はついていた。

 しかし、こんなにも早くに魔法使いが迫って来るとは想定外だった。

 そして、何か有効な手が打てていた訳でもなかった。

「何で悩んでるの?」

「ロクシア?」

「こんなのあたしが帰ればそれで終わりじゃん」

「話はそんなに簡単じゃない」

「どうして?」

「お前はかれこれ三ヶ月以上ここに居る」

「だから?」

「どうやって三ヶ月間も生活して来たんだ?」

「それは……」

「間違いなく連中はそれを確認しようとするだろう」

「そんなの『自力で何とかした』って言えば良いじゃない」

「腕が折れてる奴がどうやって瓦礫から這い出して手当するんだ?」

「そ、それは……」

「しかも医者さながらの」

 ロクシアは答える事が出来なかった。

 カウノの言う通りだった。

 自分一人の力だけで生きていくなんて絶対に無理だ。

 それはロクシア自身が一番分かっていた。

 そして、そこを質問されたらきっとボロが出る。

 結局、カウノがロクシアとかかわった時点ですでに後戻り出来ないのだ。

 ロクシアは悩んだ。

「(この群れを救うにはどうしたら良いんだろうか?)」


ロクシアが明確な答えが出せないまま数日がたった。

 そんなある日、見慣れない魔物がカウノのもとを訪ねた。

 カウノがとっさにロクシアを隠したから騒ぎにはならなかった。

 見慣れない魔物はカウノと二、三やり取りをしてから『木の板』を手渡した。

 ロクシアは魔物が見えなくなるのを待ってからカウノに訊ねた。

「それ、何?」

 カウノは一つため息を吐いてから答えた。

「召喚状だ」

「召喚状?」

「そうだ『魔物の評議会』のな」

「何?それ」

「ロクシアさんはカウノさんがこの群れの『魔王』だとご存知ですよね?」

カウノの脇に控えていたクセニがロクシアに確認した。

「うん、知ってるけど?」

「そして世界に『群れ』は八つあるんです」

「あ~、なるほど」

 ロクシアはそこまで言われて理解した。

 クセニは説明を続けた。

「そうなんです。それは魔王が一堂に集まる集会の召喚状なんです」

「じゃあ、カウノはその集会に行かなくちゃいけないの?」

「ああ」

 カウノは召喚状をぞんざいに放り投げた。

「今回の議題は多分『お前』だと思うからな」

「あたし?」

「そう、お前」

 カウノはロクシアを触手で指さした。

「どうせ誰かがうっかり漏らしたんだろう」

 そう言うとカウノはもう一度大きなため息を吐いた。

 ロクシアには覚えがあった。

 カウノがロクシアを群れの仲間に紹介した時の事だ。

 カウノはそれまでロクシアの事をひた隠しにしてきた。

 にもかかわらず、ロクシアの存在は周知の事実になっていた。

 魔物の世間で隠し事をするのは難しいらしい。

 だから、仮によその群れにロクシアの事が知れ渡っていたとしても不思議ではなかった。

 ロクシアは妙に納得していた。

「面倒臭いなぁぁぁあああ!」

 カウノは心底嫌そうだった。

「そんなに嫌なところなの?評議会って」

「嫌な奴が居るんだよ」

「そう言う事か」

「それにあの会場、遠いんだよ」

「だから行きたくないのか」

 ロクシアは文句を垂れるカウノをしばし見ていたが

「その評議会ってあたしも言った方が良い?」

 不意にとんでもない事を口走った。

「え?」

 カウノは間の抜けた声を出した。

 あまりにも予想だにしない提案だったからだ。

「だってほら、あたしの話をするんでしょ?」

 ロクシアはカウノが投げ捨てた『木の板』を拾い上げた。

「だったらあたしも一緒に行った方が話がスムーズに進むと思うの」

 板には下手くそな字で召喚状の文面が掘られていた。

 そして、その中に

「貴殿の拾得物について詳しい説明を求む」

 とあった。

「それにほら、あたし走るの早いし」

 確かに魔法使いの足なら、いつもの何倍も早く会場に到着出来る。

 ロクシアの提案は悪い話ではなさそうだ。

 だが

「う~ん」

 カウノはなかなか承諾しなかった。

触手で腕組みしてうんうん唸っていた。

「何が不満なの?」

「不満って言う訳じゃないんだが……」

「じゃあ、何よ?」

「正直、来て欲しくない」

「何でさ!?」

「お前が来るとややこしい事になりそうな気がするから」

「あたしが暴れるって言いたいの?」

「そうじゃあない」

「違うなら何なの」

「お前が来るとまともに話を聞いてもらえなくなる気がする」

「だがカウノよぉ」

「ん?何だ?キクロ」

「実際にロクシアを見せてやった方が連中も納得すると思うぞ?」

「確かにその方が早いとは思うけど……」

「カウノさん、僕もその方が良いと思います」

「クセニまでそんな事言うのか?」

「多分、七人の魔王様もそれが目的でカウノさんを呼んでるんだと思います」

「う~ん……」

 それから一週間ほどしたある朝。

「じゃあ、行ってくるから」

「行ってらっしゃい。カウノさん。ロクシアさん」

「留守は任せとけ。お前らは安心して行ってこい」

「ああ、行こうロクシア」

「うん、つかまって」

 ロクシアはカウノに右腕を差し出した。

「じゃあ、失礼して」

 そう言ってカウノはロクシアの右腕をつたって彼女の背中にしがみついた。

 一応、これで『おんぶ』のつもりらしい。

「ロクシアさん、カウノさんの事をよろしくお願いします」

「大丈夫。あたしがちゃんと送り届けるから」

「大丈夫だクセニ。こいつに任せておけば」

「はい、きっと無事に戻って来て下さいね」

「じゃあ、行ってきます」

 そう言い残すと、ロクシアは走り出した。

「ぬぉぉぉおおお!」

 カウノはあまりの速さに悲鳴をあげた。

 ロクシアは決して強い方の魔法使いではない。

 階級も『四級魔法使い』で平凡な魔法使いの一人だった。

 だが、それでも常人と比べれば桁違いの身体能力を持っていた。

 そんなロクシアの速さにカウノが驚くのも無理は無かった。


 ロクシアが走り出して五十分が経とうとした頃。

「あ、あの~。ロクシアさん?」

 カウノの弱々しい声が背中から聞こえた。

「何?カウノ」

「少し休憩しよう」

 ロクシアは立ち止まった。

「あたし、まだ疲れてないよ?」

「酔った」

「へ?」

「俺が酔ったの」

 そう言いながらカウノは力なくロクシアの背中から降りた。

 なるほど、見てみると気分が悪そうだ。

「うえぇぇぇ。気持ち悪い」

 カウノが乗り物酔いするのも無理は無かった。

 ロクシアは高速で縦横無尽に動き回った。

 木から木へ跳び移った事もあった。

 そんな事をされたら誰だって酔う。

 少なくとも魔法使い以外は

「大丈夫?」

「しばらく休んでれば大丈夫だと思う」

「吐きたいの?」

「そこまでじゃない」

 ロクシアたちは、その場でしばし足止めを食う事となった。

 群れから出て一時間も経っていなかったが、もう半分は来ていた。


「大丈夫?」

「あんまり」

 カウノはしばらく風に当たっていた。

 そんな時、木陰から大きな獣が姿を現した。

 熊だ。

「……」

「……」

 カウノと熊はにらみ合っていた。

 熊に遭遇したら下手に刺激してはいけないのだ。

 魔物は熊と戦って勝てない。

 だから、カウノは熊を脅かして逃がす方法を考えていた。

 しかし、状況は急変した。

「はっ!」

 ロクシアが熊目掛けて走り出した。

 そして、一瞬で間合いを詰めたロクシアは熊の脳天に魔具を振り下ろした。

 次の瞬間、熊の頭が『五六式魔導銃剣』によって叩き潰された。

 辺りに熊の頭の破片が飛び散った。

 間違いなく即死だ。

 ロクシアの水色の髪が返り血によって赤く染まった。

「よしっ!」

 ロクシアは熊の亡骸を見てガッツポーズをした。

「『よしっ!』じゃねーよ」

 カウノはそう突っ込まずには居られなかった。

 魔法使いの戦闘能力が高い事は分かっているつもりだった。

 しかし、まさか熊を一撃で肉塊に出来るほどとは思っていなかった。

 カウノは、キクロやクセニがロクシアの事を最初恐れていた理由が今さら分かった。

 ロクシアがその気になれば、第四の群れは一夜で壊滅するのだ。

 かつて、第七の群れがそうであったように。

「どうしたの?」

 ロクシアは不思議そうにカウノに訊ねた。

 彼女は自分がどれほど恐ろしい事をしたのか分かっていないのだ。

 こんな危険な人物を、今から魔王たちに紹介しなくてはいけないのだ。

 魔王たちの反応が目に浮かぶようだった。

 カウノは頭が痛くなった。


一休みした後、カウノを背負ってロクシアは再び走り出した。

 今度はロクシアも少し速度を緩めて走った。

 カウノも今度は酔わなかった。

 そして、ロクシアがカウノの指示に従って五十分ほど走るとそれは見えて来た。

 ロクシアはこんな物を見た事が無かった。

 それは、一見すると小さな丘に見えた。

 しかし、コンクリート製の扉が取り付けてあった。

 明らかに人工物だ。

「ここ、何?」

 ロクシアは思わず、カウノに訊ねた。

 こんな大掛かりな建造物を魔物が造れるわけが無い。

「古代遺跡だ」

 カウノは答えた。

 古代遺跡。

 ロクシアはその単語を聴いた事があった。

 確か、古代の高度な文明を持つ人々が築いたとされる建造物の総称だ。

 遺跡には優れた科学が眠っていて、それを解析すると文明が飛躍的に進歩するらしい。

 ロクシアたち魔法使いの身に着けている装束や魔具などの装備もその恩恵を受けている。

 その為、古代遺跡の発掘調査には多額の費用が出されいているらしい。

「ここで評議会があるの?」

「そう言う事だ」

 そう言ってカウノはロクシアに壁の一部を指した。

「あれを倒して欲しいんだ」

「あれ?」

 ロクシアはカウノの示す方を見た。

 見るとそこには長さ一メートルくらいの金属製の棒が生えていた。

 棒は黒と黄色のしましまで装飾してあった。

「(この模様は何の意味があるんだろう?」」

 そんな事を考えながら、ロクシアは棒を倒した。

 すると、コンクリート製の扉がスライドして道が出来た。

「……」

 ロクシアは開いた口がふさがらなかった。

 こんな仕掛けは初めて見た。

「さ、入るぞ」

 カウノはロクシアに中を進めた。

 中は意外と明るかった。

 壁や天井、床がぼんやり光を放っているのだ。

「ここ、入って大丈夫?」

 ロクシアは少し怖かった。

「何度も来てるから大丈夫だよ」

 カウノはロクシアを安心させるために優しく語り掛けた。

 ロクシアはカウノに促されて中を進んだ。

 それから五分ほど歩くと、行き止まりになった。

「先に俺が入って事情を説明するから、お前は後からおいで」

 そう言ってカウノは行き止まりに向かって這って行った。

 そしたら何と言う事だろうか。

 金属の壁がスライドして通路が出来た。

 どうやらこの建物にはスライドする壁がいくつもあるらしい。

 ロクシアにとってここは驚きの連続だ。

 カウノはそのまま、中へと入って行った。

「……」

 ロクシアはそれを黙って見守っていた。

 カウノが通り過ぎると、壁が再び動いて行き止まりに戻った。

 それから十分ほど経過した頃だろうか。

「ロクシア、入って来て」

 中からカウノの声が聞こえた。

 ロクシアは恐る恐るカウノがさっきしたように壁に向かって進んだ。

 すると、さっきと同じように壁が動いて通路が出来た。

 どうやら、この壁は誰が相手でも動くらしい。

 中からは光が差していた。

 ロクシアは意を決して中へ入った。

 中は十畳くらいの四角い部屋になっていた。

 壁も床も天井も汚れている点を除けば白かった。

 中央には大きなドーナツ状の卓が一つ置いてあり、椅子が九脚据えられていた。

 椅子にはそれぞれ、魔物が座りカウノも席についていた。

 なるほど、この八体の魔物が『魔王』と言う訳か。

「……」

 魔王たちは黙ってロクシアを凝視していた。

 それこそ穴が開くほどに。

 ロクシアは猛烈に居心地が悪かった。

 こんな気分になったのは面接の時以来だ。

 ロクシアがそんな事を考えていた時だった。

「……お終いだ」

 魔王の一体がそう言った。

 その一言を皮切りに、魔王たちは絶望に包まれた。

「もうダメだ」

「こんな事あってたまるか」

 魔王たちは口々に悲鳴をあげた。

 だが、これが通常の反応だった。

 窓も無く出入り口は一つだけの部屋。

 そこに熊をも瞬殺する相手が仁王立ちで居るのだ。

 その恐怖と絶望は想像を絶するものだろう。

「……」

 ロクシアはどうする事も出来ず、立ち尽くしていた。

 と、その時

「終わり?違うな。始まったんだ」

 魔王の一体がそう呟いた。

 彼の名は『コルムバ』と言い、第六の魔王だ。

 今回の評議会を開催したのは彼だった。

 コルムバは続けた。

「強力な武器を手に入れたんだ!」

 コルムバはロクシアを指さした。

 ロクシアは少しムッとした。

 だが、コルムバは気付かずに続けた。

「そいつをよこせ!そいつの力で奴らに目に物を見せてやる!!」

「コルムバ、彼女は俺の客だ」

 カウノはコルムバを戒めた。

 その声にはどこか怒りが感じられた。

「ぬるい事言ってんじゃねぇよ!」

 コルムバは立ち上がった。

「魔法使いは『兵器』なんだよ!」

 コルムバは語るうちに徐々にヒートアップしていった。

「兵器は飾って楽しいコレクションじゃねぇ!使って初めて意味が有るんだよ!」

「武器は使う事が全てじゃないし、重ねて言うが彼女は兵器じゃない」

 カウノは決してコルムバの意見を認めようとはしなかった。

 過激派のコルムバと人間との共存を模索するカウノ。

 正反対の二人の意見が対立するのは当然だった。

「てめぇ!」

 コルムバはカウノに詰め寄った。

 その時、一体の魔物が両者の間に割って入った。

 それはいつぞやの『ニッポニア』だった。

彼は魔物界で数少ない医者だ。

 そして、カウノの治める『第四の群れ』の隣にある『第五の群れ』の魔王だった。

 ロクシアは彼を知っていた。

 なぜなら、ロクシアの傷を治療したのはニッポニアだったからだ。

「どけ!ニッポニア」

 コルムバはニッポニアを睨んだ。

「落ち着いて下さい」

 しかし、ニッポニアは動じなかった。

 とても静かで落ち着いていた。

「私たちは争うためにここに集まったわけではありません」

「そこに居る骨なし野郎が悪いんだろうが!」

「身体の事で人を侮辱する事は許されません」

「じゃあ、てめえはそいつの味方するってのかよ!?」

「そうではありません」

 ニッポニアはコルムバからどんなに怒声を浴びせられても落ち着いていた。

 まるで静水のように受け流していた。

 ニッポニアは続けた。

「ただ、話を整理しようと言っているのです」

 ニッポニアの目がキラリと光った。

「感情的にならずに」

 その目を見たコルムバは押し黙った。

「ちっ!好きにしろ!」

 コルムバはドカッと席に戻った。

「皆さんも落ち着いて下さい」

 ニッポニアはコルムバが座るのを見届けてから部屋の隅で震えている魔王たちに声を掛けた。

「そこに居る方は危険な人物ではありません」

 ニッポニアは胸に手を当てて言った。

「私が証拠です」


ニッポニアに促されて、評議会は仕切り直しになった。

「取り乱してしまって申し訳ない」

 そう言いながら、魔王の一体はロクシアの方をチラチラ見ていた。

 ロクシアはカウノとニッポニアの間の空いた席に座った。

「では、皆さん」

 ニッポニアは全員がキチンと座った事を確認すると切り出した。

 部屋の中にはピリピリとした緊張感が漂っていた。

「もうご存知だとは思いますが、数か月前にここに居る第四の魔王『カウノプロトゥス』がこちらに座っていらっしゃる『ロクシア・クルウィオストゥラ』さんを救助しました」

 ニッポニアは、静かな口調でポツリポツリと語り始めた。

 『救助した』とは良い言い回しをしたなとロクシアは思った。

 その表現なら

『カウノはあくまでも人命救助を優先しただけで、他意は無い』

と言う事が出来るからだ。

 ニッポニアは続けた。

「ロクシアさんは彼の献身的な看病のおかげで、この通り回復されました」

「……」

 他の魔王たちも黙って聴いていた。

 コルムバも不満そうな顔をしつつも、横槍を入れたりはしなかった。

「しかし、ここに来て問題が発生しました」

 ニッポニアは一呼吸してから少し大きな声を出した。

「魔法使いが第四の群れに近づいているのです」


 ニッポニアはあらかた説明した。

 少し前から魔法使いの活動が活発になっている事。

 魔法使いたちは恐らくロクシアを探しているであろう事。

 そして、その捜索範囲が徐々に広がりつつある事。


「そんなの自分で蒔いた種だろうが!」

 コルムバはここまで聴いて我慢が出来なくなった。

「お前だったら見捨てたか?」

 カウノはコルムバに訊ねた。

「魔法使いなんかと関わるからこういう事になったんだろうが!」

 コルムバは魔法使いを憎んでいた。

「コルムバ殿の言う通りです!」

 ニッポニアの隣に座っていた魔王がコルムバを支持した。

 魔法使いを憎んでいるのはコルムバだけではない。

 大半の魔物は魔法使いが嫌いだ。

「重要なのはそこではない」

 ニッポニアの向かい側に座った魔王が発言した。

「問題はこの事態をどうやって解決するかだ」

 その一言で、議論は振出しに戻った。


「ロクシア……さんを都へ返すと言うのはどうでしょうか?」

 先程コルムバを支持した魔王が提案した。

「魔法使い達はロクシア……さんを探しているのですから……」

「それで本当に解決すると思うか?」

「それは……」

カウノが鋭い指摘をした。

『目的の物を渡したのだから、相手は自分たちを見逃してくれるだろう』

なんて言うのは楽観論だ。

そんな保証はどこにもない。

ロクシアと魔物がここまで深く関わってしまった以上、今さら引き返す事は出来ない。

「では、どうしろと言うのですか!?」

「戦うに決まってるだろ」

「コルムバ殿?」

 コルムバが自分の案を出した。

「そいつの力を使って連中と戦う。それしかねぇ」

「そんな事が出来るのか?」

 カウノの隣に座った魔王が訊ねた。

「相手は魔法使いだ、裏切るかも知れない」

「ロクシアは裏切ったりしない」

 カウノが注意した。

「なぜそう言い切れる!」

「信じてるから」

「カウノはもっと現実を見るべきだ!」

「だったらあんただったらどうするんだ?」

 カウノはイラッとした。

「否定だけしてないで出したらどうだ?代案を」

「……」

 カウノに言われて魔王は黙ってしまった。

「やっぱり、俺の案で文句ないみたいだな」

 コルムバが得意げに言った。

「お前の案に賛同してるわけじゃない」

 カウノはぴしゃりと言った。

「そもそも武力で対抗しようって話が間違ってるんだ」

「何だと!てめぇ」

「二人とも、落ち着いて下さい」

 この後も不毛なやり取りが続いた。

 結局、この日の議論では大した成果が得られなかった。

 せいぜい、ロクシアの名前が魔王たちに知れ渡ったくらいだ。

 そして、魔法使いが想像以上に怖がられていると分かったくらいだ。

 その日の帰り。

 日は落ちて空には『白鳥座』が瞬いていた。

「ねぇ、カウノ」

 ロクシアはカウノを背負って走りながら訊ねた。

「ん?何だ?」

「あたし、戦った方が良いのかな?」

「それはお前が気にする事じゃない」

「でも、あたしが原因で起こってる事でしょ?」

「原因を作ったのは俺だ」

 カウノは毅然とした態度で言った。

「俺の責任だ」

「あたしは関係ないっていうの?」

「……そうだ……」

「あたしの気持ちはどうなるの?」

「お前の……気持ち?」

「そうだよ、あたしの気持ち」

 ロクシアは立ち止まって星空を見上げた。

「あたし、考えてたの『自分にも何か出来ないか?』って」

「お前は十分俺たちの力になってくれてるよ」

「嘘……吐かないでよ……」

「……」

「カウノがあたしの立場だったらそうは言わないでしょ?」

「……まぁな……」

「やっぱりこのままじゃダメなんだよ、あたし」

「お前一人で何が出来る?」

「無力だったとしても、それは何もしなくて良い理由にはならないよ」

「……」

「あたし、戦うよ!」

 ロクシアは意志を固めた。

 いや、既に固まっていたのかも知れない。

「ちょっと待て」

「止めても無駄だから」

「そうじゃあない。ちょっと当てがあるだけだ」

カウノはロクシアに進路を変えるよう指示した。

 ロクシアは森のはずれに来た。

 そこでは一体の魔物が天体望遠鏡を覗いていた。

「来ると思っていたぞ、カウノ」

「何もかもお見通しなんだな。お前は」

 その魔物は望遠鏡から顔を離し、ロクシアたちの方を見た。

 しかし、特に何のリアクションもしなかった。

 魔法使いを見たのに平然としていた。

「あれ、誰?」

 ロクシアはカウノに訊ねた。

「あれは『ディノールニス』だ」

「ディノールニス?」

「ああ『魔道師』なんだ」

「魔道師?」

 ロクシアは魔物にも魔道師が居るのかと驚いた。

 『魔道師』とは簡単に言えば魔法を探求する研究者だ。

 ロクシアたち魔法使いの武器を始めとする装備は魔道師が開発した。

 魔道師は軍にとって大切な仕事だ。

 その為、国は魔道師の研究に国費を割いている。

 国のお抱えの魔道師になる人も居る。

 しかし、魔物の世界には必要ない職業だ。

 魔道師は魔法使いが居るから必要になる。

 だから、魔法使いが居ない魔物には全く関係ない。

 ロクシアには『魔物の魔道師』の意味が分からなかった。

「初めまして、お嬢さん」

「はじめ……まして」

 ロクシアはディノールニスとあいさつを交わした。

「ロクシア……さんだったね」

「は、はい」

「お主たちが来る事は分かっていた」

 ディノールニスは厳かな声で言った。

「儂に力を貸して欲しいのだろう?」

「流石は耳が早いな」

「こうなる事は予測出来ていた」

月に照らされて三人は戦いの相談を始めた。

「魔法使いと戦うに際してお主たちには足りないものがある」

 ディノールニスは自己紹介もそこそこに本題に入った。

「一番の課題は『戦力の差』だ」

「ああ、それを訊きに来たんだ」

 カウノもその為に来た。

「お嬢さんの等級は?」

「『四級』……ですけど……」

 ロクシアはディノールニスの質問に答えた。

 四級とはロクシアの魔法使いとしての等級の事だ。

 魔法使いは一級から順に五級まで等級が分けられている。

 つまり、ロクシアは下から二番目の等級と言う事だ。

「四級……悪くはない」

 ディノールニスは噛みしめるようにつぶやいた。

 ロクシアは確かに四級魔法使いだ。

 だが、それは魔法使いとしては普通だった。

 魔法使いは等級が上がると数が少なくなっていく。

 だから、ロクシアは良くも悪くも『普通の魔法使い』だった。

「しかし、魔法使いの部隊長は全て『三級魔法使い』以上だ」

 もちろん、ロクシアの上司の『フリンギッラ』も三級以上の魔法使いだ。

「そして、魔法使いは基本的に『四人一組』で行動する」

 ロクシアはうんうんと頷きながら聴いていた。

 魔法使いはほとんど魔物の事を知らないのに魔物は魔法使いを良く研究している。

 そこに感心していた。

「つまり、お主等は自分たちの四倍以上の戦力と戦わねばならん」

「そうなんだ」

 カウノはため息を吐いた。

 ロクシア一人でさえ十分脅威になる。

 それなのに、その四倍の戦力を相手にしなくてはいけないのだ。

 夢だと思いたい。

「それと戦う為には戦力を底上げしてやらねばならん」

「出来るのか?そんな事が」

「無論だ」

「どんな方法なんだ?」

「それは……」

「『合体』だ」

「何だって?」

 カウノはそう訊ねずに居られなかった。

『合体』とは何だ?

何やらいかがわしくも聞こえる。

「まあ、そう興奮するな」

「してねーよ」

「今からちゃんと説明する」

ディノールニスは小さく咳ばらいをすると説明を始めた。

「魔法使いの力の源、それは何か知ってるか?」

「『賢者の石』だろ?」

『賢者の石』とは魔力を絶えず生産し続ける不思議な鉱石の事だ。

大きさは三センチをほどの球体で血のように赤い。

魔力を扱う素質を持つ者にこの石を埋め込むと魔法使いの完成だ。

「そう、魔法使いは賢者の石から魔力を得ている」

「知ってるよ、そんな事」

「しかし、魔法使いは皆、賢者の石の力を十分に活かせておらん」

「え?そうなのか?」

カウノは身を乗り出した。

今、ディノールニスは『魔法使いは皆』と言った。

つまり、全ての魔法使いは魔力を無駄にしていると。

簡単には信じられなかった。

「さよう、魔法使いは多くても賢者の石の力の四割しか発揮出来ておらん」

「残りはどうなってるんだ?」

「身体から放出されて空気中を漂っておる」

「マジか!?」

 カウノには驚きの連続だった。

 魔法使いは常人の何倍もの力を発揮する。

 それなのに、そのエネルギーを無駄にしているなんて信じられなかった。

「本当だ」

 ディノールニスはうなずいて見せた。

「つまり、魔法使いに今以上に魔力を有効活用させれば戦力が上がる事を意味する」

「それと合体と何の関係があるんだ?」

「やっと本題に入る事が出来る」

 ディノールニスは『合体』についての説明を始めた。

「合体とは魔法使いと魔物が重なり合う事だ」

「何の為に?」

「魔力を有効活用するためだ」

 ディノールニスはカウノの質問に待ってましたと言わんばかりに即答した。

「実は、魔物にも魔力を扱う事は出来る」

「そうなんですか?」

 ロクシアには初耳だった。

「と、言うより扱える者が魔物になる」

「?」

 ロクシアにはディノールニスの言葉の意味が分からなかった。

『なる』とは何だろう?

何からなるのだろう?

だが、ディノールニスはそれについて語らなかった。

「つまり、魔法使いが無駄にしている魔力を魔物が回収して魔法使いに還元してやるのだ」

「なるほど、そうすれば魔法使いは扱える魔力量が増えるから強くなると」

「そう言う事だ」

「で、それが必要になるには戦闘中だから一心同体じゃないといけないと」

「ご名答」

「なるほど、意味がやっと分かった」

「しかし、それにも問題がある」

「何だ?」

「どの魔物でも良いと言う訳ではない、と言う問題だ」

合体にはいくつか条件があった。

・魔力の扱いに長けた魔物である事。

・ロクシアと心を重ねられる魔物である事。

・ロクシアと絶えず密着出来る魔物である事。

「そして、それらの条件を満たせる魔物は……」

 ディノールニスはカウノを指さした。

「カウノプロトゥス、お前だけだ」

「そうだろうな」

 カウノの反応は落ち着いていた。

 まるで、最初からそうなる事が分かっていたかのようだ。

 だが、カウノは分かっていたのではない。

 覚悟していたのだ。

 ロクシアが戦う決意をした以上、自分も戦場に出ていく事になる。

 そう思っていたからだ。


 カウノとロクシアはディノールニスから合体の方法を説明された。

「色々とありがとうな」

 カウノは礼を言ってディノールニスの元を後にしようとした。

 ディノールニスは再び、天体望遠鏡を覗いていた。

「おい、ディノールニス」

「何だ?」

「お前、いつから天体観測なんて趣味が出来たんだ?」

 カウノは来た時から気になっていた。

 ディノールニスは星なんてそんなに見ない。

 魔道師の興味はいつも魔法や魔力に向いている。

 それ以外の事にはあまり興味が無いのが通常だ。

「カウノ……」

「ん?」

「急いでくれ」

 ディノールニスはカウノの方を向くと懇願した。

「時間が無いのだ」

「それは分かってるよ」

 カウノだって魔法使いがすぐそこに迫っている事は分かった。

 だが、それとディノールニスが星を見る理由は関係ない筈だ。

「奴がいつ来るか分からん」

「『奴』って何の事だ?」

「それはまだ言えん」

 ディノールニスは星空を見上げた。

「皆に不安を与える訳にはいかんのだ」

 カウノには何の事かさっぱり分からなかった。

「くれぐれも頼むぞ、カウノ」

「ああ……」

カウノはそう返事するだけで精一杯だった。

ディノールニスは何を恐れているのだろうか?

 それが喉に刺さった小骨のように心に引っかかった。

「ねぇ、カウノ」

「ん?どうした」

 ディノールニスから『合体』を授けられた帰りにロクシアが訊ねた。

「何かさっきの会話で気になるところがあったんだけど」

「天体望遠鏡の事か?」

「ううん、違う」

「じゃあ、何だ?」

「魔物に『なる』ってどう言う事?」

「ああ、それか」

 カウノはポツリポツリと語り始めた。

「ロクシアは俺たち魔物がどこから来たか知ってるか?」

「ううん」

「じゃあ、俺達がどうやって増えてるかは?」

「それも知らない」

「そりゃ、そうだろうな」

「どうして?」

「俺たちは生まれて来る訳じゃないんだ」

「じゃあ、どこから来るの?」

「都だ」

「え?魔物の都があるの?」

「違う、人間の都から来るんだ」

「……どう言う事……?」

「俺たちは元人間なんだ」

「はぁ!?」

「俺は元々『緑の国のパッセリフォールメス』に住んでたんだ」

「パッセリフォールメスってあたしが住んでたところじゃん!」

「そうだな、魔法使いの基地もそこにあるな」

「嘘でしょ!?」

「まあ、すぐには信じられないだろうな」

 カウノにはロクシアの気持ちが分かった。

 自分もそうだったからだ。

「でも、そのうち嘘じゃないって分かると思うぞ」

「?」

 カウノは含みのある言い方をした。

 それからしばらく、カウノとロクシアは合体の修行に力を注いだ。

 ディノールニスは簡単に説明したが、やってみると意外と難しい。

 何せ、カウノは今まで一度として魔力を扱った事が無いからだ。

 いくら『才能がある』と言われても、努力をしないと上達はしない。

 カウノはロクシアから魔力の扱い方を手取り足取り教えてもらう事になった。

 今まで『生きる術』をカウノからロクシアへ教えていたのに、それが逆になったのだ。

「ほら、もう一回やって見せて」

「ふんぬぬぬぅぅぅううう!!」

 カウノは全身に力を込めた。

 身体に血管が浮き出した。

 だが、それだけだった。

「違うってば『大切なのはイメージだ』って言ったでしょ?」

「イメージねぇ……」

「自分の身体に管が走っててそこに魔力を通すイメージ」

「……」

 目を閉じてカウノはロクシアに言われた通りのイメージを形成した。

 なに、そう難しい事ではない。

 血管のような物を想像すれば良いのだ。

「……」

 ロクシアからカウノの身体に魔力が流れていく。

 そしてそれがカウノの触手の一本から放出された。

「あっ……」

 ロクシアが声をあげた。

 カウノが目を開けると、触手に薄紅色の炎のような物が灯っていた。

 魔力だ。

 この『手の先から魔力を放出する』のが魔法の基礎だ。

「やったじゃん、カウノ」

 ロクシアはカウノをほめた。

 ここまで来るのに一週間くらいかかった。

 しかし、遂にカウノは魔力を扱えるようになったのだ。

「はぁ~疲れた」

 カウノは大きなため息を吐いた。

 残り時間が少ないのに、修行がなかなか進まない。

 カウノの中に焦りがあった。

 だが、時間は無情にも流れて行った。

 カウノが修行に入ってしばらくしたある日。

「カウノさん!大変です!!」

 クセニがカウノの洞窟に駆け込んで来た。

「どうした!クセニ」

 カウノにもただ事でないとすぐに分かった。

 と言うより、何が起こったか分かった。

 魔法使いが警戒ラインを越えたのだ。

「遂に来たんです!」

 カウノたち魔物は『警戒ライン』と言うものを設定していた。

 つまり『この線を越えるまではこちらからは手を出さない』と言う線だ。

 カウノたちは魔法使いが警戒ラインを越える前に合体を習得しようとしていたのだ。

 そして今日、魔法使いがラインを越えてこちらに近づいて来てしまったのだ。

「ロクシア、出られるか!?」

「あたしは大丈夫だよ!」

「カウノさんはもう行けるんですか?」

「もう少し細かいところを詰めたかったけど仕方ない」

 カウノはこの日の為に合体を会得していた。

 しかし、完璧ではなく六割くらいの完成度だった。

 だが、未完成でも出撃するしかなかった。

「今行かないと全部ダメになっちゃうからな」

 カウノの覚悟は決まっていた。

「うん、行こう!カウノ」

 そして、それはロクシアも同じだった。

「カウノさん!ロクシアさん!!」

 クセニは二人に駆け寄った。

「必ず生きて帰って下さい!」

 クセニの声は震えていた。

「大丈夫だよ、クセニ」

カウノはクセニの肩を優しくたたいた。

 そして、二人は死地に向かった。

「カウノ!」

「ロクシア!」

「「合体っ!!」」

「ちっ!」

 第壱七魔法小隊の隊長『アパロプテロン・ファミリアレ』は舌打ちをした。

「(ったく、冗談じゃねーぞ!クソがっ!!)」

 彼女は可愛らしい見た目とは裏腹に心の中はどす黒く渦巻いていた。

 この『ロクシア・クルウィオストゥラ捜索任務』を言いつけられて何日たっただろうか?

 任務を打診されたときは

「はぁ~い、頑張ります」

 なんて可愛く引き受けたが今はその時の自分を殴ってやりたい気分だ。

 その時はこんなに長くかかるとは思っていなかった。

 がれきから間抜けな小娘の死体を引きずり出して持って帰る。

 そうすれば任務完了で上司の評価が上がる。

 ついでにムカつく先輩の『フリンギッラ』に恩を着せられる。

 そう考えていた。

 それがどうだろうか?

 捜索を開始してもう何か月もたつ。

 それなのに手掛かり一つ見つけられずにいる。

 おかげで上司からせかされてしまった。

 それどころか

「他の隊に任せた方が良いのでは?」

 と言う意見まで出てしまった。

 こんなのは屈辱の極みだった。

「(それもこれも全部あのクソアマのせいだ!!)」

アパロプテロンはフリンギッラの事を呪った。

「隊長!」

「ああん!何だよ!!見つかったのか!!!」

「い、いいえ……」

「だったら戻って来るんじゃねぇよ!」

「すみません、しかし……」

「しかし?しかし何だよ!?」

「こ、ここから先は魔物の頻出地帯なので部隊をまとめた方が良いかと……」

「ちっ!だったらさっさと集めろよ!!」

「は、はい」

そんなやり取りの後アパロプテロンの部隊は密集隊形をとった。

「(この任務が終わった暁にはあの女に目にもの見せてやる!)」

 アパロプテロン率いる第壱七小隊は森を進んだ。

 木々が密集する森での視界は最悪だった。

 おまけに時期が時期だから湿気が高くて蒸し暑い。

 ハッキリ言って、不快この上なかった。

 一行は方向感覚を失いかけながら森の中を蛇行した。

 土にしっかりと足跡を付けながら。

「……」

 一行は誰が言うでもなく立ち止まった。

 何かが変だ。

 さっきから視線をずっと感じる。

「警戒態勢っ」

 アパロプテロンは一同に指示を出した。

 全員は四角い陣形を取り、四方を警戒した。

「……」

 一行は数分、その状態で居た。

 時間的には五分も経過していないだろう。

 しかし、それは体感で何十分にもなっていた。

 アパロプテロンの顔を汗が伝って落ちた。

 その時。

 ガサガサッと草が動いた。

 一行は思わずその方向を凝視した。

 居たのは鹿の親子だった。

「なんだ、驚かすなよ」

 そう言ってアパロプテロンが警戒態勢に戻ろうとした時

「ん?」

「(何だ?)」

 何かがおかしかった。

 アパロプテロンは振り返った。

「な!?」

 何と一人足りないではないか。

 部下の一人がほんの数秒の間に消えたのだ。

「敵襲!」

 アパロプテロンはとっさに判断した。

 これは敵が近くにいるに違いない。

 さっきまでは

『近くに敵が居るかも知れない』

 だったが、今は違う

『間違いなく敵が居て、自分たちを攻撃をしてきている』

 に変わったのだ。

「ボサッとすんな!」

 アパロプテロンの声で緊張はピークに達した。

「(どこだ?どこに居やがるんだ!?)」

 アパロプテロンは周囲を見回した。

 しかし、そこにあるのは緑の木々だけだった。

 まるで、森全体が自分たちを狙っているようだった。

「ハァーッ、ハァーッ」

 アパロプテロンは深い呼吸をした。

 こんなプレッシャーは生まれて初めてだ。

 気が変になりそうだった。

 と、その時。

 強い敵意を感じて一行はそちらに目を向けた。

 向けてしまった。

 そこには何も居なかった。

「ガチガチガチッ」

 恐怖のあまりアパロプテロンの歯が鳴った。

「……」

 背中を冷たい汗が伝った。

 嫌な予感がしてアパロプテロンはチラリと部下が居たはずの方向に目を向けた。

 さっきまで居たはずの部下がまた一人消えているではないか。

「あああぁぁぁ!!」

 アパロプテロンの部下『エンベリーザ』はパニックを起こして辺り構わず殴って回った。

「落ち着け!」

 アパロプテロンは部下を止めた。

 敵はほとんど何もしていないのに、こっちはどんどん追い詰められて行く。

 こんな一方的な戦いがあるだろうか?

「で、ですが隊長!」

「落ち着け!このままじゃ敵の思うつぼだぞ!?」

 アパロンプテロンは部下の肩を掴んだ。

 アパロプテロンの真剣な目を見てエンベリーザは冷静さを取り戻した。

「す、すみません」

「二人になったけど、この場から離脱するぞ」

「はい」

「あたしは後ろを見るからお前は前を見ろ」

「はいっ!」

 二人は森から出る事を選んだ。


「……」

 二人は緑の地獄と化した森を歩いていた。

 走らなかったのは体力を温存するためだ。

 だが、二人は走りたくてたまらなかった。

 こんな場所は一秒でも早く出たかった。

「隊長、居ますか?」

 エンベリーザは後ろに居るであろうアパロプテロンに声を掛けた。

「居るよ」

 アパロプテロンもエンベリーザもお互いがちゃんと居るか心配でたまらなかった。

 しかし、うっかり振り返れば敵に奇襲をかけられる。

 その為エンベリーザは前を、アパロプテロンは後ろを見続けていた。

 そのせいでお互いの姿を確認出来なかったのだ。

「隊長!」

「居るよ!」

 こんなやり取りが何回も繰り返されていた。


 二人が撤退を開始してから、二十分が経とうとした頃に事態が動いた。

 ドスンッと重い音が二人の間で起きた。

 アパロプテロンは振り向きそうになったが精神力で後ろを見続けた。

 だが、エンベリーザの声がした。

「隊長!前を見て下さい!!」

 その声でアパロプテロンは振り返る事を決意した。

 するとどうだろうか?

 二人の間に一体の魔物が居るではないか。

 それもただの魔物ではない。

 今まで確認された事の無い型だ。

「何……だ……?こいつ」

 アパロプテロンは目を疑った。

 その魔物は全身が黄緑色の装甲に覆われた大きさ二メートル程の巨体だった。

 頭には紅い目が二つと紫色の大きな目が一つ付いていた。

 正体不明の魔物だった。

「コイツが……皆を……」

 エンベリーザの中に殺意が芽生えた。

 アパロプテロンはそれを察知した。

「待……」

 アパロプテロンが止めようとしたが、もう遅かった。

「うおおおぉぉぉ!」

 エンベリーザは怒りに任せて敵に突進した。

 彼女の魔具はナックルバスターだ。

 殴って殺すのが彼女の戦法だ。

 しかし彼女の攻撃は合体したロクシアたちには届かなかった。

 ロクシアは銃剣でエンベリーザをなぎ倒した。

 殴り飛ばしたと言っても過言ではない。

「つ……あ……」

 エンベリーザは木に叩き付けられて気絶した。

 残されたのはアパロプテロンただ一人だった。

 ロクシアはアパロプテロンを見た。

 この魔法使いが小隊長だろう。

 前に何度か見た事がある。

「……」

 アパロプテロンもロクシアを見ていた。

 だが、次の瞬間アパロプテロンは背を向けて走り出した。

 ロクシアはあまりの出来事に一瞬遅れたが、すぐに後を追った。

「(畜生!あんなのありかよ!)」

 走りながらアパロプテロンは必死に考えた。

 どうやったらあの魔物に対処出来るだろうか?

 だが、頭が混乱して良い案が出てこない。

 当てもなく走り続ける事しか出来なかった。

 しかし、現実は非情だった。

 アパロプテロンはあっけなく追い付かれてしまった。

「……」

 アパロプテロンは愛用の三一式魔導槍を構えた。

 周囲は開けていて、隠れる場所は無かった。

 一見するとアパロプテロンが追い詰められているように見えた。

「……」

 アパロプテロンの意図を察したようにロクシアも武器を構えた。

 二人はにらみ合いの状態になった。


 先に仕掛けたのはロクシアだった。

 ロクシアは巨体に似合わない俊足でアパロプテロンに接近した。

 そして、その勢いのまま五六式魔導銃剣を叩き付けた。

 アパロプテロンは剣を受けなかった。

 この一撃は受けきれないと判断したからだ。

 その代わり、剣戟をギリギリでかわした。

「もらった!」

 アパロプテロンは槍をロクシアの胸の中心に目掛けて突き出した。

 これが決まれば確実に相手を仕留められる。

 必殺の一撃は一直線にロクシアに突き進んだ。

 だが、それがロクシアに致命傷を与える事は無かった。

 ロクシアがアパロプテロンを蹴り飛ばしたからだ。

「ごあ……」

 アパロプテロンはみぞおちの痛みに耐えて着地した。

 だが、彼女はただ無様に蹴りを食らったのではない。

 蹴られながら槍に魔力を込めていたのだ。

 アパロプテロンは槍に溜めた魔力をロクシア目掛けて解放した。

「シュート!」

 アパロプテロンの桃色の魔力がロクシアに迫る。

 ロクシアには魔力を溜める時間なんてなかったはずだ。

 今度こそこれで奴を殺せる。

 アパロプテロンは勝利を確信した。

 しかし、その確信は再び裏切られた。

 なんとロクシアが銃剣から魔力を放出し魔法攻撃を打ち消したのだ。

「そんな!バカな!」

 アパロプテロンは信じられなかった。

 こんな芸当が出来たのはカウノのおかげだった。

 カウノと合体したロクシアの魔力量は通常時よりかなり増大していた。

 その大量の魔力を魔具に送り込めば、短時間で十分に充填出来る。

 その結果、アパロプテロンの魔力を打ち消す事が出来たのだ。

「畜生っ!」

 アパロプテロンは毒づいた。

 しかし、その目はまだあきらめていなかった。

 どんな状況でも執念を発揮する。

 それが彼女を小隊長にした要因の一つだった。

「てやぁっ!」

 今度はアパロプテロンから仕掛けた。

 アパロプテロンはロクシアの攻撃をギリギリでかわせる。

 だから、正面から突っ込めた。

「はぁっ!」

 ロクシアは今度は横薙ぎの攻撃を繰り出した。

 これなら避けられる事は無いだろう。

 そういう判断からだった。

 しかし、アパロプテロンは跳んでこれを回避した。

 戦闘経験ではロクシアよりもアパロプテロンの方が一枚上手だ。

「くたばれぇ!」

 アパロプテロンは空中でロクシアに槍を突き出した。

 だが、それはロクシアが身体をのけぞらせた事で回避された。

 しかし、アパロプテロンの顔は笑っていた。

 槍は囮だったのだ。

 アパロプテロンの鋭い蹴りがロクシアのがら空きになった胴に決まった。

「か……は……っ」

 ただの蹴りでも魔法使いの蹴りは強力だ。

 ロクシアは痛みのあまり体勢を崩した。

 アパロプテロンはこの瞬間を逃さなかった。

 着地すると同時に足を踏ん張ってロクシアのみぞおちに拳を叩き込んだ。

 そしてそのついでにハイキックをお見舞いした。

 力では確かにロクシアの方が勝っていた。

 しかし、テクニックや経験においてはアパロプテロンに分があった。

 ロクシアは猛攻を受けて気絶した。

「ハァッ……ハァッ……」

 アパロプテロンは肩で息をした。

「(危なかった)」

 勝負は一瞬で着いた。

 しかし、ロクシアもアパロプテロンもギリギリの戦いだった。

 一歩読み間違えていたら、倒れているのは逆だったかもしれない。

「早く……止めを刺さないと」

 アパロプテロンは槍を拾うと魔力を充填し始めた。

 自分の持つ最強の一撃をロクシアに叩き込むつもりなのだ。

 確実な安心のために。

「これが…あたしの…全力……全開!」

 アパロプテロンはロクシアに砲身を向けた。

 至近距離だった。

 これを食らえば間違いなくロクシアはミンチになる。

「シュゥゥゥトォォォオオオ!!!」

 アパロプテロンは魔力を解放した。

 その直前、ロクシアの腕が動かされた。

 そして腕はアパロプテロンの槍をそらした。

「な……っ!」

 魔力はロクシアに当たらず、彼方へと飛んで行った。

 だが、ロクシアが意識を取り戻したのではない。

 彼女はいまだに気絶したままだった。

「何なの?……コイツ!」

 アパロプテロンは絶句した。

 なんとロクシアの身体が立ち上がろうと動き出したのだ。

 しかし、その動きは明らかにぎこちなかった。

 まるで操り人形のようなのだ。

「『何なの?』だぁ?」

 ロクシアから別人の声が聞こえた。

 今、アパロプテロンの相手をしているのはロクシアではない。

 その正体は、ロクシアと共に戦っていた者だ。

「誰だって良いだろ?」

 紫色の大きな目玉がアパロプテロンをにらんでいた。

 そう、相手はカウノだった。

 カウノはロクシアの身体を動かしてアパロプテロンに切りつけた。

 下から上にすくい上げる一撃はアパロプテロンのわき腹にめり込んだ。

 幸い、刃の向きが悪くてアパロプテロンは腰から下を失う事を免れた。

「ごあ……っ!」

 しかし、その一撃は彼女の内臓にダメージを与えるには十分な威力を持っていた。

「ぐっ……くそっ!」

 アパロプテロンはとっさに後方に跳んだ。

 ダメージを食らったが内臓破裂までは行っていない。

 目の前の化け物もまだ自由には動けないようだ。

「ふんぬぅぅぅううう!」

 カウノはロクシアの身体を立ち上がさせようとあがいた。

 しかし、操り慣れない他人の身体を動かすのだ。

 その様は生まれたばかりの小鹿のようだった。

「(今、殺さなきゃダメだ!)」

 アパロプテロンはそう直感した。

 そう思った時には魔力を槍に送り込んでいた。

 魔力加圧気が低音を立てて回転していく。

「ハァ……ハァ……」

 魔力を送り込む間もカウノは少しずつ立ち上がっていく。

 カウノが立ち上がるのが先か、アパロプテロンが魔法を打つのだ先か。

 ほんの数秒が待ちどしくてたまらなかった。

「(早く!早く!!)」

 アパロプテロンは焦る気持ちを抑えて魔力を供給した。

 一秒でも早くぶっ放したかった。

 しかし、魔力が足りなかったら相手を殺せない。

「(早くしろ、あたし!)」

 カウノが立った。

 アパロプテロンと目が合った。

 同時に魔力の充填が終わった。

「よしっ!来たっ!」

 アパロプテロンは嬉しくてたまらなかった。

 もう我慢の必要は無い。

「シュートォオ!」

 桃色の魔力がカウノに襲い掛かる。

 だが、またもや彼女の魔法は決まらなかった。

 魔法はカウノの『赤い魔力』に防がれてしまったからだ。

「赤い……魔力……?」

 アパロプテロンは目を疑った。

 赤い魔力なんてありえないからだ。

 実は魔力には濃度があり、それが高まると濃い赤になる。

 アパロプテロンには桃色の魔力がせいぜいだった。

 赤い魔力なんて一部のトップクラスの魔法使いが扱うだけだった。

 だが、驚くのはまだ早かった。

 カウノが発生させた魔力が手のような形となり、アパロプテロンを攻撃し始めたからだ。

「っ!」

 アパロプテロンには信じられなかった。

 今、カウノは魔具を使わないで魔法を行使した。

 そんなのは通常あり得ない事だ。

 魔力は魔具で圧縮してその反動で発射するものだ。

 ウォーターガンのような原理だ。

 それなのに、カウノはそれ抜きで魔法を使っている。

「おらぁっ!」

 アパロプテロンはとっさに赤い手をよけた。

 魔力は直進しかしないから、これで大丈夫なはずだった。

 だがしかし、大丈夫ではなかった。

 アパロプテロンを素通りした魔力が方向を変えたのだ。

「!?」

 アパロプテロンはそれに対処出来なかった。

 高密度の魔法攻撃を受けたアパロプテロンには、もう戦う力が無かった。

「終わりだな」

「あんた、本当に何者なの?」

「さぁな、答える義務はないさ。お前はもう……」

「やめて!!」

 アパロプテロンに止めを刺そうとしたカウノの動きが急に止まった。

 そして、身をよじって苦しみ始めた。

「お願い!こんな事しないでカウノ!!」

「何言ってんだお前は!分かってんのか?コイツを生かしてたら……」

カウノと意識を取り戻したロクシアは敵をどうするかで争った。

その時『ドスッ』と言う音がロクシアの腹部から聞こえた。

見るとロクシアにアパロプテロンの槍が刺さっている。

それが分かった瞬間、激痛が走った。

「ハァーッ!ハァーッ!」

 アパロプテロンはロクシアをにらんだまま魔力を溜めていた。

 この状態なら、絶対に外さない。

「これがあたしの『超・全力全開』!」

 カウノは痛みをこらえて槍を引き抜いた。

 傷口からは血があふれ出した。

 それと同時に、アパロプテロンは魔力を解放した。

「シュゥゥゥウウウトォォォオオオ!!!」

 桃色の魔力の波が木々をなぎ倒した。

 地面はえぐれ、空気が割れた。

 アパロプテロンの最強の一撃だ。

「……」

 シリンダー内の魔力が無くなってもアパロプテロンは構えを崩さなかった。

 あれだけの攻撃を防いだ相手なのだ。

 まだ反撃してきてもおかしくない。

「……ちっ」

 アパロプテロンは舌打ちをした。

 そこにはロクシアの姿は無かった。

 それはロクシアたちが逃げたからだった。

 アパロプテロンはそれが分かるとエンベリーザを探した。

 エンベリーザは幸い気絶しているだけで深い傷は負っていなかった。

 行方不明だった残り二人の部下も森の中で生存が確認出来た。

 あれだけの戦闘だったにも関わらず、第壱七魔法小隊は全員生還した。

 この結果を『勝ち』と見るか『負け』と見るかは人次第だ。

 しかし、少なくとも緑の国の上層部は重く受け止めていた。

『魔法小隊を一体で壊滅させられる魔物』

 と言う報告はたちどころに軍を震撼させた。

 今まで、魔法使いが現れれば蜘蛛の子を散らすように逃げていた魔物。

 それがある日突然、牙をむいたのだ。

 しかも、かなりの戦力で。

 この反応は当然と言えば当然だった。

「ハァッ!ハァッ!!」

 アパロプテロンの攻撃を回避したロクシアたちは夜の森を走った。

 目標は『第五の群れ』だ。

 そこには魔物の医者ニッポニアが居る。

「ハァー!ハァーー!!」

 ロクシアたちの腹からは止めどなく血が流れた。

 その血がカウノの物なのかロクシアの物なのかは分からない。

 だが、命の危機にあるのは確かだ。


「……」

 ニッポニアはたき火の前で座禅を組んでいた。

 たき火には鍋がかけられ、湯を沸かす準備が進められていた。

「ニッポニア様、まだ寝ないのですか?」

「おそらく、今夜は眠れないでしょう」

「なぜですか?」

「急患が来るからです」

「怪我人なんて居ませんよ?」

「……今、来ました」

 ニッポニアはそう言うと目を開いた。

 と、同時にカウノたちが駆け込んで来た。

「ニッポニア!」

 カウノたちはそこまで言うと合体を解除した。

 限界に達したのだ。

「来ると思っていたぞ。さあ、傷を見せろ」

 ニッポニアは手早くロクシアとカウノの傷の具合を確認した。

 どちらも深手を負っていたが致命傷にはなっていない。

 急げば二人とも助けられる。

「今から『処置』を開始します」

 ニッポニアは煮沸消毒した糸と縫い針を取り出した。

 魔物の世界には麻酔なんてないから二人に痛み止め代わりに『蒸留酒』を与えた。

 処置はニッポニアの予想通り夜を徹した。

 しかし、彼はやり切った。

 ロクシアとカウノの命を救ったのだ。

 ロクシアたちの初陣は激しい痛みと大きな傷痕を残して終わった。

 魔法使い達は魔物に対する姿勢を強固なものにしていった。

 今まで以上に魔法使いに国費を費やすようになった。

 いわゆる『軍備拡張路線』に入ったと言うわけだ。

『一体で魔法小隊を壊滅させられる魔物がもし、何体も居たら?』

 その恐怖と不安が人々を駆り立てていた。

 本当はロクシアとカウノのような存在は一組しか居ないのに。

 人々の憶測はどんどん暴走していった。

 ロクシアたちの討伐部隊が何度も派遣された。

 傷が癒えたカウノたちもそれに何度も応戦し撃退した。

 しかし、戦っても戦っても平和が来る事は無かった。

 勝てば勝つほど強い敵が現れた。


「ディノールニス、頼みがある」

 カウノとロクシアは魔物の魔道師『ディノールニス』を訪ねた。

 合体は本来、彼が研究・開発した。

 だから『より強力な合体』を授けてもらえるかもと考えたのだ。

「……」

 ディノールニスは相変わらず、天体望遠鏡で夜空を見ていた。

 どうやら『オリオン座』の方角を見ているようだ。

 ディノールニスは振り返った。

「遅いぞ」

「へ?」

「もっと早くに来ると思っていた」

「いや、あんまり頼り過ぎるのも良くないかと思って……」

「『時間が無い』と言っただろう!」

「だから『時間が無い』って何の事だよ?」

「……」

 ディノールニスはカウノの質問に答えもせず『乳白色の球形の石』を差し出した。

「何だこりゃ『愚者の石』じゃないか」

「『愚者の石』は魔力を発生させない出来そこないだと思われているが、そうではない」

「そうなのか?コイツも魔力があるのか?」

「そうだ。ただし、合体していない魔法使いには扱えない。だからゴミだと思われておる」

「でも、俺たちなら扱えると?」

「そう言う事だ」

 ディノールニスから新しい魔石を受け取ったカウノたちは新たな合体を研究した。

 魔石が二つになったから、単純計算で出力が二倍になった。

 つまり、より強大な合体形態が実現出来ると言う事だ。


 二人が鍛錬に入ってから、月日が流れた。

 蝉の姿は消え、鹿や猪が太るべく忙しくするようになった。

 そんなある日、二人の前にある魔法使いが立ちはだかった。

「初めましてだな!エックス!!」

 その魔法使いは部下を連れてはいたが一人で立っていた。

 いわゆる『決闘』のかたちをとっていた。

「何かアイツ見た事があるぞ?」

 カウノには相手の魔法使いに見覚えがあった。

「当たり前でしょ!」

 ロクシアがツッコミを入れた。

「何でだ?」

「だってあれ『イルンド・ルスティカ』だよ?」

「イルンドってあれか?特一級魔法使いの」

「そうだよ!」

「なるほど。って事は『切り札』って事か」

 カウノの中では『危機感』よりも『この戦いで得られる物への期待』の方が大きかった。

 この戦いに勝利すれば、魔法使いは当分の間は手出し出来なくなる。

 つまり、待ちに待った平和がやって来るのだ。

「気合い入れていくぞ。ロクシア」

「うん、行くよ」

 ロクシアとカウノは愚者の石の力を解放した。

 実戦で使う初めての『合体第二形態』だ。


 イルンドは少し驚いた。

 目の前の『通称エックス』の姿が変わったからだ。

 今の姿は巨大な花のようだった。

 黄緑色の巨大な八枚の花弁の中央に人型の魔物が『めしべ』のように居る。

 なるほど、これが向こうの『隠し玉』と言うわけか。

「ならばこちらも参らせてもらう」

 そう言うとイルンドは背中の『魔力貯蔵槽』を解放した。

 すると、イルンドの身体が紅色に発光し始めた。

 イルンドは背中の魔力貯蔵槽に溜めた魔力を解放する事で一時的に能力を強化出来る。

 これがイルンドの切り札『スサノオ』だ。

「では、行くぞ!」

 スサノオを発動させたイルンドは愛刀『風神』と『雷神』を構えてロクシアに突撃した。

 その速さはいつぞやのアパロプテロンとは比べ物にならないほどだった。

「ハァッ!」

 イルンドの鋭い斬りおろしがロクシアに迫る。

 だが、ここまでの戦いで成長したロクシアにとってこの程度は何でもない。

 難なく銃剣で受け止めた。

 だが、イルンドの攻撃はこれで終わりではない。

 左手に持った『雷神』が閃光のような突きを繰り出した。

 目標はロクシアの喉元。

 刀はロクシアに突き刺さるかと思われた。

 しかし、巨大な花弁のようになったカウノの触手に防がれてしまった。

「ちぃっ!」

 イルンドは反撃をかわすと素早く距離をとった。

 そのイルンドに対してロクシアは銃剣に溜めて置いた魔力を解放した。

 桃色の魔力がイルンドに突進した。

「甘いっ!」

 イルンドは身をよじると、魔法攻撃を紙一重で回避しその体制のままロクシアに迫った。

 イルンドには飛び道具が無いのだ。

 魔力で自分の身体能力を極限まで高めて接近戦をするのが彼の戦い方だ。

「でやぁぁぁあああ!!」

 イルンドは渾身の力を込めてロクシアに斬りつけた。

「はっ!」

 ロクシアもそれにわずかに遅れたが対処した。

 速さで攻めるイルンドとパワーで有利なロクシア。

 一瞬の隙が生死を分ける戦いが続いた。

 しかしロクシアはこの時、気付いていなかった。

 愛用の五六式魔導銃剣が悲鳴をあげつつある事に。

「てやぁぁぁあああ!!」

 ロクシアはありったけの魔力をシリンダーに送り込んだ。

 だがその時、ビキンッと言う何かが割れる音が響いた。

 見ると五六式魔導銃剣にひびが入っているではないか。

 ひびからはロクシアの送り込んだ魔力が漏れ出ている。

 度重なる戦いと強すぎる魔力が原因で五六式魔導銃剣が限界を迎えたのだ。

「うそ……でしょ……?」

 五六式魔導銃剣が使えなくてはロクシアは魔法が使えない。

 つまり、遠距離からの牽制技が無くなってしまったのだ。

 ロクシアは絶望した。

「もらったぁ!!」

 イルンドはこの隙を見逃さなかった。

 厄介な飛び道具が無くなったのだ。

 絶好のチャンスだ。

「ぼやっとすんな!」

 カウノの言葉でロクシアは我に戻った。

 ロクシアは必死にイルンドの剣戟を防いだ。

 しかし、スピードではイルンドに分があった。

 ロクシアには防ぐだけで精一杯だった。

「ちぃっ!」

 カウノはとっさにイルンドから距離をとった。


「なぁ、ディノールニス」

 カウノとロクシアの様子を見ていたキクロは隣のディノールニスに訊ねた。

「何だ?」

「何か、アイツら動きが鈍くねぇか?」

「ふ~む」

 キクロの言う通り、カウノたちは確かに動きが遅く見える。

 イルンドに機動力で少しずつ押されつつあるように見える。

「アイツら魔石が二つになって強くなったんじゃねぇのか?」

「……分からん……」

「『分からん』じゃねぇよ!お前がやったんだろうが!」

「理論上は強くなったはずなのだ。なのになぜ押される?」

「あのぅ……」

「ん?どうしたんだ?クセニ」

「カウノさんとロクシアさんがバラバラに戦ってるからダメなんじゃないでしょうか?」

「バラバラ?」

「はい、一見すると二人は共に戦ってるように見えますけど本当はバラバラなんです」

「つまり『カウノは魔力を供給する事に集中しろ』って言いたいのか?」

「まぁ……『しろ』までは言いませんが……」

「だがどうするよ?どうやってアイツらにそれを伝える?」

「……僕……」

「あ?どうしたクセニ?」

「僕が……伝えて来ます……!」

「お前、何言ってんだよ!死にてぇのか?」

「でも、誰かが行かなくちゃカウノさんが死んじゃいます!」

「状況を見ろ!あの戦いの中に入って行ったらミンチにされちまう!!」

「大丈夫です!僕、小さいし身軽ですから」

「お前……本気なのか……?」

「僕……カウノさんに生きてほしいですから……」

「……分かった。そこまで言うなら俺たちも全力で援護する!」

「俺たち?」

「当たり前だろ?コイツだけに危ない橋を渡らせれらるか!」

「ありがとうございます!キクロさん、ディノールニスさん」

「ただし、ヤバイと思ったらすぐに引き返せよ?」


「どうしたのカウノ?反応が遅いよ?」

「分かってるよ!」

 カウノとロクシアは焦りを感じていた。

 自分たちの魔力はイルンドを上回っているはずだ。

 なのになぜ押されるのか?

 最初は対等に渡り合っていたはずなのに。

「そこだ!」

「しまった!」

 機動力を武器にしたイルンドの攻撃でロクシアのガードに隙が出来た。

 この状況ではカウノも補助に入れない。

 ロクシアの脳裏に『死』がよぎった。

「斬り捨て、御免!」

 イルンドの刀がロクシアの頭を両断しようとしたまさにその時。

「む?」

 煙がイルンドの視界を遮った。

「ええい、水入りか!」

 イルンドにはこれが何者かの妨害である事がすぐに分かった。

 仕方なく、イルンドはロクシアから距離をとった。

 視界がゼロでは戦えない。

「何だ?こりゃ」

「カウノさん!」

「クセニか?」

「はい、伝えたい事があるんです!」

「何やってんだよバカ!帰れ!!」

「話を聞いて下さい!」

 クセニは必死にカウノを説得した。

 煙が晴れるまでに新しい合体の事を伝えなくてはいけない。


「……」

 イルンドはロクシアから五十メートルほど離れて様子をうかがっていた。

 今は、部下たちに風上を調べさせている。

 煙を消させるためだ。

「隊長、風上に焚き木の痕跡がありました」

「やはりか」

 イルンドは薄れゆく煙を見つめていた。

 その中に動く影が見える。

「そこだ!」

 イルンドは影に向かって一直線に走った。

 魔力貯蔵槽の残量も半分を切った。

 つまり、時間が無いのだ。

「でぇやぁぁぁあああ!!!」

 イルンドは影の主に斬りつけた。

 彼の最速の一撃が空を切った。

 そこには誰も居なかった。

「なんと!?」

 イルンドは驚きを隠せなかった。

 一瞬にして影が消えたからだ。

 間違いなく、そこには何者かが居たはずなのに。

「!?」

 視線を感じてイルンドは振り向いた。

 そこにはカウノと合体したロクシアが立っていた。

 脇にはクセニを抱えている。

「何だ?その姿は?」

 イルンドは思わず訊ねた。

 ロクシアの姿が大きく変わっていたからだ。

 だが、もちろんロクシアが答えるわけが無かった。

 ロクシアたちはさっきまでの巨体から二メートルくらいの人型になっていた。

 手には五六式魔導銃剣ではなく刃渡り二メートル弱の黒い刀が握られていた。

 その刀はカウノの身体の一部をありったけの魔力で強化させて作ったものだった。

「……姿は大きく変わったが……貴様は間違いなく『エックス』だな」

 その目を見てイルンドは確信していた。

 それは命のやり取りをしていた者だけが通じ合えるものだった。

「何かは知らんが、手加減はしないぞ」

 イルンドはロクシアに向き直り、風神と雷神を構えた。

 と、その瞬間。

「な……っ!」

 イルンドの喉元にロクシアが黒い刃を突き付けていた。

 約五十メートルの距離をまばたきする間に詰めたのだ。

 イルンドは反応できなかった。

「もう終わりにしよう。これ以上の戦いは無意味だ」

 ロクシアの目が言っていた。

 『合体第三形態』の能力はスサノオを発動させたイルンドを上回っていた。

 まだ一撃も戦っていないが、実力の差はハッキリしていた。

「私に『退け』と言うのか?」

 イルンドの奥歯がくやしさでギリッと鳴った。

 彼には『緑の国・最強の魔法使い』のプライドがあった。

 それが今、傷付けられている。

「この程度の脅しで、私が退くと思うのか!?」

 イルンドはロクシアの忠告を無視して戦闘を再開しようとした。

 このまま戦えばおそらく彼は死ぬだろう。

 その時

「隊長!ここは退いて下さい!!」

 彼の部下が止めに入った。

「生き恥をさらせと言うのか!?」

 イルンドは刺し違えてでもロクシアを倒すつもりでいた。

「隊長を失えば国が揺るぎます!」

 イルンドは特一級魔法使いとして緑の国の頂点の一角だ。

 彼が居なくなれば国防が危うくなる。

「今はこらえて下さい!生きていればまた再戦のチャンスがあります!!」

「……」

「隊長っ!」

「ええいっ!」

 イルンドは臥薪嘗胆の念で刀をおさめた。

 ロクシアもそれ以上は手出ししなかった。

「しんがりは我々が!」

「済まん!」

 そう言うとイルンドは『緑の国』へと帰って行った。

 彼の部下たちはロクシアの追撃からイルンドを守る為にその場で警戒していた。

「……帰るか」

「うん」

 だが、ロクシアたちもこれ以上戦うつもりは無かった。

 力の差は示した。

 つまり、やるべき事を果たしたのだ。

 ロクシアたちはその場から一瞬で消えた。

 クセニもいつの間にか居なくなっていた。

 あとに残されたイルンドの部下たちはしばらくその場で臨戦態勢を維持していた。


 最強の一角であるイルンドが撃退されたニュースは緑の国に衝撃を与えた。

 現代で言うならば『核弾頭が利かない敵が現れた』のと同じだ。

 緑の国は全ての魔法使いを含む軍を集結させ守りを固めた。

 そして守りを固めたのは緑の国だけではなかった。

 九つの国が穴熊を決め込んで防壁の中に引きこもった。

 この結果に魔物の多くは大いに喜んだ。

『もうこれで生活を脅かされる事は無い』

 そう思っていた。

 しかし、そうは考えてはいない魔物も居た。

 カウノもこんな方法で平和が来るとは考えていなかった。

だがイルンドとの戦い以降、魔法使いが魔物に接近する事は無かった。

不気味なほど穏やかな日常が続いたある日。

「ロクシア、ちょっと話があるんだ」

カウノはロクシアを呼び出した。

「何?カウノ」

 ロクシアとカウノは洞窟の中で話をした。

「最近調子はどうだ?」

「調子?良いと思うよ」

「傷の具合は?」

「ニッポニアさんに診てもらったからもうすっかり治ったよ」

 カウノはロクシアにいくつか質問をした。

 ロクシアはなぜカウノがこんな話をするのか分かっていなかった。

 だが

「……最近すっかり平和になったな」

 その言葉で彼女はカウノが何の話をしたいのかが分かった。

「……そうだね……」

「もう、戦う必要なんてないのかも知れないな」

「そんなの、分からないじゃん」

 カウノはロクシアを都へ帰らせようと考えているのだ。

 だからロクシアに傷が癒えたかどうか訊ねたのだ。

「今は平和かも知れないけどまた戦いが起こるかもしれないんだよ?」

「どうかな?」

 カウノはしらを切った。

 本当は自分だって同じ考えだ。

 だが、ロクシアを人の世に還すのは今しかない。

「だって俺たちは特一級魔法使いのイルンドを倒したんだ。もう襲って来ないだろう」

「……あたしはもう必要ないって事?」

「そうは言わな……いや、そうだ。お前はもう用済みなんだ」

 カウノは努めて冷たく言った。

 これ以上、自分たちの都合にロクシアを巻き込んではいけない。

 そう考えていた。

「それ、本音?」

「ああ、心底そう思ってるよ」

 カウノはそっけない口調を崩さなかった。

「ああそう!そうですか!!」

 そこまで言われてロクシアは腹が立った。

「そこまで言うなら帰ってやろうじゃないの!」

 ロクシアはドスドスと足音を立てながら洞窟から出て行った。

「……」

 カウノはそれを黙って見ていた。

「……これで良かったのか?」

 洞窟の奥からキクロとクセニが姿を見せた。

 二人のやり取りを見守っていたのだ。

「ああ、良いんだ……これで」

 カウノは天井を見ていた。

「最初から……このつもり……だったからな」

「カウノさん」


 その日の夜の事だった。

「ロクシアさん、起きてますか?」

「どうしたの?クセニ」

「すみません、こんな時間に」

「ううん、大丈夫だよ。あたしも何だか寝付けなくて」

「ありがとうございます」

クセニはロクシアの隣に座った。

 魔法使いと魔物が並んで座るなんて、都の人には考えられない光景だろう。

「あの、カウノさんの事なんですけど……」

 クセニは話を切り出した。

「カウノさんも好きであんな事を言ったんじゃないんです」

「うん、分かってるよ」

「そうだったんですか?」

「うん、あれはアイツなりの優しさなんでしょ?」

「はい、カウノさん少し不器用なところがあって」

「うん、ちゃんと分かってるよ」

「じゃあ、怒ってるふりをしたんですか?」

「少しは怒ってたよ」

 夜の風が森をざわつかせていた。

「でも、ああ言う態度をとらないと『湿っぽく』なるでしょ?」

「ロクシアさん……」

「そんな顔しないで」

 ロクシアはクセニの肩に手を乗せた。

「湿っぽくなるでしょ?」


 それから数週間がして、ロクシアが群れを離れる日が来た。

「寂しくなるねぇ。辛かったらいつでも帰って来て良いんだよ?」

「ありがとうございます、おばさん」

「お前と過ごした時間は忘れねぇよ」

「うん、あたしもキクロたちとの時間は忘れないよ」

 ロクシアは群れの仲間と最後の挨拶を交わした。

 皆、ロクシアとの別れを惜しんでくれた。

 ロクシアの事を怖がったりする者は一人も居なかった。

「……ロクシア……」

「……カウノ……」

 ロクシアとカウノはお互いに見つめ合っていた。

「……」

 カウノは何か言いたそうだったが上手く言葉が出てこないようだった。

「ほら、言いたい事があるんだろ?」

「ああ」

 クセニに促されてカウノは気持ちを言葉にした。

「この間は、悪かったな」

「ううん、気にしないで」

 ロクシアは笑いかけた。

「カウノの気持ちは分かってるから」

「……ロクシア……」

「カウノには本当に感謝してるから」

 ロクシアは右手を差し出した。

「俺もお前には感謝してもし切れないよ」

 カウノはその手を握った。

 別れの時も多くを語らない。

 それが湿っぽくならないようにする為のロクシアの選択だった。

 そして、それが二人らしさだった。

 例え今生の別れだったとしても。

 カウノたちに別れを告げたロクシアは一人で森を歩いていた。

 緑の国の首都、つまりフリンギッラたちの元へ向かっていた。

 枯葉を踏みしめながら歩くロクシアを見つめる者が居た。

「クセニ、居るんでしょ?」

 ロクシアは物陰に話しかけた。

「気付いてましたか」

 物陰からクセニが一人で姿を現した。

「魔法使いだからね」

「ロクシアさんには敵わないですね」

「見送りに来てくれたんでしょ?」

「……それもあります」

「歩きながらでいいかな?」

「……はい」

 ロクシアとクセニは並んで歩いた。


「……で、何のために来たのか教えてもらって良いかな?」

話を切り出したのはロクシアだった。

二人の間には気まずい沈黙が続いていた。

「……ロクシアさん……」

「ん?」

「カウノさんの事は僕に任せて下さい」

「それを言いに来たの?」

「……はい」

「嘘ばっかり」

「……嘘じゃないです」

「本音は言ってないでしょ?」

「……」

「……もう着いちゃったね」

 ロクシアたちは立ち止まった。

 そこは土砂崩れの跡だった

 ここはロクシアが初めてカウノと出会った場所だ。

「じゃあね、クセニ」

「さようなら、ロクシアさん」

 こうして、ロクシアとクセニは別れを告げた。

「ログジアぢゃ~ん!!!!」

「うわっぷ!」

 フリンギッラに抱き着かれてロクシアは倒れそうになった。

 魔物の群れに別れを告げたロクシアは都へと帰った。

 そして、門番に身分を明かして待合室でフリンギッラたちと再会したのだ。

「身元引受人が来るからここで待て」

 と門番に言われてから三十分も経たないうちにフリンギッラは待合室に駆け込んで来た。

 駆け込んで来たと言うより飛び込んで来た。

 そして、今に至るわけだ。

「会いだがっだよ~~!ログジアぢゃ~~ん!!」

「隊長、ロクシア先輩困ってますよ?」

「は、ゴメンねロクシアちゃん」

「いえ、気にしないで下さい。隊長」

 フリンギッラはロクシアから離れた。

 フリンギッラの顔面は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。

 化粧が台無しになっていた。

「ご心配をおかけして申し訳ありません」

「いや、本当に隊長が心配してたんだぜ?」

 カルドゥエリスが一番最後に部屋に入って来た。

「大好物のドーナツにも手を付けないんだ」

「だってもう会えないかと思ったんだもん!」

「俺、言ったじゃないですか。『アイツはこれくらいで死ぬような奴じゃない』って」

「そう言いながらカルドゥエリス先輩も心配してたじゃないですか」

「してねーよ!」

 ロクシアはこのやり取りを見て懐かしくなった。

 離れていた期間は一年にも満たないだろう。

 それでもそう感じずにはいられなかった。

「心配かけてごめんね」

「してねーって言ってんだろ!?」

 カルドゥエリスは喧嘩腰で否定した。

 だが、彼が心配していたのは間違いない。

 なぜなら彼にとってロクシアは『永遠のライバル』だからだ。

 ロクシアと一番付き合いが長いのも彼だ。

 彼とロクシアは魔法学校の同級生だからだ。

「あ、あのぅ……」

 フリンギッラ達の背後から衛兵が話しかけた。

「あ、すみません。話し込んじゃって」

「いえ、そちらの方はあなたたちのお知り合いで間違いないでしょうか?」

「はい、お化粧はしてないですけどこの子は間違いなく私の部下です」

「そうですか。では確認のために署名をこちらの書類にお願いします」

「はい」

 フリンギッラは差し出された『身元引受人確認書類』に署名をした。

 これでロクシアは『正体不明の魔法使い』ではなくなった。

 正式に緑の国に帰国したわけだ。

「じゃあ、行こうか。ロクシアちゃん」

「はいっ!」

「あ、ちょっと待ってください!」

 待合室から出ようとしたロクシアを衛兵が呼び止めた。

「何ですか?」

「親御さんが見えてます」

「え?それってもしかして……」

「お母さまです」

「お母さんが!?」


 衛兵に連れられて赤い髪の女性が待合室に入って来た。

 フリンギッラたちは門の前で待つ事にしてくれた。

「お母さん……」

「ロクシア……」

 髪や瞳の色は違ったがその女性の顔立ちは確かにロクシアによく似ていた。

 間違いなく、この人はロクシアの実の母だった。

「……心配かけてごめん」

「ううん、もう良いの」

 母と娘は駆け寄るとお互いを確認するようにしっかりと抱き合った。

 互いに多くは語らなかったが気持ちはちゃんと伝わっていた。

 言葉よりも抱擁の方が二人には重要だった。

「……ぐすっ」

 ロクシアの目から涙があふれて来た。

 彼女には自分がなぜ泣いているのか分からなかった。

「あ、ロクシア先輩出て来ましたよ」

 ピニコーラが声をあげた。

「ロクシアちゃん、もう良いの?」

「はい『お正月には帰って来なさい』って言われました」

「そっか。じゃあ今度は気をつけないとね」

「はい!」

「よし、それじゃあ『第壱参魔法小隊』はこれより帰還する!」

「はい!」

「うーす」

「了解です!」

 ロクシアはちらりと防壁の外に視線を向けた。

 何となく『第四の群れ』の仲間が居るような気がした。


「カウノ、お前これどうすんだ?」

「『これ』って?」

「飯が一人分多いじゃねぇか」

「ああ、そうだったな」

「まあ、三人居れば一人分くらい何とかなりますよ」

「ありがとう、クセニ」

「しょうがねぇな」

 カウノとキクロ、クセニは食事を囲んでいた。

 この三人が一緒に食事をするのは珍しい光景ではない。

 それなのに、カウノはどこか違和感を覚えていた。

「(何か、物足りない気がするなぁ……)」

 カウノは心の中でそうつぶやいた。

 三人では少し寂しい感じがした。

「カウノさん、大丈夫ですか?」

「ん?ああ、全然平気だぜ?」

「……なら、良いんですけど……」

「さぁ、食べようぜ!」

 カウノはジュウジュウと音を立てる鹿肉にかぶりついた。

「うん、やっぱりキクロが獲る鹿はうまいな」

 そう言いながら、カウノは何気なく洞窟の奥を見た。

 そこに何となく『水色の髪をした魔法使い』が居る気がした。

 ロクシアが都に帰って来てから数日がたった。

 検査をパスし、問題なく復帰したロクシアは街を巡回していた。

 イルンドがロクシアに撃退されてから魔法使いの行動範囲は大幅に縮小されていた。

「……」

 ロクシアは馬車の下から自分を見つめる目に気が付いた。

「カウノ?」

 思わずロクシアは馬車の下を覗き込んだ。

「ニャー」

「何だ、ネコか」

 ロクシアはがっかりしてその場を後にしようとした。

「何やってんだ?お前」

「……何でもないよ」

 カルドゥエリスに問われたロクシアははぐらかす事しか出来なかった。

 まさか『魔物を探していた』とは答える訳にはいかないだろう。

「お前、最近変だぞ?」

「変なのはあんたの髪型でしょ?」

「変な髪型じゃねーよ!『アフロ』だよ!」

 そんなやり取りをしながら二人は並んで巡回をした。

 と言っても緑の国は治安の良い国だから二人のする事なんてタカが知れてる。

 ほとんど散歩みたいなものだった。

「しかし、こう壁の中に引きこもってたら身体がなまっちまうよ」

「戦わなくて済むなら良い事じゃん」

「バカ野郎、周りを見ろ!土地が足りねぇんだぞ!?」

「……まあ、そうだけど」

「魔物の奴らが居やがるせいで畑も増やせねぇんだぞ!?」

「……うん、ゴメン」

「全くよ『イルンド』の奴が不甲斐ないせいで俺たちがこんな目に……」

「特一級魔法使いに対して『不甲斐ない』は言い過ぎでしょ?」

「いいや、俺だったら絶対に『エックス』を倒せてたね」

「どうやって?」

「極限の命のやり取りの中で俺の中の真の力が目覚めるんだ」

「『真の力』って……小説に影響され過ぎ」

 カルドゥエリスはその後も『隠された能力』とか『封印された力』の話をした。

 ロクシアは呆れながらそれにツッコミを入れた。

 ロクシアが群れを離れてから数日がたった。

 イルンドを撃退して以来、群れは平和そのものだった。

 群れの住人はカウノとロクシアの功績を称えていた。

「ロクシア、この魚持っててくれ」

 カウノが話掛けたが返事は無かった。

「……」

 カウノが目を向けるとそこには誰も居なかった。

 居る筈が無かった。

「……クソッ」

 カウノはため息を吐いた。

「浮かない顔してるじゃなぇか」

 背後からキクロの声がした。

「俺の表情なんてお前には分からないだろう?」

「でも、お前が何を考えてるかくらいならわかるぜ」

 キクロはカウノから魚をひったくるとさばき始めた。

「……」

 カウノもそれに対して特に何も言わなかった。

「後悔してんのか?」

「後悔なんてしてないさ」

 キクロに問われたカウノはそう回答した。

「ただ、知らない間にアイツが居るのが当たり前になってたんだなとは思った」

「それを『後悔』って言うんじゃねぇのか?」

「俺は自分がすべきだと思った事をしたから後悔じゃない」

「……そうか……」

 キクロはカウノから別の魚を受け取ると、それをさばき始めた。

「俺もいつも自分が正しいと思った事をしてる」

 キクロは慣れない手つきで魚をさばいた。

「でも、時々思うんだ『もしかしたらもっと良いやり方があったんじゃないか?』って」

「……」

 カウノもそれを黙って聴いていた。

「だからよ、俺たちにくらいは本音を語っても良いんだぜ?」

「……ありがとう、キクロ……」

 そんな二人の様子を木陰からクセニが見ていた。

 肌寒くなったある昼下がりの出来事だった。

「本当ですか!?それは」

 ロクシアはフリンギッラから『最終決戦』の話を聞かされて驚いた。

「うん、本当だよ」

「いよいよ俺の『真の力』を発揮する時が来たか」

「私も足手まといにならないように頑張ります!」

 カルドゥエリスとピニコーラはこの話を聞いてやる気だ。

「反対です!敵の戦力もわからないのに」

 だが、ロクシアは猛烈に反発した。

 今の魔物には戦えるだけの戦力が無い。

 最終決戦なんかしたら皆殺しにされてしまう。

「落ち着いてロクシアちゃん」

「しかし……」

「『エックス』の存在はあまり気にしなくて良いと思うの」

「なぜですか?」

「諜報部の報告ではエックスの存在は確認出来ないみたいなの」

「え?」

「だからエックスは居ても一体か二体がせいぜいだと思うの」

「でも、そんなの分からないじゃないですか!?」

「そうだね。ひょっとしたら何体も居るかも知れない」

「でしたら……」

「でもこれは『上層部の決定』なの。分かるでしょ?」

「……」

 ロクシアはそこまで言われたら黙るしかなかった。

 魔法使いは魔物と戦うのは仕事だ。

 ロクシア自身もそのつもりで魔法使いの道を選んだ。

「何かお前、戦うのが嫌みたいだな?」

「戦いなんてしないに越した事ないでしょ?」

「でもこの戦いで決着がついたら戦わなくて良くなるぞ?」

「それは……」

「ロクシアちゃんの気持ちも分からなくはないけど、あたし達はこの為に居るの」

「……はい……」

 ロクシアの頭の中はグルグル回っていた。

 何とかしてこの事をカウノに伝えなくちゃいけない。

 そう思っていた。

「決戦だって!?」

 カウノの声が会議場に反響した。

「今は魔法使いどもが壁の向こうに引きこもってる。攻めるなら今だ」

「反対だね!無謀過ぎる!」

 カウノはコルムバの提案した『最終戦争構想』を真っ向から否定した。

 カウノとロクシアは何度も魔法使いを退けた。

 そしてその結果、魔法使い達は専守防衛に回った。

 それは緑の国だけではなく他の国でもそうだった。

 その様子を見たコルムバは

『今が攻め込む絶好のチャンスだ』

 と判断し、今回魔王たちを招集したのだ。

「確かに俺たちは戦力がほとんどない」

 コルムバも本当に最終戦争をしたらどれだけのリスクがあるかは分かっていた。

「だが、流れは間違いなく俺たちにある」

「何が『流れ』だ!俺たちにはもうロクシアが居ないんだぞ?」

「分かってないな、タコ野郎」

「何?」

「俺たちの戦力は最初から都の千分の一にも満たない」

「そうだよ!だから……」

「だが俺たちは今日まで戦って来れた!なぜだと思う?」

「知らねぇよ」

「それは俺たちの戦いが『正義』だからだ」

「は?」

「天も俺たちの戦いに味方してくれてるんだ!」

「……」

 カウノはアホらしくなって黙った。

このままじゃ自分たちは取り返しのつかない事をしてしまう。

何とかしてこの戦いを止めなくてはいけない。

そう思った。

だが、カウノの想いも虚しく多数決の結果『参戦論』が支持された。

魔物たちは奇襲作戦で首都を陥落させる作戦にかじを取った。

非戦闘員を含めてもたったの四百人くらいしか魔物は居ない。

勝ち目がどれだけあるだろうか?

カウノには見当もつかなかった。

「……はぁ~」

 ある満月の夜の事だった。

 ロクシアは夜勤で街の巡回をしていた。

 巡回と言っても緑の国は治安が良いから大した事は起こらない。

 酔っぱらいの面倒を見るのがせいぜいだ。

「……どうしよう」

 ロクシアは頭を悩ませていた。

 最終決戦の事で頭がいっぱいだった。

「間違いなく、みんな殺されちゃうよね?」

 ロクシアは自分に問いかけていた。

 そんな時

「うぐおぁぁぁあああ……」

 路地裏からうめき声が聞こえてロクシアは我に戻った。

「何!?」

 ロクシアは恐る恐る路地裏に入った。

 声の主はすぐに見つかった。

 三十代の男性が苦しそうにうめいているではないか。

「大丈夫ですか!?」

 ロクシアは男性に駆け寄った。

 男性は口から泡を吹いて転げまわっている。

「(早く何とかしなくちゃ!)」

 ロクシアがそう思った時だった。

「え?」

 ロクシアは信じられないものを目にした。

 何と男性の身体が変化しているのだ。

 変身と言っても過言ではなかった。

 男性は月明かりに照らされながら見る見るうちに魔物へと姿を変えた。

「どういう……こと?」

 ロクシアはあまりの出来事に呆然としていた。

『俺たちは元人間なんだ』

 カウノがかつて言っていた言葉が思い出された。

「こういう事だったの?」

 ロクシアは初めてそう言われた時は信じられなかった。

 しかし、目の前で起こった現実は否定出来ない。

「な、なんじゃこりゃぁぁぁあああ!!!」

 魔物化した男性は自分の姿を見て絶叫した。

 その声で我に返ったロクシアは急いで男性を防壁の外へと放り投げた。

 男性を逃がす前に

・森の中に群れと呼ばれる共同体がある事。

・そこにはあなたの仲間が身を寄せ合って生きている事。

・そこにいる『カウノ』と呼ばれる人にロクシアの紹介で来たと言えば良い事。

 を何とか伝えておいた。


「作戦を中止して下さい!」

 男性を逃がしたロクシアは軍の本部に連行された。

 そこでロクシアは集まった上層部の人間に訴えかけた。

「私は見たんです!目の前で男の人が魔物に変わって……」

「そんな事は分かっとる!」

 しかし、上層部の人たちは耳を貸してはくれなかった。

「我々『王立軍』の任務は国の安全と信頼、安心を守る事だ」

「総帥!相手も人間なんですよ!?」

「分かっとらんな。王立軍は魔物化発症者を殺し過ぎているのだよ」

「だから、何ですか?」

「今さらになって『魔物は人間です。私たちは病人を殺して来ました』なんて認められん」

「そんな事をすれば国民からの信頼が揺らぐ」

「……この件には『陛下』は何とおっしゃってるんですか?」

 緑の国の女王は人格者だ。

 こんな非道を許すわけが無い。

「なぜゆえ陛下のお心を乱すような事を知らせねばならん」

 要するに女王には何も知らせていないのだ。

「とにかく、決戦で全ての魔物を抹殺すれば民衆も安心するんだ」

「その後から現れる病人は内々に処理すればいい」

「くれぐれもこの事は口外するなよ?」

「……」

 ロクシアは開いた口がふさがらなかった。

「(この人たちは問題の解決よりも現状維持しか考えていない)」

「(こうなったら女王陛下に直訴するしかない)」

 ロクシアはそう決心した。

「(何とかしなくちゃ!)」

 ロクシアはそう思うと居てもたっても居られなかった。

 決戦の日程は決まってしまい、全ての国がそれに向けて動き出していた。

 一秒でも早くこの事を女王陛下に知らせたかった。

 そのためには秘かに王城に忍び込むしかない。

 ロクシアは満月の夜に行動を開始した。

 しかし、そんな彼女の前に立ちはだかる者が居た。

「遅かったね♪ロクシアちゃん」

「隊長……」

「ここ最近のロクシアちゃんの様子がおかしかったのは分かってたよ♪」

「……どうあっても……通してはもらえませんか?」

「これから始まる事は『個人指導』って事にしてあげるね♪」

「……」

 ロクシアは銃剣を構えた。

 フリンギッラの魔具は『狙撃銃』だ。

 遠距離ではロクシアが不利だが、接近戦なら分がある。

 ロクシアはそう考え、一気に距離を詰める事にした。

「……ふふっ」

 フリンギッラは笑ったが、ロクシアはそれに気が付かなかった。

 ロクシアとフリンギッラの距離が近づいていく。

「(もらった!)」

 十メートルを切った時、ロクシアはそう思った。

 勝負は一瞬で着いた。

「あたしの勝ちだね♪ロクシアちゃん」

「(え?何が起こったの!?)」

 ロクシアは何が起こったのかすぐには分からなかった。

「『敵戦力の誤認』『安易な接近』ミスも二つ重なれば一個小隊全滅だよ?」

 フリンギッラは最初からライフルを使う気が無かった。

 ロクシアの接近に合わせて彼女はライフルを捨て、徒手でロクシアを組み伏せた。

 フリンギッラにとってロクシアを素手で制圧するなんて簡単だった。

「さて『個人指導』終了。帰ろっか、ロクシアちゃん♪」

 フリンギッラはそう言うとロクシアを寮に連行した。

「カウノ……ゴメン……」

 ロクシアは奥歯をかみしめた。

「……じゃあ、本当に戦争になっちゃうのかい?」

「……ああ、連中は本気らしい」

「何とか出来ないのかい?」

「……俺もやれるだけの事はやるつもりだよ」

 マジョーおばさんの質問にカウノはそう答えるだけで精一杯だった。

 カウノにはほぼ間違いなく戦いが避けられないと分かっていた。

 しかし、だからと言って投げ出すわけにもいかない。

 自分の采配で何十人もの仲間の命が失われるのだから。

「何か当てはあるのか?」

「ディノールニスに相談してみるよ」

カウノは魔物の魔道師『ディノールニス』を訪ねる事にした。


「それで儂を頼ったと言うわけか」

「あんたなら何か戦う方法を知ってるんだろ?」

「……もうおしまいだ」

「そんなのまだ分からないじゃないか。魔法使いだって……」

「魔法使いの話ではない!……『人類』は滅びる」

 ディノールニスの声からは絶望がにじんでいた。

「ディノールニス、そろそろ明かしてはくれないか?あんたが何を心配しているのか」

「……」

「ずっと考えてたんだ『合体は魔法使いと戦うにしては大きすぎる力』だと」

「……」

「あんたは何と戦おうとしてるんだ?」

「……『星の戦士』だ」

「何だ?それ」

「『オリオン座の方角より飛来し邪悪なる者共を滅する天の使い』の事だ」

「邪悪なる者共?」

「『始祖・サヤカ様』の血を引く人類の事だ」

「サヤカ様って神話に出て来る『始まりの人』だろ?」

「神話ではない。サヤカ様は科学的にその存在が証明されておる」

「じゃあ『星の戦士』は俺たちを殺しに飛んでくるのか?」

「儂だって信じたくは無かった。ただの言い伝えだと」

ディノールニスは夜空を見上げた。

オリオン座の近くにカウノが見た事が無い星が光っていた。

 ゴーンゴーンと鐘が五時を知らせた。

「よっしゃー定時だ」

「お疲れ様でした」

「カルちゃんもピニちゃんもお疲れ様♪」

 魔物との決戦を控えていても魔法使い達は暇だった。

 何せ防壁の外に出なくて良いのだ。

 ほとんど仕事なんてない。

「……お疲れ様でした」

 ロクシアも荷物をまとめて帰ろうとした。

 だが

「じゃあ、一緒に帰ろっか♪ロクシアちゃん」

「……今日も、ですか?」

「そうだよ♪これからはず~~っと一緒だよ」

 ロクシアがフリンギッラから『個人指導』を受けてからずっとこんな感じだった。

 片時もフリンギッラがロクシアから離れないのだ。

 寝床まで一緒にされてしまった。

 ただ、一緒に風呂に入る時にフリンギッラが奇声をあげるトラブルがあった。

 アパロプテロンにつけられた腹の傷を見られたのだ。

 その時のフリンギッラの慌てようは文字だけでは表現できないくらいだった。

「誰!?どいつにやられたの!?」

 とか

「おのれー犯人を見つけ出して地獄の果てまで追いかけて五千兆回後悔させてやる!」

 とか言い出したがその場に居合わせたピニコーラの力も借りて何とか誤魔化した。

『あなたの後輩にやられました』

 とは言えなかった。


「カルドゥエリス先輩。最近の隊長、妙にロクシア先輩にくっついてますね?」

「もともとロクシアは隊長の『お気に入り』だったけど、やけにベタベタしてるよな?」

「隊長って『同性愛者』なんですか?」

「いや、あの人はどっちも好きなんだ」

「え!?」

「だから昔は男の恋人が居たらしい」

「そうなんですか?」

「ただの噂だけどな」

 木々がすっかり葉を落としてしまったある日。

「……ディノールニス」

 月が照らす夜、カウノはディノールニスを訪ねた。

「話があるんだ」

「今さら何の話だ」

「アンタの研究に関連する話だ」

「……何だ?」

 ディノールニスはそう言うと天体望遠鏡をのぞき込むのを止めた。

「俺たちはどうしてこんな姿になったんだ?」

「『魔物化』の事か?」

「そうだ」

 カウノはずっと『魔物化』と呼ばれるこの奇病の事が気になってい。。

「何が原因で魔物になるんだ?」

「……一口に言ってしまえば『魔力の影響』だ」

「魔力の?」

「ああ、そうだ」

 ディノールニスは専門的な単語を避けてカウノに説明した。

「魔法使いの髪や瞳の色が魔力の影響で変色しておる事は周知の事実だ」

「そうらしいな」

「その『魔力の影響』を強く受けすぎると髪や瞳だけでなく全身が変化してしまう」

「それが『魔物化』って事か?」

「平たく言えばそうなる」

「どう言う人間が魔物化するんだ?」

「魔法使いにならなかった魔力を扱う才能のある者だ」

「じゃあ、魔物はみんな魔法を使えるのか?」

「無論だ」

「『合体』にも関係するのか?」

「合体した時、おぬしたちの身体が変化しておった事は気付いていたか?」

「ああ、ロクシアがデカくなってた」

「おぬし自身も『鎧』のようになっておった」

「じゃあ、魔力さえあれば『ああいう事』がもっと起きるのか?」

「そうだ。それが儂の『頼みの綱』だった」

「『星の戦士』と戦うためのか?」

「……そうだ」

 時は流れ、山に雪が積もるようになったある日。

「これは『正義の戦い』である!」

 緑の国の総帥は良く通る声で会場に居る全ての者に激励をした。

 この場には緑の国のほぼ全ての戦力が集結していた。

 魔法使いもそれ以外の一般兵士も。

 もちろんロクシアも。

「長きにわたる魔物との戦い。それが今終わろうとしている!」

 総帥の一言一言が兵士たちの士気を高めていた。

 皆、戦いの目的・意義を再認識しているのだ。

 自分たちは今から善い行いをするのだと確信していた。

「我々の手で終わらせるのだ!」

しかし、ロクシアにはどの言葉も響かなかった。

 自分たちはただ弱い者いじめをしに行くだけだ。

 そこに正義なんてあるわけが無い。

「人類の命運はこの一戦にかかっている!各人の奮闘を期待する!」

 その言葉で総員が『最終決戦』に動き始めた。

 その目には一点の曇りも無かった。

 全員、これで平和が来ると思い込んでいた。

「あたしたちも行こうっか♪ロクシアちゃん」

「……はい」

 ロクシアはフリンギッラに促されて自分の持ち場に歩き出した。

 その足取りは重く、ロクシアの気持ちが見て分かった。

 まるで鉄球でも引きずっているかのようだった。

「ロクシアちゃん、ダメだよ?そんな顔しちゃ」

 フリンギッラはロクシアを注意した。

「そんな顔してたら、怖い人たちに目を付けられちゃうよ?」

「ニコニコしながら戦争なんて出来ませんよ」

「でも、下を向いてたら希望は見えないよ?」

「え?」

「まだ絶望するには早いんじゃないかな?」

「隊長、何を……」

「あ、おーい!カルちゃん!ピニちゃん!」

 そう言いながらフリンギッラは部下へ駆け寄った。

 ロクシアにはこの時、フリンギッラの言葉の意味が分からなかった。

「みんな、準備は良いか?」

 カウノは決戦に参加する全員に目を配った。

 結局、カウノは最終決戦を避けられなかった。

 そのせいで、今から緑の国の首都に攻め込む事になってしまった。

 その日は奇しくも魔法使いが最終戦争に向けて行動を開始した日でもあった。

「ああ、俺たちはいつでも大丈夫だぜ?」

 カウノの問いにキクロが代表して答えた。

 第四の群れからは三十名程度の男が駆り出された。

 女子供は避難させた。

「みんな、分かってると思うがこれが本当に最後の戦いになる」

 カウノは言葉を選ぶように仲間を鼓舞した。

 皆、毎日顔を合わせたかけがえのない仲間だ。

 それを今から死地に追いやらなくてはならない。

「だから……その……」

 間違いなくほとんどの仲間が死ぬだろう。

 それを考えたらカウノには何と言ったら良いのか分からなかった。

 どんな言葉を連ねても、結局『死んで来い』と言っているようなものだからだ。

「大丈夫ですよ、カウノさん」

「クセニ!?なんでお前が居るんだ!?」

「居ても立っても居られなくて来ちゃいました」

「ダメだ!お前は帰れ!!」

「嫌です!絶対に帰りません」

「お前が居なくなったら俺の後釜はどうなるんだよ!?」

「カウノさんが生きて帰れば大丈夫です」

「そんな無茶苦茶な」

「僕、カウノさんが死ぬなんて嫌です!」

「俺だってお前たちに死んでほしくないんだ!」

「だったら僕たちを信じて下さい!」

「え?」

「僕たちだっていつまでもカウノさんに守ってもらうほど弱くありません!」

「そうだぜ?カウノ」

「キクロまで」

「クセニだって危険は承知で来たんだ。その覚悟を無駄にするな」

「僕たちみんなで力を出し合えばきっと上手く行きます!」

 重い音を立てて『跳ね橋』が降りていく。

 ロクシアはその様子を見ながら考えていた。

「(魔物の群れがどこにあるかも分からないのに進軍するなんて無謀すぎる)」

 魔法使いたちは確かに今日、魔物との雌雄を決するつもりでいた。

 しかし、その意気込みがあるだけで具体的な方策は何も決まっていなかった。

 目的地も敵の戦力もそれに対する対処法も何もだ。

『高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応』

 としか方針が決まっていなかった。

 それが無謀じゃなくて何だと言うのだ。

「全軍、進撃!」

 その号令とともに軍は夜の闇に突撃して行く。

 松明を持った集団が森の中をうろつく。

 その様子は狂気の沙汰だった。

「第壱参魔法小隊、出撃!」

「……はい」

 フリンギッラに促されてロクシアたちも森に進撃した。

 ロクシアは心の中で

「カウノたちが見つかりませんように」

 と祈った。


 ロクシアたち魔法使いは夜の森をまっすぐに進んだ。

 目的地は『魔物エックスが確認された地点』だ。

 そこから散開してしらみつぶしに魔物を探そうと言う事だ。

「何かがおかしい」

 ロクシアはそう直感した。

 短い期間ではあるが魔物と親しくしていたロクシアには『魔物の気配』が分かった。

 それが今は全く感じられないのだ。

 まるで森から魔物が消えたかのようだった。

「(そんな事ってあるだろうか?)」

 ロクシアがそんな風に考えていた時

「おい!あれを見ろよ!!」

 誰かが空を指さして言った。

 ロクシアたちは夜空を見上げた。

 そこには『光の玉』が浮かんでいた。

「急げ!どんどん押し込め!」

 キクロの掛け声で魔物たちは次々と用水路へと詰めかけていった。

 ここは防壁に設けられた用水路で普段は鉄柵で閉じられている。

 そこにカウノたちは侵入し『やすり』で鉄柵を突破しようとしているのだ。

「魔法使いどもが帰って来るまで時間がない!さっさと鉄柵を切るんだ」

 用水路の中にギコギコと言うやすりの音が響いた。

 普段だったら絶対に気づかれるが、幸い気付くような者は居ない。

 ほとんどが『最終決戦』に出払ってしまったからだ。

「どんな感じだ?キクロ」

 カウノはキクロの頭の上から尋ねた。

「錆びてるからそう時間はかからねぇ。あと三十分もあれば通れるだけの道が出来る」

「……三十分か……」

「てめぇの方こそどうなんだ?連中はいつ頃帰って来るんだ?」

「三日は帰ってこないだろうな。あの森を当てもなくうろつくのは骨が折れる」

「じゃあ、俺たちの勝ちって事になるのか?」

「予定通りならな」

「歯切れの悪りぃ物言いだな」

「予想外の事は起こるものだ」

「カウノさん!キクロさん!!」

「おう、クセニ。外の様子はどうだ?」

「大変なんです!」

「連中がもう帰って来たのか!?」

「違います」

「じゃあ、何なんだ?」

「とにかく来てください!」

 クセニに呼ばれてカウノとキクロは用水路の外へ出た。

「何だ?ありゃ……」

 それは信じられない光景だった。

 夜だというのに周囲が明るくなっているのだ。

 空には大きな火の玉が浮かび、それが昼間のように周囲を照らしているのだ。


「……ついに来たか……」

 ディノールニスは火の玉を見ながら、そうつぶやいた。

 遠く離れた場所から使者がやってきたのだ。

「な、何だ?あれは」

「流れ星かしら?」

「大きくないか?」

 それは夜空に一筋の光となってやって来た。

 ロマンチックに表現するなら『流れ星』だ。

 だが、実際には『隕石』と表現する方がふさわしかった。

「こっちに近づいてくるぞ!?」

「ウソでしょ!?」

「伏せろ!!」

 しかも、ただの隕石ではない。

 それはとてつもなく大きかった。

 直径が十メートルほどもあった。

「世界の終わりだ!」

「女神様!お助け下さい!!」

「みんな、逃げるぞ!」

 そんな隕石が地上に落下するのだ。

 その影響もすさまじいものだった。

「熱い!!」

「目が!目がぁぁぁあああ!!」

 まず、周囲が真昼のように明るくなった。

 明るすぎて日焼けするほどだった。

「グワーッ!」

「危ない!!」

「うちのガラスが!」

 そして、衝撃波もすごかった。

 建物にはめられていたガラスがすべて割れた。

「アバーッ!!」

「倒れるぞ!!」

「そんな物、放っておけ!!」

 そしてやはり一番すごかったのは落下の衝撃だった。

 まるで核爆弾が爆発したかのような威力だった。

 隕石が落下したのは郊外だったが、多くの建物が傾いた。

 倒壊する建物も少なくなかった。

 都はたちまちパニックに陥った。

「隊長、何だってんでしょうか?今のは」

 ピニコーラがフリンギッラに尋ねた。

 ロクシアたちも隕石が落下するところを目撃していた。

 当然、その威力も先ほど体験した。

「この世の終わりかと思ったね?」

「隊長、私たちはここに居て良いんでしょうか?」

「街の様子が気になるんだね?」

「……はい……」

「大丈夫だよ。すぐに指示が来るから」

 フリンギッラの予想は当たった。

 軍は森から撤退し、街で避難誘導や救助をする事になった。

 流石にこんな非常事態に戦ってなんかいられない。

「第壱参魔法小隊、点呼!」

「ロクシア居ます」

「カルドゥエリス準備万端!」

「ピニコーラ、ここに」

「全員問題ないね?」

「はい!」

「うす!」

「問題ありません!」

「よし!これより我が隊は首都へと帰還する!」

「了解!」

「あいよー!」

「分かりました!」

 ロクシアたちは首都へと急行した。

「(お母さんたちは無事だろうか?)」

 そんな事を思うと、どうしても焦ってしまう。

「隊長!あれを見てください!!」

 ピニコーラの言葉でロクシアは我に返った。

 そして、ピニコーラの指さす方向を見たロクシアは言葉を失った。

「何?あれ……」

 ロクシアは目を疑った。

 ロクシアだけでなく、カルドゥエリスもピニコーラも呆けていた。

 信じられない光景だった。

「な、何が起こったんだ?」

 カウノたちは事態を把握できていなかった。

 用水路からカウノたちが顔を出したら、外が昼間のように明るくなっていた。

 空を見るとそこには大きな火の玉があった。

 そして、それが地上に落ちたと思ったらこの世の終わりかと思うような衝撃があった。

「みんな、無事か?」

「ああ、何とか……」

「みんな、とりあえずいったん外に出るんだ」

 カウノは全員の無事を確認すると避難させた。

 用水路の中になんて居たらみんなが危ない。

 崩れてくる可能性もあった。

「魔法使いの仕業じゃなさそうだな」

「いくら魔法使いでもあんなマネは出来ないだろ?」

 カウノとキクロは状況の把握に努めた。

 しかし、あまりにも唐突だったうえに判断材料が少なすぎた。

 まさかこんな事態になるなんて誰が予想出来ただろうか?

「どうすんだ?カウノ」

「こんな状況じゃ戦いなんて出来ないだろ?」

「俺もそうは思うが『コルムバ』の野郎ならそうは言わねぇだろ?」

「アイツは全てがチャンスに見えてるからアイツの事は考えなくて良い」

「って事は?」

「撤退するに決まってるだろ」

 カウノとキクロが結論を出した時だった。

「カウノさん!キクロさん!大変です!!」

「どうしたんだ?クセニ」

「『あれ』を見てください!」

「あれ?」

 カウノとキクロはクセニが指さした方向を見た。

 それは隕石が落下した方角だった。

 なんと隕石が落着したであろう場所が光っているのだ。

「何で光ってるんだ?」

「知らねぇよ!」

カウノとキクロがそんなやり取りをしていた時、もっと不可思議な事が起こり始めた。

隕石が動いたのだ。

「何よ……あれ……?」

 ロクシアには理解が追い付かなかった。

 ロクシアの見ている方向には『光の巨人』が立っていた。

 隕石が形を変えたのだ。

「……デュワ」

 巨人は身長四十メートルほどの巨体で、体表は赤と銀色だった。

 顔には発光する目が付いていたが、まぶたが無いらしく瞬きはしていない。

 口もあるように見えるが先ほどから、一回も開閉していない。

 奇妙な生物だった。

「巨人、動き出しました!」

 ピニコーラの声と共に巨人は歩き始めた。

「ちょっと待って。あの方向は……」

「都に向かってるね」

 なんと巨人は緑の国の首都『パッセリフォールメス』に向かっていたのだ。

 パッセリフォールメスには、魔法使いがほとんど居ない。

 がら空きの状態だった。

「みんな、速度を上げるよ?」

「はい!」

「シャース!」

「了解!」

 フリンギッラの声で第壱参魔法小隊は行軍速度を上げた。

 フリンギッラたちだけでは無い。

 全軍が危機を感じていた。

「フリンギッラ、先に行くぞ!」

「気を付けてね、イルンド」

 隣を『第零参魔法小隊』が駆けて行った。

 彼らは精鋭部隊だからどこの隊よりも速く現場に急行出来るのだ。

「隊長!俺たちも速度上げましょうよ!!」

「その元気はいざっていう時に取っておいてね♪カルちゃん」

 フリンギッラ率いる第壱参魔法小隊は普通の魔法小隊だ。

 だから、イルンドに張り合って速度を上げたら隊員がへばってしまう。

 特に一番魔力容量の少ないカルドゥエリスには不利だ。

「みんな、隊列を崩さないでね♪」

 フリンギッラはイルンド隊を風除けにして進んだ。

「何だありゃ?」

 キクロは『光の巨人』を指して呟いた。

 そう思うのも当たり前だ。

 隕石が落ちてきたと思ったら、それが巨人になったのだから。

「あれが『星の戦士』か」

 だが、カウノは状況を飲み込みつつあった。

 ディノールニスに聞かされた時は半信半疑だった。

 だが、目の前に現れた以上信じるしかない。

「何だ?カウノ、お前アレが何なのか知ってるのか?」

「ああ、あれは『星の戦士』と呼ばれる遠い星から来た人だ」

「何のために来たんだ?」

「邪悪なる者共を滅するため……らしい」

「邪悪なる者共?」

「ディノールニスは人類の事だと言っていた」

「じゃあ何か?アイツは人類を滅ぼすためにわざわざ空の彼方から来たのか?」

「……らしい」

「あ、アレが動き出しました!」

「こっちに向かって来てるな」

「ヤバイ、逃げるぞ!」

 カウノたち、第四の群れの住民は急いで森の中へと逃げ込んだ。

 いつも魔法使いから逃げ回っている魔物だ。

 逃げるのはお手の物だった。

「みんな、揃ってるな?」

 カウノは点呼を開始した。

 作戦に参加した魔物は三十人くらいしか居ない。

 点呼はすぐに終わった。

「アイツ、全然止まらねぇな」

「俺たちが目的じゃないって事だろ?」

「じゃあ、やっぱりさっきカウノさんが言った通り『人類の敵』なんでしょうか?」

「かもしれないな……」

「俺たちはこれからどうすんだ?」

「もし、本当にアイツが『人類の敵』なら俺たちの敵でもある」

「戦うんですか?」

「それしかないだろうな」

「ロクシアちゃん、カルちゃん、ピニちゃん、準備は良い?」

「いつでも大丈夫です」

「待ってました!」

「準備万端です!」

「よーし♪攻撃開始!」

 フリンギッラの掛け声でロクシアたちは一斉に攻撃を始めた。

 ロクシアたちだけではない。

 緑の国の魔法使いが総攻撃をしていた。

「行っけぇぇぇえええ!」

「シュゥゥゥトォォォオオオ!!」

「斬捨て!御免!!」

 魔法使いたちの魔力は四方八方から巨人に浴びせられた。

 これでは避ける事も防ぐ事も出来ない。

 ほぼ全ての攻撃が巨人に命中した。

「やったか?」

 魔法使いたちは大きな煙の塊を見ながら言った。

 魔法のせいで土煙が立ってしまったのだ。

 そのせいで、巨人の様子が確認できない。

「……」

 魔法使いたちは煙が晴れるのを固唾を飲んで見守った。

 緑の国の全戦力が結集したのだ。

 無事なわけがない。

 そう思いたかった。

「……なっ!」

 だが、そうはならなかった。

 巨人は何事もなかったかのように立っていた。

 その身体には傷一つついていなかった。

「ウソ……だろ……?」

「攻撃を止めるな!撃ち続けろ!!」

 魔法使いたちは攻撃を再開した。

 必ずダメージを与えられるはずだと信じて。

 だがこの時、魔法使いたちの頭を

「(もし、自分たちがこの化け物を止められなかったらどうなるのだろう?)」

と言う考えがよぎっていた。

「なんかヤベェんじゃねぇのか?カウノ」

「ああ、これはまずいな」

 魔法使いと巨人の戦いを見ていたカウノたちは危機感を覚えた。

 実はカウノたちは

『これだけ魔法使いが集まっているのだから楽勝だろう』

 と考えていた。

 しかし、現実には楽勝どころか苦戦している。

 巨人は魔法攻撃を浴びながら都に向かって歩き続けている。

「どうすんだ?これ」

「う~ん」

 カウノは迷った。

 何かしたい気持ちはあった。

 しかし

『自分たちがこの場に参戦して何が出来るだろうか?』

 と言う疑問があった。

 実際、ロクシアを失った魔物はあまりにも微力だった。

 カウノは『愚者の石』で魔法使い並みの力を手に入れたが逆にそれだけだった。

 一人の力だけで出来る事なんてたかが知れてる。

 しかも、魔法使いと共に戦える保証もない。

『魔法使いと魔物と巨人の三つ巴の泥沼の戦い』

 になる事が容易に予想できた。

 何かきっかけが必要だった。

 魔物と魔法使いが共同戦線を張るための何かが。

「あ、カウノさん!巨人が防壁にたどり着きました!!」

 魔法使いたちの奮闘努力の甲斐もなく巨人は都に到着してしまった。

 そして巨人は拳を振り上げると勢い良く防壁に叩きつけた。

 対魔物用の高さが十メートルもある頑丈な壁が無残に崩れた。

 子供が積み木を崩すかのようだった。

 西日が逃げ惑う人々を照らした。

「逃げろー!!」

「お母さーん!お母さーーん!!」

「エレン!早く!!」

 もはや、手の打ちようがなかった。

 人々は巨人の前では無力だった。

「ロクシアちゃん!みんなの避難を優先しよう」

「はい!」

「イルンド!時間を稼いで」

「言われるまでもない!」

 イルンドをはじめとした魔法使いたちは巨人の顔に集中攻撃をした。

 相変わらずダメージは与えられないが、巨人の視界を遮る事は出来た。

 煙幕も使って住民が避難する時間を稼いだ。

「どなたか居ませんか!」

 ロクシアは取り残された人が居ないか見て回った。

 がれきと化した建物に人が残されてる可能性があった。

「……たす……けて……」

「!?」

 か細いが確かに助けを求める声が聞こえた。

 ロクシアは声の聞こえた方へ走った。

「どこですか!?どこに居るんですか!?」

 ロクシアは声を張り上げた。

「……ここ……です……」

 ロクシアの声に応えて小さな声が聞こえる。

 ロクシアは必死に声の主を探した。

「ロクシアさん!こっちです!!」

 クセニの声が聞こえてロクシアはその方角へ跳んだ。

 すると、倒れた柱に挟まれた女性が居るではないか。

「この柱をどけて下さい!」

 クセニがロクシアを手招きしている。

「待ってて!」

 ロクシアはすぐに女性を助け出した。

「何でクセニがここに居るの!?」

 女性を救助したロクシアはさっきから疑問に思っていた事をぶつけた。

 ロクシアの目の前には間違いなく魔物のクセニが居る。

 他の魔法使いに見つかったら間違いなく殺されてしまう。

「時間が無いんです!すぐにカウノさんに会って下さい!!」

「カウノに?」

「アイツを倒すには二人の力が必要なんです!」

 クセニは巨人を指さしながら言った。

「『カウノに会う』ってカウノが来てるの?」

「はい、だから早く来て下さい!」

 ロクシアとクセニが話している時だった。

「ロクシア、こっちから人の声が聞こえたような気が……」

「!?」

 聞こえてきたのはカルドゥエリスの声だった。

 最悪のタイミングだ。

 とにかく、クセニを隠さないといけない。

 だが、この状況でそんな事が出来るわけがない。

 ロクシアとクセニがわたわたしていたら

「何だソイツは!?」

 カルドゥエリスに見つかってしまった。

「違うの!話を聞いて!」

「何が違うんだ!どう見てもソイツは魔物じゃねぇか!?」

 カルドゥエリスは剣を抜いた。

「やっぱりあの化け物はそいつらの仲間だったんだな!?」

「そうじゃないの!」

「うるせぇ!叩き切ってやる!!」

 カルドゥエリスはクセニ目掛けて突進した。

 が、その時。

「ゲフッ!」

 カルドゥエリスはフリンギッラの手刀で昏倒した。

「隊長!?」

「何となく『気配』を感じたから来てみたけど、当たりだったみたいだね♪」

 フリンギッラはクセニを見つめていた。

「あ、あの、この魔物は危険な魔物じゃないんです!だから……」

「うん♪分かってるよ」

「え?」

「あの『巨人』を倒したいんでしょ?」

「……はい?」

「二人ともついて来て」

「え?」

「あたしが上に説明するから」

 そう言ってフリンギッラはロクシアとクセニを連れて本陣に向かった。

「イルンド、軍団長は居る?」

「フリンギッラ、軍団長は王城前にいらっしゃる」

「ありがとう」

「ちょっと待て。何をするつもりだ?」

「あたしの部下が団長に用があるの♪」

「君の部下?」

「そう」

「……分かった。私も付き添おう」

「悪いね」

「気にするな」

 イルンドに案内されてフリンギッラとロクシアは本陣に向かった。

 クセニは外から見えないように瓶の中に隠して連れて行った。

「……その瓶は何だい?」

「こ、これは……その……」

「サプライズだよ♪」

 口ごもったロクシアをフリンギッラはすかさずフォローした。

「サプライズ?」

 イルンドは首をかしげたが深くは追及しなかった。

 状況が急を要する事もあったが何よりフリンギッラを信用している事が大きかった。

「巨人はどんな感じ?」

「それが急に動きを止めたんだ」

「止まった?」

「ああ、今はまるで銅像のようになっている」

「……気になるね」

「ああ、しかも動きが止まってもこちらの攻撃は効かないままだ」

「疲れちゃったのかな?」

「疲れた?」

「そう、アイツは朝と共に動き出したでしょ?」

「ああ」

「だから光が無いと活動出来ないんじゃないかな?」

 今は太陽は西に沈み、夜の闇が支配していた。

「着いたぞ?」

 イルンドは天幕の前で止まった。

 天幕の前には衛兵らしき魔法使いが控えていた。

「イルンド・ルスティカだ。軍団長への面会を希望する」

 イルンドは衛兵に軍団長へ会わせるように伝えた。

 イルンドは有名人だったから、ほぼ『顔パス』だった。

 すぐに天幕の中に入れてもらえた。

「何か状況に変化があったのか?イルンドよ」

 天幕の中では隻眼の男が副官らしき人物たちとあれこれと話をしていた。

「はい、この状況を打破するやもしれない情報です」

 イルンドはハッキリと言ってみせた。

 まだ、これから何をするのかも知らないのに。

 ロクシアもどうなるかも分からないのにだ。

「そうか……では聞くとしよう」

「その前に、お人払いを……」

「……そうか……」

 軍団長は一瞬、間があったが副官たちを天幕の外へと出した。

 今、その場にいるのは軍団長とイルンドとフリンギッラとロクシア。

 あと瓶の中のクセニだけだった。

「さあ、ロクシアちゃん♪これで大丈夫だよ」

「は、はい」

 ロクシアはおずおずと軍団長の前へと出た。

 フリンギッラとイルンドに凝視されている。

 猛烈に居心地が悪かった。

「私は第壱参魔法小隊所属『ロクシア・クルウィオストゥラ』と申します」

「ふむ」

「私が提案するのは『魔物との共闘』です」

「なんだって!?」

「イルンド、落ち着いて」

「し、しかし……!」

「信じて」

 フリンギッラの目を見てイルンドは引き下がった。

「続けなさい。ロクシアくん」

「ありがとうございます」

 軍団長に促されてロクシアは続けた。

「巨人と戦うためには魔物の力が必要なのです」

「なぜ、そう思うのかね?」

「それは、私自身が魔物と力を合わせた経験があるからです」

 軍団長の質問にロクシアはためらわず答えた。

 魔法使いなのに魔物と親しんだ事があるなんてとんでもない事だ。

 本来ならば絶対に口にしてはいけない内容だった。

「ほぅ……」

 軍団長もその話を聞いて眉をひそめた。

 ただでさえ厳つい表情が更に険しくなったように見える。

 場の空気が張り詰めていた。

「して、その『力』とはどれほどのものかね?」

「私がイルンド特一級魔法使いに勝てるほどです」

「なんと!?」

 イルンドは思わず声を出してしまった。

「君が『エックス』だったのか!?」

「……はい」

 『謎の魔物エックス』の存在は魔法使いの間では広く知られていた。

 もちろん、軍団長もイルンドから直接話を聞いている。

 エックスは魔法使いを震撼させる存在だった。

「なるほど。もしその話が本当なら、魔物と手を結ぶ意味はあると言うわけか」

 軍団長はあごひげを撫でた。

「では……!」

「だが、信用して良いのかな?」

「え?」

「仮に魔物と手を結んだとして、魔物が裏切らないという保証はあるのかね?」

「それは……」

 ロクシアには説明できなかった。

 確かにロクシアは魔物を信用している。

 しかし『保証』があるわけではない。

「もし、魔物に害意があるなら軍団長は亡くなっているでしょう」

 フリンギッラが助け舟を出した。

「それはどういう事かね?」

「今、この場に魔物が居ると言う事です」

「なんと!?」

「ロクシアちゃん、お客さんを見せてあげて♪」

 フリンギッラはロクシアの背負う瓶を指さした。

「まさか、その中には……」

「そのまさかだよ♪」

「非常識だぞ!!」

「非常事態だからね♪」

「……っ!」

 フリンギッラはイルンドに何を言われても平然としていた。

 この人がなぜいつも余裕を保てるのかロクシアは不思議でならなかった。

 フリンギッラは底の知れない人だった。

「さ、ロクシアちゃん♪」

「……はい」

 フリンギッラに促されてロクシアは瓶を開けた。

 中からクセニが恐る恐る顔を出した。

「この子は『クセニ』です」

「ど、どうも……」

 クセニは挨拶をした。

 イルンドはクセニを見て即座に『雷神』を抜刀しようとした。

 だが、柄頭をフリンギッラに抑えられてしまった。

「手を放してくれフリンギッラ!!」

「そんな事をしてる場合じゃないでしょう?あたしたちの敵は巨人のはずでしょう?」

 フリンギッラはイルンドを抑えたまま軍団長に問うた。

「軍団長、いかがですか?これが証拠です」

「……ふむ」

「軍団長、お願いです。魔物は危険ではありません!」

 ロクシアは懇願した。

 状況的には『魔物側の使者クセニが休戦協定の申し出に来た』形になっていた。

 これが人間だったら信用するかどうか一考の余地がある。

「……申し出を受けよう」

「ありがとうございます!」

「良かったね、ロクシアちゃん」

「……やむを得まい」

 反応は三者三様だったが一応、魔物と魔法使いの間で協調する事になった。

 日の出までそう時間は残されていなかった。

 急いでカウノと合流しなくてはいけない。

 人類の運命はたった一組の男女に掛けられようとしていた。

「ロクシア君……だったね」

「……はい」

 イルンドに呼び止められてロクシアは振り向いた。

 ロクシアは今からクセニの案内でカウノの元へと行く途中だった。

 ロクシアは少し、イルンドを警戒していた。

「今回、魔物と手を組む事になったわけだが私は正直、魔物を信用できない」

「……では、どうして?」

「フリンギッラが言ったからだ」

「え?」

「私は魔物は信用していないが、彼女の事なら信用できる」

「……隊長とはどういった関係なんですか?」

「フリンギッラから何も聞いていないのか?」

「はい、隊長は自分の事をあまり語らない人ですから……」

「そうか……では、私から教えられる事も無いな」

「どうしてですか?」

「彼女を裏切りたくないからだ」

「……」

「とにかく、私は彼女を信頼しているから今回の休戦に応じた。それを忘れないでくれ」

「……はい」

「援護は任せてくれ。君は彼女の大切な部下だ」

 ロクシアはイルンドにそう言われて複雑な気持ちだった。

 イルンドは部下から絶対の信頼を寄せられている。

 おそらく、それに足る人物なのだろう。

 後ろから刺されるなんて事は無いと思う。

 だが、魔物に心を開いてくれなかった事はとても残念だった。


「浮かない顔をしてるね、ロクシアちゃん」

「……隊長」

「イルンドに何か変な事を言われたの?」

「……いえ……大丈夫です」

「ふ~ん……そっか……」

 フリンギッラはロクシアの目を凝視していたがすぐにいつもの彼女に戻った。

「ちゃんと帰ってきてね♪ロクシアちゃん」

「はい!!」

「こっちです、ロクシアさん」

 ロクシアはクセニに手を引かれて門の外へ出た。

 いくら魔物との休戦協定が結ばれたとしても、魔物は中へ入れなかった。

 ロクシアが歩いていくと、そこには見慣れた一団がたたずんでいた。

「クセニ、無事だったか」

「はい。ロクシアさんの上司の方のおかげで無事に進みました」

「よし、でかしたぞ!」

 キクロはクセニを力いっぱい褒めた。

 キクロだけではない。

 その場にいた魔物全員がクセニを称えた。

「また会うとは思わなかったな」

「……あたしも」

 ロクシアとカウノは数か月ぶりに言葉を交わした。

 互いに今生の別れだと思っていた。

 もう二度と二人の道が交わる事はないと。

「お前ら、のんきにお話してる時間はねぇぞ!」

「分かってるよ!うるさい奴だな」

 キクロに横槍を入れられて二人は行動を開始した。

 合体して巨人と戦うのだ。

「カウノ」

「ロクシア」

「「合体!!」」

 二人は人類共通の敵を倒すために力を合わせた。

 空が白み始めていた。

 朝が近いのだ。


「ロクシア先輩、大丈夫でしょうか?」

「大丈夫だよ♪」

「まさかアイツが『エックス』だったとは」

「世間は狭いね♪」

「どうして隊長はそんなに落ち着いて居られるんですか?」

「そうっすよ。これが最後になるかもしれないんすよ?」

「信じてるからね」

 フリンギッラ率いる第壱参魔法小隊はロクシアを援護するべく出撃した。

「巨人、動き出しました!」

「見ればわかる!」

 イルンド隊は巨人にまっすぐ突っ込んでいった。

 朝日を浴びた巨人は再び輝きを取り戻していた。

 エネルギーが充填されたのだ。

「総員!攻撃開始!!」

 イルンドの号令で魔法使いの攻撃が始まった。

 攻撃は昨日よりも激しさを増していた。

 だが、巨人はものともしなかった。

 しかし、昨日とは違うところもあった。

「……巨人が……城から離れていく」

 巨人は昨日まで破壊していた王城を放置して急に都の外を目指し始めた。

 まるで、何かに引き寄せられるかのように。


「まっすぐこっちに来るね」

「やっぱりディノールニスの言ってた事は本当なんだな」

 ロクシアとカウノは防壁の上から巨人を見ていた。

 巨人は間違いなく二人を目指している。

 二人は巨人にとって最優先の標的なのだ。

「どうする?」

「街の中で戦闘は出来ないだろ?」

「……そうだね」

 そう言うと二人は防壁の外へと走り出した。

 自分たちをおとりにして巨人を誘い出すつもりなのだ。

 被害の出ない場所へ。

「……デュワ」

 巨人は逃げる二人を追った。

 そして、巨人を魔法使いたちが追った。

 まるでカルガモの集団のようだった。

「……ここまで来れば大丈夫だろう?」

 二人は都のはずれにある森に来ていた。

 ここは二人にとって因縁のある場所だ。

 ここを決戦の舞台に選んだ。

「さあ、かかって来いよ」

「ジョワ」

 先に仕掛けたのは巨人だった。

 巨人は左足でロクシアを踏みつぶそうとして来た。

 身長が四十メートルもあるのだから当然だ。

「今だ!」

 ロクシアは巨人が足を上げた瞬間を見計らって、巨人の右足を駆け上がった。

 地面に居ては地震に巻き込まれる。

 そうなれば一巻の終わりだ。

「しゃぁぁぁあああ!」

 ロクシアは魔物に五六式魔導銃剣を突き立てた。

 だが、ロクシアの魔具は巨人の肌に突き刺さらなかった。

 まるで鋼のように頑強だった。

「てやぁぁぁあああ!!」

 ロクシアは今度は『赤い手』で攻撃した。

 赤い手は巨人の表皮にわずかに傷をつけた。

 巨人に手形が付いている。

「(これなら、戦える!)」

 ロクシアはそう感じた。

 ダメージはごくわずかだ。

 だが、ダメージには違いなかった。

「ロクシア『あれ』を使うぞ」

「分かった」

 ロクシアたちの言う『あれ』とは『黒い刀』の事だった。

 合体の応用で発見したカウノを武器として使う技の事だ。

 魔力を凝縮させてあるから赤い手より威力があった。

「せいっ!」

 ロクシアは刀を巨人の胸に突き立てた。

 刀は見事に巨人の身体に突き刺さった。

「ジュワ!」

 だが、巨人は手でロクシアを払い除けてしまった。

 身長が四十メートルもあるのだ。

 二メートルの刀が刺さっても大した事はない。

「ぐ、くそっ!」

 ロクシアは着地しながら悪態をついた。

 確かにロクシアたちなら巨人にダメージを与えられる。

 だが、ごく微量なダメージだ。

 こんな方法では勝つ事なんて出来ない。

「カウノ、もう限界なの!?」

「もう魔石二つ分の魔力をフルに送ってるよ!」

 今の二人ではこれがせいぜいだった。

 だが、今のままでは巨人には勝てない。

 もっと大きな力が必要だった。

「(何か良い方法はないの?)」

 ロクシアがそう考えた時だった。

「総員、巨人を囲め!」

 イルンドの声が聞こえた。

 巨人を追って魔法使いたちが勢ぞろいしていた。

 緑の国の魔法使いがこの場に集まっていた。

「これだ!!」

 ロクシアはその様子を見てひらめいた。

「ああ、これだな」

 そして、それはカウノも同じだった。

「みんな!」

 ロクシアたちは魔法使いたちに呼びかけた。

 魔法使いたちの注目がロクシアたちに集まった。

「みんなの魔力を私たちに!」

「みんなの力を俺たちに!」

 ロクシアたちはそう叫ぶと周囲の魔力をかき集め始めた。

 二人の力では巨人を倒せない。

 だったらみんなから力を借りればいい。

「あたしたちの力が……ロクシアちゃんに……」

 ロクシアたちは何百何千と言う魔法使いから力を集めた。

 力を吸収する度にロクシアたちの姿が変わっていった。

 巨大で冒涜的な姿に。

「デュワ!」

 巨人はロクシアを掴んだ。

 ロクシアたちが力を吸収し終わる前に握りつぶすつもりなのだ。

 巨人の手に力が加えられていく。

「ロクシア先輩!!」

「ロクシア!!」

「カウノ!!」

「カウノさん!!」

 ロクシアやカウノの仲間が彼女たちを心配して叫んだ。

「大丈夫だよ♪」

 巨人の手がうごめいた。

 そして次の瞬間、手が破裂した。

「ジョワ!」

 巨人はあまりの出来事に二歩下がった。

 巨人の手から現れた『それ』はそのまま地上に落下した。

 そして、『それ』は周囲から魔力を吸い上げると巨人と同じくらいの大きさになった。

「何だ……あれは……?」

 魔法使いの誰かがそう漏らした。

 それは、天ではなく地ではない。

 そして、闇でもなく光でもない。

 もちろん魚でもなく、鳥でもなく、獣でもなく、家畜でもなかった。

「おお、あやつらやりおった!」

「ディノールニス、いつの間に居たんだ?」

「『あれ』こそが儂が目指していたもの!」

 ディノールニスは口から唾と泡を吹きながらまくし立てた。

 ひどく興奮している様子だった。

「『旧支配者形態』じゃ!!」


「……」

 ロクシアとカウノは巨人を見ていた。

 非常識に巨大化し、原形を失っても彼ら彼女らの意識までは変わらなかった。

 二人はどこまで行ってもあくまで人として戦っているのだ。

「行くよ……カウノ!」

「任せろ!」

 巨人も二人を見ていた。

 表情こそ分からないが明らかに二人を憎んでいる。

「ダァァァアアア!!!」

 巨人が腕を大きく広げて二人に襲い掛かった。

「来るよ!」

「分かってる!」

 ロクシアとカウノも巨人に対抗した。

 巨人とロクシアたちは組み合う形になった。

「ダァァァアアア!!」

「ウォォォオオオ!!」

 巨人もロクシアたちも一歩もひかなかった。

 力比べでは決着がつかないように見えた。

「せいっ!」

 カウノはとっさに『大外刈り』のような技を出した。

 魔物が使う格闘技の技だ。

「ジュワ!?」

 巨人はバランスを崩して倒れてしまった。

 倒れた巨人にカウノはすかさず『関節技』を掛けた。

 巨人の足が複雑な形に極められた。

「ダァァァアアア!!」

 巨人が地面をたたいて苦しがっている。

 効いているのは明らかだった。

「(このまま足を折ってやろう)」

 カウノはそう考え、力を込めた。

 しかし次の瞬間、カウノは巨人から飛び退いた。

「あっちぃ!!」

 カウノは熱さのあまり技を掛けていられなかったのだ。

 巨人が体温を意識的に上げたのだ。

 その証拠に、巨人の身体が光を放っていた。

「デュワ……」

 カウノが離れると巨人の身体は銀色に戻った。

 光るのは巨人にとってもリスクのある行動らしい。

 それだけエネルギーを大量に消費するのだろう。

「どうするの?カウノ」

「どうするって……また光られたら敵わないしな……」

 カウノたちは巨人が光るのが怖くて接近戦が出来ない。

 対する巨人も接近戦はあまりしたくなかった。

 両者はほぼ同時に同じ答えにたどり着いた。

「デュワ!」

 巨人は腕で『エル字』を作った。

 その形の意味は分からなかったが『必殺技』を使おうとしているのは明らかだった。

 そして、必殺技を使おうとしているのはロクシアたちも同じだった。

「ハァァァアアア!!!」

 ロクシアたちはありったけの魔力を込めて『黒い球』を作った。

 球の大きさはロクシアたちの手のひらサイズだった。

 だが、実際には二メートルを超える巨大な球だった。

「ジョワ!!」

 巨人の腕からロクシア目掛けて帯状の光線が放たれた。

 そして、同時にロクシアたちは『黒い球』を巨人目掛けて投げた。

 光線と球が両者の間でぶつかった。

「うわぁぁぁあああ!!!」

「きゃあ!」

 激しい音を立てて帯と球は数秒間拮抗していたが、やがて爆発した。

 その衝撃は激しく魔法使いたちは危うく飛ばされそうになった。

 嵐のような戦いだった。

「くっそぉ!」

「……」

 だが、巨人にもカウノたちにも決定打は入らなかった。

 もちろん、お互いに無傷ではなくいくらかのダメージは入った。

 しかし、必殺技を使ったにしてはあまりにもダメージが小さかった。

「どうするの?カウノ」

「どうするのって言ったって……」

 ここまで来て手詰まりになってしまった。

 接近戦でも決着がつかない、必殺技も引き分ける。

 どうすれば良いと言うのか?

「(もっと魔力があれば……)」

 カウノはそう思ったがそんな都合良くあるだろうか?

 もう魔法使いたちの魔力は余す事無くカウノたちに集められている。

 カウノが苦し紛れにふと目を向けた時。

「あ!あれだ!!」

「あれ?」

 カウノたちが見たものは巨人の攻撃で半壊した都だった。

「あそこなら魔力が溜まってるはずだ!」

 カウノたちはそう確信していた。

 都では毎日何人もの魔法使いが寝起きしている。

 そして、都は防壁で囲われているから風通しも悪い。

 条件は整っていた。

「ハァァァアアア!!!」

 カウノはさっそく、都の残留魔力を吸い上げ始めた。

 都から薄紅色の『もや』みたいなものがカウノに漂ってきた。

 カウノたちはもやを集めて再び『黒い球』を作り始めた。

「!?」

 巨人はその様子を見て驚愕した。

 なぜなら、球がさっきよりはるかに大きかったからだ。

 少なくとも十倍はある。

「ホァァァアアア!!」

 巨人の身体がひときわ輝いたと思ったら、輝きが腕に集まり始めた。

 そして同時に、胸の中心にある『青い石』が明滅し始めた。

 巨人が自分の持つ全エネルギーをかき集めているのだ。

「……」

 魔法使いと魔物たちは両者を見守っていた。

 光を集める巨人と漆黒の球を作るロクシアたち。

 偶然にも両者は対照的だった。

「隊長!俺たちにも何か出来ないんスか!?」

「無いと思うよ?」

「今のうちにアイツをやっちまうってのは?」

「う~ん、無理かな?」

 カルドゥエリスとフリンギッラはそんな会話をしていた。

 魔法使いでは巨人を傷付けられない。

 魔力を吸い上げられていてはなおさらだ。

「じゃあ、俺たちは何も出来ないんスか?」

「あたしたちに出来る事と言ったら、祈る事くらいかな?」

「何を?」

「ロクシアちゃんが勝つ事を♪」

 次の一撃で人類の運命が決まる。

 フリンギッラはそう感じてた。

「シュワッチ!!」

 先に光線を発射したのは巨人だった。

 巨人の放った全身全霊を込めた一撃がロクシアたちに飛んでいく。

 あまりにも多量のエネルギーが込められているせいで巨人の腕が赤く燃えていた。

「今だっ!」

 一瞬遅れてロクシアたちも『黒い球』を投げた。

 ロクシアに到達する前に光線が球にぶつかった。

 そこまでは先程とそう変わらなかった。

「!!?」

 だが、結果までは同じにならなかった。

 光線と球は二秒くらい拮抗していたがやがて球が優勢になった。

 巨人に向かって球が進んでいく。

「シャァァァアアア!!!」

 巨人は光線を強めた。

 光線が光り輝き、まるで太陽のようだった。

 反動で巨人の身体がひび割れていった。

「いっけぇぇぇえええ!!!」

 ロクシアとカウノは叫んだ。

 二人だけではない。

 その光景を見ていた全ての人が絶叫していた。

 その想いに応えるように球が巨大化し、光線をはじき返して巨人に向かった。

「……ジュワァ……」

 それを見て、巨人はあきらめた。

 邪悪なる者共を滅ぼすのは無理だと悟った。

 そのまま、巨人は球に飲み込まれていった。


「……勝った……のか?」

 辺りは静まり返っていた。

 巨人は消え、ロクシアとカウノが立っていた。

 まるで嵐が通り過ぎた後のようだった。

「終わったね、カウノ」

「いいや、それは違うな」

「え?」

「始まったんだ」

巨人に人類が勝利してからいくらか月日がたった。

 うぐいすが季節の訪れを告げる頃になったある日。

「遅っせぇな!ロクシアはよぉ!!」

「先輩がギリギリに来るなんていつもの事じゃないですか」

「でも、ロクシアちゃんが遅刻した事なんて一度もないでしょ♪」

 フリンギッラをはじめとした第壱参魔法小隊の面子は噴水の前でたむろしていた。

 今日は大切な式典があるのだ。

 それなのに重要な立役者がまだ姿を現していないのだ。

 その当の本人は何をしていたかと言うと

「ほら、もう少しだからね」

「気を付けてね。お姉ちゃん」

 猫を救助していた。

 本当は本人も時間が無い事を知っている。

 しかし目の前で『キャルちゃん』のために泣いている子供を放っておけなかった。

「よし、捕まえた!」

 ロクシアはキャルちゃんを抱き込むと木から飛び降りた。

 スタッと言う音を立ててロクシアは危なげなく着地した。

 キャルちゃんはロクシアの腕の中でもがいていた。

「キャルちゃん!!」

「ほら、これでもう大丈夫だよ」

「ありがとう!お姉ちゃん」

「どういたしまして」

 ロクシアがそんな事を言っている時だった。

 ゴーン、ゴーン

 鐘の音が時間を知らせた。

「えっ!?」

「どうしたの?お姉ちゃん」

「あ、ごめんね。お姉ちゃん行かなくちゃいけないの」

 ロクシアは少女に別れを告げると走り出した。

 こんな事が前もあった。

 ちょうど一年前だ。

「ヤバイ!ヤバイ!!ヤバイ!!!」

 ロクシアは走った。

 カウノと出会ったあの日も遅刻しそうになっていた。

「……鐘が鳴っちゃいましたね」

「探しに行った方が良いんじゃないっスか?」

「もう少し待ってみようよ♪」

 フリンギッラたちがそんな会話をしている時だった。

 けたたましい足音が近づいてくる。

 それだけで三人には誰が近づいているのかが分かった。

「あ、ロクシア先輩が来ました」

「ったく遅せぇなー」

「でもまぁ時間ギリギリかな?」

 三人は腰を上げると足音の方を向いた。

 足音の正体はやっぱり三人が話している通りだった。

「すみません!猫を助けていたら……」

「大丈夫だよ♪ロクシアちゃん」

「先輩、変わりませんね」

「この一年でお前は何を学んだんだよ!」

 四人はお決まりのやり取りを交わした。

 一年前と変わらないメンツ。

 一年前と変わらないやり取り。

 だが、変わった部分もあった。

「さて、本日の主役も来た事だし行こうか?みんな」

「はい!」

「う~す」

「了解です」

「ロクシアちゃん、原稿は覚えてきた?」

「はい、ばっちりです」

 今日の式典はロクシアがとても重要な役割を担う。

 なぜなら彼女は『魔物との和解を受け持った張本人』だからだ。

 本日の式典とは『魔物との和平条約の締結の式典』なのだ。

「カウノさんともちゃんと打合せしてある?」

「はい、アイツは人前で話すのは慣れてるので問題ないと思います」

「そっか♪」

 時に西暦5173年3月5日。九つの国は正式に魔物を『人間』と認定し謝罪した。

 魔物たちには恩赦が与えられ、長く続いた対立構造に終止符が打たれた。

 人類はこれから共存共生の道を歩んで行く事になる。

 表面上は。

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普通の魔法少女が触手魔物と合体したら最強になりました。って言うか邪神になりました。 田中 凪 @butage

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