プロローグ

プロローグ

「ちくしょう。完全に迷った……」


 大学院で動物の生態を研究している岸辺悟きしべさとるは暗い森の中をさ迷っていた。

 既に日は落ちており、辺りは闇に包まれている。手に持っているライトが無ければ十センチ先も見えないだろう。

 この森は、とある島の中にある。島では電波が通じないので、携帯を使って助けを呼ぶ事も出来ない。

「なんて様だ。くそっ」

 岸辺は他のメンバーと共に、生き物の生態調査をするため、この島にやって来た。

 本来なら、島の森を調べるのは明日の朝の予定だったが、岸辺はどうしても朝まで待てず、森の中に入ってしまった。

 夜の森が危険な事ぐらい岸辺も十分理解している。だが、島を調査出来る期間は三日もない。少しでも調べておきたかったのだ。

 岸辺が焦って森を調べようとした理由は他にもある。岸辺の同期にとても優秀な女性が居るのだが、彼女に比べ、自分は大した成果を出せていない。その焦燥感も岸辺に無謀な行動を取らせた原因だった。

 案の定、夜の森で岸辺は迷ってしまう。

「仕方ない。今日は此処で野宿するか……」

 食料と水は持って来たので、今晩くらいなら何とかなるだろう。道を探すのは明るくなってからだ。

 そう思った時、草木の揺れる音がした。

「な、何か居るのか?」

 岸辺は音のした方にライトを向ける。ライトの光に照らされたそれを見て、岸辺は驚愕した。

「う、嘘だろ。な、なんで?なんでこんな所に居るんだ?」

 最初は幻覚かと思った。闇に対する恐怖が幻覚を生んだのだと思った。

 だが、そうではない。その『生き物』は確かに岸辺の目の前に存在している。

——だ、駄目だ。走って逃げちゃ駄目だ。

 岸辺は走りたい衝動をグッと堪えた。ライトのわずかな明かりだけで夜の森を走るなど、自殺行為。

 それに走って逃げれば、目の前の生き物は自分を獲物とみなし襲って来るだろう。

 人間よりも、ずっと足の速いこの生き物からは逃げられない。

 岸辺はその生き物から視線を外さず、ゆっくりと後に下がり距離を取る。

 しかし次の瞬間、背中に大きな衝撃を受け、岸辺は倒された。

「なんだ⁉」

 岸辺は立ち上がろうとするが、背中に乗っている何かに上から押さえ付けられ立てない。背後から漂ってくる獣独特の臭いが鼻を衝いた。

「ど、どうして?」

 その生き物からは一度も目を逸らしていない。なのに、何故後ろから押し倒されるんだ?

 混乱し、パニックになった岸辺は叫ぶ。

「た、助けて!誰か!助けて!」

 しかし、どんなに叫ぼうとも、その声は誰にも届かない。岸辺は両手を合わせ、自分の上に乗っている生き物に懇願した。

「あっ……ああ……た、たすけて……助けてください。お願いです。許してください、許してください、どうか許して……ぎゃああああああああ!」

 激痛が走る。背中に乗った生き物が岸辺の肩に噛みついたのだ。

 その生き物は、鋭い牙と爪を使って彼の肉を引き裂いていく。

「やめろ!やめてくれぇ!痛い!嫌だ!やめて、やめて!……ああああああ!」

 岸辺は抵抗するが、その生き物は攻撃を止めない。やがて、岸辺の耳にグチュグチュ、ガリガリという音が聞こえ始めた。

 それが自分の体が食べられる音だと気づいた時、岸辺の恐怖はピークに達する。

「ああ……嫌だ……嫌だ……もう、嫌だ……」

 生きたまま体を食べられていく恐怖。消えない激痛と意識。いつまでこの絶望を味わえば良いのだろう? もう耐えられない。

「お願い……お願いだから……」

 岸辺は、人生最後の願いを口にした。


「早く……殺して……」

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