第3話 客人

 街が闇夜に沈む頃から、雨が降り始めていました。


 雨は時間とともに強くなります。台風でも来ているのか、風のせいで横殴りになった雨粒が、透明で強固な牢獄の扉を力強くノックします。


 しかし窓をへだてたの外界でどれだけ暴風雨が猛威を振るおうとも、音のないこの部屋では、ドラマの不格好な演出のようにリアリティがありません。


 強風は誰かの傘を折るでしょう。そんな出来事も、わたしにとっては、異世界の冒険譚のように現実味がありません。


 ぼんやりと外を眺めます。そんなわたしのことを、あの男はどんなふうに思っているのでしょうか。すっかり壊れてなにもなくなってしまったわたしを、どんなふうに想っているのでしょうか。


 妹の──凛奈りんなのことを思い出しているのでしょうか。



***



 インターフォンが鳴りました。


 ピンポンという音です。『たぶん』というのは、わたしがこれまでこの家のインターフォンの音を聞いたことがないからです。


 この家に人が訪れるはありません。設備点検の人さえ訪れません。ここはまるで閉ざされた聖域のように、他者の侵入を拒みます。ここはまるで現世から切り離された魔界のように、人間らしいいとなみから隔絶されています。


 それにもかかわらず、インターフォンが鳴ったのです。この閉ざされた箱を、誰かがカタカタと揺らしたのです。


 ──ピンポン。

 ──ピンポン、ピンポン。


 インターフォンはしつこく鳴らされます。それは善意の来客者というより、悪意の来訪者を思わせます。高級マンションは住人の許可なくエントランスから先に進めないはずなので、飛び込み営業や宗教の勧誘がここまで来るということは──マンションの住人が出入りするタイミングでエントランスを抜けてくることも不可能ではないですが──おそらく警備員もいますし、難しいはず。


 そうだとすれば、この『お客様』は何者なのでしょうか。あの男を訪ねてきたとすればおかしな話で、今日、


 ──ピンポン、ピンポン。


 ──ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン。


 ──ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン。


 インターフォンは鳴り続けます。こんなことをするのは、悪戯いたずらか、嫌がらせか、借金取りか。やはりまともな来客だとは思えません。


 そして、そもそもの話として不自然に思えてきます。インターフォンというのはこの家と外部を繋いでいる穴のようなものです。万が一、今みたいに人が訪ねてきて、万が一、今日みたいにあの男が不在で、万が一、わたしが部屋から出ることができてしまった場合、わたしはインターフォンを通じて助けを求めることができてしまいます。


 そんな抜け道を、あの男が残しておくなんてことがあり得るでしょうか。


 ──ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン。


 おそらく、インターフォンは切断されている。だから鳴らないはず。


 そうだとすれば、これはなんの音なのでしょうか。

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