今日も彼女とごっこ遊び。

山城京(yamasiro kei)

真夜中の逢瀬

 真夜中、僕は廃墟となったビルの階段を上っていた。

 カツンカツン、と誰もいない空間に鳴り渡る僕の足音。

 ヒビ割れ、かつての輝きを失った廃墟に通う理由は2つだ。

 一つは、このビルの屋上から見える星空がとても綺麗だからという理由。

 そしてもう一つは――。


「また来たの?」

 鈴の音が鳴るように耳障りのよい声でそう言ったのは、ぶかぶかなパーカーのフードを目深に被った16歳くらいの女の子だった。


 フードの奥に隠された顔は明かりらしい明かりが月の光しかないため、薄っすらとしか見えないが、長い睫毛に切れ長の瞳、色艶の良い唇にしっかりとしたEライン。しなやかなな肢体も相まってどこか猫のような印象を抱かせる子だった。


 彼女は屋上の地面に寝そべって、こちらを見やることすらせずに一心に星を眺めている。


「また来たも何も、僕の方が最初にここを見つけたんだよ。つまり、君は後から来たんだ」

「そんなんどうでもいいじゃん。今日はあたしの方が先に来てたし」


 僕が彼女に対して猫のような印象を抱いたのは、何も外見的なことだけが理由じゃない。


 何をするにも億劫そうに気怠げな雰囲気をまとい、口から発せられる言葉は皮肉っぽいものばかりだからだ。


 最初に彼女と会った時なんか、威嚇でもされているんじゃないか、というくらいに口汚く罵られたものだ。

 そんな、警戒心の塊のようなところが、僕は猫っぽいと思ったのだ。


「今日こそは君の名前を教えてもらうよ」

 そう言って、僕は彼女の隣に腰をおろした。そうなのだ。何を隠そう僕がこの廃墟に通う2つ目の理由は彼女に会うためだったりする。


 最初は自分だけの秘密基地を取られた感じがしてなんとかして追い出そうと考えた。しかし、何度か逢瀬を重ねていく内に、気が付けば僕は彼女に会うために廃墟に通うようになっていた。


「まだ名前聞くの諦めてなかったの?」

「諦めるものか。どうせこんなところに来るのはもの好きしかいないんだ。それならせっかくの出会いを無駄にしたくない」

「あっそ。それよか、今日は一段と星が綺麗だよ」


 僕は彼女の名前を知らない。最初に名前を聞いたのは、三回ほど前の逢瀬の時だった。その時も、今のようにはぐらかされて結局答えてくれなかった。


 最近では半ば意地になっているように思う。猫のような彼女になんとかして心を開いてもらいたい。その指標が名前を教えてもらうことなのだ。


 だけど、どうやら今日も無理そうだ。これ以上聞いてしまうと、彼女の機嫌を損ねてしまうだろう。以前しつこく聞いた時は、怒って口をきいてくれなくなった。引き際は肝心だ。


「ねえ、見て」

 彼女が指差した方角には夏の大三角と呼ばれる星々があった。

「綺麗だね。夏の大三角だろう?」


「うん。あれがデネブ、それからあっちがアルタイル、そしてベガ。綺麗だよね」

 僕は暫しの間、言葉を忘れて星々の輝きに目を奪われていた。そんな折、

「羨ましいなあ」

 彼女はため息混じりにそう言った。


「何が?」

「ベガが織姫で、アルタイルが彦星なのは知ってるよね? あの二人の間にいるデネブは白鳥に例えられるんだけど、あたしは白鳥さんが織姫を彦星の元まで連れて行っているように見えるんだ。それが、羨ましい……」


 僕にはそれが、言外にここから連れ出してほしいという彼女からのサインのように思えた。だけど、名前すら知らない彼女をどこかに連れて行くような勇気は、今の僕にはなかった。だから……。


「君にとっての彦星はどこにいるんだろうね」

 なんて言って、茶化してしまった。本当は、今こそ真摯に彼女の心に向き合う時だというのはわかっていたはずなのに。


「君にとっての彦星って――キモッ。ロマンチックなこと言おうとして失敗してるから。キモキモッ。おらおら、ゲシゲシ!」

 そう言ってゲシゲシと蹴ってくる彼女の姿を見て、どこか安心している僕がいた。


「ったく……どうしてそうキモいことを平然と言えるかな……まあいいよ。それで? 当然今日も持ってきてるんでしょ? 早く出してよ」


 当然、と言われると思うところがあるが、以前僕が星を見ながらスナック菓子を食べていたら彼女はそれこそ当然のように自分の分をねだってきたのだ。


 以来、それに味を占めたらしく、彼女は毎回こうして僕に菓子の類をねだるようになっていた。


 最近では飲み物まで要求するようになっていたので、以前は鞄だったのが荷物を入れるためにリュックを持つようになっていた。


「はいはい。今用意するよ」

 リュックを漁り、ここに来る時にコンビニで仕入れてきた今夜の夜食を地面に置いた。


「どれどれ……サンドイッチにお茶と……お、あたしの好きなコンソメがあるっ!」

「前美味しいって言ってたからね」

「やるじゃん。褒めてつかわす~」


 好きなものから先に食べるらしい彼女は、早速ガサゴソとポテチの袋を開けていた。


 パリポリと小気味よい音を鳴らしながらポテチを美味しそうに次々と口に運んでいく彼女を見ていると、財布から消えた野口さんも報われるというものだ。

 というか、このペースだと僕の食べる分が……。


「ふー、美味しかった……なに? そんなにジッと見て。あたしの顔になんか付いてる?」

「君の辞書には分け与えるという言葉はないのかな?」

「あ、食べたかったの?」

「そりゃあ食べたくて買っているからね」

「欲しかったなら欲しいって言ってよ。食べ終わってから言われても困る」


 僕は聞き逃さない。「食べたかった」から「欲しかった」という言葉への変移。それはつまるところ、僕が買ったポテチの所有権が彼女に移行していることを意味している。


 きっと彼女の中では袋を開けたその時から僕が買ったポテチは彼女のものとなっていたのだろう。


 こうして整理するとなんていう暴君なんだ。普通なら怒って然るべき場面だ。しかしどうしてか、彼女がやるとまったく怒る気になれない。それどころか、彼女らしいとすら思えた。


「食べちゃったものはしょうがないじゃん。ほら、まだサンドイッチがあるんだし、それを半分こしよ?」

「それも、僕が買ったものだけどね」

「細かいことは気にしない気にしない。せっかくの夜なんだからさ、楽しまないと損だよ?」

「まあ、そうだね」


 僕らはそれからも時に星を眺め、時に持ってきたお菓子やお茶を飲み、なんてことない雑談を楽しんだ。

 これが、僕達の真夜中の密かな逢瀬だ。

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