3.旧友を送る

 「車ならすぐ」という言葉とは裏腹に、木下達は十数分ほどかけて斎場へと辿り着いた。

 市営の霊園に併設された、大小のホールを備えるそこそこ立派な斎場だ。藤沢市は人口が多く税収にも余裕があるらしく、この手の市営施設が充実していた。

 金野に連れられて葬儀の執り行われる小ホールへ向かうと、そこには既に数人の中年男女が待機していた。どれも、なんとなく見覚えのある顔だ。恐らくは、かつての同級生達だろう。

 何人かと探り合うような挨拶を交わし、ようやく名前を思い出すという作業を繰り返すこと、数回。どうやら、木下の予想は当たっていたらしく、全員が元同級生だった。

 総勢十人といったところか。この人数が果たして多いのか少ないのか、木下には判断がつかなかった。

「木下君以外はね、実家に残っている人達なの。他の同級生には連絡がつかなかったり、断られたり」

 木下の心を読んだかのように、金野が解説する。なるほど、実家に居座り続けている面々ならば、連絡が付きやすかったことだろう。木下達が中学生だった頃は、まだ世の中はおおらかで、卒業アルバムの末尾に住所録が載っていたりもしたものだ。

 ――そのせいで卒業後、おかしな商売や宗教にハマった元同級生から勧誘の電話がしつこくかかってくる、なんて地獄のような出来事もあったものだが。木下も実家を出るまでは、そういった勧誘の電話に度々悩まされたものだった。

「これで全部か?」

「ううん。あと、田奈君が来るはずなんだけど……」

 金野が少女のように可愛らしく首を傾げながら、その名を口にした時だった。

「おうおう! 皆さんお揃いで! 見事にオッサンオバサンになったなぁ!」

 斎場には似合わぬ軽薄そうな大声を上げながら、男が小ホールに入ってきた。

 見るからに礼服ではなさそうな、光沢のあるブラックスーツに身を包んでいるが、顔の方もやけに日焼けしていて黒い。短く刈り込んだ短髪は整髪料で固めてあるのか、わざとらしく天を衝いている。指には葬儀の場に似つかわしくないゴテゴテした指輪が並んでいる。

 一昔前ならば、「地上げ屋」か何かで通じそうな風体だ。

 この場違いな男こそ、金野が挙げた最後の参列者である田奈だった。

「オッサンはお前もだろう、田奈。それに、なんだその恰好は。安田の葬式なんだぞ」

「ん~? おお、誰かと思えば木下ちゃんか! 相変わらずむっさいねぇ。おお、そっちにいるのは――」

 木下が苦言を呈しても気にした風もなく、田奈は他の参列者にもちょっかいをかけ始めた。先程までしんみりしていた小ホールの空気が、一気に剣呑なそれへと変わっていく。

「金野、なんであいつを呼んだんだ?」

「私が呼んだわけではないの。誰かが田奈君に連絡しちゃったらしくて。一方的に『俺も行く』って、私に電話があったのよ」

「……誰だ、そんな余計なことしたのは」

「知らないわ。多分、顔の広そうな人に手伝ってもらえれば、一人でも多く連絡が付くと思ったんじゃない?」

「あいつの顔は広いんじゃなくて、皮が厚いんだがな」

 どうやら金野にとっても望ましくない参列者だったらしく、その口調にはどこか諦観が漂っていた。

 ――田奈慎二。中学時代から空気が読めず口が悪く、同級生からは蛇蝎のように嫌われていた男だ。安田とも折り合いが悪く、仲は良くなかったはずだった。

 そんな男に葬式に来られては、安田も浮かばれまい。かといって、今更追い返す訳にもいかない。

 結局、田奈も含めて十一人で安田を送ることになった。


   ***


 式はしめやかに行われた。

 葬式と銘打ってはいたが、実際には元同級生が集まっての「お別れ会」だ。坊主も呼んでおらず、宗教色を排除した簡素な祭壇の前に棺が鎮座し、参列者が一人一人そこへ花を手向けていくという、ごくごく簡素な式だった。

 棺の蓋は既に閉じられていた。無理もないだろう。木下も直接見た訳ではないが、安田の遺体は原形を留めていないはずだ。著しく損傷した遺体は、寄せ集め縫い合わせ、足りない部分は詰め物と包帯で誤魔化すのが定番のはずだ。

 安田の遺体の場合は、誤魔化しきれないほど損傷が酷かったのだろう。「最後に一目」のお別れが出来ない葬式というのは、なんとも味気ないと木下は思った。

 棺に花を手向け、祭壇に向かって手を合わせ一礼する。祭壇には、名も知らぬ白い花に囲まれて、中学時代の安田の写真が笑顔を浮かべて鎮座していた。遺影だ。これも金野が用意したらしい。

 ――不意に、駅で見た安田の最期の顔を思い出す。面影は残っていたが、人相が変わり過ぎていて全くの別人と言われても信じるレベルだった。加齢のせいだけではないだろう。恐らくだが、人相が変わってしまう程に苦労を重ねた人生だったのだろう。

「安田君の写真、全然見つからなくて。仕方なく、中学の卒業アルバムから拝借したの」

「高校や大学の同期なら持ってるんじゃないのか?」

「かもね。でも、誰も安田君の高校や大学時代の交友関係を知らなかったの。どこへ就職したかも知らないから、社会人時代の知り合いにも全く心当たりがなくて」

「そうか。俺達に、ご両親が亡くなったことさえ伝えなかったくらいだからな。そりゃあ、そうなる」

 安田は自ら、中学までの知り合いと連絡を絶っていた節がある。もし、警察が連絡したのが高校や大学、社会人時代の知り合いだったなら、逆に木下達が安田の死を知らぬままだった可能性もあったのだろう。

 そこでふと、木下の頭の中にある疑問が湧いた。

(ん? でも、おかしいな。自分で連絡を絶ってた割には、安田の遺品には俺や金野の連絡先が書かれたメモがあったんだよな。なんでだ……?)

 二十数年も連絡を絶っていた中学時代の同級生や幼馴染の連絡先を、安田が持ち歩いていた理由に皆目見当が付かない。何かがおかしい。木下の中になんともしっくりこない違和感が湧いた。

 その事実は、何か重要なことを示唆しているのではないか? 木下は安田の遺影を眺めながら、更に思考を進めようとした――が。

「結局、私達の誰も、つい最近の安田君がどんな顔をしていたのかさえ、知らないのよね。なんか、寂しいわ」

「……そうだな」

 金野が呟いたその一言で、木下の思考は霧散した。

 「つい最近」どころか、死の間際の顔をはっきりと見ている――等とは、口が裂けても言えなかった。もし言ってしまえば、木下が安田を見殺しにした事実さえも、金野に知られてしまうのだ。それは避けたかった。

「毎年ね、安田君のご両親の命日にね、お墓に立派なお花を供えられていたの。安田君がお供えしたんだと思うんだけど、一度も顔を合わすことはなかったわ。だから、彼に会ったのは高校の時が最後なの。――私ね、最近の安田君を知っている人がいないか、もう少し調べてみようと思うの。ねぇ、木下君もちょっと手伝ってくれない? お礼はするから」

「分かった。俺も調べてみるよ……お礼とかはいい」

 果たして、それは木下なりの罪悪感からか。はたまた金野からの頼みを無下にはしたくないという下心からか。気付けば木下は、そんな答えを口にしていた――。


   ***


 全員が花を手向け終わると、式は早々と終了になった。

 この後、安田の遺体は荼毘に付される予定だ。本来ならば、安田の親類縁者が集まって執り行うところだが、金野の話では誰にも連絡が付かなかったらしい。その為、金野とその両親とでひっそりと焼き場へ向かうのだという――。

 参列者達は、そのまま斎場内の和室へと移動し、用意されていた弁当を食べることになった。いわゆるお清め代わりだ。

 そのまま、安田の遺影を肴に雑談が始まった。二十数年ぶりの再会なので誰もが最初の内は探り探りだったが、次第に打ち解け、一部は酒も進んだことから段々と和やかな雰囲気に包まれ始めた。

『へぇ、ずっと地元? 私もそうすれば良かったなぁ。なまじ全国転勤のある会社に入っちゃったもんだから、あちこち飛ばされまくって、体壊しちゃってさ。結局、地元に戻って来たの』

『親父の店を継いだのはいいけど、すぐに潰しちゃって』

『市役所勤めかぁ。いいよなぁ、公務員は安定してて。俺もなりたかったけど、当時の倍率ヤバくてさぁ』

『でさぁ! 別れた旦那がさぁ、変な宗教? にハマっちゃって。大変だったのよぉ!』

 誰のものとも分からぬ、そんな元クラスメイト達の会話が生まれては消えていく。

 ずっと地元に住んでいた者ばかりかと思いきや、どうやら出戻り組も多いらしい。しかも誰も彼も、洒落にならない理由で地元に戻ってきている。

 地元組も地元組で、家業を潰してしまったり、雇用は安定しているものの閉鎖的で代わり映えしない毎日に疲れていたり、はたまた身内の介護の為に地元を離れたくても離れられなかったり。「地元でぬくぬくと」とは、程遠いのが現実らしい。

 ――木下達が中学校に上がる少し前、いわゆる「バブル経済」が崩壊した。

 テレビのバラエティ番組やドラマがバブルの浮かれ気分を引きずる一方で、ニュースは暗い話題ばかりが続き、子供心にも時代が悪い方へ動いていることを感じたものだ。

 それでも、木下達の中学時代はまだ明るいものだった。職にあぶれた親は殆どいなかったし、店は食料品で溢れていたし、テレビやゲームなどの娯楽には事欠かなかった。まだ、「一生懸命に勉強していい大学を出て、一流企業に就職すれば安定した人生を送れる」と、多くの人が信じていたのだ。

 けれども、バブル崩壊の余波はそのまま十年以上も続き、木下達が就職活動を迎える頃にも景気は好転していなかった。そればかりか、盤石と思われていた大手証券会社や小売りが倒産し、偉そうにしていた銀行も経営統合を繰り返さなければ生き残れず、大企業や政治家の不祥事が多発し、どんどんと悪い方へと進んでいた。

 未曽有の就職難の中、まともな就職先が見付からずにバイトや派遣社員で糊口を凌ぐ若者が続出した。

 大企業は門戸を狭め、中小企業はそもそも人を採らない。公務員採用試験は驚異の高倍率。限られたパイの奪い合いは少数の勝ち組と多数の負け組を生み、更なる景気の悪循環を生み出していった。

 俗にいう就職氷河期である。かくいう木下も、その氷河期の影響をまともに受けた一人だ。

 都内の中堅私立大学を卒業をしてはみたものの、志望していたマスコミ業界はあまりにも狭き門だった。木下も、志を同じくしていた友人達も、誰一人として志望する業界へ進むことは出来なかった。

 ある友人は、携帯電話の販売会社に就職した。当時は販売奨励金制度などがあり、勢いのある業界だったが、数年の後に制度の変更や携帯バブルの崩壊により、会社は携帯販売業界ごと姿を消した。

 別の友人は、やはり当時勢いのあった新興ITベンチャー企業へ就職した。都内のお洒落なビルに居を構え、同業他社を次々に買収し時流に乗った――のも束の間。資金繰りに行き詰り始め、買収した企業からは優秀な人材が逃げ出し、やがて文字通り泡のように弾けて消えた。

『上場したら、俺たち従業員の持ち株にも途方もない値が付くはずさ』

 キラキラとした目でそんな未来を語っていた友人とは、会社の倒産以降連絡が取れなくなった。

 それでも、曲がりなりにも正社員として新卒採用された者はまだマシだった。木下などは、マスコミ業界への拘りを捨てきれず、結果として新卒採用を逃していた。いわゆる「就職浪人」だ。

 日本は極度に新卒採用に偏った国だ。新卒として就職出来なければ、その後の就職活動は一気に難度が跳ね上がる。木下は派遣社員として金属加工の会社で働きながら正社員のクチを探したが、一年経っても、二年経っても、それ以降も就職先は見つからず、気付けば三十路に足を踏み入れていた。正に「お先真っ暗」だった。

 その後、とある偶然から大学のOBだった編集長と再会し会社に誘われなければ、今でも中年派遣社員として職場を転々とするか、どこかで野垂れ死んでいたことだろう。

「なあなあ、木下は今、なんの仕事してるんだ?」

 ――と。隣に座る名前もうろ覚えの元同級生の声に、木下の思考が引き戻された。

「俺か? 俺は……ウェブサイトの運営会社ってところかな。小さい会社だよ」

「へぇ、どこどこ? 俺も知ってる所?」

「多分、名前を言っても知らないよ。超マイナーだから」

 これは嘘だった。木下はただ単に、元同級生達に「エルゴ・ニュース」というゴシップとネット炎上を商売にしているような所で働いていることを、知られたくないのだ。

 どこの誰に恨みを買っているとも分からぬ商売だ。身元は出来るだけ隠しておきたかった。

 だが――。

「木下ちゃんの職場ってあれだろ、『エルゴ・ニュース』だろ?」

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