第141話 必殺

「それは残念。負けられないのはあたしも同じでね。こんなところで不覚を取るようじゃ理想なんて叶えられないもの」


 茨木が瞳に光を宿しながらも、やや悲しげにつぶやいた。



「わかってる。元々手を抜いてもらおうなんて思ってないから」


 ギルは茨木の喉元あたりに視線を集める。眼を見たら一撃で憧術の餌食だ。それだけは絶対に喰らうわけにはいかない。



 一方の茨木はギルの考えに気が付くと思いを巡らす。ギルはおそらく金熊のように卑劣な手段には打ってこないだろう。となると、憧術をあちこちにコピーしてもおそらく無意味。


 しかし、茨木にはギルに術をかけたい明確な理由が生まれていた。憧術をかけた相手に催眠効果を与えた時、その潜在意識の中まで視ることができるからだ。


 本人ですら気づいていない何かを見つけることができるかもしれない。茨木の興味はいつからか戦い以上にそちらに注がれていたのであった。



「ふふ……知りたいね。ギル、もっとお前さんのことが知りたくなっちゃった」


「何を気味の悪いことを言ってんのさ」


 ギルは左手で胸にぶら下がった紅いペンダントを握り、「サリー」と口にする。属性の切り替えトリガーによって白属性の上位互換である聖属性をその身に纏う。手のひらに魔力を集めると数メートル先の茨木に狙いをつけた。



「いっけぇ! メガファイアッ!」


 ギルは黒魔法属性である火魔法を白魔法属性の状態で放つことができる特殊な能力を持つ。つまり、という変わり種。


 黒魔法属性のまま火魔法を放つのが一般的ではあるものの、ギルは黒魔法を放とうとすると魔力が暴走してしまい制御ができないため、四大精霊の一人であるニンフに黒魔法の使用を封じられていたのである。


 燃えさかる炎が茨木に直撃。〈黒属性である鬼には白属性の攻撃が有効〉という晴明からの教えを実行に移していた。「どうだ!」と声に出すギル。


 しかし、煙の中から茨木が現れると、その姿に驚きを隠すことができない。防御もしていない、バリアも通り抜けた。確かに火魔法が直撃したはずなのに傷もやけどの跡もない。



「中級魔法が直撃したのにノーダメージ……? そんな……反属性の攻撃だぞ」


「あら、術の攻撃は大したことがないのかしら」


「クッ……これならッ!」


 ギルは連続で水魔法、雷魔法、風魔法を放つ。使える攻撃魔法を続けざまに叩き込んでいくが茨木は避ける素振りもない。まったく効かないのだ。これなら石でもぶつけた方がまだダメージを与えられるかもしれない。



「茨木……キミには魔法が効かないのか?」


「魔法? あぁ法術や陰陽術の類のことね。さぁどうかしら」


「何なんだよ、訳が分からないな」


「それはお互いさまよ」


 魔法攻撃をやめ、ギルは再び物理攻撃に切り替える。バフにバフを重ね、限界まで身体強化をした状態で高速の連撃を繰り出すも茨木にはかすりもしない。実力差があり過ぎる。それは戦っている本人が一番よく分かっていた。

 

 魔法が効かない、物理攻撃は全て見切られる、そして眼を見た時点で敗北が確定。どうにもならない現実が目の前に黒い幕を下ろしていく。

 

 明らかに覇気を失っていくギルを橋の上から見ていたラヴィアンは、胸の前で両手を握り、ただ祈る。その様子に気づいたクロベエが欄干を伝って近くへと寄ると声を掛けた。



「ちゃんと見てなきゃダメだよ、ラヴィ」


「でも……」


「ギルはボクらの代表なんだ。簡単には負けないよ」


「それならせめて私たちにできることはないのでしょうか?」


 ラヴィアンの問いにクロベエは口をつぐむ。元気づけようと思っただけとは言えず逡巡していると、ムサネコの低い声が二人の背後から聞こえてきた。

 


「確かにこりゃあ想定外もいいところだな。やっぱつぇえな茨木は。ギルのヤツ、完全に子ども扱いされてるじゃねぇか」


「そんな、ムサネコさんまで」


「事実だ。仕方ねぇだろ。ただ……」


「ただ?」


「弱点がないヤツなんてまずいねぇ。俺たちは何かを見落としているのかもしれねぇぞ」


「見落とし……えっと、それなら発想の転換とか?」


「あぁ、そりゃアリかもしれねぇな」


 その言葉にラヴィアンは希望の光を見た気がした。考えを巡らす。考える考える考える。そして頭をよぎった一つの仮説。胸に大きく息を吸い込むと河原のギルに向かって精一杯の声を張り上げた。



「ギルぅ! 逆ですッ! 左手じゃなくて右手を使ってくださいーッ!」


 ラヴィアンから発せられる綺麗な高音は良く通る。視線は茨木を捉えたまま、ギルはその言葉を自分の中に落とし込む。



(左手じゃなくて右手? つまり、聖属性じゃなくて暗黒属性を使えってこと? いや、鬼は黒属性だって晴明が言っていた。でも……)


 今はとにかく手持ちの札を使って茨木童子という鬼の輪郭アウトラインを浮かび上がらせる必要がある。これまでに戦いの中で得た茨木の情報は、物理攻撃は効くがほぼ交わされる。聖属性・白属性は効かない。自在に空を飛ぶことができる。バリアは通過できる。そして眼を絶対に見てはいけない。



(わかったよラヴィ。暗黒属性も効かないってことがわかればそれもまた一つの情報になるもんね)


 ギルは右手の甲に軽くキスをすると、「バルトサールッ!」と腹から声を出す。右手だけが3m級にメキメキと音を立てながら巨大化。禍々しい赤黒い色味を帯び、爪はドラゴンのように鋭く伸びている。ギルの最大攻撃力を誇る必殺の【魔人の右腕デモンズライト】をここで抜く。



「ずいぶんと変わった術ね」


 涼しい顔を浮かべている茨木の胸元から首の辺りをじっと睨むと、ギルは自身へバフをかける。



力強化フォースドライヴ! 敏捷倍速アジリテーション!」


「何枚バフを重ねたって無駄だってわからないのかしら」


 ギルは茨木の言葉に耳を傾けず、【ドンッ】と地面が抉れるほどの踏み込みを見せて一瞬で茨木の懐へ。



「速いッ! なぜこうまでさっきと速度スピードが違うの!?」


魔人の右腕こっちは攻撃特化の形態なんだ。身体能力の基本性能がさっきとは段違いだよッ!」


 言葉にするよりも早くギルの右腕は茨木の左腕と脇腹を一撃で抉り取る。茨木の左腕はげて地面に力なく転がっていた。左腕の付け根と脇腹から波打つように真っ赤な血が溢れている。


 茨木の表情から全ての余裕が消え、焦りと困惑に変わる。後方に大きくジャンプして追撃を警戒。


 一方のギルは憑き物が取れたかのような晴れやかな表情を浮かべてその場に立っていた。



「そうかッ、そういうことか。茨木、キミは……ってことか。黒属性の鬼の中にあって極めて稀な存在」


 一撃でかなりのダメージを負った茨木だが、自然回復によって左腕が生え、抉られた脇腹も元へと戻っていく。



「……いけない、油断し過ぎちゃったか。さて、お前さんの仮説はどうかしらね。でも、ちょっと本気を出す必要があるってことはわかったわ」


「いいよ。弱点がわかったなら勝負になる!」


「残念ね……そうはならないッ!」


 茨木は左手を掲げてその手をグッと握り込む。



天魔法術アトモス!」


 茨木の天候を操る魔法。言葉が放たれたと同時にギルの周りに複数の竜巻が発生。砂塵が巻き上がると、ギルは思わず右手で目を覆った。強烈な風圧と巻き上がる砂塵によって息をすることも憚られ、薄っすらとしか開けない視界は霞み、数歩先も認識することが困難に。



(茨木はどこだ? こんな状況じゃ身動きが取れない。こんな時に攻撃が来たら……)


 それでもギルは霞む視界の中で目を凝らす。微かに茨木の気配が急接近してくることを悟ると、目を閉じ、ブンブンと右手を振り回した。しかし、もちろん手応えはない。むやみやたらと攻撃しても当たるわけがなかったのだ。


 ただ、すでに茨木の気配は近くには感じられない。距離を取ったのだとわかる。そして、周りを囲うように発生していた竜巻がピタリと止むとギルはそっと目を開けた。



「え、なにこれ……?」


 目を開けた時、ギルは鏡の中にいた。足元から頭上まで四方八方が鏡に覆われていたのだ。



憧術どうじゅつ百面鏡ひゃくめんきょう


 茨木の声が鏡の向こうから聞こえる。瞬間、百枚の鏡のすべてに茨木の切れ長の瞳が浮かび上がった。



「あ、あ……」


 ついに見てしまった。眼を見たら負けだと言われていたのに……。



 真っ黒い闇が視界の左右から舞台の袖幕が閉じていくかのようにギルの視界を塗り潰していく。そして意識が彼方へ消えた。


 茨木必殺の憧術。それを破るすべは……ない。

 ギルの潜在意識に茨木は静かに入り込んでいくのだった。

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