芙美花視点(6)

 葛藤がなかったかと問われれば、たしかにありはした。


 芙美花はイケメンや美少女が好きだ。けれども、それは二次元限定の話。三次元――つまり、現実のイケメンや美少女にはこれまで興味を持ったことがなかった。……どこかで、そうすることに対し心にブレーキをかけていたというのも、理由のひとつだ。


 期待を持ったぶんだけ、裏切られたときに大いに傷つく。身勝手に幻滅する自分を想像するだけで、自己嫌悪の念を覚えてしまう。ならば期待など持たなければいいという話になるのだろうが、まだ一七の芙美花はそこまで達観できなかった。


 だから、好きになるのをやめた。興味を持たないようにしていた。そうすれば幻滅もしなければ傷つきもしない。そうやって芙美花は今まで生きてきた。


 けれどもこれからはそうは行かない。生身の木槿と共に、これから暮らして行くわけである。芙美花はわずかながらに不安を抱いた。木槿への不安ではない、己への不安だ。身勝手に期待して、幻滅するなどということはしたくはなかったが、心を制御するのはむずかしい。


 しかし木槿が、そんな芙美花の不安を解きほぐすのに時間はかからなかった。


 木槿は、木槿だった。『魔女ノ執事』を通して三年間共に過ごした木槿そのままに、彼は芙美花に尽くして、微笑んでくれた。


 芙美花は、己の胸中にあった不安を恥ずかしく思った。「杞憂」という言葉はこういうときに使うのだろう。木槿と駆け抜けた三年間が消えたわけではないのだと、遅まきながらに芙美花は理解した。


 そもそも、うだうだと悩み続けるのは芙美花の性に合わない。芙美花がそうやって気持ちを切り替えるのはすぐだった。


 すると毎日が輝き出す。居心地の良い木槿との日々が、現実のものとしてあるのだと実感するたびに、芙美花はめまいを覚えそうだった。


「これまではそのタブレットに御主人様が映っていたんです。お声は……頭に響いてくる感じですかね……。あ、タブレットの下のほうに文字が現れたりする場合もありましたよ」


 木槿から三年のあいだ、芙美花をどう認識していたかも聞いた。己の姿がそのまま映っていたと知り、芙美花は先日まで抱いていたものとは別種の恥ずかしさを覚えた。


 唯一の救いは、たとえゲームであってもアプリを立ち上げるときは、若干身だしなみに気を使っていたことくらいだった。……まあ、それでも「若干」は「若干」で、たいていは無防備な姿をしていたことには違いない。


 おまけにひとりでしゃべっていた内容も木槿には筒抜け。それを恥ずかしく思わない人間がいたら会ってみたいものだと芙美花は思った。


 特に、芙美花は木槿に対して好感情を抱いている。だから、木槿にもそうであって欲しいと願ってしまうので、余計に無防備な姿を晒し、ありのままの思考を垂れ流していたという事実を知って、穴を掘って埋まりたい気分になってしまったのだ。やはり、木槿にとって「いい御主人様」でありたいと思ってしまうから。


 木槿は、芙美花の身だしなみにはあまり頓着していない様子だった。かと言ってそれに甘えるわけにはいかない。木槿が誇れるような御主人様でいたい。そして、あわよくば好意を抱いてもらいたい――。


 ただ、木槿のほうが芙美花をどう思っているのかまでは、さすがにわからない。淡い好意を抱かれている気はする。少なくとも、嫌われているわけではないだろうと芙美花は目星をつけていた。……もし、嫌われていたとすれば芙美花は今度こそ穴を掘って埋まりに行くだろう。


「御無事ですか? 御主人様」


 魔法は、基本的にタブレットを介して使うことになっている。芙美花が使える魔法は様々であったが、まだ完全に会得したと言い切れない魔法も多い。それでも一ヶ月で基本的な魔法は使いこなせるようになっていたから、ほっとしていたところだ。


 今日は試しに庭いじりをしてみようとタブレットを操作したが、固い土を掘り起こす座標を誤って設定してしまったようだ。みるみるうちに芙美花の足元の土が盛り上がったので、あやうく芙美花は転んでしまうところだった。


 しかし、そうはならなかった。木槿が優しく芙美花を抱きとめてくれたので、芙美花が怪我をすることはなかった。


「ご、ごめん。ありがとう、ムーさん」


 失敗してしまった気恥しさと、木槿の体温を感じている状況への気恥ずかしさ。その両方がないまぜになって、芙美花の心臓は鼓動を速めた。


 だがすぐに木槿は芙美花から体を離してしまう。木槿は、「執事」だからだ。一使用人が主人と特別親しくするのはあまり褒められたことではないのだろうということは、芙美花にも容易に想像がついた。


 けれども芙美花にとって木槿はただの「一使用人」ではない。――かけがえのない、特別な存在だ。


「いえ、御主人様が御無事で何よりです」


 木槿は微笑んで芙美花から手を離した。芙美花は、そんな木槿の行動をもどかしく思った。しかし明け透けに「もっと抱きしめて欲しい」などという主張をすることは憚られる。セクシャルハラスメントは芙美花の本意ではない。


 それに今、木槿に迫っても「執事だから」という理由で玉砕しそうな空気を、芙美花はひしひしと感じていた。芙美花のこの恋慕の情を成就させるには、今は時期尚早と言わざるを得ないだろう。


 もう少し、じっくりと、時間をかけて。執事と主人、という立場を乗り越えたくなるほどに芙美花に惚れさせなければならない。そのミッションは芙美花からするとなかなか過酷に思えた。


 けれども、ハナからあきめるのはもうやめた。元の世界でなにもかもあきらめきっていた自分とは決別する。芙美花は、木槿に「“魔女”になる」と宣言したときに、密かにそんな決意を固めていたのだ。


「ムーさんは頼りになるね」


 芙美花が少しの下心を込めながらも、心からそう言えば、木槿は気恥ずかしそうにはにかんだ。


 ――ムーさんの心は絶対にわたしが射止める!


 木槿の恥ずかしそうな微笑を見て、芙美花はそう改めて決意を固めた。

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