木槿視点(8)
「B専って言ってゴメン……」
「いえ、わかっていますよ」
魔法のランタンで控え目にライトアップされた中庭。そのガゼボに深く座り込んで、芙美花はそう言った。木槿はそれに仕方がないとばかりに微笑んで返す。
あのあと、芙美花は
「わたし! すっっごいブサイクが好きなんです~!」
――などとまくし立てて場の空気をかき乱すだけかき乱し、微妙な空気が流れたところですべてをうやむやにして逃げてきた。だれもそれを咎め立てたりする言葉を口にはしなかった。あの場にいた者は多かれ少なかれ呆気に取られたことだろう。振り返りもせずここまで逃げてきたので、木槿にそれが真実かどうか確かめるすべは、今のところないが。
「B専でもなんでも……芙美花様に好ましいと思っていただけるのなら、なんでもいいのです」
それは木槿の偽らざる本心であった。
それを聞いた芙美花は、小さくため息をつく。
「……なんでみんなムーさんのよさがわかんないんだろうね……。――あーっ! それにしてもやっちゃったー! あーあーあー。せっかくの“お披露目”だったのに……。はあ。ああいうときの上手い切り抜け方なんてわかんないよ……」
今度は、大きな、それは大きく深いため息をついて、芙美花はうつむいてしまった。
「あれは、仕方のないことだとわかってくださる方もいらっしゃるでしょう。むしろ、芙美花様の上辺だけを求める御仁を振り落とせて良かったのでは?」
「そうかな……」
「芙美花様はまだ一七でいらっしゃいます。これから、失敗することなどないとは言い切れません。重要なのは失敗してしまったあと、ではないでしょうか」
芙美花が落ち込んでいる様子であったので、木槿はいつになく饒舌になってしまう。本心半分、建前半分。芙美花の上辺だけを見て、その部分しか求めてこない輩など、彼女にかかわらなくて良いと考えているのは、まぎれもなく事実であった。
木槿の慰めが届いたのか、落ち込んでいた芙美花の顔に、微笑みが戻る。
「ありがと、ムーさん。ムーさんはやっぱり頼りになるね」
「お褒めいただきありがとうございます。……ところで芙美花様」
「なあに?」
「今日のようなことがまたないとは言い切れません。ですから――」
「ムリ」
「え?!」
木槿が言い終わる前に、芙美花が拒絶の言葉を口にした。その顔には笑みが浮かんでいる。茶化す風でもなく、困った様子もなく――挑戦的な笑みだ。
「ムーさんの言いたいことならわかるよ。今後はムーさんのことで怒らなくていいって、そういうことを言いたかったんでしょ?」
「! ……はい」
「それはムリ。約束できない」
「ですがっ……」
「ムリだよ。イヤだったらイヤって言う、怒るべきところでは怒る。それはいけないこと?」
「そう、ではありませんが……。ですが、私のことでは、もう――」
「だってわたし、ムーさんのこと好きなんだもん」
木槿は息を呑んだ。芙美花と視線がかち合う。いつもの可憐な微笑みを浮かべながら、しかしどこかその焦げ茶色の瞳が濡れているように見えた。
「好きな人が侮辱されたら……やっぱりイヤだし、怒るよ。これからもね。こういうのは耐えることじゃないと思うんだ。今日はガラにもなく最初は耐えちゃったけど、やっぱり初手でガツンと決めてればよかった!」
「芙美花様……」
「ムーさんは、こんなわたしはイヤ?」
「……いいえ、いいえ。決してそのようなことは。むしろ……芙美花様が私の主人であることを、誇らしく思いました」
まぶしいほどにまっすぐな芙美花。けれど一方で自分はどうだろう。芙美花のように気高くはなく、わずかな自信すらも持てやしない。木槿は底なしの沼へと沈んで行くような気持ちになった。
しかし、芙美花はまるでそれを見透かしたように、沼から抜け出すための手を差し伸べるように、言う。
「ありがとう、ムーさん。こうしてムーさんがいるから、ムーさんがわたしをたくさん褒めてくれるから、わたしはわたしらしくいられるんだよ」
木槿の言葉が、存在が、芙美花を支えている。そうなのか、と木槿は目から鱗が落ちる思いだった。
己の言葉が、存在が、今の芙美花を構成するそのひとかけらになるという栄誉を与れているのなら――こんなに、うれしいことはない。木槿は心臓を締めつけられるような気持ちになった。
「私は……私のことが好きになれません」
「……うん」
「しかし、芙美花様が私のことを好きだとおっしゃってくださったので、少しだけ自分自身を好きになれた……気がします。こんな私でも芙美花様のお傍にいても良いのですか?」
「もちろん! ムーさんがこれから変わっても、変わらなくても、たぶんわたしはずっとムーさんが好き。ムーさんが自分のこと嫌いでも、好きでも、わたしは好き。だから――これからもよろしくね、ムーさん」
「こちらこそ。……これからもよろしくお願いしますね、芙美花様」
木槿が微笑むと、つられるようにして芙美花も目を細めて笑った。
木槿の胸の奥が締めつけられる感覚が強くなる。けれども、それほど嫌な感覚ではなかった。
「それでムーさん……」
「はい。なんで御座いましょう」
「返事は?」
「え?」
「返事! わたし……ムーさんのこと好きって言ったじゃん……」
「え?! えっと……それは」
「もちろん、ムーさんのことは恋愛的な感情抜きにも好きだけど、わたしとしてはムーさんの恋愛対象に入っているのかなーって気になるん、だけ、ど……」
芙美花の頬が紅潮しているのがわかった。それにつられるようにして、今度は木槿の頬にも熱が集まってくる。
これまでの木槿であれば、芙美花の言葉をうやむやにして流してしまっただろう。けれども今の木槿は違う。今までの木槿は芙美花とのあいだにあった親密な空気を、勘違いだと思って――思い込んで、心の奥底に封じ込めていた。けれどもそれは、己が傷つきたくないがゆえの卑怯な選択だったと気づいたのだ。
芙美花が、木槿の働きに真摯に応えてくれるのであれば、木槿も、芙美花に対してそうありたいと思う。そしてそれは、木槿に対して向けられる、芙美花の感情にも。
「芙美花様」
「……! はい!」
「私も……芙美花様のことをお慕いしております。初めてお会いした時から、ずっと」
「ム、ムーさん……!」
「……どうか、口づけを送ることをお許し願えますか?」
「も、もちろんいいよ……?」
芙美花が居住まいをただしたのを確認し、木槿は芙美花の華奢な手を取り、ゆっくりと手袋を外す。そしてその甲に優しい口づけを送った。
それを見て、芙美花は呆気に取られたような顔になる。
「そ、そっち……?!」
そんな芙美花を見て、木槿は思わず笑ってしまった。
「申し訳御座いません、芙美花様。唇へ送るのは、またいずれ……」
木槿がそう言えば、「いずれって、いつ……?!」と芙美花は頭を抱える。それを見る木槿の目尻は幸福にとろけているのだった。
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