☾ 5 〔Nightmare〕 〜〔悪夢〕〜


    ☾


 ゆきは目を開いた。

 「そこ」には桜並木が広がっていた。桜が風にゆらゆらと揺れている。一見穏やかに見えたが、並木の奥に〔異変・・〕が起きていた。――奥は黒い霧に覆われていて、並木の先では何が起こっているのか、全く分からない状況だった。

「……はいれた・・・・な」

 そんな聖弥せいやの声が聞こえて、幸は隣を見る。そこには同じように「立って・・・」いる彼がいた。

 幸はうなずくと、桜並木の向こうを見た。

「行こう」

 そして、その奥へと歩き出す。聖弥も彼女の後に続いた。


 奥に近付いてみると、霧の中から「やめてくれ」などといった叫び声が聞こえ来た。急いで、幸と聖弥は霧の向こうへと急ぐ。

 「そこ」へ足を踏み入れた瞬間、今までの桜並木とは違った風景が広がっていた。一本の小さな桜の木が中央に立っていて、その木に一人の少年がしがみついている。

 桜並木と同じように風が吹いていたが、先程までとは違い、穏やかなものではなかった。嵐や台風のような暴風が少年と桜を襲っている。桜は暴風にあおられ、今にも倒れそうになっていた。

「お願いだ、やめてくれ!」

 少年が叫ぶ。一見すると、桜が倒れるのを止めているように見えるが……。

 幸はその姿に違和感を覚えた。……なるほど、確かにコレは聖弥一人に解決できるようなものではない。

「せい、あなたは風の吹いてくる方向を探して。 私はあの子を何とかするから」

 すぐに聖弥がうなずくと、懐に手を入れ、辺りを念入りに見回し始めた。

 幸は少年の元へと急ぐ。少年が顔を上げると、驚いた表情を浮かべ、幸の方を見た。

「だ、誰だ」

 すぐ近くに聖弥がいることにも気付いて、さらに驚いた少年に、幸は優しく微笑んでみせ、〝その名〟を告げた。

「私たち? ――メイハヴ・ノレーニョ」

 〝その名〟を聞いた瞬間、少年が目を丸くした。


    *


 ――メイハヴ・ノレーニョ、それは悪夢を退治する者たちのことを表していた。

 つまり、幸たちが今いる「そこ」は〔悪夢〕の中で、少年はその〔悪夢〕にとりかれた人物ということだ。


 幸たちが〔悪夢〕に入るまでいた場所は、メイハヴ・ノレーニョ達が悪夢の中へ行くための施設で、普段生活をしている現実ところとはあの小さな「機械」――通称「ネープ」の転移機能で行き来をしていた。そして、あのカプセルは〔悪夢〕とメイハヴ・ノレーニョの意識をつなげて、かれらを〔悪夢〕の中へ移動させるための装置だった。

 メイハヴ・ノレーニョ達は普段、単独で行動することが多いが、時々コンビを組んで、〔悪夢〕を退治することもあった。その時によってカプセルを使い分けているのだが、一歩間違えると意識が戻らなくなる事故も起こり得るため、細心の注意を払って、カプセルは制御がされていた。

 そして、幸が施設の中で会った「リーダー」と呼ばれた男性は、メイハヴ・ノレーニョ達を統率している人物だった。彼の他にも、もう一人、女性のリーダーもいた。

 メイハヴ・ノレーニョ達はお互いに、仕事・・用の名前で呼び合う。短い名前はそのまま呼ばれるが、聖弥のように短縮して、簡単に呼ばれることもあった。


 〔悪夢〕の中には「スカター」と呼ばれる影のような姿をしたモノがいる。メイハヴ・ノレーニョ達はそのスカターを退治用の武器を使って倒す。そのためにはかなりの精神力が必要だった。精神力の強さによっては武器をあらゆるカタチで使うことができるのだ。

 だが、それだけでは〔悪夢〕を退治することはできない。――メイハヴ・ノレーニョ達はそれぞれのやり方で〔悪夢〕を解決し、退治しているのだ。

 スカターは〔ナイトメア〕という組織によって統率されていると言われていた。けれど、その詳細は分かっていない。おそらく、詳しく知っている者がいるとしたら、リーダー二人だけだろうと噂されていた。


    *


「なら、早く退治してくれよ」

 メイハヴ・ノレーニョの名を聞いた次の瞬間、少年がそう言った。

 幸はしばらく少年をじっと見つめると、首を横に振った。

「まだだめ。 あなた自身の問題が残ってるから」

 ――幸の〔悪夢〕の退治の方法は、〔悪夢〕にとり憑かれた人物自身に、その原因を解決させてから、〔悪夢〕を退治するというものだった。

 幸ははじめ、この少年に違和感を覚えた。――つまり、少年自身がこの〔悪夢〕の原因を解決し、気持ちを変えなければ、スカターは見つからないのだ。力で〔悪夢〕を退治することを得意とする聖弥だけでは「最悪の事態」も考えられた……かもしれない。そう考えると、リーダーがああ言ったのも納得がいく。

「ねぇ、知ってる? 〔悪夢〕はね、悩みごとがあるとか、苦しんでる人達にばら撒かれるものなんだよ。 ……あなた、何に悩んでいたの?」

 少年がそう尋ねた幸から目をそらすと、口ごもりながらも素直にこう話した。

「こ、この木、ひいばあちゃんのお父さんとお母さんが大切なものらしいんだ。 ひいばあちゃんの家じゃ代々、この木を大切にしようって決めてたみたいで……。 でも、昨日、今までこの木を大切にしていたじいちゃんが死んじゃって、父さんがオレに『今度はお前がこの木を大切にしろ』っていうんだ。 オレ、それが嫌で、反抗して部屋で寝てて、気付いたらココに……」

 幸は少年を攻めもせず、小さな桜を見上げた。……ずいぶん、樹齢が長そうだ。昔、もう少し小さかったようだが、途中で新芽ができて、天へと枝を伸ばしたようだった。すごく、綺麗で立派な木だ。

「見つけたぞ!」

 聖弥が叫ぶ。幸はゆっくりとうなずいてみせると、もう一度少年を見る。

「見て。 この木、すごく立派だよ。 きっと、ずっと大切にされてきたんだね。 私たち、あなたとこの木を助けることはできるけど、これからこの木を守っていけるのはあなただけなんだよ?」

 幸の言葉を聞いた少年が戸惑った様子を見せつつ、木を見上げる。

「それで、あなた、そうやってしがみついてるけど、それってこの木を守るためだったの? それとも……自分のため?」

 そう尋ねながら、幸は聖弥と同じ方向を見つめた。少年はというと、まだ迷っているようだった。選んだ答えによってはやはり「最悪の事態」が考えられる。これはある種の賭けなのだ。

 しばらく経って、少年がふっと苦笑いをこぼすと、口を開きこう話した。

「……姉ちゃん。 オレ、間違っていたかもしれない。 オレの気持ちじゃ、ないんだよな。 大切なのはこの木を守った、ひいばあちゃんのお父さんとお母さんのふたりの気持ち、だよな。 オレ、この木を守るよ。 だから――」

 決心をちけた少年が木の前に立つ。そして、木を守るかのように、大きく両手を広げると、大きな声で思い切り叫んだ。

「――オレの中から出てけ、〔悪夢〕!!」

 幸は少しだけ少年の方に向けると、微笑んでみせた。

 少年の決心にひるんだかのように、暴風がぴたりと止まる。そして、幸と聖弥が見ている方向に、何か黒いモノがゆらりと動いた。

「せいっ!」

 その瞬間、幸はそう叫んだ。

「おう!」

 聖弥が勢いよく、懐から退治用の武器――銃を取り出した。弾は、彼の強い精神力。聖弥が思い切り、引き金を引いた。

 弾は見事に、その黒いモノ――スカターに命中する。


――――ギャアアァァ!


 叫び声を上げながら、スカターは消滅した。

 その瞬間、黒い霧も晴れ、辺りは明るくなる。

 幸と聖弥は少年に向き直る。

「約束して。 何があっても、この木を守るって」

 何度も、少年が大きくうなずいた。

「うん。 約束するよ、絶対!」

 少年がその言葉を口にした瞬間、その目の前に何かがあらわれた。

 それはおぼろげな人影だった。しかし、スカターのように悪いものではない。なぜなら、その人影は笑い、こんな言葉を残したからだ。

〝ありがとう〟

 少年が顔を赤らめながら、その人影が消えていくのを静かに見守っていた。

 幸はその様子を見ながら、その正体がこの小さな桜の木の精霊ではないかと考えていた。

 人影が消えた瞬間、周りの景色が揺らぎ始めた。

 〔悪夢〕が――終わるのだ。

 幸はもう一度、少年を見た。

 ……いい笑顔だった。

 少年のその笑顔に微笑み返した後、幸はまた意識を遠のかせるのだった。


    ☾


 ――ピピ。意識を手放して間もなく、電子音が鳴った。

 気が付けば、もうカプセルに戻って来ていた。

 その開閉ボタンを押して、幸はカプセルを開けた。そして、起き上がると、隣に目を向けた。

 同じように、聖弥も彼女を見ていた。

 幸は笑ってみせた。すると、聖弥かたらも笑顔が返ってきた。

 それと同時に、ふたりは互いに手を握り合った。



 帰還用カプセルまで、幸は聖弥と歩いていた。

 幸は少年の言っていたふたりの仲がすごくうらやましく思えていた。ふたりであの木を大切にしていたなんて、なんてロマンチックなんだろう。……いつか、自分もそうなりたい。

 そんなことを考えながら、幸は聖弥をちらりと見た。

「なんだよ?」

 運悪く、すぐに聖弥に気付かれてしまう。

 けれど、幸はにっこり笑ってみせた。

「なんでもないっ」

 わけがわからないといった様子の聖弥を見つめながら、幸はふと思うのだった。

 今夜は何だか、よく眠れそうだ。


    ☆★


 メイハヴ・ノレーニョ。

 それは〔悪夢〕を退治する者を表す。

 けれど、実際の定義は少し違っていた。


 メイハヴ・ノレーニョ。

 それは――――。

 ――〔悪夢〕を滅し、吉夢をもたらす者。

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