☆ 2 Side Yuki 〜幸視点〜


    ☆


 ―日本・某所―


 ――目を閉じれば、そこに「闇」がある。眠りに落ちれば、同時にその「闇」に堕ちてしまいそうになり、恐怖を覚えて、少女はあがくように目を開け、覚醒する。


 ……朝、か。少女は肩で息をした後、すぐに目元をぬぐった。少し、濡れていた。どうやら、眠っている間にまた泣いてしまったらしい。

「大丈夫。 ……私は、大丈夫」

 自分に言い聞かせるかのようにそうつぶやきながら、少女は横になったまま、深呼吸を少し繰り返した。

 しばらくそうしてすると、気分が落ち着いた。

 深くふうと息をついて、少女はベッドから身を起こし、時計を見る。六時半。少し早いが、支度を始めてもいい頃だろう。もう一つため息をついて、少女は部屋を後にし、洗面所へと向かった。


 ――その途中、「とある部屋」の前を通りかかった。


 ふと、少女は足を止め、「部屋」の前でたたずんで、その扉に見入みいった。

 「扉」からは重く、暗い〔モノ・・〕を感じた。その冷たい「扉」が、向こう側から開けられることは――ない。「向こう側」には絶望しか、ない。

 そんな「扉」を見つめながら、少女は声にならない声でそっとつぶやいていた。――お父さん、と。


――――ピンポーン。


 暗い表情を浮かべていた少女を呼び戻すかのように、突如、インターホンの呼び鈴が鳴り響いた。

 はっと我に返り、少女は玄関の方を見つめた。そして、慌ててモニターの元まで駆けて行くと、すぐに応対した。

「……はい」

『俺だよ。 また、泣いてるんじゃないかと思ってさ。 入ってもいいか?』

 その声を聞いて、少女は強張こわばらせていた顔をふっとほこばせた。

「ちょっとだけ待って。 まだ支度できていないから。 ねぇ、朝ごはんは?」

『食べてない。 腹減った』

 すぐにそう言い切る相手の口調に、少女はくすっと笑いをこぼした。

「じゃあ、作るね。 とりあえず、用意できるまで待っててね」

 インターホンを切り、少女は笑いながら洗面所へと向かった。そして、鏡を見る。細長い顔に、笑って少し細くなっている丸い目が映る。肩まで伸ばした黒髪を整えていると、鏡の中の自分と目があった。その瞬間、弧を描いたような眉が少しだけぴくりと動いた。

「大丈夫、私は大丈夫。 ――絶対、大丈夫!」


 ――そうつぶやいた彼女は「闇」からのがれ、すっかり笑顔を取り戻していた。

 

 身支度を済ませた後、少女は二階の自室に戻り、学校の制服――白いブレザーに赤いリボン、紺のスカートに着替え、最後に白い靴下を履いた。そして、急いで一階に戻ると、玄関の扉を開けた。

 外には、門にもたれかかっている一人の青年がいた。眠そうに目を伏せ、丸い眉をひそめている。はねている短い黒髪には、寝ぐせがたくさん残っていた。

 慌てて来たのだろうか。その寝ぐせを見て、少女はそう思いながら、またくすっと笑いをこぼした。

「おまたせ、聖弥せいや!」

 声を掛けられ、すぐに青年――聖弥が振り向いた。彼は、様子をうかがうように少女の顔をじっと見つめた後、しばらく経ってからようやく、「おう」と短く返事をするのだった。


 聖弥を家に招き入れ、リビングに案内すると、少女は朝食の準備を始めた。

 トーストをオーブンに入れ、目玉焼きとウインナーを焼きながら、様子を見たくなって、少女は聖弥の方を振り返る。すると、のけ反ってソファにもたれかかり、目を閉じて船をこいでいる聖弥の姿が目に入った。

 少女は少し顔を赤らめ、満足したように頬を緩めると、再び調理に専念しようとした。――その時だった。

ゆき

 ふと、聖弥が少女を呼んだ。

 はっとして、少女――幸は振り返らず、「何?」と答える。

「今日は……泣いたのか?」

 聖弥にそう聞かれて初めて、幸は手を止めた。

 先程までは上手くかわして答えずに逃げていたのだが……。さすがに、こうもはっきりと答えなければならない。心配、させてしまうのではないだろうか。幸はそう思って、しばらくの間黙っていた。

 けれど、その一方で、幸は分かっていた。

 ――聖弥は、自分が泣いていたことに気付いている。そうでなければ、こんな朝早くに来るはずがない。たとえここで今嘘をついても、すぐに見破られてしまう。答えが分かっているのに、あえてはっきりと問い掛けるのは聖弥の昔からの癖なのだ。

「ちょっと、ね」

 幸は振り向くと、困ったように苦笑いを浮かべながらそう答えた。

「でも、もう大丈夫だよ?」

 そして、少しでも聖弥を心配させまいと続けてそう言った。

 聖弥が顔を上げて、疑っているかのように、じっと幸の顔を見つめると、「ふーん?」と生返事で答える。

 幸が聖弥から目をそらそうとしたその時、ちょうどトーストが焼き上がった。他の料理もできた頃だろう。

「あ! できたみたいだよ、ほら食べよう」

 少し気まずく思い、幸はごまかすかのように話題を変える。聖弥がまだ彼女を見ながら、黙ったままうなずく。

 幸は彼の視線が気になって仕方ないまま、朝食を食べ終えたのだった。

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