絶対に夜空は見上げない

シネラマ

絶対に夜空は見上げない

 お父さんも、お母さんも、コンタ兄ちゃんも、マイちゃんも、裕二君も、みんな、みんな、見上げている。いったい、何が楽しいんだろう。

「ほら、いつまでも拗ねてないで、彩子も一緒に夜空を見上げましょう」とお母さんが困り顔で言う。

 昨日、私はマイちゃんのお誕生日会で嫌な思いをした。マイちゃんのお母さんが、時間をかけて焼き上げたバースデーケーキ。環を作るように苺で飾り立てられ、真ん中には特段大きな苺が乗っかっている。歳を重ねた数と同じ、合計十二個の苺たち。マイちゃんママスペシャルだ。マイちゃんのお母さんがキッチンから離れたわずかな間に事件は起こった。いつの間にか、ケーキの真ん中にある苺がなくなっていたのだ。特別大きな苺を一個だけ取り寄せたものだから、代えはない。「これじゃあ、私はまだ十一歳のままだよ!」と、リボンの付いた赤いハットを被るマイちゃんは泣いてしまった。そこから、犯人探しが始まり、私が苺を盗った犯人と決めつけられてしまった。どうして? 私がそんなことするわけないのに!


「ここのところ続いていた雨模様がウソのように、本日は快晴です。肉眼で見えるほどのカサンドラ彗星、もう間もなく、夜空に現れると思われます。私もこの屋上から生中継でリポートいたします」

 コンタ兄ちゃんの持つケータイのワンセグからニュースが聴こえてきた。今日は朝から、どのチャンネルでも天体ショーのことばかりを伝えている。正直、ウザったい。

 苺事件の犯人は光男君だった。騒動になったとき、犯人探しはよくないと言って、マイちゃんのお母さんは、犯人がうやむやのまま、パーティを続けた。そして、お誕生日会が終わり、みんな帰り支度をする頃、光男君の口から、自分がイタズラでやったと告白があった。頭を下げる光男君をマイちゃんは笑顔で許した。

「彩ちゃんも疑ったりしてゴメンね」

 マイちゃんは私にも謝ってきた。私は「気にしてないよ」と告げて、家に帰った。

 その日の夜は眠れなかった。私はやっていないと言ったとき、誰も私を信じてくれなかった。はじめに彩子犯人説を口にしたのは、アンズーだった。本名は杏奈。ニンテンドー64で、多人数参加の対戦ゲームの最中、最初にリタイアした私がそのあと、お手洗いに行っていたことを思い出したと言ったのだ。アンズーはちょっと抜けたところがあるけれど、悪い子じゃない。悪気があっての発言ではなかったと思う。でも、その発言が私と犯行を結びつけてしまった。あとからわかったことだけど、私がお手洗いに行っていた時間とマイちゃんのお母さんがキッチンから離れていた時間はズレていた。ちょっと考えればわかったことなのに、アンズーの最初の一言だけで、真犯人が判明するまで、彩子犯人説は覆ることがなかった。私への疑いは晴れたとはいえ、その場にいた八人のうち、誰も私を庇ってくれなかったことが悲しかった。


 お誕生日会の翌日、今日はカサンドラ彗星が地球の近くを通過する日。以前から星にはそんなに興味がなかったし、苺事件で受けたショックから立ち直れない私は彗星見物になんか行きたくなかった。にも関わらず、両親に連れられ、近所の高台にある公園に来ている。公園には、近くに住む人たちが集まっていて、マイちゃんの姿も見えた。

「お父さんは高校生の頃、天体観測が趣味だったのよ。あなたの名前も最初、お父さんが<星子>にしようって言いだして。大ゲンカしたのを覚えてる。結局、私の希望する<彩子>になったの」

 私はお母さんの話を下を向いたまま聞いていた。幼稚な態度なのはわかっている。両親は何も関係ない。だけど、何に対してだろう、私はみんなに抵抗したかった。みんなが彗星を待ち望んで夜空を見上げている今、私はずっと地面を見ていた。

「しょうがない子ね。あなたの気持ちもわかるけど、子供同士なんだし、そういうこともあるわよ。今日は距離を置いてもいいけど、来週から、学校でまたマイちゃんたちと仲良くしなさい」

 私はトイレに行くと言って、お母さんから離れた。本当は独りになりたいだけだった。木が邪魔をして夜空が見えづらい場所、ここには人がいない。少し段になっているところを見つけ、私はそこを特等席にしようと決めた。彗星が流れていくまでの間、ここにいよう。そのとき、足元に何かが落ちているのに気づく。学生証だった。隣の県にある大学だ。

「フードアート学部、一年生、岡本瑠奈」と私は小さく声に出して言った。珍しい学部だなと思った。私も料理は好きで、子供ながらにお菓子の創作なんてこともしてみたりする。だからこそ、昨日、友達の大事なお誕生日を祝う、特別なケーキの、大切なトッピングを盗ったと言われたことに傷ついた。心から傷ついた。


「お、見えた!」

「いや、あれはただの飛行機だよ」

「家に帰って、テレビの中継で見ればよくない?」

「お腹空いた!」

「昔のSFで、彗星を見た人がみんな盲目になっちゃう話があったよな? おれらも見ないほうがいいんじゃないの」

 周囲の人たちの話し声が聞こえる。私は学生証をじっと眺めていた。写真の女性は顔色が悪い。一応は笑顔で、髪を後ろに束ね、おでこがすっきり見える健康そうな女性だ。それなのに、影があるというか、なんだか悲しそうな顔。フードアートなんて珍しい学部にあえて入ったんだから、きっと目標があって、望んだ大学に通っているに違いない。夢の第一歩を踏み出せたのに、なんでこんな悲しい笑顔なんだろう。

 私は来年から中学生になる。でも、将来のことはなにも考えていない。フードアート学部とはどんな授業なんだろうか。家に帰ったら、コンタ兄ちゃんのパソコンを借りて調べてみよう。


「来たぞ! 彗星、来た!」

「おー!」

「これがカサンドラか」

「そういえば、<カサンドラ>って、あんまり、いい意味じゃないんでしょ? なんか、名前をつけるときも学会で揉めたって」

 彗星が通っているらしい。みんなはそれを見て、思い思いに楽しんでいるようだ。私は夜空を見上げない。別に反抗の意志ではない。手元にある学生証を見つめながら、岡本さんという人のこと、フードアートのこと、そして自分の将来のことを考えていたのだ。そこに星が入り込む余地はなかった。

 この学生証はどうしようか。明日も三連休最後の日で、まだ休みだ。大学があるのは隣の県だけど、明るいうちに行って帰ってこられるなら、お母さんも許してくれそうだ。ただ、一人ではダメだと言われるかもしれない。

 私は学生証をポケットに入れて立ち上がった。それから、見晴らしのいい、人が一番集まっている場所に向かって駆け出す。彗星はもう去っていた。人混みの中に、赤いハットを頭に乗せた女の子を見つけた私は叫ぶ。

「マイちゃん! 明日、予定ある?」


(終わり)

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