ラピュタ上陸

<敢えて悪い方向へオーバーに喋る>

 ラピュタ上陸後、ロボットが凧に近づいてきた時にこんなシーンがあります。


パズー「何をする」

シータ「待って。お願い、それを壊さないで、それがないと帰れなくなるの」


 このセリフにはどんな効果があるでしょうか。

 普通であればロボットが近づいてくる。あのおそろしいロボットですから、逃げる、というのが通常の反応でしょう。凧に手をかけるかもしれませんが、もう「帰れなくなる」とか今考えている場合じゃないです、命が先です。

 なので影に隠れて息を潜めていると、実は卵を守っているのを見る、あーなんだ攻撃しにきたわけじゃない、ということで陰から現れて、ついていく、という流れでしょうか。


 ただここでシータにこのセリフを言わせることにより、対比のアクセントをつけることができます。


最初:ロボットは凧を壊す破壊行動を起こしにきたのか!?

実際:巣を守る優しい行動だった。


 このセリフによりギャップを強調することができます。

 通常だったらこんなストーリーを考えるでしょう。


  突然ロボットが近づいてきて、手を振りかざしてくる。殺されると思って逃げると、自分たちが踏んづけていた巣を守りにきただけだった、という流れでも同様の効果が得られるかもしれません。

 それにしてもなぜ凧だったのでしょうか。

 ひょっとしたらですが、ラストシーンである凧で脱出、に向けての布石だったのかもしれません。


 それにしてもロボットが「巣を守りに来た」なんて設定が絶妙すぎます。もうここまで来ると、褒め称える言葉が思いつきません。ロボットは人間を守る、畑を耕す、その他人間のサポートをする、というイメージなら沸きます。

 しかしラピュタではそこに生息する動物までも守るプログラムが組み込まれている。ここに果てしない、ラピュタの技術、想像を超える意図のようなものを彷彿させられます。

 そしてこの心温かいロボットの行動により、今までの破壊的な行動の印象を一気に和らげることに成功しているのです。

 だからこそ、この先にくる、破壊兵器のロボットの残虐性がより一層増してくるのですが。


<もしロボットの平和的シーンが無かったら>

 ロボットの鳥の巣を守る、花を捧げる、というシーンがなかったら、どうなっていたでしょうか。ロボットは終始破壊的な兵器として刻まれます。それはそれでストーリーとしては成り立つでしょう。ただこの後出てくる重要なセリフ「可哀想なロボットを操っても……」のところで可哀想、というのが印象が薄れる気がします。兵器だったらその目的で作られたわけですし、可哀想というのも少し妙な気がします。本来なら心優しい行動を取らせて平和な利用方法がある力であるロボットを破壊と殺戮に使っているという状況があって初めて「可哀想なロボット」という言葉がしっくりきます。


<余談>

 そしてキツネリスが大量にっ!! このロボットも一度はこいつらに噛まれているんだろうか。


 はい、このあたりで再びジェットコースター開始。爆発音が響きます。静寂を打ち破るにはこの破壊音がもってこいですね。

 略奪をする兵士たちを見て、パズーがシータに話しかけます。


パズー「このままじゃムスカが新たな王になってしまう」

シータ「ほろびの言葉……」

パズー「まさか?」


 ここで一旦情報整理、改めて方向性を確認します。


・このままでは略奪より恐ろしい事がおこる

・何とか止めたい、でもどうすれば

・ほろびの言葉……


 この辺りは完全に説明の部分なので、テンポが悪くなります。長すぎると冗長に感じられてしまうのですが、それを感じさせない言葉、テンポがお見事です。そして最後には兵士に見つかりそうになる、というサスペンジョンも入れて次のシーンへ。


<ドーラ一家は不要>

 ここでやはりどうしてもひっかかるのがドーラ一家。シータ・パズーたちの目的は今やムスカを何としても止める、という方向に流れ始めています。それと同時に大きな目的が「ドーラ一家の救出」です。これら大きな二つの目的を同時進行するのは非常に難しく、製作者もかなり悩んだ部分じゃないかと思うんです。そしてどちらが重要かというと、やはりラピュタを守る(ムスカを止める)だとは思うんです。

 なのでやはりドーラ一家がいないほうが、本当はここからは話がスムーズに行くのです、「ラピュタをムスカから守る」という一本に絞れますから。でも入れてしまった以上は放っておくわけにもいかず、パズーは助けに行きます。でも読者の心には違和感が残る可能性があります。


読者「なんでそこまでして危ないことをするんだろう、飛行石を取り戻すのが先じゃないか。ドーラ一家を助けたって……」


 そんな疑問にもちゃんと答えを用意してあるんです。それは後々わかります。パズーがドーラ達の縄を切ったあと、ドーラがとあるものを渡します。それがグレネードランチャーです。


<余談>

 ラピュタの中枢にて。

「ここから先は王族しか入れない聖域なのだ、お前達はここで待て」

「大佐、」「大佐ぁ〜!」

 いや、ひどすぎるでしょ。

「大佐ぁ、だったらもっと前で返してくださいよ、こんなところで置いてかれたって、どーすんだよー」

 しかもその後必死に石を登っていたのに振り落とされる2人……。君たちのことを我々は決して忘れない——。


<情報を伝えたいときに、他の人に質問させる>

ムスカ「読める、読めるぞ〜」


 ムスカが中枢にたどり着いたとき、シータがこう問いかけます。


シータ「あなたは一体だれ?」


 通常であれば、この変●さんが一体何ものなのかは全く興味がないでしょう。でもここで敢えて質問させることにより、ムスカは自分の本当の名前を告げ、自分も王位継承者であることを明らかにします。1人で興奮していたのならこうはいきません。2人いて、片方に質問させることにより、スムーズにムスカの正体を喋らせています。


<ドーラは2人を待っている>

 ロボットが動き出し、みんな逃げ出しているところ、ドーラらしさのあふれるセリフがあります。


船員「ママ、飛べるよ。早く逃げようよ!」

ドーラ「静かに! 何をぐずぐずしているんだい、あの2人は。置いてっちいまうよ」

 間接的に待つよ、と伝えています。ドーラらしさが出ていますね。


<悪役は徹底的に>

 最後に逆転劇を作るには、とことん悪役は悪いことをして、状況も最悪な状況になった方が面白いです。恐れていたムスカに力が渡り、事態は最悪な展開を迎えました。ここの状況がひどければひどいほど、そこからの逆転はまた印象深いものになります。


<ドーラに渡されたグレネードランチャーの意味>

 実はパズーがドーラの縄を切ったときに何気なく渡した2発の弾とグレネードランチャー。これは実は深い意味があるのです。

 それは一体何か。


 何度も述べましたように、ドーラ一家はストーリーの本筋としてはもしいなかったとしても成り立つ存在ではあるんです。もしこのお話を1時間で収めろ、と言われたら泣く泣くドーラ一家の存在を消していたかもしれません。

 でも今回はいるんです。そしてパズーはわざわざ危ない目に遭ってまで、縄を切りに行くんです。この行動に対し、「大義名分」が必要になってくるんです。それがこの「グレネードランチャー」になります。

 この2弾のランチャーがこの後とても重要な意味を持ってきます。だからこそ、


・パズーがドーラを助けた

・ランチャーをもらった

・ランチャーのおかげでシータを救えた

・ドーラを助けて良かった


 となるのです。そのランチャーが関わってくるシーンにいきましょう。


<グレネードランチャーの使い方>

 まず一発目は内部に入るために使用、二発目はもう一度中に入るために使用。こうしてランチャーのおかげでパズーは中に入れます。でも入れなかったとしても、ムスカは飛行石が無いとただの●態野郎ですから、どちらにしろ会いに来るでしょう。そのことからもランチャーの意義を何とかして作り出したと言えます。(ランチャーは本当は無くてもよかった、後から入れ込んだのかもしれない)


ムスカ「その石を大事に持ってろ、小娘の命と引き換えだ」

 そういってスタスタと去っていきます。本来ならそこで飛行石と小娘の命の取引をするんでしょうが、ムスカは空気を読んでクライマックスの舞台である玉座の間へと勝手に行ってくれます。


 ここからのセリフは敢えて述べません。

 一つ一つが完成されていて全てが名言です。この言葉がどれだけ多くの人の心に残り、勇気と感動を与えたでしょうか。


「土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ」


 今書きながらも涙で目が潤んできました。ロボットが可哀想と言えるのは、平和的なシーンのおかげですね。最後の言葉は普通だったらどんな言葉にしますかね。


操っても……あなたは一生孤独よ

……乾いた心は決して満たされない


 土から離れて、というのがいいですね。天空に存在するラピュタの象徴、空から見下ろすという強い力を持っているようで、結局はやはり土から離れることはできない、ここに我々は色々な意味を盛り込んでこの言葉を聞きます。


<絶体絶命な状況をどう抜け出すか>

 玉座の間で取引をするシーン。


パズー「石は隠した」


 機転がききますね、石を持っていると言ったら撃たれて終わりですからね。本当は持っているんですけど。


パズー「おばさん達の縄は、切ったよ」


 ここでこの言葉ですか、ずる過ぎますね。この一言でパズーのドーラ達への優しさのみならず、自分たちはもう覚悟を決めている、ここは破壊され、自分たちもきっと生き残れないだろう、それでもやろう、ということを暗に示しているのです。なんて素晴らしい一言なんでしょうか。この言葉が出せるようになったら、一流なんでしょうね。

 そして銃を投げ、バルス。


<エンディングへ>

 破壊は途中で終わり、木は高く登っていきます。

 しかし一つここで疑問が残ります。なぜ滅びの呪文は全てを壊さなかったのでしょうか。通常であれば全て破壊、でも運良くシータ、パズーはグライダーにたどり着き、なんとか脱出、でも良かった気がします。そこをなぜ中途半端に残したのか。最後に言わなければならないことがあります。


「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」


 ではなく、


「宮崎監督チームはとんでもないものを、忘れていきました」


 それは


「人々の心の中に、ラピュタという夢を残していったのです」


 あれから何人もの人が空を見上げたことでしょう、あの空の、雲のどこかにひょっとした今もラピュタはあるかもしれない、そんな想像力が今を生きる私たちの心の原動力になっているのかもしれません。

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