アフォリズムコード/環境破壊構築/壊変引用変換

オドラデク

第1話

心の割符の官製統治。金融皇室の支配。宗教に偽装した宗教権力。


超越の形式を表現上の自由に押し込めて個人の才能を自然化するシステム。

そうすると社会上の形式と宗教上の認識の形式を対象内容の不可能性の違いではなく感性のカテゴリー対象に置換できる。つまり上部の命令を常に権力配置の立法権と錯覚する。


フィクションで絶対的自由と絶対正義の二極化を示し、現実は集団的な礼儀の隷属でコードをクラス化する。エクリチュールの物語の(不)可能性を科学的集団の実践の不可能性に宗教的教理の印象を接ぎ木するクラスタ。キャラクターが自由に勝利することは「可能」だが、自由となる主体の根幹はドグマの信仰として拒絶される。


アメリカの金融操作がないと日本の律令制からというのが問題ではあるまいか。だからこそ日本の占領が「学問的な自治」に任されているのだ。


金の上位命令があらゆる社会的靭帯から抜け出せる唯一の暴力だとしたら、そのさもしさを超越に置き換えて支配することに同意することが礼節だろう。要するに


キャラクターへの愛情を表現するのにイエスの献金箱の譬えの逆を促すようなシステム。とはいえ金持ちにとってはその方が良い実践になるのは疑いを入れない。問題はそのことが「収益性」という構造を決定することにあるのであって、一部の人間しか大量に金を投げられないということが問題なわけではない。神の声に金を払うことはしないがキャラクターの声に金を払うことには積極的になり、それは惑星の身体に壺として配置されたとしても詐欺にはならないが壺を惑星であるかのように性として売り払えば立派な詐欺に加担することになる。


文学的実践がキャラクターへの金銭的供儀でしか成り立たないとしたら、いかなる革命もそのネーミングセンスが疑われる。なのでキャラクターのネーミングセンスが革命のアレゴリーとして懐疑され物的対象の感覚が称揚される。


知的財産という証券を刷ってくれるお客様には批評家になる資格が与えられる。有名人のサービス産業。貨幣内容の自由が民族の基盤としての意志を

故に宗教的超越性とは創造性を差異化としてに付けられた異名になる。天皇制ジェンダーの矛盾が起こるのはこの点だ。というのも男女の信用創造の愛は男女の分割の創造の手付金として子育てを輔弼するわけではないからだ。


物価が上がることはエクリチュールの身体にいかなる影響も与えない。だから語りの享楽の実践は動画再生という密度に折りたたまれ、株価が上がり、性的実践の差異がトレースとして持ち上げられる。もちろん動画の再生はあらかじめ「去勢」されている。そこで挿入される戦闘が問題の敵を片付ける欲望になる。


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