第26話 暗黒銃士ヘシアン
都市の門が閉ざされるギリギリの時間に、その男は訪れた。
旅人のマントに帽子、歳のわりには老け顔の強面に眼帯をつけた長身瘦躯。
彼は適当に選んだバーの隅の席で、静かに酒をあおる。
時を刻む時限爆弾のような殺意を瞳の奥に隠し、染みついた火薬の臭いを酒の香りで誤魔化しながら。
────ターゲットはこの街にいる。
テーブルの上でコインを器用に回した。
────表、幸先良し。
仕事に入る前の簡単な占いだ。
店を出た直後、兆候は現実のものになる。
憂いを帯びたエジリが50メートル先の安宿へと入っていった。
男はすぐに準備にかかる。
その宿の屋上が薄っすら見える距離。
いくつもの建物が入り組んで視界が最悪な貧民街の一角にある建物の屋上に、男は移動した。
ズゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾ……。
操るは影と闇を孕んだ霧。
気取られぬよう光と人の密集するギリギリまで近づく。
……ブルル。
霧の中から馬のいななき。
真っ赤な瞳をした頭を地面から覗かせ、物理法則を無視した壁移動を行う。
馬の目を通してエジリの位置を確認。
宿の3階、街の通りにある部屋。
そこからの手際は早かった。
仕事道具の改造銃を取り出し、ガシャガシャと形状の変形や特殊なパーツを組み合わせたりする。
狙撃銃というには短く小さいが、この男にとっては十分すぎるほどの得物となる。
(狙撃用弾丸装填……暗黒霧との視覚共有、ターゲット認識。法則歪曲による弾道補正。完了。狙撃まで10秒、……8、7、6……)
────コツン。
黒馬が咥えた石を窓に放ってエジリに注意を向ける。
エジリが気になって窓のほうへ移動した直後、撃鉄は降ろされた。
吸い込まれるように弾丸は暗黒霧の中へ。
「……え?」
エジリの左腕に鋭い痛みと脱力が襲う。
窓ガラスが割れたの同時にうしろに倒れ込んだ。
(……し、下から撃たれたッ!? バカな……それらしい人物はいなかったはずッ!)
左上腕がえぐれ、酸をぶっかけられたような熱と痛みがエジリに恐怖を抱かせた。
血を滴らせながら
マントを破って腕を縛ると廊下の壁に寄りかかりながら座り、銃を取り出した。
弾倉内の弾丸を補填し、襲撃に備える。
ほかの宿泊客がいないのがせめてもの救いだ。
「私を殺しに来たのか……? どうする……どうする……このまま街へ出るか? いや、出た瞬間に狙われる。ハァ、ハァ、げ、ゲオル、ゲオル……」
カチカチと歯を鳴らしながら、自分のことを気にかけてくれたゲオルの名を呟く。
脳裏には優しく微笑むティアリカの姿が。
……帰りたい。
命の危険にさらされて初めて、彼らの言っていた今の生活がどれだけ尊いものかわかった気がする。
だが今さら後悔しても遅い。
どれだけ座っていたかわからなかったが、意を決してこの宿からの脱出を試みる。
これが最善の行動かどうかはわからないが、態勢を立て直す必要があるだろう。
相手の能力は未知数だ。
身を隠すことが先決であると、エジリは痛みと震える身体にムチを打って廊下の窓から脱出する。
「……逃げたか。無駄なことを」
男は暗黒霧で身を包ませ、その場から姿を消した。
思った通り、エジリは暗がりで狭い道を進んでいる。
ジワジワ恐怖と苦痛を与えながら殺せ。
これが依頼主からのオーダー。
男の名はヘシアン。
『暗黒銃士』の異名を持つ賞金稼ぎ崩れの、どうしようもない殺し屋。
「うぅ、クソ。ただの弾丸じゃない……妙な、力を宿している……回復薬じゃどうにもならないな」
小瓶を投げ捨て息を荒くしながら壁伝いに歩く。
寒気と高熱で今にも意識が飛びそうだ。
「……ッ! そこに、いるのは、誰だッ?」
暗がりの中に誰かいる。
返事はなくじっとこちらを見ているようだった。
さらに怒号を上げ銃口を向けてもピクリとも動かない。
まともな思考はできそうになく、引き金を引くとその影はバタリと倒れた。
かと思えば────。
「う、うしろッ!!」
背後から近づいてくる邪悪な気配をすぐさま察知し銃口を向けて引き金を引く。
だがドシャリと倒れた正体に絶句した。
人型の影と思っていたそれは形容しがたい違和感の塊。
無数の蹄、怒り狂うようにいななく黒馬の頭部、触手めいて蠢く黒い霧という泡立つ不自然の権化。
だが視認した直後に幻のように消えた。
「う、ひ……ひ……ッ!」
ゲオルが言っていた刺客の可能性。
人間の暗殺者を想定していたが、予想を根底から吹っ飛ばされて理性がさらに削られていった。
(────……3,2、1)
ヘシアンの弾丸が、いすくんでいたエジリの脇腹をえぐりとった。
「ぎぃいやぁあああああああああ!!」
断末魔と同時に戦意喪失。
バタバタと這いずるように路地裏を駆け抜けていく。
「どこだ……出口……どこだッ! あれ、さっきも着た場所……。クソ、私が迷うだなんて……」
どれだけ光を目指しても辿り着くことはない。
ルートを変更しても同じ場所へと戻ってくる。
これも暗い霧の影響なのか、幻覚や幻聴まで現れ始め、周囲が異界染みてきた。
(……6、5、4、3、2……1)
また銃声が響き渡る。
暗殺と言うよりも狩猟と言うに等しい技、これがヘシアンのやり方だ。
「さすが、しぶといな。……そろそろ終わりにしよう」
とどめの弾丸を装填しようとしたとき、現場の異変に気が付く。
高位の魔導術式が展開され、暗黒霧を防いでいた。
「まさか……ッ」
数人の国家機密魔導官が音もなく現れ、エジリを囲むように陣形を組んでいた。
彼女のそばにはヘシアンも知る男性。
「コルト・ガバメント……さすがは情報が早いな。だが、私の仕事は終わったようなものだ」
ヘシアンは暗黒霧を退かせて踵を返し姿を消した。
脅威は去ったことでコルトとその部下に安心感が漂う。
「おい、ヘシアンは?」
「ダメです。魔力感知システム、反応しません」
「そうか……。急いで彼女を基地の医療班に」
「病院は?」
「民間や通常の魔術ではこれは治せん……さぁ早くッ!」
移送を部下たちに任せ、コルトは超人染みた跳躍を繰り返し建物の屋上へ。
雨はもう上がっており、叢雲からは月がのぞいていた。
涼やかな風が老体を引き締めるのを感じると、真っ先に脳裏に浮かんだふたりの元へ行く決意をする。
「ティアリカ、ゲオル……このふたりも知らねばなるまい」
欲望渦巻くこの街に、ヘシアンという黒い影は今も潜んでいる。
金を貰って殺す、という機械的な意志だけで暗黒を蠢き、きっと今も機会をうかがっているに違いない。
「忙しくなる……教団も奴を雇うなど……あまりにも手段に迷いがなさすぎる……」
タバコに火を点けてくゆらせるその顔は、全盛期の彼を彷彿させるほどの迫力さを物語っていた。
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