第23話 エジリの蛮行

 次の日の朝、ゲオルは新聞の紙面を見て驚愕の一色に包まれる。

 

『世界の大英雄、全員死亡』


『ジャガンナート教団の列聖の勇、何者かの襲撃により全滅』


 昨日の夜に飲んだ酒が急にきたように視界がグワリと歪む。

 教団の名前は知らないはずもない。

 ティアリカが属していた団体だ。


「……まさか、アイツ」


 カフェでの一服のつもりだったが、一気に重圧がのしかかる。

 背後に誰もいないはずなのに、銃口を向けられているような冷たい感覚。

 眉間のシワを摘まみながら、エジリとどう話すかの算段をつける。


「めんどくせえ……この分だと恐らくはティアリカも新聞読んでビックリしてるころあいだろうな」


 一緒に行って話をするべきか。

 いや、またこじれるだけだろう。

 3人で話すにしても、まずは一度1対1で話しておくほうがいい。

 新聞のことについても問いただしたい。


(アイツが今泊ってる宿は……)


 手土産を用意しつつ、ゲオルは聞き込みをしながら彼女を探した。

 辿り着いたのはそれなりに小綺麗な宿だ。

 実力の乏しい冒険者や賞金稼ぎには縁のないような、洒落たクラシカルな造りのそれ。


「408、ここだな。……おい、エジリ。俺だ。ゲオルだ」


「帰れ。私は忙しい」


「話くらいいいだろう」


「話すことなんてない」


「……ロゼワイン。上物だぞ?」


「……ハァ」


 彼女の好みは知っていた。

 イラついていたりコンディションが良くないときはよくこれを飲む。

 先ほどより声色が柔らかになり、数秒後にはカチャリと鍵が外された。


「入れ」


「おうよ。……お前とこうしてふたりで飲むのは初めてじゃないか?」


「そうかもしれない。だがさっきも言ったが私は忙しい。ほんのちょっとだけだぞ」


「わかってるよ」


 お互いワイングラスに注ぐも、乾杯はない。

 淡いピンク色の液体をグラス越しに見ながらエジリは瞳を閉じて薫りを愉しむ。

 彼女はゆっくりと唇に触れさせつつ、スッキリとした味を舌の上で転がした。

 

 心なしか表情が和らいできている。

 緊張がほどよくほぐれていっているみたいだ。


「ほぅ……ん……」


「ほかじゃ飲めない奴だ。感謝しろよ」


「お前の酒選びには外れがない。思い出したよ」


「だろう?」


「お前は飲まないのか?」


「飲みたいんだけどね~……心配事があってど~も受け付けないんだ」


「……お前が? なんだ、もしかして私に相談したくてきたのか? 変な奴だな」


「我ながらそう思うよ。……今さらになってあの教団のことを新聞で見ただけで、こうしてブルッちまってんだからな」


 エジリの手が止まった。

 朗らかに見えた表情は徐々に最初のこわばりを見せる。


「……偽物の勇者御一行様。殺したのお前だろ」


「……だったらなんだ?」


「やっぱりか。自分がなにやったかわかってんのか」


「当たり前だ。我々の偉業を……ティアリカ様の偉業を……それを連中は」


「そういうことじゃあねぇ。教団が嗅ぎつけねぇとでも思ってんのか?」


「そんなものどうとでもなる。しょせんは烏合の衆だ」


「バカだねぇお前は」


「なんだと?」


「殺し屋のひとりやふたり差し向けてくるに決まってるだろ……いや、そんなことは来てからでいい。問題は、だ。……過去の栄光のために、お前、殺しなんてやったのか?」


「過去の栄光だと? ふざけるな! お前……お前はなんとも思わないのか!? あんなふざけた理由で、私たちの過去を穢されて、憎いと思わないのか!?」


「俺もティアリカも乗り越えてここまできた」


「綺麗事を言ってごまかすな! ティアリカ様があんな風でいいわけがないだろうが!」


「じゃあお前どうなったら納得するんだ?」


「決まっているだろ。あのお方を中心に新たな教団を立ち上げる。そして私たちの冒険を復活させる! 捏造や脚色の一切がない真実を、ちゃんと世に伝えるんだ!」


「ティアリカが賛同するとでも思ってんのか?」


「賛同するに決まってる!」


 彼女の目に迷いはなかった。

 瞳の奥の黒ずんだ狂気を真っ向にゲオルにブチ当てながらも、口だけを笑んでみせた。

 その姿があまりにもいたたまれなかった。


「無理だな」


「……は? なんでだ? なんでそんなことを言うんだ」


「お前、この街で暮らしてるティアリカがどんなに元気が知ってるか?」


「元、気……?」


「一緒に働く同僚、店に来る客、たまの休みに見る街模様。アイツ、前なら拒絶しちまうようなことをやっていくうちに、すっごく強くなったんだ。負けてたまるかってな。それでいてかつての正義感もあるもんだから。なんていうか、眩しい? ハハハ」


 そんな風に言ってみながら笑いかける。

 だが対する反応は激情からなるテーブルのひっくり返し。

 ワインボトルもワイングラスも床に落ち、じんわりとした染みを作った。


 能面のような表情のゲオルの胸倉を、鬼のような形相のエジリが掴みかかる。


「お前はどこまで腐っているんだッ!」


「……放せよ」


「聖女様が、ティアリカ様が世俗に汚れて美しいなど、あるはずがないだろう!! あのお方は立つべき場所に立つからこそ美しいのだ! ……あんな店で働いて生き生きしてる? バカも休み休み言え。聖女様はな、いつでも清らかで気高く美しい存在でなくちゃいけないんだッ!」


「今のアイツは、そうじゃないって言いたいのか?」


「当たり前だ!」


「……エジリ。お前がかつての聖女像に惚れちまってるのはわかる。だがな、もう終わったんだ」


「終わってない」


「剣と魔術と、勇気と情熱の大冒険の時代は、もう終わったんだ」


「終わってないッ!! あのお方の威光は永遠に語り継がれるべきなんだ! 勇者様だってそれを望んでいるはずだ!」


「アイツが? アイツとは出会ったのか?」


「……ッ! もういい、帰れ! 帰れぇえ!!」


 そっぽを向いたエジリは背中はどこか小さく映った。

 視線をワインボトルに落として拾い上げるとまだ少し残っている。

 ラッパ飲みして飲み干すと、それを片手にドアのほうへと向かった。


「ティアリカもお前のやったことを知っただろうぜ。どういう顔すると思う?」


「……泣いて喜ばれるに、決まっている」


「アイツ泣かしたら、お前でも容赦しねぇぞ」


 ゲオルは静かにドアを閉める。

 エジリの部屋に静寂と零れたワインの香りが充満していった。

 しばらくなにも考えることができなかったエジリは力なくベッドに寝転がる。


(……あーあ、やっちまった。こりゃもっと話がこじれちまうかなぁ)


 ゲオルはというと、公園のベンチに座りぼんやりと青空を見ながら物思いにふける。

 遠くから暗澹あんたんたる雲が流れてくるのが見えた。

 久しぶりに天気が荒れるなと感じたころ、他の店店も荒れ模様の支度をし始める。

 

「早めにティアリカのところに行っとくか。避けられねぇだろうしな」


 ティアリカは今働いている。

 客として行くのも悪くないかもしれないが、さすがにそう何度も店の酒を相伴にあずかるのも気が引けた。


 適当にブラブラしている間にも、暗雲は都市に迫ってくる。

 暗雲を背に迫りくる脅威も……。


 それは一頭の黒い馬に跨ったひとりの男が。


 



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