第5話『相談室2』
秋風と共に舞い上がった枯葉に、真鍋は思わず腕で目の辺りを覆った。渇いた音が風の音に交じって耳に入る。腕を見ると、砕けた枯葉がわずかにこびりついていた。それを手で払って、真鍋はまた歩く。
学校の駐輪場の周りには何本か広葉樹が植わっていた。どんぐりも散らばっているので、恐らくブナか何かだろうと真鍋は思っているが、詳しくは知らない。
見上げると、澄んだ秋空を背景にした木には、ほとんど葉が残っていなかった。もう秋も終わる時期だった。
この頃、真鍋は一人の生徒の相談をしきりに聞いていた。学年は2年。部活動での不満だった。緒方というこの男子生徒は、相談当初は単に部活でレギュラーが取れないことについて悩んでいると話していた。
緒方が所属している部活はダンス部で、10年前に設立されたごく新しい部活動だという。部員の増加に伴って部活動も拡大し、最近では素人の教師では指導ができないと、外部顧問を招いているらしい。
今では20名ほどの部員がいる。全員参加のダンスもあるが、5名から10名の大会ではどうしてもレギュラーに入ることができない――というのが緒方の主張だった。
……が、話を聞いていると、どうにも問題は実力不足に起因するものでは無いようだった。
「なんか、ミスなくやったつもりでも、全然評価されてない感じっていうか」
緒方が語る話は具体性の欠けた不満ばかりだった。だが、ここまでたびたび訴えているということは、その感触はただの気のせいではないのだろう。それを糸口に真鍋はこの一ヶ月ほど、根気強く緒方から話を聞いていた。
その甲斐あってか、この一週間でようやく、問題点が見えてきた。
緒方の能力そのものには、恐らく問題はない。これは本人の自己評価だけでなく、他生徒の証言からも明らかだった。本人の同意も得て二、三人から聞き取りをしてみたが、緒方の評価は高い。レギュラー候補に真っ先に上がるだろう人材だった。
この聞き取りと並行して、一つの問題が浮かび上がってきていた。
評価に対する不可解さを抱いているのは、緒方だけではない。部員のほぼ全員が人選について違和感を持っていた。レギュラーになるべき実力者がもっといるはずだ、と数人の部員が緒方を含めた部員の名前を挙げていた。
このころになると、相談室には緒方以外の部員が入ってくることもあった。基本的には一対一で話を聞くのだが、緒方と共に他の部員が入ってくることもあった。相談は最終的には外部顧問への不審や不満を告げる場になっていた。
(……悩ましい展開だ)
カウンセリングとは、あくまでも人を支える仕事であって、問題を解決する仕事ではない。多少の助言はできるかもしれないが、手段を模索して実行するのは、あくまでも相談者だ。しかし緒方たちダンス部員の目は、真鍋が事態を解決してくれるかもしれないという期待がこもっていた。
真鍋ができるのは、教職員に相談内容を告げて対処するよう勧告するぐらいだ。しかもそれは、相談者の同意が無ければならない。皆が皆というわけではないが、教員にプライベートなことを話してもいいと思う生徒はあまりいないのが実情だ。今回のように、外部から招いているとはいえ、指導者側に不満を持っている場合はなおのこと難しい。
(教員を巻き込むにしても、生徒側に十分な精神的余裕ができてからでないと、無理だな)
前日までの日誌を確認して、真鍋は改めて思った。
昼休み。緒方が相談室に来た。どことなく、いつもよりも緊張したような硬い表情だった。軽い近況報告から始まると、緒方はすぐに切り出した。
「俺、もう我慢できないんですよ。あの顧問に一言、言ってやらないと気が済まないんです」
かなり思いつめている様子だった。
「……何があったか、教えてくれるかな?」
急な話だった。その兆候は多少はあったが、それにしてもいきなり言い出したのには、何かのきっかけがあったのではないかと真鍋は考えたのだ。それは実際当たっていたようで、
「冬に大会があるんです。メンバーは8人なんですけど、レギュラーに入れなくて」
「人選に、納得いかなかった」
「はい。俺、今度こそ選ばれたくて、前に選ばれなかったヤツも一緒にメチャクチャ楽曲練習したんです。それなのに……言ってることも納得できないですし」
「言ってること?」
緒方は、その時のことを話しだした。その出来事があったのは日曜日で、全体練習が終わった後に大会に出場するメンバーの発表が行われた。そのメンバーというのが、到底受け入れられない人選で、その場では誰も異議を挟まなかったものの、不満を持つ部員は多く、部活が終わった後に緒方を含めた数人が顧問に詰め寄ったのだという。
「顧問に聞いたんですよ、人選の基準について。そしたらあいつ――」
『そりゃあパッションとフレッシュさだよ。輝きっていうのかな。ステージに立った時の輝き! 技術力だけじゃなくてそういうのが大事なんだよ。ダンスを良く見せようってんじゃダメだ。熱いハートをそのままぶつけるような表現が、良いダンスになるんだよ!』
――そこから、顧問は無駄に熱く精神論を語っていたのだという。真鍋は眉間にしわを寄せた。ダンスによる表現。それには確かに精神論は必要なのかもしれない。しかし、
「悔しかったんですよ。熱意が無いみたいに言われて。そりゃ、選抜メンバーだって真面目に練習してましたよ。けど、俺は選抜メンバーの倍は練習したって自信があります。あいつらだって裏で自主練してたかもしれないけど……練習量があいつらより下だと思わないし、熱意だって!」
「そうだね。否定されたら、凄く悔しいね」
同意を示す、真鍋。緒方はよほど腹立たしかったのか、歯を食いしばってうつむいていた。
「それで……緒方さんは改めて、顧問の先生に不満をぶつけたい、となったんだ」
「こんなんじゃ、俺だけじゃなくて他のメンバーだって報われないし納得いかないですよ。だからともかく、一言でも何か言ってやらないと気が済まなくて……でもそんなことしたら、俺は退部させられるかもしれない。二度とレギュラーになれないかもしれない……」
真鍋はひとつ頷き、
「不安なんだね。……だからこそ、一人だけでなんとかしようとするのは、難しいと思うよ」
「俺、どうしたらいいんだろう。やってやるって気だったのに、どうすりゃいいのか分かんなくって」
「……こういうことは、一人で頑張らない方がいいと思うよ」
真鍋は考えながら、答える。
「話を少し戻すけど……メンバーが選ばれたとき、誰もその場で不満は漏らさなかったと言っていたね?」
「へ? あ、はい……あの場で選び方がおかしいって言うと、メンバーになったやつも嫌な気分になるかなって、みんな思ってたみたいで」
「そういう気づかいを、選抜されたメンバーも感じ取っていると思う。緒方さんの周りには、同じ気持ちでいる味方も多くいるんじゃないかな? 直談判するにしても、一人でなんとかしようとするのではなくて、一人でも多くの部員が一緒にいてくれた方が、心強いんじゃないかな」
「そ、それは……でも、みんなを巻き込むのは……」
「みんなのことを思うのは、とてもいいことだと思うよ。けれど、自分以外の誰かを気遣うのと同じぐらい、自分を気遣ってあげてもいいんじゃないかな? それに……部の問題なら、なおさら一人で背負う必要は無いって、考えられないかな」
緒方は首を縦に振った。「そうかも」と呟き、そしていきなり立ち上がる。
「俺、みんなに話してきます! 今日はありがとうございました!」
「あ、ああ……気をつけてね」
緒方は勢いよく相談室を飛び出していった。あの調子で本当に大丈夫だろうかと思う一方で、このまま部員全員が結束できれば、緒方の立場はかなり良くなるのではないか、と真鍋は少しだけ肩の荷が下りたような気がした。
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