第85話 海沿いの町
「メジャーな所から回ろうか」
駅を出た後、要さんは迷いなく歩き始める。
要さんは私より先に起きていたので、観光スポットを調べてくれたのかもしれない。
駅を出て、しばらく歩くと要さんの目指している場所が視認できるようになる。朱色の鳥居と奥にあるお宮らしきもの。周囲の人も同じ方向に向かっているので、同じ場所を目指しているということなのだろう。
ちょっと長めに歩いて、その先に石畳の階段が待っている。
普段私は必要最低限の活動しかしていないので、明日は筋肉痛になるかもしれない。
連休ということもあってか階段を上る人は多い。登るのが早い人、遅い人入り交じっていて、年配の方にぶつからないように注意しながら登り切る。
歴史の舞台として有名な場所だとは知っているけど、歴史にはあまり詳しくなくて、そうなんだというくらいの感慨しかない。
でもお社は綺麗で、ちょっとだけ特別な場所な感じはした。
まっすぐに歩いてまずは本宮にお参りをして、帰り道はマップを見ながら境内を巡ることにする。
隣の要さんは淡々と私の指示通りに歩くで、史跡巡りが好きそうな感じもなく、メジャーな場所だから来てみたくらいなのかな。
入り口付近の池の前まで戻って来た所で、少し休憩を取ろうと足を止める。
「藤ですよね?」
「そうだね。まだ咲き始めっぽいね」
頭上の蔓状の植物の中に遠慮がちに淡い紫色の花がついている。
この前要さんと一緒に桜を見たばかりだと思っていたら、もう藤が咲く季節になっていることに驚く。
「要さんって花は好きですか?」
「どうだろう。自分で育てるってタイプじゃないのは確かかな。見れば綺麗って思うんだけどね。それに花が側になくても生きて行けるけど、紗来ちゃんが傍にいないと生きていけないから紗来ちゃんの方が大事」
相変わらずな言葉に、呆れ声を上げる。
「生きて行けないって言っても、私と出会うまで生きて来られてるじゃないですか」
「ん……そういう意味では生きて行けるかもしれないけど、戻りたくない、かな。紗来ちゃん、この町ね、わたしの生まれ育った場所なんだ」
「えっ?」
今日の目的地が、要さんの実家の方面であることには気づいていた。でも年末に聞いていた場所はもう少し東側の街で、少なくとも自転車で気軽に行き来できる距離ではない。
あの時は何か事情があって誤魔化したのかと要さんの瞳を見る。
「詐欺師? みたいな目で見ないで。母親は再婚したし、姉も結婚して、わたしも一人暮らしを始めたから、わたしの実家って正確にはもう手放してないんだ。お正月に帰ったのは、母親の再婚相手の家だしね」
わたしが聞いていたのは、現在要さんのお母さんが住んでいる場所なのだろう。親が住んでいる家=実家は間違いではない。
「そうだったんですね。じゃあ、今日は久々に帰ってみたくなったですか?」
私の投げかけに要さんは首を横に振った。
今日の行き先を決めたのは要さんだ。それならば、何を思ってこの場所を選んだのだろう。
「家を出た時、もうここに帰って来ることはないだろうって思っていたし、何も未練もなかった。この町って歴史があって、緑もあって、海もあって、観光に来る人はいい町だってみんな言うけど、わたしにはそんなことどうでも良かったんだ。ほら、人ってそれが当たり前にあると何も感じないでしょう?」
「じゃあ、外に出てみてこの町の見え方が変わりました?」
「それも違うかな……この町自体が悪いわけじゃないけど、わたしには苦しかったって記憶しか残ってないんだ。母娘3人でそれなりに楽しく生活していたはずなんだけど、振り返る必要もない過去なんだよね」
「それは、ここに住んでいた頃に何かあったんってことですよね? 前に言われていた両親が離婚したからですか?」
「その件は、わたしが何をしても元に戻るわけじゃないって分かっていたし、そこまで思い悩んではないよ。わたしが苦しかったのは、むしろわたし自身のことなんだ」
「要さん自身のことなら、無理に言わなくていいです」
要さんが振り返りたくないと言う原因を聞くのは簡単だ。でも、それは要さん自身を抉ることになる。
「紗来ちゃんには聞いて貰いたいから聞いて。わたしは、レズビアンだって自認ができるまで、人に合わせようとばかりしていたんだ。今ならそんなことに何も意味がないって言い切れるんだけどね。
狭い町で普通であろうとした、かな。わたしね、男性とつきあっていたこともあるんだよ」
「ええっ!?」
あまりにも意外な発言に失礼だと思いながら思いっきり驚いてしまった。
私にとっての思春期なんて何か思い悩んだっけ? ってくらいだけど、要さんはレズビアンだと公言する人なので、どこかで自分が他人と違うことに気づくというプロセスがあったはずだった。
そして、それは要さんにとって悩みを伴うものだったということは、発言だけでも感じ取れる。男性と付き合うなんて今の要さんじゃ考えられないけど、過去の失敗があるからこそ、今は割り切れているのかもしれない。
「中学生の頃だったから、一緒に帰るとか、そういうことくらいしかしてないけど、周りに担ぎ上げられて勢いで付き合って、付き合ってからが最悪だった。相手に問題があったわけじゃないけど、好意を示される度に向き合い方がわからなくて、逃げたくて逃げたくて、2週間くらいで別れちゃった」
「要さんは今は堂々と周囲に言っちゃってますけど、そこに至るまではいろいろあって当然ですよね」
「まあ、それなりに。ふっきれたのは大学に入ってから。梓と出会ったのもその頃なんだ。この街の外に出ることで、初めてわたしは自分の心を偽らずにいられるようになった。だから、もう戻ることはない場所でいいって思ってた」
「それなのに今日の行き先にこの場所を選んだのは何故ですか?」
要さんに行ってみたいと口にした記憶も私にはないので、ここを行き先にするのは要さんの意思が入っている。
「試したかった、かな。紗来ちゃんといれば、この街を過去にできる気がしたから」
「…………できました?」
恐る恐る問いかけると、要さんが口元を緩めてくれる。
それに胸をなで下ろした。
私は行きに寝てしまうくらい緩く今日のデートを捉えていた。でも、要さんはずっと寝られていなかったのかもしれない。
初めに話しておいてくれればいいのに、暢気すぎた朝の自分が恨めしい。
「駅を降りた瞬間に懐かしさは感じたけど、紗来ちゃんと手を繋いで歩いて、あの頃の気持ちは蘇らなかった。紗来ちゃんが隣にいれば、紗来ちゃんとのデートを楽しめたよ」
「無理してません?」
「そう言ってくれる紗来ちゃんが好き」
要さんが笑顔を見せてくれるから、大丈夫なのだろうと思うことにした。
今更だけど、今日は要さんとデートを一緒に楽しめるように頑張ろうと誓う。
「これからどうする? 少し移動すれば水族館もあるからペンギンも見られるよ」
「いえ。要さんが嫌じゃなかったら、もう少しこの町を歩きたいです。要さんをもっと知りたいです」
「じゃあ、そうしようか。地理には疎い方だけど、この町なら迷わないから」
「じゃあ要さんにナビゲートはお任せします」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます