第17話 楠見さんの事情
「中でちょっと話そう?」
動けなくなった私は楠見さんに手を引かれて、久々に楠見さんの部屋に入る。
楠見さんは扉を閉めて鍵を掛けると、部屋の中に入ってしまう。私にもついて来いということらしい、とそれに続いた。
楠見さんの部屋に入るとディスプレイにゲーム画面が映し出されていて、ゲーム中だったことが分かる。
「あの……余計なお世話だったのなら、お弁当は持って帰ります。実は楠見さんの分を作ることしか頭になくて、自分の分を作り忘れていたので、持って帰っても困りませんから」
「それで、泣くんでしょう?」
感情のない突っ込みを肯定することも否定することもできない。
「…………私が勝手にしたことですから」
「気づいていたかもしれないけど、紗来ちゃんとは少し距離を置こうかなって思っていたの」
私から視線を逸らして、独り言のように楠見さんは言う。
「避けられている気はしていました。私は世間知らずで、付き合いづらいですよね」
「そんなこと思ってない。この前のはちょっと腹は立ったけど、わたしは紗来ちゃんのやることに口を出す権利なんてないから」
「そんなことないです。楠見さんが私の為を思って言ってくれたことですよね?」
「そんな綺麗事じゃないよ」
それ以外の何の理由があるんだろうと楠見さんを見上げる。
外で見る楠見さんも綺麗だけど、家で見るノーメイクの楠見さんは飾っていない分だけ地の綺麗さが引き立つ。斜め横から見ても瞳には透明感があって視線が離せない。
不意に楠見さんが向きを変えて、正面から私を見つめる。
私を見つめたまま楠見さんは動かなくて、どういう意味のものかを計りかねて楠見さんを伺う。
口を開こうとした時と、楠見さんに抱き寄せられたのは同時だった。
「もうちょっと時間を掛けようと思ってたのにな。もう無理みたい」
「楠見さん?」
「紗来ちゃん、わたしは紗来ちゃんのことが好きなの。お付き合いしたいって意味で」
「えっ……?」
「そんな顔するよね。そうなると思ってた。わたしね、レズビアンなんだ」
抱き寄せられた腕はすぐに解かれて、でもすぐ近くに楠見さんの顔がある。
知っていたけれど、そのことを私は自分には紐付けられていなかった。
「私なんか何も取り柄ないですよ?」
「わたしは紗来ちゃんが可愛くて仕方がないんだけど。不器用だけど真面目で、人に対しての気配りをしてくれる紗来ちゃんが好き。
紗来ちゃんは誰とも付き合ったことがないって言ってたし、ちょっとずつでもいいから距離を縮めて行こうって思ってた。でも、それよりも誰にも奪われたくないって思いの方が出て来ちゃったの。幸せにするから、わたしと付き合って」
「……どうして、そんなプロポーズみたいな言葉で言うんですか」
「わたしはそのくらいの覚悟で言ってるし、何か安心できるものがないと、わたしは紗来ちゃんには絶対に選ばれないと思うから」
女性と付き合うなんて、私の中で考えになかったのは確かだった。
でも、こんな風に私を好きだと言ってくれる人なんて、これから先現れるだろうか。
「紗来ちゃん」
名を呼ばれて視線を上向けると、また楠見さんが近づいてくる。顔を寄せて来た楠見さんが何をしようとしているのか考える前に、唇が重ねられていた。
柔らかな唇。
人の唇はこんなに柔らかいんだと初めて知った。
「く、くすみさん!?」
「気持ち悪かった?」
「それよりもびっくりしました。いきなり何をするんですか」
「紗来ちゃんが信じてくれていなさそうだから」
「ファーストキスなんですけど」
「それは良かった」
「…………私、楠見さんと付き合うって言ってませんよ」
「分かってる。これは条件提示みたいなものかな。紗来ちゃんを大事にして、ずっと愛して行くっていう。もちろん、気持ちいいこともしたいし、紗来ちゃんを気持ちよくさせる自信もあります。
後は、女性と付き合うなんて自信がなくて当然だと思う。駄目だって思ったら捨ててもいいから考えて欲しい」
まだ信じられていない部分も多い。でも、楠見さんが私と本気で付き合いたいと思ってくれていることは伝わった。
「楠見さんって叶野さんのことが好きなんだと思っていました」
「叶野さん? かっこいい人だけど、我が道を行くって人だから、よっぽどじゃないとあの人には付き合えないんじゃないかな。それに、叶野さん付き合ってくれる恋人がいるよ」
「叶野さん恋人いるんですね」
「…………気づいてなかったんだ」
「えっ?」
「叶野さんのことはいいから、わたしは紗来ちゃんと付き合いたい。もう離したくなさすぎて我慢できなくなったから付き合って」
「考える時間くれないんですか?」
今すぐ答えを求められても、頭が全く追いついていない。
「あげない。紗来ちゃん迷うから」
優柔不断な性格を見越されてか、悩んでる内に楠見さんの腕が腰から後ろに回ってきて、全身を引き寄せられる。
綺麗な顔を至近距離で見せられるなんて、それだけで脅迫に近い。
「ちゃんと責任取ってくださいね」
この距離で詰められてノーなんて言えなかった。
「もちろん」
笑顔の人は、再び顔を寄せてきて、唇が重ねられる。
触れられることにも慣れていなくて、それをただ受け止めるだけしかできない。2度目、3度目になって行くと楠見さんの方が向きを変えたり触れ方を変えたりしてくれて、その度に経験値が積算されていくようだった。
「楠見さん、ゲームで忙しいんじゃなかったんですか?」
なかなか楠見さんは離してくれなくて、一応答えは出したし、解放して欲しいと声を上げる。
「そんなことよりも大事なことができたからいいの。紗来ちゃんといちゃいちゃしたい。お弁当も一緒に食べよう?」
封印していたものを解き放ったかのような満面の笑みに、安堵をしてしまう私がいた。
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