思いがけず隣の美人のお姉さんと仲良くなりました

海里

1章

第1話 隣人

「あんっ……やだっっっ……」


0時を回った時間に、隣から漏れ聞こえて来た声に、耳をそばだてる。


これは、あえぎ声というやつだろうか。


裏声のように高いけど、どこか湿を帯びた声は、途切れ途切れに聞こえてくる。


「ああっっ……んっっ……」


私は生まれてこの方、誰とも付き合ったことはないし、体を触れあわせるなんてこともしたことはない。


でも、さすがにセックスがどういうことをするかくらいの知識はある。


とはいえ、生々しさに体が硬直する。



都会ってすごい。





就職を機に私、都築つづき紗来さらは一人暮らしを始めた。


一人で住むということは門限もなければ、何をするのも一々親に言わなくてもいいということだった。


とはいえ、急にアクティブになれるかと言えばそうではなくて、職場と家の往復の日々が続いている。そんな私とは裏腹に、隣人はプライベートを満喫しているようだった。


なかなかその声は止まなくて、イヤホンをつけて布団を頭から被る。


何時間ぐらいで終わるものなのかを調べてみて、余計な情報まで目に入ってしまって、途中で調べることを放棄する。


私の年齢であれば、結婚をして子供もいる人も勿論いる。ということは、隣人が恋人を呼んでコトに及んでいても、誰にも責める権利はない。



でも、やっぱり刺激が強すぎる。



その日以降も時々その声は聞こえてるようになり、パターンも分かってくる。大抵は休みの日の夜遅くで、それを避けるように、私はインターネットの動画を流しっぱなしにするようになった。


そういうことには興味がないわけじゃないけど、他人のあえぎ声を聞きながら自分を慰めるなんてことはしたくなかった。





私は地元から通える距離にあった大学を卒業後、IT系の会社に就職した。


IT業界を選んだのは、社交的じゃない性格でも許されそうな気がしたことと、手に職をつけられそうな職種に思えたからだった。


1年目、社会人としても1年目になる年はプログラムを書くのも初めて、長い時間働くのも初めて、一人暮らしも初めて、と初めてづくしだった。必死で1日1日を過ごしている内に2年目に突入していた。


2年目になると少しずつ仕事をすることにも慣れて、社会人ってこんなものなのだと感覚が掴めてくる。


3年目になると、仕事も一人暮らしも日常になって、無意識の内に体が動くようになった。


「こんにちは」


土曜日の午後、買い物から帰って来た私は、マンションの廊下で一人の女性とすれ違う。


一番奥の私の部屋の一つ手前の部屋から出てきた女性は、目を留めてしまうような美人だった。ファッションにもメイクにも気を遣っているのが分かって、なんとなくメーカ系の会社に勤めていそうな人に見えた。


私は自分のファッションセンスには自信がないので、ファストファッション系の店で、その場その場でなんとなくで服を選んでいて、隣人と私は正反対に見えた。


「こんにちは」


すれ違いざまに挨拶を交わしてから、廊下を一番端まで歩いて部屋に戻る。


就職と同時に、私は会社が寮扱いにしてくれるこのマンションに引っ越しをしてきた。その時に1Rマンションということもあってか、周辺の部屋への挨拶も結局していない。


私の部屋は5階の角なので、隣り合っているのは一部屋だけ。住み始めてから住人が変わっていなければ、先ほどすれ違ったのは以前聞いたあの声の主になる。


私より少し年上くらいの美人となれば、恋人はいて当然なのかもしれない。


今更ながらに以前聞いた声が蘇って来て、肩を竦めながら首を振った。


正直に言って、リア充とは遠い世界に私は生きている。


私は好きなものができても、冷めるのも早くて長続きしない質だった。


だからなのか、なんとなく好きかもしれないと思ったことはあっても、いつも見ているだけでその内に告白することもなく諦めてしまう。


社会人になれば、恋をして、結婚をして、子供を産んでという決まり切ったルートさえ、まだ自分には遠いものでしかなかった。


同じマンションに住んでいても人生を謳歌できる存在とできない存在はいるんだな、なんて自虐的なことを思いながら、狭い1Rの玄関でため息を吐いた。


私は自分の今の生活を辛いと思ったことも淋しいと思ったこともないけど、同じように義務教育を受けて大人になるのに、人って何でこんなに違うんだろう。

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