第32話 ほしいもの

 張り巡らされた白線。


 あたりに突き刺さる短剣短剣短剣―――


 そしてその地獄の真ん中で、囚われになった女がいる。


《グラゥゥ……》


 彼女を守護する獣は牙を剥き、しかし実態持たぬ身でなにをできるはずもなく、そもそも彼女はそれを求めてなどいない。


「―――いちおうこれでも副委員長だからね、そう簡単に後輩に後れを取るわけにはいかないんだ」


 囚われのアルフェを前に、エデンスは深々と吐息する。

 身体の至るところにあらゆる手法で隠した短剣の、そのほとんどを出し尽くしてずいぶんと身軽になってしまった。


 それでも一応、先輩としての威厳は保てたかな。


 エデンス懐から取り出した紙をドレスのスリットからするっと紛れ込ませて腰元に挟んだ。

 そっと耳元に口を寄せ、眼前に牙が迫っていることにさえ気が付いた様子もなく―――あるいは眼中になく告げる。


「約束通り、あげよう。もらってくれるね」

「……謹んで頂戴いたしました」


 エデンスは笑い、アルフェのしなやかな太ももに引っかかった白線をつんと引く。

 ぺぅっ、と軽く弾いた線が肌を打って、その衝撃が伝播した切っ先があっさりと抜ける。張力によって踊った切っ先は次の短剣を弾き、そして短剣は次々と落ちていった。


 あっさりと自由になったアルフェはシャンと立ち、エデンスにひとつ礼をした。


「感服いたしました先輩」

「それはこちらのセリフだね。去年に引き続き、どうも後輩たちに恵まれているらしい」

「……今年は、私以外にもどなたか?」

「うーん。かもしれないと思っていたんだけれど……どうも期待は空振りみたいでね。一緒に正義を振るいたかった。彼女ほどに苛烈な正義はまたとない」


 また。

 口ぶりからして元風紀委員の復帰を求めていたのだろうか。ずいぶんと惜しんでいるらしい。


 エデンスはアルフェに意味ありげな視線を向けると、にっこりと笑って小さく首を傾げた。


「キミには期待しているよ。我々は力を欲している」

「誠心誠意励ませていただきます」


 笑みを返すアルフェにエデンスはうなずく。


 いずれにせよ、これで目的は達成だ。


《……ケッ》


 不満げなベルは後でなだめてやる必要があるだろう。

 ベルの力にもたよらず、純然たるアルフェだけの実力でみすみす敗北したのだ、かなり機嫌が悪くなっている。


 正直なところ―――甘く見ていたのは事実だった。


 というより、どちらかというと過大評価をしていた。

 他ならぬ自分は、もっとやれるとそう思っていたのだ。

 

 これまで努力を欠かさなかったという自負があり、そして紛れもなく多彩な才があるという事実がある。

 だからアルフェは自分を、少なくとも能力においては極めて優れた人間であると疑わない。


 しかし、それだけだ。


 迷宮の件といい、深く実感する。

 自分は優れている―――だがそれだけだ。

 努力に努力を重ねてなお、越えられない壁が目の前にある。全身全霊でないのは相手も同じ、開示していい手札だけでぶつかって、それで負けたのならそこまでだ。


 もっと、もっと強くならなければならない。


 ……しかし。


 しかし、そのためにどうすればいいだろう。

 努力をするにもただ遮二無二鍛えるだけでは頭打ちだ。金色にさえ敗北する自分が、白色に至るには何かが必要だった。


 学問で突き抜けるには時間も才も足りない、力を得るために必要なものがある。


 そう、強烈に思う。


 それはなにか。

 生命を脅かすほどの経験? それとも愚直に積み重ねた研鑽があるとき臨界点を超えるか、しかしたった四年で―――あるいは実践剣術のあの異様なる老人を思えば今学期中にでも力が必要と思えば悠長に待ってなどいられない、であればたとえば自分より強く、そして自分を鍛え上げる師……そんな都合のいい人物などそうはない。


 目の前のエデンス。


 彼女は強い。

 だが足りない。

 アルフェは極めて秀才だ、だからこそ生半可な相手に教えを乞う暇などない。


 カーテシー三姉妹のような、ミリオネアの記した論文のような、圧倒的な才能を喰って喰って喰らい尽くさなければ時間が足りない。


 アルフェは力を欲する。


 傲慢にも、愚かにも、短い時間でこれ以上ないほどの力を欲している。

 そのためにはもっと鬼気迫るなにかがいる。


 鬼気迫る、といえば―――アルフェはふと思い出す。


 それはフリエが言っていたことだった。

 風紀委員会委員長、彼の戦いぶりは鬼気迫るものであったと。


「……エデンス先輩。風紀委員長は、今委員会室にいらっしゃいますか?」

「居ないんじゃないかな。なにせ現場主義だから……校舎外の治安維持だね」

「そうですか」

《げはは、どうせなら顔面拝んでやりたかったぜ》


 ベルは笑うが、アルフェも同じようなことを思っていた。

 なにせこれまで、委員長の姿を見た事は一度もないのだ。どうやら評判を聞くに、ひとめ見れば見間違いようもないほど威容であるらしいが―――


「いずれ対面する機会もあるさ。総会議のときには集まるしね」


 からりと笑うエデンス。


 風紀委員長は現場主義……あるいはその現場に駆けつけてでも一度会っておくべきかもしれないと、アルフェは思った。


 ―――そんな、はたから見ればそうと分からないほどに静かな焦燥をなだめるようにベルが頬をぺろりと舐める。


《オマエがそんな顔するくらいなら、ワタシに全部ぶちのめさせろ。テキザイテキショってやつだろぉが》


 不服そうに鼻を鳴らすベル。

 アルフェはまたたき、そっと笑った。


「? どうかしたのかい」

「いえ。お会いするのを楽しみにしておきます」


 はぐらかすように笑んだアルフェは、それから改めてエデンスに別れを告げる。


 いずれにせよ、目的を達成したことに変わりはない。

 今はただ、それでよしとしよう。

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