あわあわあわ

B・輪太

あわあわあわ

定時を過ぎて一時間が経った。大量のデスクが詰まった無機質で大きな部屋に、カタカタとキーボードの音が響く。

 別にミスしたわけでも、期日に間に合わないわけでもない。ただの精神安定。昼に買ったっきり忘れていてすっかり不愉快な温度になった缶コーヒーを傍らに、無心になるために残業している。昨晩から頭の中で慢性的に主張してくる一文をかき消すために。

 ――あいつが辞表を出した。

 同期で誰よりも輝いていた、私の心の支えが。密かに想いを寄せて、大いに妄想を繰り広げた、憧れのあいつが。たった今残業中の私に気づいて、缶コーヒーを両手に近づいてきているあいつが。

「おつかれ。なんだよ、せっかく買ってきたのに」

「これ、昼間に買ったやつだから温かくないの。そっち貰っていい?」

 今月いっぱいで辞めてしまう石水君は、人の気も知らないで親切にしてくる。あんな人間になりたい。不思議なことに、自分のぶんのコーヒーは微糖を選んでいることすらも、憧れてしまうのだ。

 彼が私の顔の横から手を伸ばし、デスクの上の不愉快コーヒーと熱々コーヒーを取り替えながら「手伝おうか?」と言って缶を開ける。

「いいよ、べつに急ぎじゃないし」

「じゃあなんで残ってんのさ。身体に悪いし、必要のない残業は会社にとっても損だよ」

 あんたのせいだ、なんて言えるわけない。

「そうだね。もうあがるよ」

 本人が現れた以上、どれだけ仕事に集中しても精神安定なんてできない。

「ねえ、このあと時間ある?久しぶりにご飯行こうよ」

 こいつが現れてから意識していなかった空腹がしつこいくらい主張していた。責任をとって、ひとり暮らしの寂しい夕食を想い人との楽しいディナーに変えてもらおう。

「いいね、いつもの所でいい?」

 いつもの所というと、あの居酒屋か。ディナーとは言えないがまあいいだろう。こうなったらとことん思い出を作ってやろう。今日からたくさんこいつと話して、会えなくなってからずんずん落ち込んでやるんだ。

 重たい未来設計図が出来上がり、決意と同意の意味を込めて「うん」と頷いた。


「なんでえ。なんでよおおう」

「だから車なんだってば。飲み過ぎだよ」

 新入社員の頃、同期のみんなと……時々こいつと二人きりでご飯を食べにきていた、会社から少し遠い居酒屋。嫌いな上司と鉢合わせないように、上司達が来ないような小さくて田舎感のある居酒屋をみんなで探した。

「みんな今何してるんだっけ」

「高槻は寿退社して、佐門は地元の友達と音楽でしょ。鈴木はこの前本を出して、水上はデザイナーに転職、小岩井は教師になった」

 彼は少し笑いながら「何回この話すんの」って言ってお造りを口に運んだ。

 私が覚えているだけでも、今日で二回、先々月に高槻が辞めた時から合わせると七回。

「みんな幸せかなあ」

「幸せだといいね」

 店員さんが空いた皿を下げる時に、石水君が二人分の水を頼んだ。あと私の砂肝も。

「幸せになりたいなあ」

「粟森は幸せじゃないの?」

「どうなんだろうね。少なくともこれからは幸せじゃないよ。君がいなくなっちゃうんだもん」

 酒のおかげで口がとても軽い。

「そんなの大袈裟だよ。俺がいなくても幸せになれる」

「大袈裟じゃない。私の幸せな理想の中にはいつも決まって君がいた。君は私の憧れで、君が私達を置いて出世していくのがさ、なんていうか、誇らしかった。君はすごいよ」

 心に秘めておきたかったことが次々と口から逃げていき、酒気帯びた赤ら顔がさらに熱くなる。

「すごくなんかないってば。出世も周りの人にたくさん支えられてできた。運が良かっただけだよ。みんなが俺の子守をしてくれたみたいな感じ。ほら、俺子供っぽいって言われるし」

「そこに憧れてるんだよ。私は大人になっちゃった」

 運ばれてきた水を手に取って、手首を回して揺らす。下から眺めると、オレンジ色の店の照明が波立った水面に反射して、ビカビカと力強く綺麗に光っていた。

「君が言ってる周りの人って大人でしょ。私だって君の言ってる周りの人だよ。相棒の粟森和歌じゃなくて、周りの人Aであって大人その一なんだよ」

 正直、誰よりも彼を支えてきた自信がある。彼を支えることに喜びを感じていた。だから私は大人なんだ。大人は子守が好きだから。ポジショントークが好きだから。

「ごめん。そんなつもりで言ったんじゃなくて」

「分かってるよ。君は子供だから純粋な言葉を選んだだけ。私は大人だからそれを汚しちゃうの」

 飲んでいた酒の残りに水を注いだ。またああやって光ってくれるのか恐くなって、回すのをやめてテーブルに置いた。

「そんなに大人は嫌?」

「うん。すごーく嫌」そう言って彼から目を逸らし、水で薄めた酒に視線を落とす。

 少し間が空いて、嫌な空気を割るように砂肝がテーブルに置かれた。逃げるように砂肝に食らいつくと、形容し難い歯ごたえが心地よく感じた。ジャリジャリではなく、サクサクでもなく、でもそれに近い擬音になるはずだ。昔ならスッと出てきただろうに。

「私ね、泡で遊ぶのが好きだったの。お風呂でずっと遊んでた。フワフワしてて、よく見るといろんな色が揺らいでて、幻想的で……心が満たされた」

 砂肝よりわたあめ、酒よりオレンジジュース。ずっと変わらないはずだったもの。変わって欲しくないって思った頃にはすでに大人だった。

「空には夢が詰まっていて、足元には冒険が広がっていて、眠ればお姫様になれて、化粧をすればお姫様が鏡の中に出てきてくれた」

 薄くなった酒を喉を鳴らして飲む。

「それが今ではどうよ。天気予報を見て空を見なくなった。公園の飛び石は歩幅が合わなくなったし、ショッピングモールのタイルの線も踏むようになった。寝てもろくな夢見れないし、化粧をしても鏡にいるのはくたびれたOL」

 顔を上げると彼と目があった。彼の目にはどう映ってるんだろう。くたびれたOL?それよりもっとひどい?少なくともお姫様には見えないだろう。

「この前ね、お風呂で泡遊びしてみたの。片付けが楽だった。水をかければすぐに片付く。溶けて、滑って、回って、全部どんどん排水口の中に吸い込まれていく。とっても片付け易い遊び道具だった」

自分でもどうかと思うぐらい卑屈で、でもそれが大人になってしまった自分の本音だった。

「ほらね。大人ってすごく嫌でしょ?」

「でも、大人じゃなきゃできない事のほうが多いよ」

「そんな事できなくても良かったんだよ」

「そんなものかね」

「そんなものだよ」

「じゃあ子供でいてほしいな」と言って、彼は私の砂肝に箸を伸ばす。一つかと思いきや、二つ、三つとひょいひょい口に運んでいく。

「ちょっと、私の砂肝」

「ごめんごめん。今日は奢るからさ」

 いつもは割り勘なのに。気を遣わせてしまったのだろうか。でも、ここで遠慮するのは大人なのではないか?ここはお言葉に甘えよう。彼と一緒に砂肝を口に詰め、コップの残りで流し込み、食器を積み重ねてまとめる。

 彼が鞄から財布を取り出すと、時計の方をチラリと確認した。私も釣られてそちらを見ると、壁に掛かった古いユニークな時計の短針が、犬と竜から猪と蛇に代わるところだった。

「ねえ、連れて行きたい所があるんだけどさ、まだ時間ある?」

 迷う必要は無い。彼と思い出をつくるんだ。

「うん。連れてって」


 彼の車に揺られて一時間程経った。彼は山道をくにゃくにゃと器用に運転する。アルコールで弱体化した三半規管はもちろんギブアップしてしまった。さすがに車内に吐瀉物を撒き散らしてはいけないので窓を開けると、夜風がごうごうと車内に侵攻してくる。

「うう……さっむいね」

「こんな季節だし、ドがつくほどの田舎だからね。たまに凍死者も出るよ。小さい頃に近所で飲んだくれが凍ってた」

 血の気が引いたおかげで吐き気も引き、そっと窓を閉めた。

「寒いのは悪いことばっかじゃないんだよ。コーラとかチョコとかベランダに置いとけばキンキンだし」

「デメリットに見合ってないよ」

 身体の表面は少し冷えたが、酒がまだ残っていて内側はまだぽかぽかしている。残った酒気が温めたのは私の体温だけではないようで、窓が曇ってしまっていて、彼が外気のスイッチを押した。「寒いよ」と私が言うと「よく見えないんだって」と言いながら、彼は速度を落として、後ろに手を伸ばし、ダウンコートを手探りで持ってきて渡してくれた。

 座席の上で膝を抱えて彼のダウンに包まっていると、前方から一台の軽自動車がゆっくりとやってきているのが見えた。山道に慣れていないという雰囲気で、恐る恐る近づいてきている。私達は修学旅行で見回りの先生が来たときみたいに静かになった。別にいけない事をしているわけでもないのに。ドキドキする反面、静寂が辛くてむず痒い。通り過ぎるときにハイライトが眩しくて目を細めていると、彼の方から沈黙を破った。

「粟森はさ、会社辞めたい?」

「辞めたいよ。でもさ、うちの会社って結構ホワイトじゃんか。定時に上がらせてもらえるし、雰囲気もそこそこいいし。もしこの会社辞めたら、こんな条件で働ける所なんて中々見つからないよ」

「じゃあ辞めないんだ」

「多分辞めれないんだと思う。周りの目とか気にしちゃうし、私が抜けた皺寄せが誰かに行くかもしれない。立つ鳥は跡を濁したら嫌われちゃうの」

「それは大変だ。俺も気をつけなきゃ」

 そういう国民性なんだからしょうがない。判官贔屭が根付いたこの国では、嫌なことから逃れて自由を得た成功者は妬まれ、周りを気にして愛想よく働くグッドルーザーが好かれるんだ。私は楽しい人生よりも嫌われない人生を送ろうとしている。多分大人だから。

「やりがいが無いとか、憧れの人が辞めたとかだけじゃ足りないくらい、辞められない理由が多いんだよ」

「理由は数じゃなくて大きさだと思うけど」

「大人は数字が好きだから」

「また大人だ」

「ごめんね、言い訳ばっかりで」

「いいじゃん、子供みたいだよ」

「大人も言い訳くらいするよ」

「そういうもん?」

「そういうもん」

 気づいた時には既に山道を抜けて町の中を走っていた。剥き出しの電灯の下に人影が見えた。どうやら犬の散歩をしているようだ。手作りだろうか、編み物の服を着た仔犬が、フンの処理に屈んだご主人のマフラーに飛びついている。なんとも微笑ましい。

「ここが俺の故郷。こう見えても観光名所だよ」

 失礼極まりないが、とてもそのようには見えなかった。先程の飼い主以外に人を見ていないし、何より活気がなかった。いくら真冬の夜中といえど、観光地には観光地なりの活気があるはずだ。

「絶景とか、歴史的にすごいものとか、宗教関係の文化財とか、温泉とか、色々あるんだよ」

「じゃあなんでこんなに人がいないの?観光地としてかなり魅力的じゃんか」

「宿泊施設が無いんだ。名所が多くて維持費が大変、だから建設に手が回らない」

「たしかにそれは痛いね。交通の便が悪いし宿泊施設は必須なのに」

「役所の人にも話してみたけど、宿が一つでもできたらバスと電車を増やしてくれるってさ。できたら苦労してないよ」

「のっぴきならないね」

 ずれかけてたダウンを肩まで上げ直し、彼から目を背けるように窓の外をじっと見つめる。まだ少し白んだ窓の向こうには、雲の隙間からちらほら見える星空を切り取るように空より黒い山の影がこちらを見ていた。

「もう皆諦めてるんだけどね」と彼がしばらくして言ったので、私は彼の方に顔を向け直した。

「生活するだけなら農業をしてればいいんだ。自分で作ったお米を自分で作った野菜で食べる。自給自足のスローライフに満足しちゃった」

 表情も、姿勢も、声も、どれも普段の彼と変わらない。それでも、何がそう見せているのか分からないが、どこか彼が寂しそうに見えた。

「もちろん悪いことじゃないんだけど、なんていうかさ、昔はこの町を盛り上げようって皆言ってたんだ。その時はまだ小さかったから何もできなかったけど、いつか皆と一緒になれると思ってたからさ、今なら力になれるのになあって」

 明るくて元気で純粋な私の憧れが、独りにされた子供みたいに見えた。私の憧れの子供は、大人や私よりも寂しい思いをしていた。今思えば、大人は大人という大きな括りで仲間意識を持っているのかもしれない。それに比べ、子供にとっての仲間は本当の仲間じゃなきゃいけない。せっかく追いついたのに彼は独りぼっちだった。彼が子供で、大人は大人だったから。

 何か気の利いた事を言えないものかとモジモジしている間に目的地についたらしく、彼が慣れた手つきで駐車する。車を降りると昔ながらの風呂屋が堂々としていた。瓦の屋根に年季の入った木材、玄関には藍色に赤く「ゆ」とかかれた暖簾が掛けられていて、その隙間からはオレンジ色の光が漏れ出ている。玄関の上には大きく達筆な文字で「石水風呂」と書いていた。

「俺の実家風呂屋なんだよ。さっき言った温泉から引っ張ってきてて、百パーセント源泉かけ流しのくせに全然儲からない風呂屋」

 彼に続いて玄関を抜けると、右側に脚の細くて安っぽいテーブルが等間隔に五卓並んだフリースペースがあり、一番手前のテーブルに高校生くらいの女の子が座っていた。おそらくあの子が店番なんだろう。彼の話だと全然儲かっていないらしいし、この町の現状を見る限り地元の人しか使っていないはずだし、そう考えると女の子一人で事足りる気もする。女の子の隣のテーブルに、料金表と小さな箱が置いてあって、そこに料金を入れるようだ。民度の良さと地元民への信頼が成すことのできる、とっても簡単で楽なシステム。

女の子は集中していて私達に気付いていないようで、ノートを開いて難しそうな顔で何かを書き込んでいる。と思ったも束の間、今度は嬉しそうな顔をして消しゴムで消して、またシャーペンを走らせる。

「那色ちゃん、今日はもう遅いしあがっていいよ。あとは俺達が掃除しとくから」

 那色ちゃんと呼ばれた少女が顔を上げると、その明るいご尊顔がわずかに残った酒を抜いていく。緩やかな弧を描いた眉毛、紡錘形の大きな目、可愛らしい団子っ鼻、少し浅めの人中にプルンとした唇、それに加えて艶ぼくろ。ハーフアップにした黒髪は毛が細いのか、光に当てられて毛先の方は茶色く見える。ここのお風呂の効能か若さの影響か、幼児のような綺麗な肌が羨ましい羨ましい。

 那色ちゃんのご尊顔をぼーっと見ていると、視線に気づいたのかばっちりと目が合い、お互いにペコリと会釈をした。那色ちゃんはテーブルの下に置いたトートバッグを開いてノートと筆記用具を詰め込むと、椅子に掛けた白いボアを着込んで立ち上がり、今度は私達二人に深く礼をして帰っていった。

「那色ちゃんね、小説家になりたいんだってさ。さっき書いてたのも賞に応募するために書いてるらしいよ」

「それはまた、大変な人生だね」

 私は本をあまり読まないが、その道が険しいことぐらいは容易に理解できた。それでも、楽しそうに書く那色ちゃんの顔は、子供の頃に鏡の中にいたお姫様に似ていた。楽しく生きるってのが私のなりたい子供なんだな。だから私は今、彼にも那色ちゃんにも憧れてるんだな。

 彼は玄関の暖簾を外して鍵をかけると「ついてきて」と言って男湯の暖簾をくぐった。二度コーナーを曲がって脱衣所に着くと、風呂屋特有の暖かさにほっこりする。彼が腕時計を外し、上着と靴下を脱いで籠に放り込み、私も同じように上着と靴下を籠に置いた。腕時計を外す瞬間、短針が十一時を指そうとしていたのが見えた。

 曇りガラスの引き戸をガラガラと音を立てて開けると、全面水色の広い浴場に湯気が立ち込めていた。

「かぽーんって聞こえてきそう」

「あれって何の音なんだろうね」

 彼が袖を捲りながら、奥の掃除用具が入った扉を開けて、ホースと緑色のボトルを持ってきた。

「いつもこの広さを那色ちゃんと掃除してるの?」

「男湯と女湯で分担してるから一人でやってる。前は両親も働いてたから楽だったんだけど、そろそろ体力的にキツイみたいでさ」

 改めて浴場全体を見渡すと、大きな風呂が四つに小さな風呂が三つ、両側にシャワーが十本ずつついたレーンが三つ。彼はいつも仕事帰りにこんな大変なことをしていたのか。

「じゃあ会社辞めるのって」

「うん、ここを継ぐから」

 彼の方を見るとホースが蛇口と繋がっていて、彼に水を出すように言われて蛇口のハンドルを捻る。彼はホースの先っぽを持って一番大きい風呂に沈ませた。ホースの先っぽの上の水面がボコボコと膨らんでいる。彼が私の足元に置いたままにした緑のボトルを取り、蓋を外して中の液体をドバドバと風呂に注いでいく。

「何それ?」

「まあ見てなよ」

 ハンドルから手を離して少し待つと、水面の膨らみから泡が溢れてきた。泡はみるみると増えていく。どんどんどんどん増えていく。泡の山がぐんぐん育つ。

「粟森はどうしたい?この泡を見てもなお、大人のままでいいの?」

 きっとこれが、この泡が、私が子供に戻るための最後のチャンスだ。彼や那色ちゃんと肩を並べるための最後のチャンスなんだ。

「いっしょにこどもになろうよ。いっしょにあそぼうよ」と彼が手を差し伸べた。

 泡の山が私たちよりもはるかに大きくなった。

「うん。いっしょにあそぼう」


 わたしたちは、たがいにあわをなげあった。

「あはははははははははははは」

「わはははははははははははは」

 いっしょにあわにとびこんだ。

「あははははははははははははははははは」

「わははははははははははははははははは」

 あわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわ。

 きれいだね。

 あわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわ。

 すっごくきもちがいい。

 あわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわ。

 からだがふわふわする。

 あわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわ。

 おさけはとうにぬけている。

 あわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわ。

 ああ、いしみくん。だいすきだよ。こどもにしてくれてありがとう。

 あわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわあわ。


 次の出社は足取りが軽やかだった。

「石水君!」

「どうしたの、えらくご機嫌じゃん」

それもそのはず。今日から私は無敵なのだ。

「私ね、辞表出してきたの!」

 彼が素っ頓狂な声を出して驚いた。石水風呂で泡まみれになって家まで送ってもらった後、私の未来設計図を急ピッチで変更した。それが故にすぐにでも辞表を出さなければいけなかった。っていうのは言いすぎだが、とにかく出したくなった。

「私決めたから。会社辞めたらさ、石水君と一緒に働くよ」

 彼はすんと固まってしまった。人は驚くと本当に固まってしまうらしい。

「私達の退職金とか私の貯金を使ってさ、石水君のお風呂屋さんを温泉旅館に改装しようよ。そうしたら公共交通機関も通してもらえるし、町の人もまたやる気になってくれるんじゃないかな」

 彼は三回瞬きをすると、みるみる目が潤っていく。私はこどもだから、なんで彼が泣きそうになっているのかわかるのだ。こどもはこどもをよく知っているから。彼はもう一人じゃないし、これからも一緒に遊んでもらう。

「ああ、楽しみだなあ」

 これからは、彼と温泉旅館を経営して、いつかハリウッドスターがお泊まりしに来て、そのハリウッドスターが気に入ってSNSで紹介してくれたりして、観光客がいっぱい泊まりに来てくれて、石水君と「忙しいね。でも幸せだね」って言ったりして、那色ちゃんに「惚気ですか?」とか言われて二人で顔を赤くする。そんな地に足がついていない未来設計図が、こどもみたいな未来設計図が、泡みたいにふわふわと浮かぶ未来設計図が、あわあわあわあわした未来設計図が、あの泡の山の中で見つかった。

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あわあわあわ B・輪太 @bommrinta

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