7
1話 煤原信夫
東京で刺された
「泣いてる場合ではないのでは? こっちはこっちの仕事をしないと」
「分かっている」
わざわざ浜辺の方までクルマを飛ばして泣きにきたらしい小燕に、窓を叩いて呼びかけた。煤原も勿論捜査本部がある警察署からクルマで彼を追ってきた。
「例の貝殻について、鑑識から話があるそうです」
「戻る」
覆面パトカーが連れ立って警察署に戻っていく姿は、傍から見ればさぞ滑稽だっただろう。この土地の人々は、その滑稽さをいちいち口にしない程度の優しさを持ち合わせてはいるけれど。
会議室では、
「遅い」
「悪い」
「済まない」
「こ……小燕さんが謝った……!?」
途端にぽかんとする犬飼のふくらはぎを軽く蹴り、本題、と煤原は囁いた。
「あ──そうですね。本題。ええっと、捜査員全員揃いました? 始めていいですか?」
「始めてくれ」
席に着いた小燕が言った。先ほどまでの泣き顔が嘘のように落ち着いた表情をしていた。
犬飼は小さく頷くと、映して、と部下に短く命じた。
会議室のホワイトボードに大きく映し出されたのは、小野美佳子から譲り受けた桜色の貝殻だ。
「東京から九重海岸にやって来た探偵、
マイクを片手に、朗々と犬飼は語る。
「我々のデータベースの中には、この貝殻は存在しません。いったいどこの海からやって来たのか、国産のものなのか、それとも潮流に乗ってどこか別の国からやってきたのか、ヒントもないし、見当もつきません」
「続けてくれ」
普段ならば「そんな感想文は聞きたくない」と嫌味のひとつも言うような小燕が、低く促した。犬飼は片方の眉をぴくりと跳ね上げ、
「……続けます。そんな中、判明した事実が幾つか。この貝殻は異常に硬く、鋭い。煤原巡査部長が小野美佳子さんからひと掴みほど貝殻を預かってきてくれたおかげで実験することができたのですが、この貝殻、このサイズで──」
と、映像の中の貝殻の隣に煙草の箱が置かれる。貝殻は、箱よりもずっと小さい。四分の一程度のサイズだろうか。
「スーパーで売っているような豚肉の塊肉、アレを真っ二つにできます」
会議室がざわついた。無理もない。煤原とて、犬飼の実験現場に立ち会わなければそんな話を信じはしなかっただろう。
ざわつきを聞き流した犬飼は、
「持ってきて」
と、また部下に短く命じる。
鑑識班の女性捜査員が持参したのはまな板と貝殻、それに豚の角煮などに使われる文字通りの塊肉だった。
「いくよー」
気の抜けた声を上げた犬飼が、しかし真剣な目付きで貝殻を摘み上げ、塊肉に押し付ける。
肉の端っこが、音もなく削がれて、落ちた。
「ど真ん中もいけます。いけるんですがこの貝殻、ご覧いただければわかる通り楕円形になってまして」
桜色の小さな欠片を翳して犬飼が続ける。
「全方位凶器です。どこに触れても流血沙汰です。よって、実験はこれまでとさせていただきます」
実際、「踏めば割れるでしょ!」と革靴で貝殻を踏み付けた篠田は靴底を貫通してきた貝殻によってかなり深い傷を負った。煤原も、間宮と小野美佳子に経過報告をするついでに貝殻に触れ、触れただけで指先を負傷した。
「犬飼」
「うっす」
「どう見る」
「鑑識班として──いや、班長の犬飼雪として申し上げます。連続遺体遺棄事件に使用された凶器のうち、被害者の体内から内臓を取り出すために使用されたものは、この貝殻で間違いないかと」
小燕がぐっと眉を寄せる。言いたいことは分かる。
「そのサイズで角煮サイズが切断できるんだ。人間の腹を掻っ捌くのも不可能ではないだろう」
「仰りたいことは分かります。刃物としてはとても有能、ですがこの貝殻は扱いにくい。下手に触れば犯人自身も傷を負い、現場に証拠を残す羽目になったでしょうから」
「だが、血痕やそれに類するものは発見できなかった。そうだな?」
「その通り。つまり──」
まな板と塊肉と貝殻を撤収させ、映像の投影も終了させた犬飼は、いつも通りの飄然とした口調で続けた。
「10センチから15センチ。最低でもそれぐらいのサイズの貝殻が必要になります。持ち手を付けることができれば、充分すぎるほどに凶器としての能力を発揮するでしょうから」
小野のポケットに詰め込まれていた貝殻を何らかの手段で繋げてそのサイズにすることはできないだろうか。可能かもしれないが、作業をしているうちに間違いなく怪我をする。それでは何の意味もない。
小野美佳子と間宮最を、参考人として呼び出す必要が出てきた。
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