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1話 箒木左門
立花寅彦は、昼夜を問わず九重市九重町内を歩き回っている。
警察が既に彼に目を付けているということは知っていた。左門とルイスに張り付いていたはずの刑事たちが、立花の背中を追い回すようになったのだ。
「ボス。目立ってるよ」
「さよか」
「ボスが
「そうかもしれんな」
夜。縁側に腹這いになってスマホでゲームをするルイスの忠告に、同じく縁側に腰を下ろして煙草を燻らす立花はのんびりと応じた。
「せやけど俺は、今回の事件にはなんも関係あれへんからなぁ」
「でも……」
民宿の女将が毎日きちんと敷いてくれる布団の上で膝を抱えた左門は、おずおずと声を発した。
「じゃあどうして、毎日町の中をうろうろするんです? せめて浜辺の散歩程度に留めておけば、疑われることも……」
「気になるんや」
立花は即答した。
「はちふさの若旦那に殺された人魚のその後がな、気になって気になってしゃあないんや」
「フライにされて食べられたって書かれてたじゃない」
「それはひとつの分岐に過ぎん。フライルート以外にも色々あったやろ、忘れたんかルイス?」
「あーん……」
パズルゲームに敗北したらしい。情けない声を上げながらようやく腹這いから縦になったルイス・リダンパーが着崩れた浴衣を器用に直しながら首を傾げる。
「子どもが生まれるルートもあったねぇ」
「双子っちゅう話やったな」
「でもママはフライにされちゃう」
「魚の揚げ物が定番やったんかな」
ふたりの会話を聞いてると、あんなに好きな立ち食いコロッケを食べに行く気が失せてくる。かといって刺身もなんだか違うし、立花、ルイスと共に世界各地をうろうろとしている間に飽きるほど食べてもう本当に飽きてしまったファストフードの味が恋しくなってきた。そういえば九重町にはファストフード店すらない。そういうものを食べたければ、隣の市に行くしかないのだ。
「左門、左門はどう思う?」
「えっ?」
ハンバーガー食べたい、と思っていたとは口が裂けても言えないようなタイミングで話を振られてしまった。パチパチと瞳を瞬かせる左門に、
「人魚はおるんか、それともただの伝説か」
紫煙を吐きながら、立花が尋ねた。
「人魚──……」
先日この話になった時にも口にした通り、箒木左門にとって九重町の人魚伝説はもはや『伝説』でもなんでもなかった。図書室には人魚について書かれた絵本が何冊も並んでいたし、祖父母の昔話にも必ず人魚が出てきた。表現は正しくないかもしれないが、左門にとっては体の一部、血肉のようなものなのだ、人魚は。
だから、九重海岸の浜辺に顔を潰され腹を裂かれ、内臓をすべて抜かれた死体が転がったとして、その犯人が人魚かもしれないなんて与太話──
「いるかもしれないし、いないかもしれないし」
「左門、曖昧!」
「本当に分からないんだよ。だってルイスだって、えっとどこで育ったんだっけ? アメリカの? 西海岸?」
「俺はね〜
「シアトルのさ、なんていうの? ギャング?」
「ギャング!」
「ギャングの末端組員だったって言うけど、俺、『アメリカ西海岸のギャング』は映画でしか見たことないからね?」
分かる? と重ねて言えば、ルイスはきゅっと眉根を寄せて見せる。
「えーでも、いるよ? 俺ほんとにそこで……あ〜〜〜〜思い出したくない! 皆殺し! ファミリーがさぁ……」
「ルイス、思い出さんでもええ。左門、おまえもそれぐらいにしとけ」
割って入ったのは立花だ。話を振ったのも立花だが。
「つまり、左門にとってのギャングとルイスにとっての人魚は同じ。いるといえばいるし、いないといえばいない」
あまりにもざっくりとした纏めに、若いふたりは顔を見合わせた。
「じゃあボス、殺し屋は?」
「あ゛?」
「そうだよね。日本刀で人を殺す、殺し屋は?」
「じゃかあし、もう寝ろ!」
西海岸のギャングと九重海岸の人魚は、たしかに都市伝説かもしれないが。
日本刀で数多の人間の命を奪った殺し屋は今、左門とルイスの目の前であぐらをかいて、延々と煙草を吸い続けている。
翌日。
立花は恒例の朝の散歩に出かけ、宿に戻り、三人で朝食を食い、次はルイスと左門が連れ立って外に出て、町中の弁当屋で昼食を買って帰宅すると、見知らぬ男が立花と向かい合って座っていた。
「おう、おかえり」
左門やルイスより少々年上であろうその男は、立花の声で初めてふたりが戻ったことに気付いたようだった。
「長旅のツレや。箒木左門と、ルイス……なんやっけ?」
「リダンパー。そろそろ覚えて、
くちびるを尖らせるルイスが、立花の隣にぴったりとくっついて座る。珍しい。普段からダーリンだのハニーだの言葉遊びの多い男ではあるが、ここまで露骨に執着心を示す機会はほとんどない。
左門は部屋の隅に積んであった座布団を二枚取り、一枚をルイスに渡す。立花と向かい合って座る男には、座椅子が用意されていた。宿も承知の上の客人ということか。
「はじめまして」
男が言った。
「
「記者や」
立花が短く言った。響野は小さく頷くと、左門とルイスにそれぞれ名刺を手渡した。
「きょうの……けんぞう」
「はい」
「記者さん? 新聞とか雑誌の?」
「いえ」
今は完全にフリーで仕事をしています、と響野は小さく笑って言った。優しげな微笑みだったが、どうにも気に食わない。
立花の纏う空気が、普段とまったく違う。別人のようだ。
ルイスも左門と似たような感情を抱いているのだろう。暑苦しいほどにべったりと体をくっつけて座り、離れろ、重い、と立花に冷たく突き放されている。
「それで──記者さんが、どうして劉さんのところに?」
「
立花寅彦、と。
まるでこの場にいる全員に聞かせるかのように朗々と、響野はその名を呼んだ。
まず動いたのはルイスだった。山猫のように鋭く飛び上がると、引っ掛けていたジャケットの内ポケットから小さなナイフを手の中に滑らせた。ぱっと見はアウトドアなんかに使うような小さなシロモノだが、ルイスがこのナイフ一本で数々の修羅場を潜り抜けてきたことを左門は知っている。
左門もまた、少し遅れて立ち上がった。縁側に通じる窓を閉め、響野の背後に回り込む。場合によっては、今、ここで、この男を。
「あーあーやめやめ」
「劉、さ……」
「ボス?」
「立花でええがな、じゃまくさい。響野、おまえもおまえや。ガキ共を煽るんも大概にせえ」
良く通る声でルイスと左門を制した立花が、咎めるように響野を睨んだ。また、胸がざわつく。彼のこんな目を、左門は初めて見る。
ルイスはもっと露骨だった。
「じゃあ言うけどねボス、この男は誰? 日本に残してた恋人? そうならそうって……」
「んなわけあるかい」
「へーえ? ぜんぜん信じられない、ねえ左門!」
「おい……」
恋人にしてはさすがに若すぎるだろうと左門は思ったが、しかしルイスの言い分も理解できなくはない。親密すぎる。気配が。
「誰なんです?」
「……箒木左門さん。箒木組の最後のひとり。良くご無事でしたね」
「!」
響野の発した台詞に、またしてもルイスが大きく反応した。一度片付けたはずのナイフを再び握り、迷いもせずに響野の鼻先に突き付ける。
「
「あー……ですから……立花さん? 何煙草吸ってるんですか立花さん? 俺完全におふたりに嫌われちゃってるみたいなんですけど!?」
「
「ええ〜!!」
畳んで壁に立てかけてあったちゃぶ台を部屋の真ん中に置き、その上に灰皿を乗せて立花は口の端を歪めた。
「まあ、気張りや」
「うええ〜!! ちょっともう立花さんマジで……」
「俺ん家のことなんで知ってるんだよ!? 記者!!」
泣き声を出す響野に噛み付くことについて、躊躇いはなかった。箒木組の最後の生き残り。この町の人間だって面と向かってそんなことは言わない。
それを。こいつ。
「ぐぅ……デリカシーに欠ける発言をしたことは謝ります。ただ、俺が、そういう人間だってことを伝えるにはいちばん手っ取り早いかなって」
「は?」
「俺は、そういう記者なんです。ライター。ヤクザを含む裏側専門」
無言でルイスと視線を交わす。2秒後、ルイスはナイフを片付け立花の背中に金髪を擦り付けて「ボス〜」と甘え声を上げていた。
「重い! 暑い!」
「だって〜! 俺と左門を捨ててこいつとどっか行っちゃうのかと思ったんだよ〜!」
「どこにも行くか! そいつはただの情報屋、それ以上でも以下でもないわい」
ただの情報屋。
それは嘘だろう、と左門は密かに、思った。
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