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1話 間宮カナメ

 私立探偵間宮まみやかなめが抱えていた三つの案件が、一気に引き上げられた。

 四つ目、五つ目の遺体が上がったせいだと間宮は確信している。


「まあでも、依頼料はちゃんと全額回収できたんでしょ?」

「全額どころかめちゃくちゃ上乗せされてたね。これは間違いなく……」

「口止め料」

 糸目を更に細めて笑った大邑おおむらわたるが、手にしたグラスの中身をひと息に呷った。【怪談バー】名物の、下戸の人間に優しいジンジャーエールである。

 間宮、煤原両名が出入りしているSNSに、クロガネ探偵事務所の所長である大邑もアカウントを持っていた。所属しているサークルは異なるが、間宮が懇意にしているサークルの代表者と大邑は個人的な友人関係にある。大学の同期がどうとかという話を聞いたことがあるが、あまり興味がないのでもう忘れてしまった。とにかく、大邑もこの一見さんお断りのバーの常連客なのだ。

「良かったじゃーん、面倒なことしないで大金が手に入る! 最高!」

「いやあんたはそう思うかもしれないけど。こっちは気持ちが悪いよ」

「出所の悪い金を手にするのは嫌なタイプ? 違うよね? 間宮だって探偵なんだから」

 癖のない黒髪を揺らしてくつくつと大邑は笑う。揶揄われている。だが、彼の発言を全否定することは、間宮にはできなかった。

 そう、間宮カナメは探偵である。他者の秘密を暴き、プライバシーに踏み込み、それらを金銭に換えて生活している。

 この職業を選んだのは、他でもない間宮自身だ。

「んで〜? 幾ら上乗せされたの?」

「7」

「桁?」

「桁」

「うわ〜お」

 大邑が素っ頓狂な声を上げ、カウンターの中でシェイカーを振るバーテンに「シッ」と鋭く注意される。間宮は平手で大邑の後頭部を叩くと、

「だから気持ち悪いつってんでしょ」

「えー、三ヶ所から同じ依頼が入ってたんだっけ? 例の、人魚事件の」

「あ……? 何? 人魚事件?」

「おうおう、間宮は最近サークル覗いてないの? めちゃくちゃ盛り上がってるよ、今」

 お代わりのバージン・メアリーを受け取った大邑が、デニムの尻ポケットからスマホを取り出し、手渡してくる。液晶画面が完膚なきまでに傷だらけだ。

「機種変しろって……」

「まだ買ったばっかりなんだよーう! それより、ほら」

 手早くアプリを立ち上げログインした大邑が、『最近話題のエピソード』というランキングをタップする。


『九重海岸の連続殺人犯は人魚?』

『九重海岸に伝わる人魚の噂がヤバい』

『殺人人魚を探しに行こう!』

 云々……


「これまでにないぐらい下品な盛り上がり方をしてるわね」

「ねー、俺もそう思う。そもそもさ、このSNSってそういう感じじゃなかったじゃない? みんなで怖い話持ち寄って、経験談でも収集したやつでもいいし、なんなら作り話でも面白ければオッケーみたいな感じで盛り上がって。あとは間宮が所属してるサークルみたいに、事故物件巡りが好きなやつが結構大勢いたりなんかしてさ。平和な感じで」

「そう……だね」

 ゾンビと呼ばれるカクテルを片手に、間宮は眉間に皺を寄せる。いちばんコメントが多いスレッドを覗いてみると、間宮が依頼を受けるまでに殺害された三人に加え、ここ数週間のうちに顔を潰され内臓をすべて抜き取られ──とにかく同じ殺され方をして浜辺に遺棄された二人の情報が、顔写真付きで書き込まれていた。

双宮ふたみや北斗ほくと、私立N大学に在学中の学生──」

「そいつが四人目」

糸戸しのへりょう、五人目、あれ? こいつは……」

「新しいパターンなんだよね。高卒YouTuber」

 配信者としての名前はもちろん糸戸ではないし、顔も隠しているが、分かる人間には分かってしまうらしい。念の為別のSNSアプリを覗いて軽く検索をかけてみたところ、既に「九重海岸で殺されたのは配信者の某ではないか」という噂が大量に飛び交っていた。

「今まで頑なに大卒か大学在学中のやつばっか狙ってたじゃない……なんなの……」

「あっ、ところで間宮、うちの小野にも口止め料渡した?」

「ああ?」

 突然の話題転換に、間宮の応えも荒くなる。だがまったく意に介さない様子の大邑は、

「今日、小野に相談されちゃってさ〜。事件解決してないのにいっぱいお金を貰ってしまった場合はどうしたらいいですか? つって」

「あんた、小野ちゃんからお金巻き上げてないでしょうね。仲介料はちゃんと払ったでしょうが」

「んなことしません! 鉄探偵事務所はそりゃ大勢の探偵を抱えてるけど、正確に言うと個人事業主の取りまとめをしてるだけだからね。小野が儲けた金は小野のもの。俺はちゃんと間宮からお金貰ってるし、貯金とかしたらいいよ〜って言っといた」

 大邑には探偵としての才能は皆無、タレントとしての素質に富み、金勘定もうまい男ではあるが、幸いなことに金銭に対する執着はそこまで激しくない。鉄探偵事務所の先代、先々代の所長が組み立てた『フリーランスの探偵との共同作業のやり方』を忠実に守っているお陰で金銭絡みで誰かと揉めたこともなければ、個人のタレント活動で自分の生活費などを賄っているらしく、そういった意味では業界の中でも信頼できる数少ない人材といえた。

 はあ、と嘆息した間宮は片手を挙げ、バーテンにカクテルのお代わりを注文する。

「またゾンビ?」

「いや、フランシス・アルバート」

「なんか分かんないけど強そう……俺絶対無理だ〜」

「あんたさ、テレビの関係者とかと酒飲むこともあるんでしょ? そういう時どうしてんの? 潰されない?」

「そういう時はね、お金出して秘書に来てもらうようにしてる。あの子大トラだから」

「ふーん……」

 鉄探偵事務所の秘書は代々同じ家の女性が勤めている。武蔵野むさしのという苗字の一族で、全員ちょっと冷たい雰囲気の長身の美形で、間宮の好みのタイプでもある。

「あー、それにしても気持ち悪いなぁ」

「仕方ないんじゃない? だってもう五人も死んでるわけで。こうなっちゃうと、警察より先に犯人見つけてくれーって探偵に頼んでたことがバレる方が怖いよ、先方としては」

「まーね」

 間宮と大邑の口が幾ら堅くとも、九重海岸に転がされた遺体について捜査している警察官たちに『探偵』の存在がバレるのは時間の問題だ。探偵たちは別に腹を探られてもちょっと擽ったい程度で済むが、『警察より先に犯人を見つけてくれ』と依頼した者としては警察に突っ込まれれば苦しいだろう。

「小野ちゃんから聞いたかもだけど」

「聞いた。殺されるだけの理由でパンパンな奴らが殺された、そういう事件だねこれは」

 グラスを傾けながら大邑が苦笑いを浮かべる。

「俺はあんまり得意じゃないな、ああいう話」

「ああいう?」

「女の子に乱暴して、太い実家を使って口封じするみたいなさ。それこそ間宮の言い方を借りると、気持ち悪い、よ」

「……」

 大邑のこういう物言いを、間宮は存外嫌っていない。

「間宮様」

 バーテンダーがそっとグラスを差し出してくる。ありがと、と応じる間宮に、

「失礼ですが──九重海岸の人魚の話を?」

「あ、聞こえてた? って聞こえるか、そりゃ」

 会員制のバーとはいえ、この空間で聞いた話を全員が絶対に口外しないという保証はどこにもない。かといって素面でしたい話でもなかったので、間宮と大邑はバーのカウンター席を面会場所として選んだ。いちばん端の席なら会話を聞かれるとしてもせいぜいバーテンダーだけだろうし、ここのバーテンダーはとんでもなく口堅い。

「わたしもこのような店を経営しておりますので、どうにも気になってしまい……ああ、実際の被害者についてではなく、人魚の方ですね」

「人魚……」


 煤原信夫の言葉を思い出す。

『人魚は、人間を食うのか?』


「九重海岸には人魚がいるの?」

 身を乗り出す大邑にミルクセーキのグラスを手渡しながら、金髪長髪両腕にトライバルのバーテンダーは首を傾げる。

「こんな騒ぎになっている時期に現地に乗り込むわけにもいかないので、ネット上の情報と、それから図書館に足を運んだだけなんですが……あの地域には、人魚伝説がめちゃくちゃいっぱいありますね」

「めちゃくちゃ」

「いっぱい!?」

 いつも穏やかに言葉を選んで喋るバーテンダー──マスターとは思えないほどに雑な言い方だった。

「そんなにあるんですか? どんな感じで?」

 ワクワクした様子で目を輝かせる大邑に、

「まあ、概ねアンデルセンが書いた人魚姫の模倣みたいなお話ばかりなんですけど」

「ですけど?」

 ここで、「なーんだ」と会話を打ち切らないところが大邑の強みである、と間宮は密かに思っている。

「ですけど……ただちょっと、そうですねぇ。気持ち悪いんですよね」

「というと?」

「んー……アンデルセンの書いた人魚姫は、恋に破れ、最後は泡になったとか空気の精霊になったとか、まあ、なんかちょっと前向きじゃないですか」

「前向きの捉え方は人それぞれだからね! それで? それで?」

 身を乗り出す大邑の首根っこを掴んで席に戻す間宮の前にチョコレートとナッツの盛り合わせを置いたマスターが、声を潜めて言った。

「こう……九重海岸の人魚も最後は恋が成就せずに死んでしまうんですけど」

「定番ですわな」

「死ぬ、というか、殺されてしまう」

「え、誰に?」

「恋した男に」

 言い淀むようなマスターの低い声に、間宮と大邑は思わず顔を見合わせていた。

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