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1話 煤原信夫
警視庁との合同捜査が始まって、何度目かの会議の席でのことだった。
「四人目の被害者の身元が判明しました」
警視庁からの応援組である刑事が、ホワイトボードに写真を貼り付けながら言う。
「
「N大学?」
腕組みをして席に着く、指揮官・小燕警視正が訝しげな声を上げる。
「N大学といえば、確か──」
「はい。二人目の被害者である
「村市、双宮のあいだに交流は?」
「学年だけでなく学部も違ったので、直接の交流はなかったようです。ただ」
喋り続けつつ、刑事がホワイトボードに大きく文字を書き殴る。
『株式会社アンディ・フロー』
見覚えのある名前だ。煤原信夫は銀縁眼鏡を外して適当に拭うと、再度目を凝らしてホワイトボードをじっと見据える。『株式会社アンディ・フロー』。ふん、と鼻を鳴らして、ふところから取り出した小さなメモ帳を長テーブルの上で開く。間宮カナメから既に得ていた情報だ。外資系だが、死亡した村市直己の親族と密接な関係を持ち、そのコネを使って村市直己は就職浪人を回避した。
「卒業後、この会社への入社が決まっていたそうです」
「つまり?」
「村市直己も、株式会社アンディ・フローの社員でした。偶然にしては、少しでき過ぎた話かと」
部下の言葉に、分かった、座ってくれ、と小燕が短く言った。
都内に本社がある株式会社アンディ・フローへの聞き込みは、警視庁の刑事たちが行うことになった。煤原たち県警組には、引き続き海辺を中心に不審者やそれに類する人間がいなかったかどうかを確認する、地道な作業が割り当てられた。
あからさまに舌打ちをする篠田を放置し、質問、と煤原は真っ直ぐに手を挙げた。
「何か? 煤原巡査部長」
小燕の冷たい声にいちいち臆することはない。被害者は、と席を立った煤原は淡々と続ける。
「所謂ヤリサーの関係者ですか?」
「は……?」
会議室の空気が凍る。篠田がぎょっとしたような目でこちらを見上げている。
「会議室に相応しい言葉を選んでもらえませんか、煤原巡査部長」
「……不特定多数の異性ないし同性と、場合によっては非合意、もしくは薬物を使用するなどアンフェアな形で性行為をすることを目的とする集団に、被害者、双宮北斗は所属していましたか?」
小燕が大きく嘆息する。報告を終えて席に着いたばかりの警視庁の刑事が、そのような事実は、と慌てた様子で立ち上がって発言する。
「まだ確認できていません」
「そうですか」
「煤原巡査部長、質問の意図を。この場の全員に理解できるよう、説明してもらえますか」
睨め付けてくる小燕が裸眼であるということに不意に気付く。こういう場面で眼鏡キャラが似合うのは、自分ではなく小燕のような人物であるはずなのだが──まあいい。
手帳を片手に、煤原は朗々と情報を読み上げた。
「まず第一の被害者、
「そんなことはとうに調べが付いている」
小燕が苛立つせいで、会議室の空気がどんどん悪くなっている。だが煤原はそれらを無視して続けた。
「陸形壮太はS大在学中にテニス同好会と称されるサークルに所属しています。この同好会はS大の中にあるテニスサークルの中では歴史が深く……代々、先ほど私が申告した通りの、不特定多数の人間と性行為を行うことを目的とし、活動しています」
「煤原巡査部長、何を根拠に」
「聞き込みをしました。同期の卒業生、在学中の学生、それに同サークルで活動をしていたメンバーに」
半分は本当で、半分は嘘だ。現役の学生への聞き込みを行ったのは煤原ではなく、私立探偵間宮カナメが手配した有能な新人探偵である。いかにも刑事といった風体の煤原のような者には、学生たちは絶対に口を開かない。後ろめたいものを抱えている人間は尚更だ。
煤原が自ら情報を引っ張り出したのは、陸形と同期の卒業生、及び彼よりも早く卒業したサークルの先輩たちである。こちらには、警察手帳という代紋の効果が嫌というほど出た。彼らは怯えていた。自分たちも陸形壮太と同じように顔を潰され、内臓を引き摺り出して殺害されるのではないかと、恐れ慄いていた。
「聞き込み……いったい、どういう理由で?」
小燕の低い声を聞きながら、煤原は大股で歩いてホワイトボードの前に立った。手にはA4サイズの茶封筒を引っ提げて。
「理由は、これです」
ホワイトボードの空いている部分に、次々と写真を貼り付けた。どの写真も被写体は女性だ。全裸であったり、服の一部を破られていたり、とにかく、真正面からじっと見たいと思う人間はほぼいないであろう撮られ方をしていた。
これは陸形壮太とその仲間による、犯行の記録だ。
「見えますか? 見えませんか? 見えないのであれば後ほど写真をお渡しします。これらの写真は、陸形壮太と彼の仲間による複数名の女性への性的暴行の証拠写真です。撮影したのは陸形と同期の男性です。おそらく、脅迫のために撮影されたのでしょう。上半身──胸部と顔が同時に映る角度で撮ったり、性器を撮影する際にはわざわざ太ももに学生証を置いていますね」
ひどい、という呻き声がそこかしこから聞こえた。人数はあまり多くないが、この会議室には女性の捜査官も存在する。また、
「ひどい写真です。しかし、この写真には多くの情報が含まれている。中でも──」
一度貼り付けた写真を全部回収し、近くにいた小燕の手の中に押し付けた。それから新しい写真を取り出して、またずらりと貼り付ける。
顔だ。
L版の写真いっぱいに、女性の顔が写っている。
「傷です」
声が、さすがに震えた。
写真の中の被害者たちは、頬に、額に、顎に、くちびるに、無数の傷を負っていた。
「刃物によるものです」
「……その情報は、どこから?」
「被害を受けた女性たちから直接話を聞いてくれた人がいます。私個人の情報源なので詳しいことは申し上げられませんが。また、私は大学に於ける暴行事件の加害者に対面し、話を聞いてきました。認めましたよ。反抗しないように、顔にナイフを当てたと」
小燕が頭を抱えた。煤原がここまでの情報を持っているとは考えてもみなかったのだろう。だが、無理もない。煤原には小燕と、彼の部下たちを責める気など毛頭なかった。偶然にも利害が一致したのだ。刑事の煤原と、私立探偵間宮のあいだで。だから間宮は情報を
「ハラちゃんと私と、どっちが先に真実に辿り着くか。競争だよ」
間宮は普段、そんな馬鹿馬鹿しいことを言う人間ではない。だが今回は違った。苛立っていた。イエに守られ好き勝手に他人を傷付けた若者たちが、立て続けに殺害されている。誰が、何のために。その「何のために」が明かされた瞬間、場合によっては間宮は犯人を庇うだろう。逃がそうとするだろう。間宮は法の番人ではない。自身の正義のためならば、被害者であり加害者でもある若者を手に掛けた犯罪者を安全な場所まで案内する、それぐらいのことは平気でやる人間だ。
「似ていませんか?」
傷だらけで恐怖に怯える女性の顔写真を示しながら、煤原は言った。
間宮カナメはフェアな人間だ。
情報をここまで共有してくれる、その上で競おうと提案してくる。
「陸形壮太も顔を潰されていましたね」
「こじつけじゃねえか?」
多田隼人の声がする。声が震えていることに、おそらく本人も気付いていないだろう。煤原は黙ってまつ毛を揺らし、別の写真を取り出して貼る。
裸の女性の首から下──乳房、腹部、それに陰毛に覆われた下腹部が写った写真。
鎖骨の辺りから臍の下にかけて、真っ直ぐに黒い線が引かれている。
「これは……」
小燕が顔を顰めながら問う。
「タトゥーです」
「は!?」
煤原も間宮にこの写真を渡された時、まったく同じ反応を示した。「は!?」としか言いようがない。他に言葉がない。
「陸形壮太の仲間に彫り師がいたってことか?」
多田の呆気に取られたような声に、そんなわけねえだろう、と煤原は唸る。
「ガキどもが、見様見真似で、墨と針で入れたんだ!」
そんな、と呆けたようにパイプ椅子に崩れ落ちる多田の気持ちも、分からないことはない。この不恰好なタトゥーの持ち主は間宮が手配した探偵によって発見されたらしい。大学在学中の四年間を陸形とその取り巻きたちに弄ばれ、ニュースで陸形の死を知って本当に嬉しいと泣いていた、と間宮から報告を受けた。だが、渡された書類の片隅には間宮の筆跡ではない手書きのメモが残されている。
『被害者:ほんとはわたしがころしたかった』
「海辺事件の被害者はどうやら皆口封じがうまい、というのが私の印象です。先ほど双宮がヤリサーの関係者であるかどうかを尋ねたのも、そういう理由からです」
「つまり……彼の先輩に当たる村市直己も同様に、という意味か?」
実家が太いというのは良いものだ。煤原はしみじみと噛み締める。県警が動いて、警視庁が動いて、それでも彼らはあくまで被害者だった。情報のためならばどんなことでもする捨て身の私立探偵によってようやく、海辺で内臓を抜かれた男たちがそれだけの罪を抱えているということが暴かれる。もしも間宮がこの件に関わっていなかったら──想像するだけで鳥肌が立った。
「村市、山藤についてもある程度の調べは付いています。ただ、接触することができた被害者──この場合は大学を舞台にした性的暴行事件の被害者という意味ですが──は全員、絶対に顔も名前も表に出したくない、もしくは捜査に必要な分は協力しても構わないが、海辺で死んだ男たちをただの哀れな被害者として扱うような報道をやめさせてほしい、などの条件を受け入れる代わりに、詳細を聞かせてくれました」
「……女性たちを、被疑者としてカウントする、という考えはきみの中にはないのか」
小燕が尋ねた。煤原は大きく両目を瞬き、ありません、と即答した。
「理由は簡単です。あんなに綺麗な
わかった、と小燕が短く応じた。
少し休憩を取ってから、村市、山藤の犯行についての調査結果を報告することになった。
海辺事件の被害者から加害を受けた女性たち。また、共に加害を行った結果、自分の海辺事件の被害者のように顔を潰され、内臓を抜かれるのではないかと怯える男たち。数々の証言によって、事件の色合いが、変化しつつある。
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