2話 間宮カナメ

 煤原が仕事の内容すべてを告げないように、間宮もまた煤原には言えない仕事を請け負っていた。死体が遺棄されていた海岸にまつわる人魚の噂についての詳細を調べてほしいという身勝手な依頼を請け負ったのも(しかも無償で)それなりの理由があった。


「間宮さん!」

「小野さん、どうも。面倒な仕事振っちゃってごめんなさいね」

「いえいえ。うちの所長も喜んでますよ」

 クロガネ探偵事務所という同業者が存在する。間宮最が捜査から金銭管理から何から何までひとりですべてを賄っている間宮探偵事務所とは異なり、多くの社員=探偵を抱え、新聞やテレビをはじめとする様々な媒体に広告を載せ、逃げたペットの捜索から配偶者の浮気の証拠、更にはもっと入り組んだ事件にまで手を出しているという噂の、かなり規模の大きい事務所である。間宮が都内のホテルラウンジで待ち合わせをした相手は、その鉄探偵事務所の社員である小野おの美佳子みかこという女性だった。

 小野とは一年ほど前、死人が蘇るという奇怪な事件で知り合った。小野はその頃間宮の依頼人だったのだが、事件の解決と同時に地元を出、色々な土地を転々とした後に東京に居を構えた。彼女が東京にやって来たタイミングで鉄探偵事務所が事務員を募集していたので、新しい仕事を探していた小野を紹介したのは間宮である。当初は本当に事務員としてのみ働いていたのだが、意外なほどの度胸と勘の鋭さを買い、事務員ではなく探偵として活躍してもらうことにした──というのは鉄探偵事務所の現所長の弁なのだが。

「間宮さんのアシスタントをやれば探偵として大きくステップアップできるぞ! って所長が」

「適当言ってるな……自分は絶対出てこないくせに……」

 鉄探偵事務所の現所長・大邑おおむらわたるという人物はテレビのバラエティ番組や週刊誌のインタビューには気軽に応じるが、探偵としての仕事はひとつもやらない。絶対にやらない。なぜなら、才能がないのだ。間宮は引退した前所長のことも、それより更に前に所長を勤めていて前所長の時代には特別顧問として事務所に籍を置いていた人物のことも知ってはいるが、どちらも『』として有能な人間たちだった。だが、大邑は違う。彼は探偵ではなくだ。そして経営者でもある。鉄探偵事務所がここまで大きくなったのは間違いなく大邑の功績だ。だが、繰り返しになるが、あの男は探偵ではない。

「で、本題。どうでしたか?」

「詳しくはこちらを」

 小野が差し出す茶封筒を、間宮は小さく頷いて受け取る。トートバッグの中に封筒を入れ、きちんとジッパーを閉めて、ふう、とため息を吐いて小野に向き直った。

「慣れました?」

「お仕事ですか? ふふふ、まだまだヒヨッコ、ゆう感じですね」

 言葉の端々に方言が滲む。長い黒髪をうなじの辺りでゆるく結い、さらっとした橙色のワンピースを着た小野美佳子は、探偵というよりはピアノの先生だとか、そろばん教室の先生──とにかく、誰かに何かを教えるタイプの職業に就く人間に見える。

「なぁんでうちなんかをスカウトしたんか……」

「大邑は、本業の腕はありませんが人を見る目は確かですからね。小野さんにこの仕事が『向いてる』って思ったんだと思いますよ」

「ほうじゃったらええんですけど……お給料もだいぶ上がりましたし」

 小首を傾げて見せる小野美佳子に、というか彼女が所属する鉄探偵事務所に、間宮は面倒な依頼を投げ込んでいた。


『若くてチャラチャラした男の取り巻きからいい感じに話を聞き出せる人材をお借りしたい』


 我ながら雑で面倒な依頼だった。だが鉄探偵事務所所長、大邑航のレスポンスは早かった。都内のホテルラウンジにきみが求める人材を待たせているから某日午後5時に会いに行きたまえというふざけたメッセージを即削除し、間宮は資料を片手に指定された待ち合わせ場所に赴いた。

 ラウンジで優雅に文庫本を広げている女性が小野美佳子である気付いた瞬間、今から鉄探偵事務所もしくは大邑の自宅に向かって諸悪の根源たる男をぶん殴ろうと決意した。なぜ、事務員であるはずの小野美佳子がこの場にいるのだ!

 その後小野本人から今は事務員ではなく探偵として仕事をしているのだと説明され間宮の拳はそっと膝の上に落ち着いたのだが、それにしても。


 間宮最には三件の依頼が寄せられていた。

『息子を殺した犯人を、警察より先に見つけて欲しい』

 三件とも、海辺に遺棄された死体の親兄弟、親族からの依頼だった。

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