6.はじめましてとお邪魔します




「ワイルドスタンプか」


 スズランが平然と呟く。


「ふむ、丁度よい。手土産にしよう」


 言い終えるなり、一瞬でワイルドスタンプの目前に移動し跳躍。刀を抜き放つと同時に骨の砕けるような音が響き、ワイルドスタンプは横倒れになった。


 スズランは静かに刀を鞘に戻す。


 俺たちはそれを呆然ぼうぜんと見ていた。ワイルドスタンプはこちらに気づいたようだったが、その時点でもう、脳天に刀の柄を打ち込まれていた。目に見えて頭が陥没かんぼつしていたので、あの一撃で脳を潰されたのだと分かる。 断末魔の叫びもなかった。


 すご、と一言発しカタセ君がワイルドスタンプに駆け寄る。それを見て俺も我に返り、後ろについていく。


 ワイルドスタンプはイノシシに似ていたが少し違った。足が太く六本あった。体重を支える為にこういう進化をしたのかもしれない。


「あの、土産って言ってましたけど、こんなの持ち帰れるんすか?」


「ん? ああ、問題ない」


 スズランが答えるなり、ワイルドスタンプが地面に吸い込まれるようにして消えた。わずかの間だったが、巨大な黒い穴が開いて、その中に入ったように見えた。


「【異空収納】という術だ。拙者は余り得意ではないが」


「アイテムボックスか!」


 カタセ君が嬉しそうに言うが、スズランの表情が怪訝けげんなものになる。


「む、アイテムボックスとは何だ?」


「あ、いえこっちの話です。要は異空間に収納できる術ってことですね。それで、どうやって使うんすか? これ俺らも使えるんすよね?」


 目を輝かせてスズランに詰め寄るカタセ君。スズランは若干引いている。


「カタセ君、困らせちゃ駄目だよ」


「あ、そ、そうっすね。すいませんスズランさん」


「う、うむ、では、行こうか」


 スズランが戸惑いを誤魔化すように背を向けて歩き出す。俺たちは先ほどと変わらず少しの距離をとってついていく。少々、頭が疲れていたので、特に何を思うこともなく歩いていたのだが、俺はふと違和感を覚えた。


 静かすぎる。


 季節は夏だ。太陽の輝き、汗が噴き出る暑さ。砂浜にいたときにそれを実感していた。なのに、蝉の鳴き声がない。こんなに木があるのに。


 思い返せば、砂浜にいたときから波の音と擦れ合う葉の音の他は聞こえていなかった。今は波の音が消え、時折、控え目な鳥のさえずりらしきものが聞こえる程度。


 俺たちの足音が一番大きいかもしれないな。


「ん、あれ?」


 カタセ君が立ち止まる。


「今何か変な感じしませんでした?」


 そう訊かれたが、俺には思い当たる節がなかった。首を捻って否定すると、スズランが感心したような息をらしてこちらに顔を向けた。


「ほぉ、分かったか。ヤスヒト殿は感覚が優れているのかもしれんな。今のは結界だ。この先には魔物は出ん。賊の類もな」


「結界! 魔物! 賊!」


 ファンタジーっすね! と大興奮のカタセ君。いや何それ。俺も知りたい。


「ちょ、ちょっとカタセ君、落ち着いて。変な感じがしたって言ってたよね? それってどんな感じだったの? 詳しく教えて」


「あ、そうでしたね。ハハハ、あのですね、こう、なんか薄い膜が体にぺったり貼り付いたみたいな感じがしたんすよね。一瞬でしたけど」


 身振り手振りを交えて説明してくれたが、やはり俺には分からなかった。何歩か戻って確認もしてみるが、ここ、と教えられても何も感じなかった。


 スズランが困った連中だ、といった具合に苦笑する。


「通り抜けられただけで十分だ。悪心があると通り抜けられないようになっているからな。拙者も安心した」


「通り抜けられなかった場合はどうなるんです?」


 迷う、とスズランがにべもなく答えて歩き出す。俺たちも慌てて追い掛ける。


「リンドウが用意したものだから仕組みについては知らんが、結界に触れると意図せず体の向きが変わるらしい。真っ直ぐ歩いているつもりが、いつの間にか逆の方へと進むことになるそうだ。その際に景色の変化にも気づけなくなる効果もあると言っていたな。方向感覚も狂うとか言っておったような気がする」


 性格の悪さがにじみ出た悪辣あくらつな結界だな、おい。


 だが俺が訊きたいのはそういうことではなかった。言葉というのは本当に難しい。そういえば話も通じているが、その理由を考えたところで分かりそうもないので意識の外へ追いやった。今は訊きたいことに集中しよう。


「すいません、ちょっと言葉が足らなかったです。通り抜けられなかった場合、俺たちはどう扱われていたのかな、と」


「ああ、そういうことか。それはリンドウ次第だな。最寄りのアルネスの街まで送るか、結界の効果を緩めるか。いずれにせよ、我々マモリには渡り人の力になるよう努めるという教えがあるからな。悪いようにはせんよ」


 さて、着いたぞ。とスズランが言った。切り立った崖のような苔むした岩壁に、上りの石階段がある。スズランが上り始めたので後に続く。段数が多くて結構キツい。運動不足だったと反省。今日は歩き通しだな。朝飯も食べてないのに。


 腹が減ったなと思いながら、どうにかこうにか上った先には朱鳥居。その奥には神社のような建物。賽銭箱と本坪鈴も見えるが、中央ではなく脇にある。


 なんかおかしくないか?


 俺は息を整えながら口を開いた。


「すいません、スズランさん、何かちょっとおかしく感じるんですけど、賽銭箱と本坪鈴の位置はあれでいいんですかね?」


「ん? サイセンバコ? ああ、あれは不用品の回収箱だ。あそこに不用品を入れておくと、リンドウが転移術で街の回収業者のところまで運んでくれるのだ。それと、ホンツボスズというのは、あの呼び鈴のことだな。何かおかしなところがあるか? 玄関口を塞がないようにしてあるのだが」


「呼び鈴でけぇっすね……」


「不用品の回収箱……」


 神社ではなく、神社風の邸宅だった。


 木々に囲まれた広い境内でそんな話をしながらたたずんでいると、木陰にリンドウとウイナ、サイネ、そして見知らぬ青年が一人現れた。


 薄手のナイロンパーカーとレギンスにハーフパンツ。黒髪黒目で、親近感の湧く顔立ち。青年はこちらに気づくと、軽く頭を下げた。共にTシャツにジャージ姿の俺とカタセ君は一旦顔を見合わせてから、彼に向き直り会釈する。登山靴を履いているし、登山中にこちらに転移してきた人のようだと察する。


「おお、もう着いとったんか」


 リンドウが歩み寄ってくる。サイネがその後にちょこちょこ続き、ウイナが「いくのじゃ」と青年の手を引いてやってくる。


「おい、まさかまたいたのか?」


「ほんまそれ。こんなこともあるんやなぁ。ああ、兄ちゃんら、この兄ちゃんもあんたらと同じとこから来た渡り人や」


 俺たち渡り人と呼ばれる転移者組はもう一度会釈えしゃくを交わす。


 こうしてつどうと分かるが、全員でかくて威圧感がある。リンドウ含め、男性陣の身長は一八〇センチくらいはある。


「あ、どうも、ユーゴ・カガミです。歳は……十九です」


「ヤスヒト・カタセです。二十二です」


「サクヤ・マツバラです。二十五です」


 何故か姓名を逆にしたアメリカンな自己紹介を済ませ、微妙な空気が流れたところで腹の音が鳴った。すぐ隣から聞こえたので、カタセ君が鳴らしたのだと分かったが、さして間を置かずに俺の腹も鳴った。


 その場にいる全員が声を抑えて笑ったが、リンドウだけは哄笑こうしょうした。遠慮なく笑い飛ばしてくれて、恥ずかしい思いをしたこちらとしてはありがたかった。


「まぁ、もう昼やしな。そら鳴るわ。取り敢えず飯やな」


 リンドウが俺たちに手を向ける。すると突然、強風が吹いた。まとわりつくように体を巡り、さっと吹き抜ける。何が起きたのか分からず混乱していると、リンドウが二度手を叩き「はい注目」と言った。


「そんなに慌てんでもええ。汗やら砂やらど偉い汚れとったから術で身綺麗にさせてもろただけや。あーほんで、ユーゴとヤスヒトは裸足やから、今から渡す手拭いでしっかり足拭いてから家に上がってくれ。サクヤは玄関で履き物脱いでくれな。家は土足厳禁やからな」


 さも当たり前のように言って、リンドウが神社風の邸宅に向かう。その後ろ姿を見ながら、俺たちはまたも呆然と佇んで、はいと答えることしかできなかった。

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