ep.04 イルカショー
イルカショーが開かれる外部スタジアムは随分と盛況だった。ショーを披露する巨大なプールに沿って扇形に建設された観客席はごった返すほど人に溢れている。友達同士で来ている同年代であろう女の子、2人の世界に入っているカップル、そして子供に振り回される親。色んな人がイルカショーを楽しみに此処に集まっている。
「はい、笠松さん。フランクフルト」
僕は笠松さんに持っていた包み紙に入ったフランクフルトを渡す。混んでたから彼女には先に席を確保してもらっていた。
フランクフルトを渡された笠松さんは、「ん」と短い返事をして受け取る。
「フランクフルトで良かった? 食べやすさ重視で選んだけど」
「全然良いわよ。というか、こういうところの売店は大体ファストフードだから、大抵のものは普通に美味しいしね」
「そういうもの?」
「そういうもの」
言って笠松さんはフランクフルトにかぶりつく。雰囲気ミステリアスガールだけど、その実、結構やんちゃなのが彼女だ。自殺願望持ちの薄幸少女ではなく、誰にでも噛みつく狂犬の方が彼女の本性なのだと思う。心の底には、誰にも負けないアグレッシブさがある。それを表すかのように、あっという間に食べ終わってしまった。
それからしばらく無言の時間が――正確には僕がフランクフルトを食べ終わる音だけの時間が――続いた。食事なんて、楽しく会話する時間だとは思うけど、それでも話しかけなかったのは笠松さんが先ほど作ったハーバリウムに夢中になっていたからだ。
「……ふふ」
太陽の光に煌くハーバリウムを見て、笠松さんは頬を綻ばせている。彼女が作ったハーバリウムはイソギンチャクとカクレクマノミの人形を使ったものだ。大きく傾けたりすると中身がぐちゃくちゃになるから、彼女は自分が作り上げた小さな世界を壊さないように大切に大切に抱えている。
(参加を押し切って良かったな)
嬉しそうな様子を見せてくれると、なんだか僕も嬉しくなる。こっちも思わず頬が緩んでしまう。
結局彼女のハーバリウム作りは長引いて、イルカショーは次の次の時間になった。僕はさっさと作り終わっていたから随分待ったけど、ハーバリウム作りに入る前にも言った通り、別にイルカショー自体はいつでも見れるのだからどれだけ時間をかけてくれても良かった。
それに、待つ時間も悩む笠松さんが表情豊かで面白かったから退屈じゃなかったし。
思い出し、僅かに笑う。それを察したのか、ふと唐突に笠松さんがこちらを向いた。
「……何?」
「何って……何?」
「いや、ずっとこっち見てるし、なんか気持ちの悪い笑みを浮かべてるし」
気持ちの悪い笑み……というのは、ともかくとして、
「…………そんな見てた?」
「気持ちが悪いくらいには」
つんと笠松さんが言う。
そんなに、見てたかな? 自分ではあんまりそんな気しなかったけど。
ただ笠松さんが言うからにはそうなんだろう。一言謝罪して、僕は意識して彼女から目を逸らす。
下手に彼女のことを考えるとまた視線を向けてしまいそうだったので、思考も彼女から逸らす。
そういえば、もうそろそろイルカショーが始まる時間だった。人の動きが落ち着いて、外部スタジアムの人々は観客席に座るか、立見席で立ち止まっている。みんな、巨大なプールに釘付けだ。ショーが始まるのを待つ人々の期待で、空気が浮ついているのが分かる。
プールに設置された注意書きの看板には前列の人は水飛沫がかかるのでカッパを着て下さいという案内がある。けど、そんなに激しいパフォーマンスがあるんだろうか。イルカが跳ねる時とかかな?
そんなことを考えてると、プール奥部のステージにウェットスーツを着た女性が現れた。女性は手に持ったマイクで、「ただ今より、イルカショー開演します!」と挨拶。
僕は笠松さんの肩を揺らして言った。
「笠松さん、笠松さんっ。始まったよっ、イルカショー!」
「はいはい、分かってる分かってる。だから揺らさないで」
笠松さんが呆れた様子で、うんざりした様子で言った。
なんだか温度感が違う。
「もっと盛り上がろうよ! イルカがショーするんだよっ、ショー」
「私からすれば、なんでイルカショー如きでそんなに盛り上がれるのか不思議よ」
「だって、凄くない? 動物がショーするんだよっ。感動ものだよ!」
はしゃいでいる。そう自覚できるほどにはしゃいでいる。そして、そんな僕を笠松さんは冷めた目で見ていた。
「なんでそんなにはしゃげるの? たかだかイルカショーじゃない」
「いやぁ、見るの初めてでさ。実のところ、水族館に来たのも初めてで」
白状すると、笠松さんがツチノコでも見たような目で見てくる。
「初めて……? 水族館に来たのが? 家族とかと来たことないの?」
「あー、うちの家族はそういうのしないタイプだったからなぁ」
動物園とか、水族館とか、遊園地とか、そういうアミューズメント施設に連れて行ってもらった思い出はない。うちは家族で何処かに行くことはない家族だった。
なんて、そんなことを思い返すと、これまでの経験がフラッシュバックする。しまった。うちの家族の話をするときまって暗い空気になる。なんというか、触れちゃいけないものに触れてしまった気分になるらしい。家族であんまり出かけないのは、多くの人にとっては憐みの対象なようだった。
うーん、不味ったな。折角ハーバリウムで笠松さんが上機嫌になったのに、落ち込ませてしまっては意味がない。
下手を打ってしまったことに肩を落とす。しかし、笠松さんは僕の経験からは想像していなかった言葉を発した。
「そういう家族は、ちょっと羨ましいわね」
え……?
羨ましい、なんて初めて言われた。笠松さんの声色に慰めの色はない。ほんとの本当に、笠松さんは僕を羨ましがっている。
思い返されるのは笠松さんが語った家族観、彼女の虚しさを知るヒント。
今が、チャンスかもしれない。笠松さんが自分から家族について触れた今なら、彼女も口を開いてくれるかもしれない。
意を決して、淡い期待を抱いた僕は彼女の深いところに手を伸ばす。
「ねぇ、笠松さん。笠松さんの家族は、どんな家族だったの?」
笠松さんの頬に緊張が走る。強張りとも、あるいは苛立ちとも取れる感情の動き。触れられたくないものに触れられたと言いたげな反応に、だけど僕は引くことはしない。
ここが、こここそが彼女に踏み込むチャンスだと分かっているから。
ショーの開幕を告げるホイッスルが響く。途端に上がる人々の歓声は、酷く遠く聞こえた。
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