オウノキ
シンクが訝し気にマーロウを見つめると、マーロウは頭を掻いて、話題を逸らそうとした。
「コホン……とりあえずだ。これからの話をするぞ。首都なら神祇官がいるから、城で休んでもいいんだが、生憎ラピリスにはまだ居ないらしい。」
そういって、少し気づかわし気な表情をマーロウはした。
「疲れているのは解るんだが、まずは懸念を払う為に神官に会いに行こうと思うんだが、どうする? 多分、その間にヒマリ殿から城の方には連絡が行き届くと思う。」
「大丈夫よ。このままだと、訳が分からないもの。」
これまで強行軍でシンクを連れまわしていたマーロウが、急にシンクの疲労について気を回し始めたことに彼女は小さく驚いた。
(もしかしたら、私とトルファンの話を聞いていたのかしら? それとも、彼が何か言った?)
気になる所ではあるが、流石にそれを聞くのは無粋に過ぎると、シンクは敢えて野暮な事は聞かなかった。
実際の所、トルファンがマーロウに注意したのは正しい。
ただ、マーロウ自身、あまり気が回る男ではないが、けして非常な男では無いのである。
言われれば、旅慣れた自らを基準にするのは誤りであったと、反省するくらいの柔軟性もあるし、むしろ、身内の情には熱い男であった。
二人は歩いて北上し、道が十字に交差した大通りに出ると、人(魔物)力車を捕まえた。
そして、そこからは
車を引く御者は気さくな人物であった。
人力車は、狼達と並走しながら、それなりの速度で走っているはずなのに、息切れする事もなく、マーロウと昨日まで居たベンデルについて等の世間話を楽しんでいる姿に、シンクは密かに驚いていた。
ちなみに、御者が馬頭であった為、そういう獣人であると、マーロウすらも勘違いしたが、ラドクアメレという列記とした悪魔種の魔物であるらしかった。
良く間違えられると、彼は笑っていた。
暫くすると、彼は指をさしながら、「そろそろ着くよ」とシンク達に声を掛けた。
指を差された先には、他の建物よりも屋根二つ分大きく、周囲が石づくりや石膏作りであるのに対して、此処だけは木造で出来た建物が存在していた。
入り口には何故か、3メートルを超えるであろう巨大なオオツノジカが居て、扉を守る様に腹ばいに座り込んでいる。
マーロウが。「ここで、ありがとう。」というと御者はゆっくりと車に反動を与えないように減速して停車した。
二人が車から降りて、マーロウから鉄で出来た硬貨を受け取ると、御者は「また、よろしくどうぞ」そんな掛け声と共に、そちらに客はいないだろうに、天高く空に向かって走って行ってしまった。
後で、シンクがマーロウに尋ねると、彼等は天飛役という、トルファン達と同じ、ある種の運送屋であると教えてもらった。
広いラピリスを移動するのに、歩きだけでは辛い者も出てくる。
故に、特定の場所にさえ行けば、そこに魔道具が設置してあって、行き先を告げれば彼らが運んでくれるという仕事らしかった。
幾つかの企業が、それぞれ縄張りのような物を持っていて、そんな物があるせいで他所の縄張りにお客を届ける時は、帰りに別の客を拾うと諍いになる事が多かった。
ゆえに、敢えて客を拾っていないよというアピールをするために、それぞれ自分の種族に会ったやり方で、自分達の縄張り迄戻るという習慣が出来たのだとか。
シンクは変に思う所もありながら、「便利なのね……。」と概ねには納得と理解を示した。
御者が去った後、マーロウはオオツノジカに軽く手を上げながら声を掛けた。
「よお、ハクアン。久しぶりだな。」
それから苦笑いを作って、「今はシカか。」と呟いた。
するとシカは首をマーロウの方に向けると、今、気付いたという様に身体を持ち上げた。
「ん? おお! マーロウ、久しいな。シカは良いぞ。暁を彼等と迎えて、風の様に深い新緑を駆る。そして、私は水気に染まったラピリスの空気を胸いっぱいに吸い込むのだよ。それこそ、実に誉れ高い心持になれるのだ。」
言いながら、オオツノジカの姿は、シカから獅子へ、獅子から人へ、人から中空を泳ぐ魚へと、どんどん姿を変えていった。
シンクは唖然とした様子で顔を強張らせた。
(変なのは人だけじゃなかったわ……。)
マーロウはそんなシンクの表情を見て、小さくため息を漏らした。
「つれが驚いてる。そろそろ身体を落ち着けてもらえないか?」
「何? そちらのお嬢さんは不定種を見るのは初めてか? では、この機会に慣れる事をお勧めしよう。」
言いながら彼は、大きなカマキリの形をとって、シンクを見つめながら首を傾げた。
「わしはハシミナツの木精で、名を
ハクアンはオウノキと名乗った。
マーロウの眉がピクリと動き、訝し気に顰められた。
「ん? お前の名はハクアンだろう? いい加減、翻弄するのは関心しないぞ。」
マーロウが言うと、オウノキは声を上げて笑った。
「サラ嬢が、わしの木にオウノキと名付けたのだよ。」
言い終わる頃には、彼は一本の木に姿を変えて、その枝には果実の様に”シカの頭”が成っており、それはシンクの事をじっと見つめていた。
シンクは、その顔はシカであるが、目だけは人のソレである事に気が付いた。
何とも気色の悪い。
しかし、ここへ来て、ようやく免疫の様な物がシンクの中に芽生えて来たのか。
ラルヴァの時の様に狼狽えるという事もなく、彼女は「シンクよ。」と落ち着いて名乗った。
「シンク……。」
それを聞いたオウノキは、すっと首を上げて空を見上げた。
「シンクよ。それがそなたの望む在り方か?」
まるで天に問いかける様に、オウノキは問うた。
シンクは訝し気に眉を寄せる。
「シンクは私の名よ?」
シンクが答えた瞬間、オウノキの頭が、熟した果実が地に落ちる様に枝から離れ、シンクの足元に落ちてきた。
シンクや、近くに居たマーロウですらも、肩を跳ね上げて後ずさる。
落ちたオウノキの首の角度は、枝についていた時と変わらない。
空を見上げていた為に、今は、丁度シンクの顔を下から見つめるような形だ。
「違う……そうだが、違う。例えば、お前さんは今からオウノキと名乗って生きる事が出来る。それまでの事は、すでに終わった事として。」
下から見上げるオウノキの瞳は、シンクの中深くを見通す様に、彼女の目を見つめていた。
「……。」
シンクはオウノキを睨みつけた。
「貴方の言っている事の意味は解るわ。でも、何故、それを私に言うのかしら?」
シンクはオウノキの問いには答えず、逆に問い返した。
「では、君は望んで今のシンクで居るというのか?」
オウノキはオウノキで、シンクの問いには答えなかった。
シンクは、何この人? とマーロウに視線を投げつけてから、ため息を吐いた。
「そうよ。何か、文句でもあるの?」
シンクが答えると、急にオウノキは身体の全てを光の粘体に変えて、スライムの様に集まると、その光の中から一人の老人となって姿を現した。
「いや、そんなことは無い。君は立派だよ。世の中には、自らが何者であるかさえも決められない者が沢山いる。……神は自らの世界を自由に造ってよいと、認めて下さっているのにな。」
オウノキは言いながら、残念そうに眉根を寄せた。
それから彼は満足そうにシンクに対して一つ頷くと、彼女に背を向けた。
そして、後ろの木造の建物まで歩いて行って、その扉を開いた。
「さあ、中へ。何か用事があって来たのだろう?」
そう言うと今度、オウノキはマーロウの方へ振り返る。
「ああ、でもマーロウ。結婚式であれば、わしよりも先に姉君に話を通したまえよ。」
真面目な顔で言い放った。
マーロウは不機嫌なそうな声で「違う。」と言い、シンクに対して「すまない」と言いながら肩をポンと叩き、中へと入っていった。
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