ピクニック・アット・フェアリーヘンジ

飯田太朗

ピクニック日和

 陽春の頃だった。春風が心地よい日だった。まさにピクニック日和だった。生徒たちも喜んでいた。

 新任のアントーニア・フンケ先生が引率だった。東クランフ出身の真面目で律儀な先生だったが、業務に不慣れでまだ若く、経験が足りなかったので、少し心配はしていた。そしてその心配が現実となった。

 シャルロット・エマニュエル・サルヴェール嬢。

 モデスタ・ルーツェ・バッツォーニ嬢。

 ユッタ・マティルダ・リトマネン嬢。

 モイラ・ジェイミ・ドローレス・ドノヴァン嬢。

 アニタ・ローレン・ハバード嬢。

 計五名の少女が行方不明になった。年長の者でもまだ十五歳……アニタ嬢。最年少は二年生の十一歳……シャルロット嬢。大事な大事な生徒の失踪に私は頭を抱えるのと同時に深く絶望した。この不祥事、不始末。私が引責辞任となるのは当然の流れだろう。いや、私の進退はいいにしても、まだ幼い女の子が、私の監督の元で行方不明に。もし何か、あったとしたら。私は毎日悪夢を見るために眠り、そして次の悪夢のための息継ぎとして目覚める、そんな日常を送ることになりそうだった。

 私が学長を務めるクリフォード女学院は、国内屈指の名門アルドリッジ総合学校の女子校版だと呼ばれていた。魔法魔術はもちろん、占星術、技術家庭科に歴史公民、伝統舞踊に詩吟国語、およそ「社会を泳ぐしなやかな女性」を作るための教育は全て施す総合女子学院だ。

 私が学長になれたのは少し昔のことで、かれこれこの役職に就いて長かったが、このような不祥事は初めてだった。フンケ先生は震えながら謝罪した。

「起きてしまったことは仕方ありません」

 私は自分自身をも律しながら告げた。

「速やかに解決を。先生方、申し訳ありませんが今の作業を一旦置いておいて本件に助力してください。お嬢さん方を探します」

 しかしそれからの捜索は無駄に終わった。学期終わりが近かった。もう少しすれば親御さんたちが娘を迎えに本校に来る。それよりも前に解決するのは私の人生に横入りしてきた唐突な必須事項だった。私は焦ったが、努めて表情に出ないようにした。私が乱れると他の先生も乱れる。

 そういうわけで、私は奥の手に出ることにした。かつての友人。東クランフの名士ホルスト家に嫁いだ彼女に頼ることを、決意したのである。



 ランドン、ロースター街122A。

 少し前の手紙にそう書いてあった。彼女はかなり前に病気で命の灯が消えかけたのだが、得意の魔法で命を繋いだらしい。今は猫……のような、カバン……のような姿で生活しているらしい。

 人目につかないよう、夕闇に紛れるような黒のドレスに身を包み、帽子を目深にかぶり、万が一にも我が校生徒の親御さんに出くわすことのないよう、乗り合いの馬車ひとつにも細心の注意を払って出た。普通に訪れるのよりも二重も三重も手間をかけて辿り着いたロースター街は静かだった。労働者たちも町外れの酒場に引っ込んで、辺りはぴんとした静けさ、靴音一つでも立てようものならそこかしこに聞こえてしまいそうだった。前以て魔蓄電報は出していた。最新式の、思念を受信すると勝手にタイピングし始める魔蓄タイプライターを使った通信である。

 果たしてその事務所の前に着いた。


〈シャロン・ホルスト探偵事務所〉


 ホルスト。間違いない。おそらくは彼女の娘さんの名前だ。私はパリッと佇むドアの板をノックした。すぐに返事が来た。

「ミシェル?」

 彼女の声だった。

「マリエル」

 私が応じるとマリエル……猫だかカバンだかになった私の友人……は訊いてきた。

「チャムニーと言えば?」

 私は答えた。私とマリエルが初めて一緒に食べたお菓子の質問……つまりは、合言葉を。

「ベタベタバター」

「ミシェルね」

 ドアが、ゆっくり開いた。

「いらっしゃい」

 かくして私は、シャロン探偵事務所のドアをくぐった。

 中に入ってみると、書類や本が棚に綺麗に整理されていて、装飾品も上品で華やか、けれども埃はひとつもかぶっていない、実に行き届いた事務所だった。

 中央に大きな事務机があった。その向こうに彼女がいた。マリエルと、その夫アウレール・ホルストの愛娘。シャロン・ホルスト。

「よく来たわね」

 どこかから声がする、と思ったら足元に猫がいた。品の良さそうな猫。しゃなりしゃなりと歩いてくる。

「この姿で会うのは初めてね」

「マリエル」

 私はしゃがみ込んだ。

「会いたかったわ」

「うふふ。私も」

 猫がふわりと欠伸をした。

「でももう業務時間外よ。あなただから特別にドアを開けておいたけど、娘もまだ若いし、待人がいるもの」

 と、机の向こうの娘さんが頰を染めた。

「やめてよ、お母さん」

「グレアムくんの作ったスープが待ち遠しいんでしょ?」

 マリエルはにやにや笑いながら続けた。

「話だけでも聞いちゃいなさいな」

 私は慌てる。

「ああ、えっと、何から話せばよいのやら……」

「どうぞ椅子を」

 シャロンちゃんに勧められてようやく椅子の存在に気づく。そこにお尻を下ろして一息つくと、やっと気持ちが落ち着いて話せる気持ちになってきた。娘さんが手際よく本件を解決するためにも、ここの説明は丁寧にしなくてはならない。

 そうして語り出す。フンケ先生が私に上げてきた報告の、要旨を。



 ピクニックは春の催し物の中でも割と大きなものだった。この日を楽しみにしている生徒もかなり多かった。フンケ先生は担当として奮い立っていた。この一件を無事に終わらせれば、自分も教師として箔がつく。

 フンケ先生は第三班の担当だった。クリフォード女学院では学生寮に番号を振っており、第一班寮から第四班寮まで、それぞれ担任の先生がいた。ピクニックはそれぞれの寮の担任が引率として参加した。

 第三班と第四班の行く先はフェアリーヘンジだった。セントクルス連合王国の七不思議のひとつ。とある高名な魔法使いが発見した魔法陣。巨大な石を用いて作られたその陣形は、およそ人の手で作ることは不可能で……魔法陣の錬成に魔法は使えない。地面に書くなら多くの場合チョークや石を用いる……、そして石を並べて魔法陣を作るという発想さえ、常人には及ばぬものだった。妖精が作ったものだ。そんな噂さえあった。

 実際フェアリーヘンジの辺りでは精霊使いにも使役できないほど強力な妖精の伝説が多々あり、ちょっとした畏敬の地、神様の地として知られていた。そしてそれ故に……とても美しい土地だった。

 お日様に愛された大地。色とりどりの花、戯れる虫たち。春に訪れれば、運が良ければニンフが春風とランデブーしているところが見られるという。

 生徒たちがそんな地へのピクニックを楽しみにしているのは、当然と言えば当然だった。その分先生たちも気が立っていた。生徒に何かあってはならない。

 果たして第三班と第四班はフェアリーヘンジに着いた。

 生徒たちは花や虫と戯れた。クリフォード女学院の見目麗しい生徒たちが楽しそうに笑いながら野を駆ける様は、同じ女性でもため息が漏れる景色だった。

 さぁ、そしてピクニックのお楽しみ。

 フンケ先生は点呼をとった。ポールダンス……ランドンであるような器械体操的なものではなく、野原の真ん中に棒を立ててその周りを手を繋いで踊るもの……をしようとした。隊列があるので、フンケ先生は生徒の数を確認した。そして気づいた。

 シャルロットがいない……。

 

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