十五 マルタ騎士団国
二〇八〇年、九月十八日、水曜、ローマ十二時。
(上海十八時。バンコク十七時。バクダッド十三時。ティカル四時)。
ローマ市コンドッティ通り六十八、マルタ騎士団国。
(正式名称・エルサレム、ロードス及びマルタにおける聖ヨハネ主権軍事病院騎士修道会)。
マルタ騎士団国(エルサレム、ロードス及びマルタにおける聖ヨハネ主権軍事病院騎士修道会)本部ビルは、二十世初頭に建てられた飾り気のないビルで、ホイヘンスが幼年期を過した当時のままである。
「フランク。単刀直入に言う。統合評議会(連邦統合政府議会対策評議会)が内密に地球防衛軍を動かしてる・・・」
必要最小限の物しかない質素な総長執務室で、ソファーに座ったホイヘンスは、騎士団修道会総長フランク・アンゲロス大公(Principe)、ローマ教会枢機卿(伝統的としてローマ教皇から枢機卿に親任されている)に話した。
ホイヘンスの隣にコーリーが居る。二人の背後に、警備員アンナ・バルマーと二人の警備員が居る。
「それで?」
アンゲロスはホイヘンスに耳を傾けながら、テーブルにウィスキーのグラスを三個置いた。アンナたち警備員にもグラスを渡してソファーに座った。
アンゲロスはマルタ騎士団国を代表するユーロ連邦議員(ユーロ連邦政府議会議員)で、統合議員(地球国家連邦共和国統合政府議会議員)だ。ホイヘンスと同じ七十代だが、ホイヘンス同様、四十代前後に見える。
「宗教界の人脈で地球防衛軍の動きを公にして欲しい。人類のためだけに働くよう、議会に法案を提出してくれないか?」
「地球防衛軍の動きが公になると、君が困るのじゃないのかね?」
「どういうことだ?」
アンゲロスは戦艦〈ホイヘンス〉とトムソの存在を知っているのか、とホイヘンスは思った。
「宗教界は急速に変化している。もはや、人の勝手な想像で創り上げた存在が人の精神を束縛する時代ではない。許されるのは我々の生存哲学だ・・・。
過去にも宗教は生存哲学だった。各宗派の開祖は生命を誕生させた時空の存在を語ったが、聞く側が勝手な解釈をして後世に伝えた。物理学が存在しない時代の者たちが現象を物理学無しで擬人化して語ろうとするのだから無理はない。おまけに君が知ってのとおり、開祖たちが語った内容は私利私欲が絡んで大幅に変化した。
我々や君の祖先がロードスとマルタの領土を失った原因は、まさにこの結果だ。戦う必要のない宗教戦争を聖戦などと誇張して、駆り出された我々の祖先は疲弊した。そして、スレイマン(オスマン)やナポレオン(フランス)に領土を奪われた。最初から本質的な時空概念が語られていれば対立宗教は存在せず、我々の騎士団国は存在しなかっただろう。
いつの時代にも勢力を維持して支配を拡大しようとする為政者が現れる。常に宗教は為政者の支配の道具にされた。
だが、宗教が無ければ、他の理由で争いの種が生まれて、現在と同様の結果になるのが時空の流れだ。つまり、君が直面している現状は必然だ。君がどうあがこうと結果は一つに帰結するだろう」
「領土を欲していたフランクの事とは思えない・・・」
「たしかに以前は領土が欲しいと思っていた。
だが、世界的に子孫が減少した現在、我々の民も例外ではない。表向きはマルタ騎士団国国民と言っているが、ユーロ連邦下では単なるローマ市民であり、これまでの国家意識や民族意識が無くなりつつある。
つまり、国民は自国の領土を主張しなくなってきている・・・」
「人類の存亡を考えているのか?」
「現状のマルタ騎士団国と宗教界に、実在世界からの独立性を望むのは不可能だ」
「私が懸念しているのはフランクが考えているような事じゃない。まだ公にできないが、人類の事だ」
「我々の種が、遺伝的に多様性を無くしている事実か?」とアンゲロス。
「そうだ」
「我々の種が遺伝的多様性を無くせば絶滅する。あるいは突然変異による進化が現れる。これは我々が抗えぬ時空の定めだ」
やはりアンゲロスはトムソと戦艦〈ホイヘンス〉を知っている・・・。
ホイヘンスは思い切って訊いた。
「新しい人類について、知っているのか?」
「遺伝的多様性について聞いている」
「人類が、新人類に支配されてもいいのか?」
「突然変異による進化が現れれば、その人類は我々の子孫だ。
いずれ全人類が進化すれば、その時、否が応でも君が懸念するようになるだろう。
オイラー。君は未来の人類を異星人のように区別しているようだが、その理由は何かね?」
アンゲロスは何かを見透かすようにホイヘンスを見ている。
「・・・」
ホイヘンスは返す言葉が無い。
「進化した人類が、進化しない人類を支配する確証は何も無い・・・。
最近は地球防衛軍と交戦する者が現れたと聞く。そういう輩は独りで世界を動かそうと思っているのだろう。物騒になったものだ・・・」
「私は人類が長く繁栄するのを願って、そのために働いている。特に私を育ててくれたマルタ騎士団国のために・・・」
くそっ、これでは自分が事件の首謀者だと白状したのと同じだ・・・。だが、隠しだては必要ない。いまだ統合政府はマルタ騎士団国にマルタとロードスの国土領有を認めていない。フランクも私と同様に統合政府を批判的に思っているはずだ・・・。
「地球防衛軍にパラボーラという超弩級の兵器がある。警戒システムによって、正体不明の飛行体は大気圏内だろうと大気圏外だろうと、ただちに破壊する兵器だ。
だが、地球防衛軍と交戦した飛行体は、超弩級兵器から攻撃されずに現在に至っている。
なぜだと思うかね?」
そう言ってアンゲロスはホイヘンスを見ている。
「自由に行動させてると言うのか?」とホイヘンス。
「現状は誰が考えても、そのようになる」
「わかった。帰ってじっくり考える・・・」
「そうした方がいい。コーリーも来てくれたのに今度は協力できない。ここ数年で状況が変り過ぎた・・・」
アンゲロスは、ケープタウンのテーブルマウンテンが爆発した当時を思い出して、口惜しそうにコーリーを見ている。
「ええ、わかってるわ。ユリアの時は良かったわ」
コーリーはバックアップされた過去の自分を思い出した。
過去の私ユリアは、分子記憶にバックアップされた後、身体を原子レベルに破壊された・・・。なぜそのようになったか記憶に無い・・・。
「フランク、私の事は気にしないでくれ。
朝から、す済まなかった。また頼みに来るかも知れない。その時は相談に乗ってくれ」
ホイヘンスはアンゲロスの手を取ると強く握って立ち上がった。
アンゲロスは立ち上がって、ホイヘンスの手を強く握り返した。
「ああ、いつでも連絡してくれ。私にできる事はいくらでも協力するよ」
フランク・アンゲロスは領土を奪還すべく、統合議会でマルタ島とロードス島の所有権を主張しているが、実質的居留権を主張する居住者と居住者が所属する旧国家がマルタ騎士団国より強い発言力を有して、統合議会と統合政府に政治圧力をかけている。
「ありがとう。では、また」
ホイヘンスはアンゲロスの無念な思いを感じたまま、コーリーとともに警備員に囲まれて枢機卿フランク・アンゲロスの部屋を出た。
マルタ騎士団国本部ビルの通路を歩きながらホイヘンスは思った。
フランクが不可能なら私が動くしかない・・・。人は世代交代して老いてゆく。領土を取り戻して支配を広げても、進化した人類が増えれば思い通りにゆかない。邪魔者は排除するしかない・・・。
執務室からホイヘンスが去ると、アンゲロスはソファーに座った。
ホイヘンスの協力者は少なく、宗教関係者くらいだ。過去と違って宗教観が変り、人類の優位性は語られずに、教義は物理的時空の存在になっている。残っているのは狂信的な古典宗教観にしがみついて利己的主張を、つまり宗教を通じて欲を通そうとするカルトばかりだ。こんな者たちはホイヘンスの協力者には成り得ない・・・。
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