十七 招かざる客

 二〇五六年、九月四日、月曜。

 ユーロ連邦、ドイツ、バイエルン地方、フユルー郊外森林地帯、モーリン・アネルセン宅。


「バトン様・・・」

 三日後の雨の早朝。トーマスはオリバーに起こされた。

「お静かにお着換えください。招かざる客がこの館に近づいています。私について来てください。お荷物は私が運びます」

 トーマスは急いで着換えた。オリバーに従って大広間を見下ろす回廊を歩き、階段を下りて図書室へ歩いた。


 図書室に着くと、オリバーは本棚から聖書を取り出して再び本棚に戻した。

 二つの本棚が前へ迫り出して、左右に移動した。

 本棚があった壁に空間が現れて、薄明かりに照らされた広い階段が下方へ続いている。

「下の部屋でモーリン様がお待ちです」

 階段を下り始めると背後で本棚が元の位置に戻った。本棚の裏は鋼鉄の隔壁だった。


 十分ほど階段を下りて、二人は鋼鉄の隔壁の前に着いた。

「しばらくお待ちください」

 オリバーが隔壁のタッチパネルに触れた。

 隔壁から眼球のようなセンサーが現れて、オリバーの指紋と虹彩の照合をしている。

「バトン様も・・・」

 トーマスはセンサーの前に立った。センサーは蛇のように伸びてトーマスの身体の隅々をチェックして、壁に戻った。


「完了です。これでバトン様はモーリン様同様にこの館の主です」

 トーマスは驚いた。

「申し訳ありません。説明不足でした。センサーはバトン様をこの館の主として認めたのです。いずれ理解できます・・・」

 隔壁が左右にスライドした。中に空間がある。

「さあ、行きましょう」

 空間へ進むと背後で隔壁が閉じた。前方で次々に二つの隔壁が左右にスライドした。


 四番目の隔壁内部にエレベーターが現れた。乗りこむと、オリバーが説明する。

「行く先は核シェルターです。館の周囲一帯は固い岩盤の上にあります。シェルターは岩盤の地下百メートルに位置します。その昔、ここはレジスタンスの要塞でした。

 隔壁は五重になっています。気密性を保って核爆発による電磁パルスを避けるため、外部から完全に遮断されています。固い岩盤の内部ですから地中レーダ探査も不可能です。

 さあ、着きました」

 エレベーターを降りた二人の前で、五番目の隔壁がスライドして、二人は巨大なドームに出た。



 ドームではモーリンが二人の若い女とともに壁一面に並んだディスプレイを見ている。

「館周辺と主要地区の監視映像よ。モニターは館を中心に地図に合せて配置してあるわ。

 私の祖先は第二次大戦でナチに反抗して戦った、この地方の人々に信頼された貴族なの。今も協力者が多いの。この二人も私の協力者よ」

 二人の女がトーマスに会釈した。一人はモーリンと同じ背丈でもう一人はそれより高い。


「だからハッキングしなくても公の監視映像を見れるの。

 この車は優性保護財団の情報部でしょう」

 壁の左上部のディスプレイに黒の大型ワゴンヴィークルが映っている。ワゴン側面にステッキに絡みつく三匹の蛇の紋章がある。

「なぜ、ここがわかったんでしょう?」

「あなたの通信を調べたのよ・・・」

「そんな・・・」

 トーマスが大隅教授と交した暗号化ファイルはDNAの塩基配列を暗号化したもので、さらに配列を変えてある。専門家でも簡単に解読できない代物だ。

「優性保護財団には連邦統合政府の情報部と同じ組織があるの」

 モーリンはディスプレイを見ながらそう言った。


 オリバーは映像を拡大して、助手席の年配の男を見ている。

「モーリン様。既に大隅教授と、ご子息が財団に捕らわれたようです」

「奥さんと娘さんは?」

 思わずトーマスは訊いたた。

「お二人とも無事のようです。バトン様の連絡どおり、ミュンヘン大学の友人に会うために、直接、ミュンヘンに来ているようです。これが昨夜の様子です」

 オリバーは壁の左側のディスプレイを示した。


 二人の女が食事するレストランの内部映像が映っている。一人は小柄で髪は長く栗色で目はグレー。もう一人は背が高くて金髪に近い茶色のセミロングでブルーの目をしている。二人とも白人ではない。

「お二人は今日の午後、大学へ行くようです」

「・・・」

 トーマスは何も言えなかった。モーリンはトーマスが安堵しているのを感じた。


 壁の中央付近のディスプレイに、アネルセン邸の敷地に近づく黒の大型ワゴンヴィークルが映った。

「お客様の相手をしなければなりませんので私はこれで・・・」

 トーマスに挨拶すると、オリバーの姿が消えた。

「彼は?」

「彼の行動はトンネル効果と思ってください」

 モーリンはそう言ってディスプレイを見ている。壁の中央の幾つものディスプレイが館の形に配列されている。その一つに、門外に停止したワゴン内の男たちとインターホンで応対するオリバーが現れた。



「優性保護財団です。モーリン・アネルセンさんにお会いしたい。優性保護局の召喚状を持ってきました」

 運転している若い男が門のモニターに向ってそう言った。

「モーリン様は不在ですが、お入りください」

 門が開いて車が邸内に入った。


 二人の男が館の入口の外に現れた。扉を開けたオリバーに、年配の男が、

「アネルセンはどこへ行った?」

 ぞんざいに訊いた。

「お客様の観光案内をなさっています」

「帰るのはいつです?」

 若い男が丁寧に言って、オリバーの気をとりなしている。

「一ヶ月ほど先になろうかと思います」

「わかった。帰ったら、この書類を渡してくれ」

 年配の男がオリバーにファイルを渡した。

「何でしょう?」

「優性保護局の召喚ファイルです。端末で確認して欲しいとお伝えてください」

 渡されたファイルの表紙に連邦統合政府保健省優性保護局とある。

「わかりました。伝えます」

 館入口の映像から男たちが消えた。邸内から去ってゆく車が他のディスプレイに映っている。



 監視装置が設置された痕跡も、監視要員が配置された様子もない。男二人が何もせずに帰るはずがない。

 モーリンが囁いた。

「スパイ衛星を使う気ね・・・」

 連邦統合政府の情報収集衛星は、スパイ衛星や偵察衛星と呼ばれて、上空数百キロメートルの軌道高度から百数十キロメートルまで降下してスパイ活動をする。


「そんな事ができるんですか?」

「ホイヘンスの背後で統合議会議長が動いてるわね」

「そんな馬鹿な!ホイヘンスが連邦統合政府を動かせるはずがない!」

「その馬鹿な事が今ここで起こってるのよ。現実を見なさい!」

「すみません。僕のせいで・・・」

「あなたが他所で捕まっても、ホイヘンスはDNAの分子記憶を知るために私を捕まえる。

 現状を知っている方が、何も知らずに捕まるよりましよ。

 今後、私をモーリンと呼びなさい。私もトーマスと呼ぶ。敬語はいっさい無し。

 緊急事態ばかりだから。オリバーにもそう呼ばせるわ」

「はい・・・」

「もうすぐあの車が街道へ出る。午後から移動よ。それまで休息して」

 トーマスにソファーを示して、モーリンは二人の女とディスプレイを見た。


 午後。雨が降り続いている。

 モーリンはドームの壁に手を触れた。入口と反対側の鋼鉄隔壁が、入ってきた時のようにスライドした。

「通路に電動車があるわ。通路の先はドナウの支流よ」

 モーリンとトーマスと女二人がドームから通路に入った。背後でスライドした隔壁が閉じて、目の前の鋼鉄隔壁がスライドし、二つ目の隔壁を抜けた。

 さらに三つの隔壁を抜けて岸壁をくり抜いたトンネルへ出た。四人は待機している電動車に乗った。


「川を遡ればライン。下ればドナウ。いったん下って支流からミュンヘンへ行く」

「二人がミュンヘンに来るのを、オリバーはどうやって知ったんだろう?」

「オリバーの情報網は完璧なの。二人をオリバーの実家へ匿うつもりよ」

 電動車はトンネルの軌道を高速で走って、小型の水空両用高速ヴィークルが浮かぶトンネル内の船着場に着いた。川への出口の隔壁が迫り上がり、潅木に覆われた水路が現れた。川面は見えない。

「オリバーの実家はどこです?」

「さあ、何処かしら。私にもわからないの」

「えっ?」

 トーマスは驚いたまま、言葉が出なかった。

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