十八 思考記憶管理
二〇二六年、帝都、一月十日、土曜、二十時。
モスクワ、一月十日、土曜、十五時。
ローマ、一月十日、土曜、十二時。
ワシントンD.C.、一月十日、土曜、六時。
「オイラー、休暇はどうだった?」
マルタ騎士団国マルタ神大学の大会議室で、ミケーレ・ロードス総長はスープを飲みながら訊いた。
「はい・・」
オイラーはうかぬ顔になった。
ロードス総長はわびるようにいう。
「不愉快なことを訊いたようだな・・・」
「ミケーレが思うようなことじゃないよ・・・」
オイラーはスプーンでスープをかき混ぜた。
ユリア・カルザスとチャールズ・ダルトン教授、アントニオ・ジッタ教授をはじめ、同席する教授たちがオイラーの口調に驚いて食事の手をとめた。
フランク・アンゲロスはくすくす笑っている。
「ここにいる皆が友だ。教授と学生の立場を捨てて、同等の立場で接してくれ。
いいかな、チャールズ、アントニオ・・・」
ロードス総長は皆を見た。
「そうでないと、うまくゆかない。支障ないかぎり、プライバシーも話してほしい。食べながらでいいよ、オイラー・・・。
皆も食べながら、気楽に話してくれ」
ロードス総長は教授たちを見ながらワイングラスに手を伸ばした。
「はい」
オイラーは答えながらサラダを口へ運び、説明する。
「今回のクリスマス休暇に、遠縁のスザンナ・ヨークの所へ行った。ユリアとともに・・・」
ダルトン教授たちがざわめいている。
「フランクも誘ったけど、フィレンツェの実家へ帰るので、僕とユリアの二人になった。
実家がないユリアは、毎年、親戚の家を泊まり歩いてた。だから、クリスマス休暇に、僕の遠縁のスザンナ・ヨークの家へゆきたい、と親戚に話したら、親戚は、すぐさま、宿泊同意書にサインした」
「アイルランドの、あのスザンナ・ヨークかね?」
教授の一人が訊いた。
「はい。僕は、叔母、と呼んでいます」
「二週間以上の休暇か、リナルド?」
他の教授がリナルド・ゴメス事務長に訊いた。
リナルド・ゴメス事務長はうなずき、
「私は、オイラーの遠縁が、スザンナ・ヨークなのは承知している。彼女の同意書も、ユリア・カルザスの親族の同意書も不審点はない。二人は自己責任で行動できる年頃だ。皆も、そのことに異存はなかろう・・・」
ゴメス事務長は教授たちをにらみつけた。
「そんな議論より、我々はもっと重大な事を三人に押しつけようと、いや、果たしてもらおうとしている。その事に対する我々の責任は非常に重い。それを、チャールズやアントニオたちは自覚してるのかね?」
ゴメス事務長は皆をにみつけたままだ。場は一瞬に静まりかえった。
「本当は、僕らに何をさせる気だ?」
異様な雰囲気に、オイラーはフォークを置いた。
「休暇前に話した事、そのままだ。
我々には若い君たちのような柔軟な対応力がない。皆、不満をいろいろ話しているが、能力ある若い君たちに我々の希望を託すことを申し訳なく思っているのだよ」
ダルトン教授がわびるようにそう説明した。
「先生たちも、僕らのように行動できるだろう?」とオイラー。
「いや、不可能だ。我々の年齢を考えたまえ。一番若い者でも五十代後半だ。私は七十代だ・・・」
申し訳なさそうダルトン教授がうつむいた。
ロードス総長は、優しいまなざしでオイラーとユリアとフランクを見た。
「話をもどそう。休暇中に、変ったことがあったのだね?」
「はい」
「話してくれるか?」
「マイケルのことでも?」
オイラーは教授たちを気にしている。
「かまわぬよ。ここにいる全員が、マイケルの実態を探っているのだよ」
「叔母が、誰もいないのに、マイケルという人物と会話してた・・・。
それに、僕が記憶してる叔母より、休暇中に会った叔母は若かった。記憶してる叔母の若い時より、美人だった・・・」
「おいおい、あのスザンナ・ヨークは、三十前のはずだ。クリスマスコンサートで歌ってるのをテレビで見たが、整形したとは思えない。歳相応だぞ」
教授の一人が、オイラーを否定するように見ている。この教授の専門は移植医学だ。
ロードス総長は、移植医学のトニオ・アルテミス教授をにらみつけた。
「トニーは映像で彼女を見ただけだ。
オイラーは十代になる前から彼女を見ている。どちらの記憶を信じるかと問われれば、私はオイラーを信じる。
ユリアも、彼女が誰もいないところで、マイケルという人物と話すのを聞いたのかね?」
「ええ、聞いたわ。私たちとどう接するか、東南アジア・オセアニア国家連邦とEUに加盟したロシアの祝賀会はどこで開かれるか、と訊いてた」
話しながら、ユリアはスープを飲んだ。オイラーやフランク同様、教授たちを前にしても緊張しない自分に気づいた。
「どこで開かれるといった?」
ロードス総長はユリアに訊いた。
「モスクワ、クレムリンの特設会場・・・。
そして、今日、市街戦が起こって、祝賀会は中止。スイスへ脱出する、と・・・」
話しながらユリアはサラダを平らげた。
教授たちがざわついた。
「そのことは、テレビの緊急ニュースで確認しているが、スザンナ・ヨークがスイスへ脱出したことは報道されていない・・・」
ロードス総長は、静かにするよう教授たちに目配せした。
大型のトレイで、幾皿もステーキが運ばれてきた。ステーキはロードス総長のテーブルから教授たちのテーブルへ並べられてゆく。
「彼女は事前に、市街戦が起こるのを知っていたのかね?」
ステーキのナイフとフォークをとり、ロードス総長がユリアに訊いた。
「はい、クリスマス前に知ってました。市街戦がはじまったら、スイス経由でモスクワを出ると・・・」
ユリアもナイフとフォークをとってステーキを切った。
「オイラーとユリアの説明だけで、マイケルが各国の反政府勢力の行動に関係しているとは判断はできない。誰かが意図的に反政府勢力を壊滅しようとしているのは確かだ。我々と敵対する勢力かもしれない。
計画を早く進めよう。これまで同様に、マイケルを探ってくれ」
「わかりました」
教授たちはロードス総長の指示を了解した。
「さて、休暇前、ダルトン教授が、
『ヘッドギアーあるいは電極が付いたヘルメットを装着して専門知識を記憶してもらう』
と話したが、テクノロジーの急進歩で、それをしなくてすむことになった・・・」
ロードス総長は、全員に右手の指先につまんだ小さな物体を見せ、
「三人は食事がすんだら、ダルトン教授の指示に従い、マイクロコンピューターを、耳の後ろの皮下に装着してもらう。
断面は楕円、短軸が二ミリメートル、長軸が三ミリメートルで、長さ八ミリメートル。稼動エネルギーは体内の微弱電流だ。装着部はこの皮膚の下だ」
左手で、耳たぶ後方部の皮膚をひっぱった。
「この皮膚の下に入れる。装着時も装着後も痛みはない。目だたない。念のため、局所麻酔して装着する。はずしたいときはすぐはずせる。
装着後、ヘッドセットを装着して、五分間、コンピューターのセットアップをしてもらう。それだけで、あとは日常と変らない生活をする。
セットアップで短時間に大量の知識を記憶するため、体調不良や精神不安を生じる可能性がある。何か異変を感じたり、我々が君たちの異変を確認した場合、ただちに我々が対処する」
ロードス総長は、つまんでいるマイクロコンピューターを、もう一度、オイラーに見せた。
「僕らの精神と体調に異変が現れる可能性はどれくらいですか?」
オイラーは訊いた。
「可能性は〇.〇〇一パーセントだ。ゼロではない。NATO軍とEU各国軍の情報機関統計では、〇.〇〇〇一パーセントだ。
今回の計画を断るなら、断ってもかまわない。そうなった場合、君たちはここで話されたことを記憶していないから、誰も君たちを責めたりしない。安心したまえ」
ロードス総長は笑った。
「僕らは断らないよ」
ここでの記憶を阻害する薬が食事に入れてある。コンピューターの装着とセットアップで記憶が鮮明化されるんだろう・・・。
オイラーはユリアとフランクを見た。二人ともうなずいている。
「けっこう。食事のあとに作業を開始するのも適正を確認するためだ」
「わかってるよ、ミケーレ」
「では、食事を楽しんでくれ・・・」
ロードス総長はワイングラスをとってオイラーたちにかざした。
「今後も、国際的な事件や、国家連邦関連の政変と事件が起こるだろう・・・。
我々はそれらを気にせずに、目標にむかってまい進する・・・」
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