十二 軍事力に代る支配力
二〇二五年、帝都、十二月十二日、金曜、十一時三十分。
ローマ、十二月十二日、金曜、三時三十分。
ワシントンD.C.、十二月十一日、木曜、二十一時三十分。
マルタ騎士団国マルタ神大学の学生居住区男子学生寮で、緊急放送を受信してデスクトップ端末の自動スイッチが入った。3D映像を見て、フランク・アンゲロスが叫んだ。
「オイラー、起きろ!大変だぞ!」
「・・・何だ・・・」
オイラー・ホイヘンスは目を覚まして時計を見た。眠くてぼんやりしている。
「三時すぎだぞ・・・」
「朝鮮がフィリピンにミサイルを発射した!東南アジア・オセアニア国家連邦が、イージス艦で迎撃して、ミサイルを撃墜した!」
「何だって・・・」
オイラーは身を起こして映像を見た。ディスプレイでミサイル迎撃の映像がくりかえされている。情報収集衛星が捕捉した、迎撃ミサイルが朝鮮のミサイルを撃墜する場面だ。
《東南アジア・オセアニア国家連邦は、国家統合会議と朝鮮と中国と全世界にむけて、
『このミサイル攻撃は朝鮮が宣戦布告したとみなす』
と発表しました。
これに対し合衆国は、
『東南アジア・オセアニア国家連邦と国家統合会議を支持し、国家統合会議に加盟する』
と発表しました。
ミサイル発射は、東南アジア・オセアニア諸国が、朝鮮と中国と韓国を除いて国家連邦を成立させた事に対する三国の腹癒せである、との見方もあります。
国家連邦の情報収集衛星が世界へ放送した映像によれば、中国は列車でミサイル部品を大量に朝鮮へ輸送し、朝鮮を支援しているのはあきらかです。単なる腹癒せではないと考えられます。
中国は、映像は国家連邦の捏造だ、と反論していますが、輸送は事実であり、これで中国と朝鮮は完全に国際社会から孤立しました・・・》
「国家連邦に対抗して、朝鮮と中国と韓国で連邦を作るんじゃないのか?」
列車でミサイル部品が大量に輸送される映像を見ながら、フランクが顔をしかめている。
オイラーはベッドに寝転び、伸びをした。
「朝鮮は中国の支配下も同じだ。韓国は表面的に取りつくろってるが実体は両国と対立してる。連邦にはならない」
「朝鮮と中国が自暴自棄にならなければいいが・・・」
「国内に民族紛争を抱える中国一国が、全世界と対立するようなものだ。全世界を相手にしたら勝てないさ。戦争はないよ。強大な軍事力が世界を支配する・・・」
オイラーは説明する。
東南アジア・オセアニア国家連邦の強大な軍事力は、国際社会に影響を与えた。
形は異なるが、すでに四つの国家連邦が存在する。EU、東南アジア・オセアニア国家連邦、北コロンビア国家連邦、南コロンビア国家連邦だ。
EUは北コロンビア国家連邦と安全保障条約を交して、NATO軍に代る軍事力を持ち、南コロンビア国家連邦は合衆国主導で強大な軍事力を持つはずだ。つまり、環大西洋安全保障条約を基本に、EUと南北両コロンビア国家連邦は三国家連邦で強大な軍事力を持つはずだ。
合衆国が東南アジア・オセアニア国家連邦を支持して南北両コロンビア国家連邦を樹立し、環太平洋安全保障を持ちだしたのも、国家統合会議に加盟したのも、中国と朝鮮の動きを押さえ、経済的にも軍事的にも、自国の立場を守るためだ。
現在EUに加盟していないヨーロッパ諸国も、近いうちに軍事力を求めてEUに加盟するだろう。アフリカ諸国とロシアと中東諸国がそれぞれ国家連邦を樹立し、すでに存在する四つの国家連邦と、統合民主政府を樹立すれば、統合国家は地球上で唯一無二の最強最大の軍事力を持つ。
そうなれば、中国は何もできない。現在も東南アジア・オセアニア国家連邦の軍事力をうかがって、朝鮮に小細工させるしか能がないのだから・・・。
「それで、腹癒せか?」
「そうだと思う。八つ当たりしてるだけさ・・・。
ただ問題はあるよ。中東からアフリカにかけて存在しているイスラム諸国が、国家連邦を創るか否かだ」
我々の国には国土がない。イスラム諸国の民主化の意義は我々とちがう。
軍事力に代る支配力があれば、我々は国土を得て、イスラム諸国を民主化できる・・・。
イスラム同士でも対立しているのだから、軍事力に代る支配力は宗教ではない・・・。
オイラーは生物学の講義を思いだした。
「生命絶滅の原因は環境変化だけではない・・・。
オイラー・ホイヘンス君、他に考えられる原因は何かね?」
教壇のチャールズ・ダルトン教授はオイラーに質問し、眼鏡の奥で眼を細めてほほえんでいる。
階段席の前から二列目中央で、オイラーは立ちあがった。
「二つの原因が考えられます。
一つは遺伝子によるものです。遺伝子要因と遺伝要因が考えられます。
遺伝子が変異しなくなる場合と、存続に適さない遺伝情報を受けついで変異する場合です。どちらも存続に適さない遺伝因子を受けつぐ場合と呼べます。
もう一つは、アポトーシスです。必要以上に個体数が増加して縄張りが狭くなり、心理的に活動不能になる場合です。個体数による相対的な生活空間の減少であり、環境変化の一つといえますが、気象変化や恐竜を絶滅させた天変地異による環境変化とは異なります」
ダルトン教授はうなずいた。
「よろしい。模範解答だ・・・。
ところで、諸君は、人類がどの方向へ進んでいると思うかね?」
ダルトン教授は学生を見渡した。
マルタ神大学は昔のような神学校ではない。神大学は名ばかりで、総合大学であり、女子学生もいる。
「進化はしていないと思います」
最前列左側で、ユリア・カルザスが手をあげた。
「テクノロジーに走り、環境を破壊している現状は、アポトーシスです。そして、社会が高度に情報化された反面、人類の感覚器官に退化現象が現れています。進化はしていない、と思います・・・」
「これも、模範解答だ。みずから作った環境変化で、人類は絶滅へ進む。人類に退化現象が現れ、進化が停止している。
地質年代に生じた生命の絶滅は、その痕跡から論証が可能だが、人類の未来の進化や退化についての実証は推測の域を出ない・・・」
ダルトン教授は何度もうなずきながら狭い教壇を歩きまわり、さらに説明する。
「人類の歴史を見ると、感覚器官の退化は事実であり、人類の進化に多様性がなくなりつつあることは確かだ。
ユリア・カルザスの指摘どおり、あまりにテクノロジーを駆使しすぎることがそのことを裏づけ、アポトーシスの可能性がある。
感覚器官に新たな機能が現れている個人もいるが、オイラー・ホイヘンスの説明のように、人類の多くが存続に適さない多数の遺伝情報を受けついでいる。
しかしながら、この事実は生命連鎖において鮭の産卵と成魚の死のように、種が存続すれば存続にかかわった個体が新たな固体を出現させた時点から不要になる事を示し、生命の存続と表裏一体であり自然なのだ。
これまで人類は人道的に、また道徳的に、子孫の繁栄を見とどけるまで長らえるであろう自己の存在を望み、望みどおり子孫の繁栄を見とどけてきた。
近年、この生命連鎖に、異変が起りつつあるのは確かだ。存続に適さない遺伝現象の出現が若年化し、新たな固体が出現しにくくなっている。存続不能者も増えている・・・。
つまり、遺伝子自体が進化の多様性を受けいれにくくなり、存続しにくくなっている。理由は不明だ・・・。
これは現時点のことであり、将来的に変る可能性もある・・・・」
あの時、ダルトン教授は楽観的に説明した。最近、ガンの発生時期が若年化し、発生率が急上昇している。現実はもっと深刻なんだろう・・・。
オイラーは思いだした。
国際的な協力下で、二〇〇三年にヒトゲノムDNAの解読がなされ、全てが公表された。遺伝子の解読は各国の企業と公的機関に委ねられた。公的機関は解読結果を公表したものの企業は特許として独占した。
最も多くを独占したのが合衆国のオーガニックバイオ社だった。解読結果がすべて公表されれば、人類に進化の多様性を与えられたはずだが、オーガニックバイオ社は企業利益のため、解読結果を公表しなかった・・・。
解読結果の独占は特許独占による経済利益だけではない。人類進化の多様性と人類の存続の独占だ。そうなれば軍事力がなくても・・・。
続きは明日考えよう・・・。ユリア・カルザスにも話してみよう・・・。
「フランク、もう何もないから、僕は寝るよ・・・」
オイラーはベッドに身を横たえた。
「ああ、僕も寝る・・・」
フランクが身を横たえようとした時、緊急放送がロシア政府の発表を告げた。
《モスクワ時間六時三十分。(ローマ三時三十分。帝都十一時三十分。ワシントンD.C.十一日二十一時三十分)
朝鮮のミサイル発射にともなう国際情勢の変化から、ロシア共和国では民主化勢力が急激に力を増して政府内から、アンドレ・ロマノフ大統領政権を排除しました。
アンドレ・ロマノフ大統領をはじめロマノフ政権の閣僚、官僚、ロマノフ政権に関わったすべての政府職員、地方公務員が民衆の面前で公開裁判にかけられ、処刑されました。
映像はアンドレ・ロマノフ大統領と閣僚たちの銃殺による処刑映像です。
ロシア共和国新政府は、
『前政権が行った隣国への軍事侵攻はただちに中止した。
隣国に、軍事侵攻を謝罪して軍事侵攻による隣国の破壊と国民の人的損害を保障する。
民主化のために、国家統合会議に加盟することを検討する。
また、EUと東南アジア・オセアニア国家連邦に加盟することを検討する』
と発表しました。
ロシア共和国新政府の異例の発表です・・・》
「オイラー!君のいうとおりになってるぞ!」
フランクはオイラーを見た。オイラーはもう眠っている。
なんだ寝たのか・・・。
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