三十一 狙撃㈠

 二〇二五年、十月十三日、月曜、体育の日。

 九時。

 N市Y区ドーム競技場で、N県中学生陸上競技大会が始まった。

 一般席最上段に座る佐伯は、トラック競技を見ながらハンティングの縁を上げた。本間局長だけに聞こえるように話さねばならない。


「昨日の逮捕者全員が、血栓による心不全で未明に死亡しました。急速に組織破壊してます。逮捕時から八人の全てを記録してあります」

 佐伯は、逮捕した八人の死亡原因は検警特捜局特務部に無い、と言いたかった。

 八人の罪状は、本間にパソコン型通信機の回収命令が出た八月二十七日以降、N県検警特捜局を騙って永嶋の顧客を尋問した、詐欺と逮捕監禁と恫喝、そして、レーン走行法違反と公務執行妨害だった。


「倉本や田辺と同じか?」

 本間はキャップを被りサングラスをかけている。

「そうです。解剖医から、

『逮捕時以前から死亡していたように組織が変質破壊してる。未知の毒物やウィルスの可能性が消えるまで、直接手を触れてはならない』

 と指示されました。指示は検警特捜部全員に伝えてあります」


 本間は競技場を見た。一五〇〇メートル競技の出場選手がスタートに集まっている。

「田村の反応を見たい。倉本と田辺と八人の死亡を田村に伝えてくれ」

「わかりました」

「君が言うように、村野官房副長官が防諜センターの記録を倉本の秘書の近藤に流していた。八人は近藤の指示を受けていたのだろう。

 これまでも、村野は執務室から頻繁に近藤に連絡している。河本官房長官は村野を黙認していた。河本官房長官もクラリックだ。

 法務大臣を動かそう。逮捕許可を得たら、逮捕指令、と伝える」

 神尾法務大臣は検警特捜庁長官を兼務している。

「わかりました」


 内閣官房情報本局長の本間を除き、防諜センターの記録を自由に閲覧できるのは、統括情報庁長官の河本内閣官房長官と統括情報庁副長官の村野内閣官房副長官だけだ。

 防諜センターの閲覧記録によれば、村野は、本間が衛星情報センターから内閣官房庁舎へ移動する間に、官房副長官執務室の端末で、防諜センターに保管された衛星情報センターの十月四日の記録を閲覧し、本間が去った後、執務室から倉本の秘書の近藤へ連絡している。

 それなりの経験者なら、衛星情報センターの記録から、パソコン型通信機の行方を推測できる。

 さらに、防諜センターに保管された各省庁内の映像記録から、過去にも村野が頻繁に近藤と連絡していた事実が判明した。

 そして、河本官房長官が村野に統括情報庁長官の職務を任せきりにし、村野が内部情報を外部へ漏らすのを黙認していた事実も判明した。



「二〇二三年の、吉田電機の竹村とH大職員の島本の交通事故は、二人からパソコンの行方を訊きだした男が二人を殺して事故に偽装したのだ」

 と本間局長は言った。

「男はアルバイト学生について訊いてました。アルバイトが関係してるんでしょうか?」

「パソコンの転売先を訊く口実かもしれんが調べてくれ。

 私はもう一度、衛星情報を確認する。永嶋と八洲興業の情報に何かあるかもしれない」


「わかりました。

 顧客が被害を受けたのが八月二十七日以後なのは、なぜでしょう?なぜ、永嶋は被害を受けなかったんでしょう?」

「永嶋は男に抵抗しなかったからだろう。

 八月二十七日以後はN検警特捜部を騙るためだ。

 体制が変わったばかりで、N検警特捜部の実態は知られていない・・・」

 永嶋も顧客もパソコンを奪われなかった。永嶋も顧客も政治に興味が無く、奴らが探すパソコン型通信機を持っていなかった。

 奴らは永嶋を泳がせて、田村が持っているであろう、メインパソコン型通信機を入手しようとする・・・。


「奴らは田村と永嶋に、また、工作員を送りこむ。工作員の排除を優先してくれ」

「わかりました。局長の今日の予定は?」

「この大会が終ったら娘と買い物だ。女房を連れて・・・。

 今週はこっちだよ」

 本間の娘はこの中学陸上競技大会の、中距離競技にエントリーしている。


「それでは・・・」

 そう言いかけて佐伯は観覧席最上段の報道ブースが気になった。カメラマンがこちらに向けたテレビカメラの横に、妙な反射が見える。

「第二報道ブースのカメラがこっちを向きました。カメラの横に妙な物が見えます。カメラレンズにしては口径が小さすぎます」

 佐伯と本間は一五〇〇メートル競技の出場選手を見るふりをして双眼鏡を眼に当てた。狙撃銃のスコープ反射なら身の隠し場はない。


「カメラの横にM2500が装着されてる・・・」

 M2500はSAWや重要施設警護隊に装備された、長距離用無反動狙撃レーザーパルス銃だ。

「ここにいると被害者が出るぞ・・・」

 その瞬間、レーザーパルスが本間の左肩を貫いた。

「くそっ!」

 本間は激しく痛む左肩を押さえ、通路へ走った。サングラスのメガネ端末からワイヤーマイクを引きだし、N県検警特捜局の複数同時通信回線を開いた。

 法律により、多数の市民が集まる個所は、常に、検警特捜局特務部テロ対策警護班が警護している。

「警護班に銃使用を許可する!

 全員、第二報道ブースの男を捕まえろ!

 黒のズボンにグレーの上着だ!帽子は紺!

 銃を持ってる!

 直接、男に触れるな!

 注意しろ。私もすぐに行く!」

 本間は、競技場を警備するN県検警特捜局特務部テロ対策警護班に緊急指示した。

「了解警護班に銃使用を許可する!」


「局長がレーザーで肩を撃たれた!通路へ移動する。救護班をまわせ!」

 佐伯も本間に続き、走りながら近眼メガネ端末の複数同時通信回線で指示した。

「わかりました!」

「局長!救護班から指揮してください」と佐伯。

「わかった」

 本間と佐伯は観覧席裏の通路を走った。

 佐伯は、駆けつけた救護班に本間の手当てを任せ、報道ブースへ走った。



「警護班!佐伯が到着次第、佐伯の指示に従え!」

 本間は複数同時通信で伝え、衛星情報センターとの緊急直通回線を開いた。


「所長!大至急、N市Y区ドーム競技場とY区とW区の発光地の銃器反応を調べろ!」

 サングラスの3Dディスプレイに現れた所長が、慌てて口をパクパクさせている。

「発信と発光の監視を続けたままだぞ!」

「了解しました!」

「私の端末に衛星情報を送れ!

 これまでのN市K区とY市O区のサブの発信確認に、一般情報も記録してるか?」

「ええ、もちろんです!」

「よくやった!それも送ってくれ」

「了解しました!N市Y区W区の銃器反応を優先します!」

 サングラスディスプレイに、Y区とW区の映像が現れたが、情報収集衛星を銃器探査に切り換えるのに手間取っている。



 本間は、複数同時通信回線と衛星情報センターとの回線を中断し、検警特捜庁長官を兼務する神尾法務大臣との緊急直通回線を開いた。

 神尾法務大臣は、検察と警察の全関連機構を検警特捜庁に改革した人物だ。

「本間です。河本官房長官と村野官房副長官、倉本の秘書をしていた研融油化学の近藤の逮捕許可を得たい!理由は・・・」

 本間は、副長官の村野が倉本の秘書の近藤に情報を流していたのを、河本官房長官が黙認していた事実を説明した。


「モーザが流出したらしいとほのめかしただけで炙りだせたな。

 三人の逮捕は君に任せる。奴らへの情報が他に漏れぬよう注意し、気をつけて奴らを捕獲してくれ。

 君が自由に動けるよう、検警特捜庁に手配しておく。国内検警特捜本局本局長、法務特捜官でも、政府内では動きにくいだろう。

 日報新聞の二人も優秀なブレインだ。サブタブレットパソコンはしばらく使わせておけ。頼んだよ」


「わかりました」

 本間は回線を閉じ、複数同時通信回線を再開した。

「佐伯くん、逮捕指令だ!銃器探査するよう偵察衛星を手配した」

「わかりました」

 佐伯は報道ブースへ走っている。


「警備班から本間局長へ!」

「何だ?」

「ブースに誰もいません!銃と撮影機材が残ってます!」

「誰が借りてた?」

「CRテレビです。CRテレビを騙ったようです」

「了解。佐伯くん、聞いたか?」


「聞きました!もうすぐブースに着きます!」

 佐伯は走りながら、複数同時通信を聞いている。

 狙撃手は局長の肩を撃ち抜いただけで、私を撃たなかった。脅しか?

 佐伯はそう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る