二十三 政治モニター㈠
二〇二五年、九月一日、月曜、十八時。
N市M区の日報新聞N支社で、松浪健一は東海地震と浜岡原発に関連するテレビニュースを見ていた。
「健ちゃん、どうしたの?」
理佐が松浪に声をかけた。
「帰ろう。気が滅入ることばかりだ・・・」
「二人とも、来てくれ。質問は無しだ」
退社時に有沢支社長が二人を呼んだ。二人は支社の最上階へ連れてゆかれた。
特別室のソファーに小柄で小太り禿頭の眼鏡の中年男がいる。下膨れで赤ら顔の福太郎が眼鏡をかけたように顔は愛嬌がある。
「佐伯さん!久しぶりです」
松浪の挨拶に佐伯は頬を赤くした。
「お二人とも、元気そうですね」
佐伯は元N県警の刑事だ。
「どうして、ここに?」
佐伯刑事を見つめる理佐に、有沢支社長が答える。
「佐伯さんはN県検警特捜局のN検警特捜部部長になった。N県公安検警局N公安検警部、部長も兼務してる。
佐伯さんが、君たちに頼みたい事があると言うので、君たちに来てもらった。
特別任務なのでこの時間になった。これを預けておく。政治について好きに書いてくれ」
有沢はありふれたタブレットパソコンをテーブルに置いた。
「何ですか?」
「本社からの指示だ。政治モニターになってもらいたい。政治について、このパソコンの日記に書いてくれたらいい。政治に関してなら何でもいい」
「私たちが選ばれた理由は何なの?」
理佐は有沢を見つめた。
有沢支社長が説明する。
「検警特捜庁からの依頼だ。N県検警特捜局の本間局長が君たちを推薦したんだ。
本間局長は現在、国内検警特捜本局の本局長と、N県検警特捜局局長を兼務している法務特捜官になった。
また、内閣官房統括情報庁、内閣官房情報本局本局長と、法務省公安検警本局本局長と、N県公安検警局局長を兼務している、内閣情報官でもある」
「本間さんは知ってるけど・・・」
理佐は不安になった。
「心配いらない。思想調査じゃないよ。政治に一般の意見を取りいれる試みだ。言うなればタブレットパソコンの日記に書いた正義を実現する・・・。
眉唾と思っているなら試してみようか」
有沢はソファーに座ってタブレットパソコンを起動した。バーチャルキーボードを操作して、
『東アジアの小独裁国家元首は不要だ』
と書いた。
「報道を見よう・・・」
壁の大型ディスプレイにスイッチが入り、ニュースキャスターが現れた。
《ニュースの途中ですが、速報をお知らせします。
キム主席が先ほど急性入院しました。詳しい情報が入り次第お知らせします・・・。
脳梗塞との未確認情報が入ってきました。
くりかえします。キム主席が・・・》
「ちょっと早過ぎですな・・・」
佐伯が弁解するように言った。
「キムの年齢じゃないですよ。彼は四十代だが美食が祟り、多くの持病があります。いつ倒れてもおかしくないですが、入力と同時は早過ぎです・・・」
「僕たちが選ばれた本当の理由は何だ?」
松浪は驚きを隠せないまま佐伯を見た。
「あなたたちは旧体制時、合衆国政府の息がかかった我が国の政府に批判的でした。
あなたたちの信念が民主主義の三原則にかなっているからです・・・。
違いますか?」
おどけた顔と異なり、眼鏡の奥の佐伯の眼光は鋭い。
民主主義の三原則は、
『社会的正義』
『道徳的責任』
『最大多数の最大幸福』
だ。それらが私たちの信念だなんて考えた事無いわ。そう思いながら理佐は訊く。
「新体制のイデオロギーは何?」
「官僚を取り締る法律が整備されましたが、お二人が思っているように、議員や官僚の人格は昔のままです。
議員や官僚は、日本国家の赤字財政や、日本国土を支配しようとする外国勢力や、地球の資源を独占支配しようとする大国の海外進出を食い止めようとしてますが、ご覧のとおり、見せかけに過ぎません。
官僚や閣僚は高給を得て天下りや渡りで自分たちの資産を増やし、安泰な生活を送ろうとしているだけです。国民と国土を守る事など考えていません。
心ある者たちによって新体制が作られ、
『公務員政策立案推進実績責任法』と
『公約宣言厳守責任法』
が成立しました。
警察と検察に代って検警特捜庁が組織され、お目付け役に統括情報庁が内閣官房下に組織され、これまでの各省庁の全ての情報が一括して統括管理されるようになりました。縦割り組織が横に繫がったわけです。
しかし、官僚を取り締って国家保全と情報管理をどこまで可能か、疑問は多々あります・・・」
佐伯は新体制の対抗勢力を気にしている。
「新政府は、合衆国傘下の経済界に批判的なんですね?」
日本は民主主義国家と言いながら、合衆国に追従する資本主義国家だ。経済界が圧倒的に政界を支配している。経済界が顧客であるマスコミは、その事を口にしない・・・。
そう思いながら、松浪は議員や官僚の背後で経済界が動いているのを確信した。
佐伯は赤ら顔に笑みを浮かべた。
「合衆国傘下の経済界にも、新体制側の財界人がいます。彼らは今回の震災で、十四年前の震災時と変らぬ対応をしている政府を見て、政府を新体制に導きました。同時に、世界を破滅へ導く三悪を野放しにできなりました。
三悪とは、
民主主義の大義名分の下に金融資本主義を拡めて、地球上の化石資源と経済を支配しようとする合衆国。
一党独独裁政権下で海外の地下資源を支配し、民族主義を掲げて国内少数民族を抑圧して、周辺国家へ領土を拡大しようとする中国。
主義主張は異なっても同様な行動をしているロシアです・・・。
政治モニターの目的は、国民の意思による民主政治の実行です」
「日本の体制を、民族主義や帝国主義へ変える可能性があるんじゃないですか?」
松浪は、他にも何台か特殊タブレットパソコンがあるのを確信した。
「それはありません。経済成長に基づく金融資本主義によって世界各国に格差が生まれ、財政赤字国家が増えています。世界経済は破滅へ突き進み、崩壊の途上です。
しかしながら、日本の財政赤字は基本的にEU諸国の財政赤字とは異なります。
日本を金融資本主義の犠牲にできません。現政権と経済界を完全に合衆国から独立させ、三悪の侵略を防ぐのです。そして、世界を三悪から守らねばなりません。
今回の原発事故も、経済優先の金融資本主義と合衆国政府に支配されてきた、日本政府の政治の結果です」
「その前に、佐伯さんたちの立場と支社長の立場を教えてください。
僕には、二人の立場が対立しているように思える・・・」
松浪は理佐とともに佐伯と有沢を見つめた。
佐伯が真顔になった。
「私は新体制の国内検警特捜局に属してます」
「経済統合会の倉本会長が国家保全法違反で逮捕された。倉本の指示でこの日報新聞の田辺社長が球界を恫喝していた事実が明らかになり田辺は逮捕された。
新社長に戸田が就任した。戸田も私も新体制側だ」
有沢は二人を安心させようとしてる。
「モニターを断れば、どうなるんですか?」と理佐。
「ここでの記憶を、特殊な電磁パルスで消すだけです。記憶を消しても、脳や身体に影響は残りませんよ。何も問題はありません」
佐伯は理佐に微笑んでいる。
「・・・」
松浪は沈黙した。
「私の意見が政治に反映されるなら、どんどん書きます」
無言の松浪に代わって理沙がそう断言した。
「では、説明しましょう。このタブレットパソコンは必ずバッテリーだけで稼動し、充電時は稼動しないでください。ネットワークは接続しないでください。
フォルダ名は『日記』のまま変えないでください。書いた文章の保存を忘れても、『日記』を閉じてシャットダウンすると、書いた文章は時系列で自動記録されて発信されるようになってます。
書いた文章が部分的に消えても気にしないでください。日記をハードディスクや他のメモリーに保存する場合も、ディスプレイに表示されている内容が時系列で通信され、送信内容が保存されます」
「パソコン型の通信機ですね?」
おもむろに松浪が確認した。
佐伯は笑顔で答える。
「正確には発信専用の通信機です。
日記は未来を書いてもかまいません。常に時系列に従って書いてください。
過去に書いた文章は削除も上書きもできません。過去の日付の日記は加筆も消去も不可能です。過去に書いた未来を変更するなら、現在の日記に訂正文を書いてください。それで、内容が現在から訂正されます・・・。
これらを厳守して、現在と未来だけを書いてください。遠い未来を書いたら、その未来のまでの時系列を埋めるように日記を書いてください」
佐伯の説明に、松浪と理佐が怪訝な顔をしている。
「お二人だから極秘事項を話しましょう。政治モニターと言いましたが、実は政治ブレインなんです。洋田総理がブレインの意見を求めてるのです。
何か緊急事態があれば、私に連絡ください。何も心配ありませんよ」
佐伯は笑みを浮かべて二人を見ている。
妙だ、と松浪思った。政治ブレインを選ぶなら他に適任者がいるはずだ・・・。
「過去に政治の専門家が政治に携わって良い結果が出た試しはありません。政治の専門家は評論を述べますが、それが現実に当てはまるとは限りません。
多くの人々の、まともな考えが必要なんですよ」
佐伯刑事はそう言って微笑んでいる。
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