十 第五階梯㈠

 新ロシモント暦半年、ガイア時間五年。

 ガイア時間で五年がすぎた。


 草原と草原につづく森林地帯に、草食獣を狩る若者と二頭の剣歯獣の姿があった。 草原から剣歯獣が獲物を森林地帯へ追いこみ、若者が獲物を樹木の陰や樹上から確実にしとめた。草原があり、草食獣がいるかぎり、彼らは食料に不自由しなかった。一人と二頭はすばらしいハンターだった。


「ミュー、ちょっと待て。

 おまえがいつもガツガツしてるから、いつになっても皮を取れないじゃないか。

 こいつの皮を剥ぐのが先だ。

 俺はお前たちとちがって、皮がいるんだ。

 フー、ミューをどけてくれ」

 サキは思いを伝え、獲物の内臓に食いつこうとする剣歯獣に、長く鋭く尖った石器をちらつかせ、もう一頭の剣歯獣を見た。


 フーと呼ばれた剣歯獣は、サキがさし出した石器の血を、牙の間から垂らした舌で一舐めし、もう一頭の剣歯獣に、ふーっと唸って、威嚇した。

 フーににらまれ、ミューは獲物に伸ばした前足をひっこめ、決まり悪そうに座り直してそっぽをむた。


「すぐ喰えるから待て・・・。

 皮がないと、俺は困るんだ・・・」

 サキは剥がした皮を岩棚に拡げ、獲物の脚の筋肉にそって石器の刃を走らせ、削いだ肉片を岩棚の皮の横に並べている。獲物の脚から削がれた肉片の一部は、時々サキの口へ運ばれるが、ほとんどが熱い岩棚の上に並べられた。


 剣歯獣のミューとフーの空腹が満たされ、内臓とその付近の肉片がなくなった獲物を尻目に、二頭が顔の汚れを手入れする頃、サキはまだ石器で獲物から肉を削いでいた。

「獲物がない時、これを喰えばいい。

 乾けば腐らない。

 乾いた皮で包めば、虫もつかない。

 お前たちは乾いた肉が嫌いか?

 いつも、柔らかくて、うまいとこだけ食ってるからな・・・」


 食料となる獣は草原と森林の至る所にいた。獲物から削ぎとった肉片を干し肉にしなくてもサキと剣歯獣には充分な食料だった。

 ミューとフーの意識から、サキは、二頭がサキの行動を奇異の眼で見ているのを知っていた。空腹を満たすためなら、二頭はあらゆる動物を獲物にするだろう。


 サキと同じネオテニーも、二頭には単なる獲物であり、空腹を満たす対象である。それは、ネオテニー一族がサキに教えたように、腹がすいたら狩り、満たされたら眠る、本能に従った生き方だった。現在のサキにくらべ、過去のサキは、この本能的要素に支配されていた。



 サキは曽祖父マオトに思考形態を進化させられて教えられ、獲物の保存方法を覚えていた。これで、獲物が取れない急場をしのげた。一人と二頭を満足させる量の干し肉を作るため、大量の獲物を処理しなければならなかった。


 簡単な石器と棍棒しか使えない一族にくらべ、サキは複雑な石器や弓矢を器用に作り、火を使うようになっていた。彼の精神と意識に、食料の保存方法や、保存された食料がいつの物でいつ食べるかなど、抽象概念を記憶から呼び起こす形態、マオトの時間概念ができつつあった。


 サキは自分の中から湧きでる閃きを、自分のものと思っていた。実際は曽祖父マオトの意識だった。マオトによって復活させられたサキは、マオトの精神と共棲状態にあり、サキの精神はマオトに完全にコントロールされていた。サキが自身の意識に侵入したマオトの意識を識別するのは不可能だった。



 ガイアに類人猿のネオテニーが誕生して以来、彼らの記憶と言葉は彼らの意識と思考をコントロールし、彼ら本来の精神的成長を制限してきた。我々とガイアとマオトを除き、彼らはその事実を知る由もなかった。

 しかし、精神エネルギーレベルの低いネオテニーも、自分が一族のどの立場にいるか理解する意識はあった。それは年功序列で、本能に基づく、空腹を満たす体力的優位に基づく序列であり、経験や新しい発見や発明とは無関係だった。


 マオトは復活したサキを一族のもとへ帰さなかった。一族の過去に、死から蘇った者も、旅に出て精神的進化を遂げてもどった者もいなかったためだ。

 サキの精神的進化は、一族の長老であるトリンの存在を脅かすに充分だった。精神的に進化したサキが一族のもとへ帰れば、サキの存在を否定する者たちが現れ、一族は彼を受け入れないと判断できた。

 二頭の剣歯獣の意を解し、二頭を自由に操るサキは、それだけで、ネオテニーには脅威だった。そのため、マオトはサキの意識から一族の記憶を遠のかせ、剣歯獣のミューとフーだけがサキの家族と思いこませていた。


 精神的進化を血族の時系列で進めるか、突然変異させるか、その間に大きな相違がある。

 一度築かれた精神構造や意識構造を他の新たな構造に変化させるには、言葉と経験が生みだした固有の精神と意識に抗し、さらに進化した異種の精神と意識下で、精神的進化を遂げねばならない試練がついてまわるからである。

 その試練は、民族や言葉の相違から、同一現象に対する受けとめ方が相異しているのに似ている。



 マオトは、サキの精神に余計な負担がかかるのを避けていた。サキが新たに持った精神を血族の時系列へ波及させ、彼の家族単位で受け継がれるのを望んだが、今のところサキの家族はミューとフーの剣歯獣だけである。

 いずれ、サキはこの二頭の他に、家族を持たなければならないが、現在のサキが、自分の妻となるネオテニーが誰で、何処にいるかなど、理解できるはずがない。


 この時、「存在」は我々とマオトとガイアに、サキともう一人のネオテニーで演出される、ガイアの大いなるテーマを提示し、我々はサキの相手を理解した。そして、マオトとガイアと我々の望みは一致した。サキを相手のもとへ導くのは、サキの精神に最も良く同調するマオトだった。



 惑星ロシモントの重力場における我々の精神活動速度は、ガイアの重力場で想定される精神活動速度の十倍に相当する。偵察艦でガイアを監視するクルーを除き、我々は惑星ロシモントの精神活動速度でガイアを監視していたため、ガイアの時間感覚は、惑星ロシモントの時間感覚の十分の一の速度ですぎていった。



 新ロシモント暦一年、ガイア時間一〇年。

 さらに、ガイア時間の五年がすぎた。


 小惑星の飛来が減少し、アーズからのクラリックの介入はなかった。

 ディアナの地下にいる我々は、ヘリオス艦隊の防御エネルギーフィールドをそのままに、〈ガヴィオン〉の防御エネルギーフィールドのみを弱めて間隙を作り、〈ガヴィオン〉のプロミドンで、直接、ガイアを監視しはじめた。


「サキの進歩は凄まじい早さだ」

 ガイアを監視しながら、キーヨが私にそう伝えた。

「一族へもどるのか?」

「いや、もどらない。

 移動する。北へむかう・・・」


 4D映像に現れたサキは、獲物から剥いだ皮を袋にし、干し肉と何枚かの皮と道具を詰めこんでいた。皮袋は三個あり、サキと二頭が運ぶ数である。サキはどこへ移動するか考えていないが、マオトが、北へ行け、と彼の無意識下に思念波で伝えていた。


「ナムシ、大陸の北を見せてくれ」

「はい・・・」

 キーヨはナムシに指示し、私に伝える。

「海があって、その先に大陸が見えたな・・・。

 この海だ。ここからは島が見える。

 むこうに大陸が見える・・・。

 ちょっとした航海術があれば、ここから北の大陸へ行ける・・・。

 ヨーナ、歩いて北の大陸へ行くなら、東の陸を歩くしかない。

 途中まで草原と森林だ。

 北の大陸に入ると山岳地帯だ」


「北の大陸の、精神エネルギー反応は、今も同じか?」

 私は北の大陸が気になった。

「変らない。精神エネルギーレベルは低いままだ。

 高いのはサキの一族だけだ。

 もう一度確認するか?」

 これまでキーヨはナムシとともに、ガイアの進化した精神エネルギーを探しつづけている。


「確認してくれ」

「了解」

 キーヨとナムシは私の意識を汲み、すぐさま、〈ガヴィオン〉のプロミドンで、北の大陸の類人猿の精神エネルギーレベルを再確認した。


「ヨンミン。ガイアのプロミドンと偵察艦を一隻、北の大陸へ移動させてくれ」

 クラリックの巧妙な手段で、サキがむかう北の大陸に、何らかの異変が生じている可能性があった。

「了解」


「カッシム、ミーシャ、 アーズのクラリックに変化はないか?」

 二人はプロミドンを使って、防御エネルギーフィールドの間隙から、アーズを偵察している。

「あいかわらず、ロシモントから送りこまれたプロミドンと着陸した三隻の副艦を中心に、都市を建設中です。

 ガイアのような活気はありません。都市が陰気ですね・・・。

 妙です。第五惑星ヤプトゥールを調べてます・・・。

 ヤプトゥールのエネルギーを使う気ですよ」

「そうかもしれない・・・」



 ひとつの惑星に生息する全生命が絶滅するのは時空間の定めであり、一生命体が抗えるものではない。

 過去のアーズはガイア同様に生命エネルギーにあふれていた。アーズのクラリックが欲するのは、かつてのアーズであり、ガイアのような活気だった。

 だが、ガイアとアーズでは、生命現象を支えるエネルギー場に大きな相違があった。

 未完成のアーズの都市から伝わる無機的様相がその事を語るのでなく、あの「存在」が惑星に望むか否か、惑星自体が望むか否かの相違が、それぞれの惑星のエネルギー場に現れていた。


 水の豊かなガイアは、恒星ヘリオスから適度なエネルギーを得て、サキたちのような生命体、陸上生物と水棲生物の宝庫だった。

 一方アーズは、ヘリオスから得るエネルギーに変化はないが、ガイアにくらべ、重力場が少ないため、長年にわたる惑星の内部エネルギー減少と大気散逸による大気組成変化で、地表は酸化鉄の赤茶けた大地へ変貌し、生命の生息はほぼ不可能だった。


 アーズの全エネルギー場に現れた異変は、クラリックの能力を用いても、過去の生命に溢れた活気ある状態にもどせるものではなかった。彼らは赤茶けた大地にどっしり根を下ろしたプロミドンと三隻の副艦のプロミドンをフル稼動させるしかなく、アーズに不足しているエネルギー場を高めるため、第五惑星ヤプトゥールのエネルギーを活用するしかなかったのだった。


 クラリックが三隻の副艦を奪って離脱した時から、彼らがプロミドンを使って時空間を変化させると予想された。

 変化は、現在、アーズの地表だけに留まっているが、今後、惑星と衛星を含めた狭い時空間から、広大な時空間にわたって、彼らの暴挙が現れる可能性があった。それらの手始めがアーズであり、ヤプトールであり、ガイアである、と思われた。


 私のみならず、キーヨもレクスターもシンも、いつか必ずクラリックの行動がガイアにおよぶ、と確信していた。カミーオがこれまでに、

「クラリックが、干渉という方法でガイアの地上に介入している気がする」

 と説明したにもかかわらず、我々は何の異変にも気づずにいた。



「サキが移動すれば、クラリックが動くはずだ。

 すでに干渉している可能性がある。

 サキが第二階梯から第四階梯へ進んだ時点から、クラリックの影響を調べてくれ。

 アーズとガイアのどこかに変化があるはずだ!」

 私はキーヨに指示した。


「北の大陸のネオテニーから精神エネルギー反応が出てる。

 少量強反応だ。

 ナムシ、映像を急げ!

 カッシム、ミーシャ、急いでクラリックを調べろ!」

 キーヨはすでにクラリックが介入したと考えていた。


「わかりました」

 ナムシは精神エネルギー反応の4D映像探査を急いだ。

「クラリックは、今も、ヤプトゥールを調べます。

 あそこには生命反応も生命の痕跡もないのに・・・。

 あっ、アーズのプロミドンがガイアに弱いエネルギー波が発してます!

 追尾します!」

 カッシームとミーシャはアーズの情報を集めて伝えた。


「カミーオ、ヨンミン、こっちのプロミドンを、ガイアのプロミドンに同調させろ」

 私はカミーオとヨンミンにそう示した。

「わかりました・・・。ガイアの変化は・・・。

 ありました!大いにあります!

 アーズからガイアの北大陸西側へエネルギーが送られてます!」


「ヨンミン、エネルギー波を追尾しろ!」

「わかりました!

 捕捉しました!」

 同時にカッシームが伝える。

「こっちもです。

 ガイアのプロミドンの捕捉強度と一致しました。

 クラリックが北の大陸のネオテニーに介入してます!」


「全員、サキを守れ。サキとマオトを、クラリックと交信させるな。

 カミーオ、意識投射してマオトに、ガイアと我々だけが交信相手だ、と伝えろ。

 投射内容はカミーオに任せる。うまくやれ」

「了解しました」

 サキの保護とマオトの対話に、地上のあらゆる条件を関連づけようとするカミーオの意識がはっきり私に伝わってきた。


 カミーオはサキに意識投射し、ガイアの自然を理解させようとしていた。それを指導する精神エネルギー体はマオトである。つまり、サキにアニミズムの概念を理解させ、第五階梯まで進化させようと考えていた。


 私はカミーオの的確な意識投射に絶対的信頼を置いている。これまで彼が行った意識投射は、対象の意識や精神に、一度も不合理を生じさせたことがなかった。



 カミーオの意識で、サキへ意識投射がはじまると、私は、クラリックがガイアの地上で、サキの一族とは異なるネオテニーの一族に、何を行ったかを知った。教えたのは、いつも私に助言して方向を示す、「存在」だった。


「存在」は、今後、我々がクラリックとどのように関わってゆくかを示し、我々の未来にクラリックが立ちはだかるとの心象を喚起し、そのように立ち塞がせてはならぬとの意識をほんの一瞬だけ私に投げかけた。

 実際、ガイアに手を伸ばしつつあるクラリックから判断して、彼らを立ち塞がせてはならぬ状況にあった。そして、「存在」が提示した時空間の未来で、我々が、「存在」よりさらに大きな力に導かれているのを確信した。

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