三 潜在能力

 ポーン階級コモン位のトトの種は、我々ニオブの種の友であり、家族である。しかし、トトの種はニオブの種ではない。我々ニオブ同様、トトも淘汰され、我々と共存していた。


 トトのシンは、身体を精神エネルギーに変化させる以前、

「身体を失うと、全てが消滅する」

 と思いこんでいた。

 しかし、過去に、私の身体が精神エネルギーに転換し、私が精神生命体になるのを見て、

「自己意識により、一時的に物質化して身体を持てる」

 と知り、安心したことがあった。


 精神生命体になったシンは、新たな彼自身に、正しくは、身体から開放されて思いのままに行動できる彼自身の精神にまごついていた。

 彼は概念的思考を不得手とするところがあった。それは彼の性格でなく、トトの種の性格だった。精神生命体になった彼が行動することは、彼の精神が意識して思考することだった。



 過去に我々の種は、彼らと彼らの亜種を何度か絶滅の瀬戸際へ追いこんだ。およそ二万年前のことである。

「それ以前は、のんびりと草原や樹上で暮らしてたが、当時のトトは、ニオブを極度に恐れ、警戒していた」

 とシンは説明する。

 記録によると、彼らを危機から救ったのは、クラリック階級のプリースト位で、生物学者のケイト・レクスターとされている。

 私は生物学に興味がなく、レクスター家の家業を考えたことがなかった。シンが、トトの種によって伝説的に語り継がれた生物学者ケイト・レクスターについて語っても、私は記憶に留めなかった。私の記憶より、トトの記憶から直接聞きだすほうが早く、しかも、正確だったためである。


 私はシンの記憶に存在するトトの種の記憶から、ケイト・レクスターが、トトと我々ニオブに、大きな精神変化を残していたのを知った。ケイト・レクスターは、トトに精神変化を与えた存在であり、同時に、我々ニオブの能力に秘められた可能性を見いだした存在でもある。

 しかし、多くの歴史が語るように、先駆者の偉業は、時として理解されない場合がある。ケイトの場合も同様だった。当初、彼女の学説は、惑星ロシモントの社会を支配する多くのクラリック階級を納得させるどころか、反感をかった。


 二万年前。

「環境に対する許容能力の大きさが進化を速める」

 との彼女の学説は、当時のクラリック階級たちに理解されなかった。

 彼女の学説の根底に、生命体の共存による遺伝子変化、突然変異とも呼べる生命体の共存原理があったにもかかわらず、クラリック階級は彼女の学説を認めなかった。

 偏屈で傲慢なクラリック階級は、我々の種の他に、知的生命体が出現する可能性を認めたくなかったのである。



 生命体の進化が語られた過去に、二足歩行して両手を使ったために、我々の種は進化した、と考えられた時代があった。

 しかし、ケイト・レクスターが二万年前に指摘したように、当時の我々の種は、大脳の一〇パーセントから二〇パーセントほど度を活用したにすぎず、残り八〇パーセント以上が使われなかった事実を考えれば、種みずから、進化を速めたのではないことが明らかだった。八〇パーセント以上が未使用の大脳を持ちながら、我々の種がみずから進化を進めてきた、などと考えるのは、種としての我々の驕りだった。


 ケイトの発想は単純だった。彼女は、自然界の生命が持っている能力の一〇〇パーセント全てを使わずに営む、生命現象に着目した。

 我々の種も、大脳にかぎらず、身体組織は一〇分の一程度しか、その能力を発揮していなかった。しかし、非常事態が起こると、日常使われなかった能力の一〇分の九が開花し、我々は驚くべき行動をする場合があった。


 大脳の場合も同じで、非常事態に備えたもの、とケイトは考えた。

 つまり、種みずから進化を進め、非常事態を想定した潜在的な許容能力を持つなら、種は種として、種の未来を知っていたことになる。

 逆に、種が未来を知らなかったとすれば、潜在的に許容能力を多く秘めた種がより多くの進化を遂げるため、あるいは、より多くの環境に遭遇して適応性を得るため、多くの能力を秘めた亜種が生まれたはずである、と。

 そして、彼女は後者の立場を選んだのである。


 ここで、私は彼女の説に、意識が生みだす、優れた思考過程を垣間見た。そして、これらが、後世に受け継がれるであろう事を期待した。



 ケイトは研究対象に、大脳の使用に許容能力を持ったトトの種を選んだ。

 当時、トトは、家族的集団生活をする類人猿であり、我々同様、類人猿のネオテニーを祖先に持ち、我々の種に最も近い霊長類だった。

 銀河中心の変化以前、草原や森林地帯で、大脳の数%を使って生活していた彼らは、我々の種の天然資源の使いすぎから生息地を奪われ、種として個体数を激減させていた。種の存続を危惧したクラリックの生物学者に保護され、繁殖させられていたが、繁殖は進まず、当時の個体数を維持するに留まっていた。

 進まぬ繁殖に、生物学者たちは、トトの種は生殖能力が薄れている、と考えた。


 この生物学者のグループにいたケイト・レクスターは、トトが大脳の九五パーセントに潜在している能力を使えるなら、我々の種と対等な行動が可能だ、と判断した。

 ケイトがトトに言葉を教えると、彼らはケイトの教える事をつぎつぎに記憶し、記憶から次の行動を思考して、みずから学習するまでになった。学習能力を身につけた彼らは、子々孫々にその能力を教え、飛躍的に知能を発達させた。


 言葉を理解せず学習能力を持たない、と考えられていたトトに、我々の種と同じ大脳機能がすでに備わっていた。彼らに言葉を教え、思考させ、学習能力を身につけさせる「存在」がいなかったため、我々の種が彼らを、単なる類人猿、としてあつかっていたにすぎなかったのである。

 ここで説明する「存在」とは、進化過程にある未進化の生命体に物事を教える、高度に進化した生命体だけではない。進化過程の生命体に刺激を与え、思考を誘発させる自然現象などの事象全てを、「存在」と考えることができる。


 唯一、ケイトが見逃した事があった。言葉を教える際の彼女は、他より強い意識で、より強く思考する性格だった。その強い意識による思考が精神波、つまり精神空間思考となって、彼らトトの精神に流れこみ、彼らの精神は言葉を大気の振動として捕らえる前に、ケイトの意識によって強く励起されていたのである。その状態は、トトが獰猛な肉食獣に襲われた時に感じる精神衝撃より、はるかに強かったのである。


 シンのみならず、トトの記憶に、

「待ち望んだ『存在』のマザー・ケイトは、言葉を教える前に、強く心に語りかけた。我々はケイトの心に答えた。彼女の教えは我々の進む道だった」

 とある。


 トトに我々の種と同様な大脳機能が備わっていた事実は、彼らが望んだからではない。彼らが望んだのなら、ケイトに言葉を教えられる以前に、彼ら独自な言葉を使っていたはずである。彼らが言葉を持っていなかった訳ではないが、彼らの言葉は、音、という方が正しかった。



 その後のトトの飛躍的な知能の発達について、様々な学説が出たが、明らかな事が一つあった。

 トトの種の大脳はある限定されたプログラムによって進化し、知識が外部から与えられるのを待ち望んでいたのである。そして、待ち望んだ存在、ケイト・レクスターが現れたのだった。

 彼らが知能を身につけなければ、彼らの種は、その後、一万年以上、種を存続させることが不可能だったはずである。


 実際、言葉を覚える前の彼らの繁殖率は、それまでの状態を留めるにすぎなかったが、言葉を覚えると同時に繁殖率は高まり、飛躍的に個体数が増加した。

 その理由をシンは、

「たがいの好みがわからなかったが、言葉を覚えて、互いを知るようになったから」

 と説明するが、事実は、我々ニオブをかなり意識し、繁殖を抑えていたためだった。

 彼らは言葉を覚えて知能を高める以前から、自己意識も個性も持ち合わせ、恥じらいも持っていたのである。

 にもかかわらず、我々ニオブは彼らの精神活動に何ら興味を示さず、我々だけが唯一の存在である、と考えていたのである。



 トトの急速な進化は、我々に多くを教えた。

 言葉を覚えて知能を発達させたトトの種と我々の種を相似的に考えるなら、

「我々の種に知恵を与えた「存在」がいるのは、まぎれない事実である」

 といえる。


 我々、アーマー階級のジェネラル位やオフィサー位が、その「存在」に気づきはじめると、ケイト・レクスターの学説を否定したクラリック階級たちは、いっせいに口を閉ざした。これまで我々を導き、この時空間に我々の存続を許した「存在」について、触れようとしなかった。

 なぜなら、それら「存在」の代行が、クラリック階級の上位に位置するアーク位と、次に位置するビショップ位の世襲化された仕事であり、彼らが職を失う、との狭い了見を持ったからだ。

 クラリック階級は、この時すでに、この欺瞞を、自己階級の優位性を示す精神エネルギに変化させていた。この狭い了見に基づくクラリックの精神エネルギー変化は、我々の階級に一石を投ずる前兆だった。我々はその事に気づかず時はすぎていった。


 トトの記憶によれば、ケイトの意識は明らかに彼女の精神から離れ、言葉を解さないトトの精神に、じかに話したことになる。

 これが我々ニオブの能力なのは、クラリック階級が認めようと認めまいと明らかだった。


 アーマー階級の我々は、その事にいち早く気づき、肉体から精神を解き放ち、精神エネルギーのみになる訓練を重ね、緊急の場合に備えた。

 訓練は我々アーマーの世襲化された仕事として、我々の階級内で受け継がれた。そのため、プロミドンが開発されて「存在」が明らかになっても、我々はクラリックのように動じなかった。


 我々は、いずれ時空間における我々の真価を問われる時が来ると判断し、我々生命体が繁栄できる新たな恒星系を求め、生命の発生を促すエクトプラズムの波動に同調させたプロミドンを、惑星ロシモントのプロミドンによって、何基も時空間の彼方へ送りだした。

 小惑星帯を消滅させる大きな過ちを犯したのはこの六百年後である。

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