Escape from Utopia

コノワタ

第1話


 暗い夜道を歩く夢を見た。

 ひたすらに歩き続ける夢だった。

 疲れても、息が切れても、体中が痛くても。


 心臓が激しく脈打っていた。

 息も荒い。

 まさしく、悪夢だった。


「やっぱ一週間で東京-京都往復は無理があったなー……」


 夏休み最後の挑戦と題し、自転車での強行軍を実行に移したのはつい2週間前。

 母に止められることはなかった。

 日頃から、頻繁に県外までチャリを転がしている身だ。

 俺も、母も、いけると思っていたのだ、割と本気で。


「うーわもう8時だし」


 カッ飛ばさなければ学校にも間に合わない。

 睡眠不足から来る嫌な気怠さを振り払い、俺、斎藤由羽はベッドから飛び起きた。


 リビングではいつも通り朝のニュースが流れていた。

 国際会議で演説を行った首相のワンカット。


 年々、異能の発現年齢が高くなっていることや、異能そのものが多様な変化を遂げていることから、各国の治安は急激な悪化を見せている。

 そんな中、全国民の異能を詳細に管理・監視するアルゴス・システムの活躍によって犯罪発生率の大幅な抑制に成功した日本。

 その発言力はうなぎ登りなんだとか。


 街中に張り巡らされた監視網は好きになれないけれど、平和になるのは、良いことだ。


「行ってきまーす!」


 朝の支度を終えた俺は、弁当代をポケットに詰めて、鞄を背負い、玄関を飛び出す。

 寸前、「あ、ちょっと」と珍しく母からお声がかかった。


「今日はちゃんと早く帰ってきなさいよ!

 異能検査、予約してるんだから!」


「分かってる!」


「じゃあ行ってらっしゃい」


 もう一度だけ行ってきますと言葉を返し、家を出た。


 鍵を外して自転車に跨がり、ペダルを踏む。

 ゆるゆると動き出し、ぐいっと加速。

 ぶち当たる風が、纏わり付く残暑を連れて行く。


 景色が流れる。

 音もまた、風の唸りに飲み込まれた。

 道行く人々を追い越し、すれ違い、隣の自動車には追い抜かれ。

 この時間が好きだった。

 なんだか、特別な場所に来たみたいで。


 自由だった。

 自由を、感じられていた。


 学校は、まあ、いつも通りだ。

 寝たり、起きたり、飯食ったり。

 自慢したり、自慢されたり。


 そうこうする間に、放課後が来た。









◇◆◇








「なんにもないですね。

 異能はまだ発現してません。

 体の方も健康そのもの。

 法則性を持つ夢は、確かに異能発現の前兆として知られていますが……思春期ですしね、あまり気にしなくて良いでしょう」


 と、医者はあっさり言い切った。

 ぼんやり考え事をしていた俺は、ま、そうだよなあと呟きかけて、慌てて言葉を整える。


「そうですよね。

 僕も、まったく実感ないですし」


「だろうね」


 深く頷く医者。


 どんな赤ちゃんでも、どれくらいの速度で走れるのか、どこまで速くなれるのか、そういうことが分からなくても足を動かすことはできるように。

 異能とは獲得するものではなく、生まれ持った機能なのだ。


 ――人類に異能が芽生えたのは、今からおよそ50年前。

 水を生み出し操ったり、背中に翼が生えてきたり、透明人間になれちゃったり。

 

 とはいえ、科学技術が隆盛を極めたこの時代、個々人の特性によって異なる能力など扱いにくいことこの上ない。

 誰もが持つ能力ではあるものの、文明社会を構築する上ではむしろない方がいいくらいだ。

 そのため、誰がどんな異能を持っているかは戸籍謄本にばっちりしっかり登記され、アルゴス・システムによってその使用は厳格に監視されている。


 そうした仕組みがなかったり、規制が緩い国の治安は悲惨なものだという。

 西の方には戦国時代をやっている地域もあるんだとか。

 俺にはどっちが良いかなんて分からないけれど……この国日本は、世界一安全な監視国家だと言われている。


「異能の覚醒には、3つのプロセスがあります。

 まだ目覚めていない未覚期、目覚めかけの前覚期、目覚めた後の後覚期ですね」


「はい、存じています」


 食い入るように、母。

 本当にどうしたのだろう。

 先生は穏やかな笑みを浮かべて説明を続ける。


「私の異能は前覚期以降の異能を推知するものです。

 そして、前駆症状が顕れるのもまた、前覚期以降です。

 いつかは目覚めるものではありますが……、少なくとも、数日中ということはないでしょう」


「はい、はい……っ!」


 嬉しそうに、ありがたそうに、母は医者に頭を下げる。

 なんだかなあ。

 気恥ずかしいような、申し訳ないような、目覚めていて欲しかったような、そうでもないような。

 気づけば、曖昧に笑っていた。


「まあ、なんだ」


 医者は、俺の方を向いて言った。


「君も、あんまりお母さんに心配をかけないように。

 色々と楽しい時期なのは分かるけど、さすがに一人で京都まで自転車旅はやり過ぎだよ。

 もう少し近場で済ませなさい」


「……そうですね、そうしようと思います」


 おや、と眉を上げる医者、ホントにぃ? と訝る母。

 これが狼少年の気持ちかぁ。

 俺はどうやって信頼を回復させたものかと頭を悩ませた。


 考えている内に、診察は終わった。








◇◆◇








 

 起床と同時に、俺は気づいた。

 あるいは、思い出した。

 自分が何をしてきたのか、この平和で幸福な国が如何に狂っているのかを。


 ――俺は、この国から逃げ出さなければならない。


 可能な限り早く、誰にも、親友にも、母にすら知られることなく。

 そうしなければ、遠くない未来、俺は死ぬ。

 逃げ出さなければ、いつか悟られ、殺される。


 夏の終わり。

 夜明け前。

 部屋の空気は冷え切っていた。

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