38. 歯車が回りだす

 この一言で、彼の心をぐっと掴むっ、と意気込んでいたのに、望夢君は眉を寄せて呟いた。


「え。いきなり怖いよ」


 思ってもみなかった言葉に、どういう感情を持てばいいのかわからなくなってしまう。私が何も言えないでいると、彼は眉の力をふっと抜いた。


「だってさ、今、ねえさまが言った言葉、もし自分が言われたらどう思うか考えてみなよ。会社をまるごと奪われて落ち込んでいる時に、自分と二歳しか違わない学生が、『時代を変える会社を興しませんか』って言ってきたら、警戒すると思わない」

「そ、それは、そうですけど」

「自分のすることに自信を持つことや、自分を大きく見せることは大事だと思う。でも時と場合にもよるかな。今の僕みたいに、人を信じられなくなっている人には逆効果だよ。怪しい話を持ち込んで来た、って思われても仕方がない」


 望夢君から、こうもずばずばと物を言われるとは思っていなかった。

 確かにそうだ。今の彼には、もっと丁寧な提案をしたほうがよかった。


「きつい言い方をしちゃってごめんね。勿論、僕はねえさまが怪しい話を持ち掛けているわけじゃない、ということくらい、わかっているよ。だから話を聞かせて」

「あ、えっと、どうも。信じてくれている、ってことでいいんですかね」

「うん。だって」


 俯きながら少し怒ったような顔をして、私と朔夜を上目遣いで見る。


「僕の兄様が愛した、ねえさまだからね」




 それから皆で食堂に移った。テーブルを囲み、じっくり腰を据えるためだ。

 話し合いのメンバーは私と朔夜、望夢君、平山さん、そして麻田さん。

 部屋の離れたところに立とうとする麻田さんを、朔夜は同じテーブルに着かせた。


 私から会社の方針やこれからの予定、そして「魔法のエンジン」の簡単な説明をする。その上で改めて望夢君に向かって、会社に参加してほしい旨を伝えた。

 彼は話を静かに聞いた後、軽く頷いた。


「うん。だいたいわかったよ。僕をその会社に参加させてくれる、という気持ちも嬉しい。でも、こんなによちよち歩きの会社、僕みたいな子供を雇う余裕はないよね」

「望夢君は十六歳でしょ。もうそろそろ大人ですって。喋り方だってちょいちょい偉そうだし」

「なんだってえ!」


 私と望夢君が無駄な言い争いをしそうになったところを、朔夜と平山さんが止めてくれた。


「望夢には社長になってほしいんだ」


 無駄な言い争いの空気がまだ残っている所に、朔夜がなんの前置きもなく「社長」の言葉を放り込む。

 当然、望夢君は「はあっ?」と大きな声を上げて腕を組んだ。


「何それ。社長はねえさまじゃないの」

「ああ、えっとね、起業時の色々とか、その後のことは私と朔夜が責任を持ちます。だけど『俺が社長だぜ』って人前に出るのは、ぜひ望夢君にやってほしいんですよ」

「なんで」

「望夢君には社長の器があるからです」


 朔夜が頷いている。これは、二人で話し合った時に早い段階で出てきた案だ。

 だって。


「まず私ですけど、私、一刻も早く『魔法のエンジン』を完成させたいんです。この会社が時代を変えるには絶対必要ですから」

「まあ、社長業もしながら、となると効率的ではないか」

「そして朔夜ですけど、彼、頭はいいんで、会社内の業務は確実にこなしてくれると思うんですよ。だけど、その」

「あっ、そうかあっ」


 望夢君は私の話を遮り、にやりと笑って朔夜を指さした。


「兄様は『人見知りの恥ずかしがり屋さん』だもんね」


 指さされた朔夜が不機嫌そうに首をかしげる。だが望夢君の言う通りなので、何も言い返せなかった。


 望夢君は俯き、長い時間考え込んでいた。

 やがて両手を胸の前でぐっと握り、勢いよく顔を上げる。


「わかった。じゃあ僕が社長を引き受けるよ。ただ、その前にお父様と話をつけないといけない。それは、わかるよね」


 頷く。鴻家当主を続けながら会社に参加するか、あるいは……という話は、私が口出しできるような規模の話ではない。

 望夢君の言葉の中には、きっと相当の覚悟が込められているのだろう。


「まあ、僕はもともと何万人もの生活の責任を担うつもりだったからねっ。僕を入れて五人の生活くらい、担っちゃうよっ」

「いよっ社長っ、頼りになるうっ」


 彼の調子に合わせて、私がわざと冗談めかして盛り上げていると、平山さんと麻田さんが同時に立ち上がった。

 互いに目を見合わせている。先に口を開いたのは平山さんだった。


「望……ご主人様、五人、というのは」

「『ご主人様』なんて呼ぶなら教えなあい」

「えと、あの、の、望夢、さん」


 平山さんは困ったように麻田さんをちらちら見ているが、麻田さんは軽く首を動かしただけだ。

 おそらく、いや絶対、麻田さんは二人の関係を知っていたのだろう。


 望夢君は平山さんの言葉を聞いて、にっこりと笑った。


「ねえ兄様。勿論、平山と麻田も一緒の予定だよね」

「うん」


 平山さんと麻田さんがまた目を見合わせる。


「望夢さん、そうは申されましても、私めがお役に立てることなどありません。私など、多少力があることと、玉鉤国ぎょっこうこく語が話せることくらいしか能がな」


 自信がなく、自分を低く言う平山さんの言葉を遮る。

 彼のこの姿は、ほんの少し前の私だ。


「平山さん。『魔法のエンジン』は蒸気時代を変えるんです。いいですか。この国を変えるだけじゃない。時代を変えるんです。そのうえで平山さんの語学力は、国を飛び出す際の強力な武器になるんです」


 私も朔夜も、多少の異国語は話せる。だが国同士の交流が少ない玉鉤国の言葉は学校で習わない。

 私の言葉を聞いて、平山さんは小さく震えた。

 それが寒さや恐れによるものではないことは、彼の黒い瞳に宿った強い光を見ればわかる。


 朔夜が麻田さんに顔を向けた。


「この会社には麻田が必要なんだ。俺達は圧倒的に社会経験が足りない。瑠奈や平山だって、麻田ほど世間を見てきたわけではない。だからできることなら、社会の中で俺たちを導いてほしいんだ」


 望夢君も加勢する。


「そうだよ。それに見てよこの面子。社長が僕で、あとがこれだよ。見た目が信用ならなくない? 麻田みたいな落ち着いたおじさんがいてくれないと、安心感がないよね」


 言い方はあんまりだが、案外重要なことだと思う。経済界はおじさんで回っているからだ。

 麻田さんに答えを保留されたり拒否されたりしたらどうしよう、と思ったが、彼は穏やかに微笑んで頭を下げた。


「お声がけくださり、ありがとう存じます。私はよりずっと、朔夜様にお仕えすると心に誓っております。私が朔夜様と皆様のお役にたてるのでしたら、喜んでお受けいたします」


 彼が顔を上げると同時に、私の心の中にある歯車が、がちりと音を立てて回り出した。


 ゆっくりと、軋む音をたてて、しかし確実に回り出す。

 『魔法のエンジン』が『魔法』ではなくなる日に向かって、走り出す。




 気がつくと、昼食の時間を大幅に過ぎていた。

 麻田さんが急いで軽食を手配してくれる。「軽食」とはいえ、しっかりした生地のパンにローストビーフと卵が挟まれたそれは、なかなかのボリュームだ。


 それを皆、同じテーブルで食べた。

 私たちは主人と使用人ではなく、仲間だからだ。




 小走りで正門を出る。

 話し合いに夢中になりすぎて、工場へ行く時間ぎりぎりになってしまった。未来も大事だが、今日の仕事も大事だ。


「ちょっと、すみません」


 それなのに、鳥打帽を被った新聞記者らしき男に声を掛けられた。


「あ、私、急いでいるんで」


 記者に話すことなんか何もない。さっさと通り過ぎようとしたら、彼に腕を強く掴まれた。

 引っ張られた時に門番の小屋の中が見える。

 誰もいないと思っていた小屋の中には、門番が手で目を覆ってうずくまっていた。


「なあ、お嬢さん」


 記者が顔を近づける。


「あんた、鴻朔夜の女の、高梨瑠奈だろう」


 後頭部に激しい痛みを覚え、視界が暗くなる。

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